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別れ

「おう、今日は偉く疲弊してるな」


先輩がスカイプ越しに聞いてきた。俺は特に疲れたとは言っていないが、それでも何となく雰囲気に出ていたらしい。


「あぁ、申し訳ないっす。いやぁ、最近妙に動き回る入居者様がいて、それに付きっきりで……」


山崎さんの姿がぼんやりと頭に浮かんできた。

帰ってきてまで頭の中に出てくるとは……感心してしまう。


「大変そうだな。まぁ、そのじいさんももしかしたら何かその行動に意味があるのかもしれないぞ。大事な意味がな」


先輩が意味深に言った。

山崎さんの行動に意味が……

ないない、意味なんてないわ。

馬鹿らしい。


「適度に相手して頑張りますよ。つきっきりだと大変ですから」


俺はそう答える。誰もあの人を止めれる人はいないんだ。

次の日も、また次の日も山崎さんは同じ毎日を繰り返す。

何が彼を突き動かしているのか?

動力源はなんなんだ?

俺はふと疑問に感じた。

一日中、起きていることもあるそうだ。

何かにとり憑かれたかのように徘徊している。

理由を聞いたことがある。

何でいつもあっちに行きたがるのと。


「俺はあっちに行かなければならないんだ」


決まって彼はこういった。あっちに行かなければならない理由。あっちとは他の入居者の部屋を指すのか、それともこの建物の外なのか?

こんなことを続けている内に、いつのまにか俺は山崎さんと挨拶や雑談をするようになっていた。面倒くさいという対象からいつの間にか気になるという対象に変わってしまっていた。

気がつけばその動きを、目で追い、時には迎えに行った。

そうすると次第に山崎さんも俺のことを覚えていてくれるようになった。

名前ではなく、顔で判断していたと思う。名前はいくら教えても覚えてくれなかった。

決まって天気の話ばかりした、外の雪景色を見て、感想を言い合った。

山崎さんから、俺は何かを学ぼうとしていたのかもしれない。ひたむきさ。必死さ。執着。自分がすると決めたことに対して、寄り道をせずに、一直線で一心不乱に向かう。

障害があろうとなかろうと関係ない。

自分の目的のために、ただひたすら進むだけだ。怒られようと、戻されようと、前に進み続ける。山崎さんの場合、最後まで完遂することは出来ないけど、真っ直ぐな気持ちは伝わってくる。少し羨ましかった。

山崎さんと大分仲良くなり、会話も成立してきた。俺の顔を見て、手を上げ、率先して挨拶や反応をしてくれた。何だか、この頃から山崎さんに会いにいくのを楽しんでいる自分がいた。

十二月の中旬の土日の休みを挟み、俺は今日も山崎さんに会いに行った。

でもいつも見ていた背中が見えない。

入院でもしたのかな?

簡単にそう思い、俺は階のスタッフに聞いてみた。面倒くさそうにスタッフは答えた。

衝撃だった。

死んだ……

山崎さんが死んだ……

馬鹿な……嘘だ。

週末まで何も変わらず、ピンピンしていたというのに。

信じられなかった。

嘘ではなかった。彼は死んだんだ。

こうもあっさり……なんで!

そんな感じは微塵もなかったのに。

俺の頭の中には彼と一緒に過ごした日常があった。インプットした思い出をアウトプットする。

彼と出会ってからまだ一ヶ月くらいしか経過していなかったので思い出は少ない。

でも泪が出そうになった。

気が付かない内に俺の中で、彼の存在は大きくなっていた。いやなりすぎていた。

あのどこまでも前に前に進む背中をもう見ることが出来ないのは、非常に残念なことだ。

山崎さんが亡くなったことを同僚に知らせると、皆が驚いていたが、すぐにその驚きもなくなってしまった。

何で?

人の命が一つなくなったというのに……。

誰も悲しくはないのか?

ただの迷惑爺さんが死んだだけなのか?

悲しい顔をする人もいない。

何回も会った時があるのに。

もう二度と会うことも、話すことも出来ないのに。

俺は悲しくないのか、宇都宮さんに聞いてみた。

宇都宮さんは俺に


「よくあることだよ。気にしていたら仕事が手につかなくなる。悲しいけど、あまり考えないほうがいいよ」


と言った。

昔はどうだったか知らないが、今はあまり入居様の死については深く考えない方向にしているようだ。

俺は……。

俺は、何か彼に伝えることが出来たであろうか?

精一杯の介護が出来たのであろうか?

いつも通り適当で、おかしな老人がいるから構っていただけではなかっただろうか?

どうなんだ?

お別れすら言えずに亡くなった。

別に一ヶ月と少し話した程度だと割り切れば問題ないかもしれない。

でも、この妙に引っかかる感覚は何なんだ?

胸に突っかかる。別に特別な関係でもないけど、いつもいた人がいなくなり、もう二度と会えないのは悲しい。

俺と別れたときの彼は笑顔だった。

またなと声も掛けてくれた。

でも彼はもういない。

職場では泣かなかった。

でも、俺は帰りの車の運転中に泪が出てきた。ちょうど外もみぞれ混じりの雨で、この雨が俺の心の中のこのざらつきを洗い流してくれればいいと思った。


「あんた、夜の遅くまでいつも何やってるの?」


自宅に着いた俺を待っていたのは、激しい怒声だった。

こっちはそんな気分ではないっていうのに。

なんで今日に限って突っかかってくるんだ。


「ごめん、今日はそんな気分じゃないんだ。また後で話すよ」


今日は話す気分ではなかったので、俺はすぐに自室へと退散した。

必ずといっていいほど、この手の類の話は揉めて、話は平行線になり、長くなる。俺はそれが分かっていたので話すのを途中で辞めたのだ。


「おつかれさん」


スカイプを先輩に掛けるとすぐに反応してくれた。何だか今日は一人でいたくなかった。

軽く入居者様が亡くなったことを説明する。


「そうか。お前にとってその人から通じる何かがあったということだ。その気持ちはお前にしか分からない。だからどう処理するかはお前次第だ」


先輩が諭すようにいった。本当にこの人は一個上なのかと言いたくなる。


「すまないっす、先輩。ありがとう」


俺はその言葉に礼を言った。


「いいって。何か参考になったのならよかったよ」


先輩はいつも俺を助けてくれる。

俺もいつか先輩のために何か役に立ちたい。

小説家になったら、いの一番に感謝するのは先輩だ。

どうしよう?

先輩はどうすれば喜んでくれるだろうか?


「どうした? まだ考え事か?」


何か考えている俺を心配してか、先輩が声をかけてきた。

この人、本当に間がいいな。

話すタイミングが全部わかっているみたいだ。


「いえ、そろそろ小説も二人に納得のいくものを見せたいなと思いまして」


最近の停滞ぶりに嫌気がさしていたのは事実だ。それも自分のせいである。


「少しは心変わりでもしたか? 最近のお前は酷かったからな」


先輩には全てが分かっていたのかもしれない。

昔から俺の考えていることはほとんど分かっていた。

お前みたいな馬鹿が考えることはよく分かる。

と言っていた。

それは昔も今も変わらない。

ようするに俺は昔も今も馬鹿なままということだ。

中々人間は変われない。この言葉の通りである。


「さて、なら心変わりをしたのなら、いい作品書いてくれよ。自分で分かっていても駄目だからな。読み手が読んで意味が分からないと駄目だ。いいな。あとは描写だ。その人物がどんな奴か五感で感じたことを書いてみろ。お前のはどんな人か分からない時が多々あるから。よし、ならこんなとこか。じゃあ、また近いうちにな」

「はい、ありがとうございました。先輩」


俺はそう言い、スカイプを優しく切った。早速、執筆活動に入る。

落ち着いて、さっき言われたことを意識しながら書こう。丁寧に丁寧に。一文字一文字を大切にしながら。


「また夜更かしか。さっさと寝なさい。明日も仕事早いんでしょ」


ドアの外で母親の声がする。激しい音がして、俺の自室の部屋が勢いよく開けられた。ノックもせずにいきなり母親が、自室に入ってきたのだ。この勝手に自室のドアを開ける行為は昔っから、何度注意しても関係ない。ある意味嫌がらせといっても過言ではないレベルだ。


「別に早くないよ。きちんと八時半まで出勤すればいいだけだ。それに俺は遅刻したことなんてないぜ」


母親のこのプライバシーも何もない行為に憤りを感じながら、平常心を勤めながら、俺は返答した。すぐに部屋を出るように促す。この行為が母親の癪に障ったらしい。


「ならその話し声は何とかならないの? 夜遅くまでゲラゲラ笑ってさ。母さん、眠れないんだよ」


凄い剣幕でそう言い、母親が何故かブチ切れた。夜といっても時刻はまだ十一時くらいだ。

それに深夜帯は声の大きさも考慮して、静かに話しているつもりだ。なのにここまで言われるのは心外だ。

ガーガーとまくし立てるようにいい、ようやく部屋から出て行った。

ったく面倒くさい。

なんでここんとこ毎日のように口うるさく言ってくるんだ。母親は小言を含めて、最近頻繁に言ってくる。

新手のヒステリックなのか。

まぁ、もう出て行ったのならいいか。

静かに慎ましく、執筆活動再開だ。

でも、毎日のようにこんな感じで邪魔をしに来るなら何か対策を考えないといけない。

やっぱそろそろひとり暮らしでもしようかな。

お互い干渉しすぎるから、今みたいなことになってるみたいだし。

寝る前までに少し賃貸物件でも探してみるか。

安めで、職場に近くて、ネット環境がいい賃貸で限定して。

それなら邪魔もされないし、執筆活動も静かな空間で出来る。

小説家になるために無駄なことは避けたい。

労力を使うとしたら小説にだけ使いたい。

珍しく、筆が進んでいる。

十年の月日の集大成。

あとは結果だけなのだ。賞に引っかかる実力を備えて、受かるだけ。

それだけでいい。それが難しいのだが。

俺は小説家になる。

願望ではなく実行。過程ではなく結果。

周囲に迷惑もかけている。その人達に結果で報いたい。先輩に友人。

この二人には感謝しきれても感謝しきれない。

いつも嫌な顔せず、教えてくれる。

だから俺は……。

必ず小説家になる。

そのためには手段を選ばない。


 別れ。それは突然やってくるものだ。

それは何も男女の仲だけとは限らない。

うちの職場もそれは例外ではなかった。

冬の凍える日に一人の男性がここから異動することになった。

宇都宮さんだ。

管理職として、人出の足らない別の施設に異動するらしい。

頼もしい存在であった宇都宮さんがいなくなる。

本気かよ。

初めてこの話を聞いた時、俺は驚いた。

ようやく職場がうまく回り始めたときに、この異動だ。もはやついてないと思うしかなかった。


「ここにいる人達なら、きちんと仕事もこなせるし、大丈夫だと思う。もちろん、藤原もな」


宇都宮さんはそう言い、俺に握手を求めた。


「うっす」


俺はその宇都宮さんに握手で握り返した。不思議と泪は出なかった。

いつも飄々と物事をこなしてきたあのあの頼もしい後ろ姿を見れなくなるのは、寂しい限りだが。

でもこれからここはどうなるのであろうかという不安はあった。

核となる人物がいなくなったのだ。

ある程度の補充がないと仕事が回らない。

小説なら、新手の嫌な奴が来るみたいな展開なんだけどな。

お別れらしいお別れもせずに宇都宮さんは去っていった。


「お別れ会くらい開いたほうがよかったね」


上司の谷さんが言った。一番辛いのは谷さんだ。旗揚げ時からいた同胞を無くしたのだ。

また上の急な決定かな。俺はふと思った。俺と同じように、急な決定事項はここでは日常茶飯事だ。俺の時もそうだったし、今回の宇都宮さんの件もだ。

唯一の違いは、宇都宮さんは引き抜きでいなくなるんだけど。俺は追い出されて飛ばされたってこと。そこは大きな点だ。今回の異動はこの建物内で働いている人も結構関わっているみたいで、人事の茜屋がてんやわんやしている姿が浮かんだ。

俺は二ヶ月の間、介護という現場で働いて、感じたことは非常にハードだということだ。

事務仕事をしているだけでは、分からなかった現実が俺には身にしみた。仕事内容は華やかなものではなく、地味な内容が多いが、それも介護では仕事の一つ。ないがしろにしてはいけない。

昔の事務職に戻りたいと思っていた俺も、今は複雑だった。ここでの仕事は刺激は確かにないかもしれないが、非常に建物全体が笑顔に満ちている。誰しもが心の底からにこやかに笑っている。前の職場ではそんなことはなかった。お互いを牽制しあい、酷い時には腹の探り合いをしている。そんな印象さえ感じられた。笑っている人も少なかったと思う。そんなふと笑顔にもなれない息が詰まる空間に俺は戻りたくなかった。いやおそらく戻ったとしても肉食獣の掘の中に閉じ込められた草食獣のように、瞬く間に食されてしまうだろう。

また掘さんに言われた言葉が引っかかっていた。


「藤原さんは介護に向いてるよ」


にこっと彼女は笑って俺によく言ってくれた。

そのくったくのない笑顔に旦那さんは騙されて結婚したのかもしれない。

それほど、彼女の笑顔は素敵だ。


「いやいや、俺なんてただ必死にやってるだけだよ。風呂介助しか出来ないしさ」


俺は決まってこう返す。


「そうかなぁ。入居者様への対応とか見てるけど、自然と心を掴んだり、暖かくする何かを持ってると私は思うんだけどなぁ」


掘さんはそうも言ってくれた。

内心、少し嬉しかった。まだ介護歴二ヶ月くらいで、真っ白な状態から始めた俺がそこまで言われるなんて。


「谷さんも言ってたよ、藤原は介護に向いてるって」


谷さんが?

意外な名前が出てきた。

いつも俺になにかと小言や注意が多い谷さんが、まさかそんな風に思っていたなんて。一瞬冗談を言っているんじゃないかと思ったが、

掘さんがそんなことをいうようなキャラではないことは、ここ二ヶ月くらいの関係で知っていたので素直に受け取ることにした。ふと上司の谷さんの方を見る。今日もせっせと何か重要な書類を作成しているようだ。

そんなことを思ってくれているなんてありがとうございます。俺は上司の背中にぺこりと礼をした。


 職場では、中々いい感じの俺だが、この頃は親との関係はさらに冷えきったものとなっていた。

母親だけでなく、父親とも関係もぎくしゃくしてきた。両方共、自分の思い通りにいかないと駄目な典型的な自己中心的なタイプで、俺の行動がどうにも引っ掛かり、目につくらしい。

やれやれな話だ。勝手に苛々して、こっちに当たってるだけじゃないか。

俺は特に迷惑らしい迷惑をかけたわけじゃないぞ。

どうにも部屋にこもって、ずっといるのが気に食わないらしい。

部屋から出るのは基本的にトイレ、食事の時くらい。

でもあまり親と干渉しない人はこんなものじゃないかなと思う。自分のプライベートな時間は自分のものだ。それは誰のものでもないはずだ。

しかし、それが通じないのがこの二人ってわけだ。さてどうすればいいのかね。

俺が泣き寝入りすればいいのか。それはダメだ。小説が書けなくなる。書けない状態が一番まずい。

となるとやはり家を出るのが一番だな。

これは最終決定として、その準備が整うまでどうするか。

邪魔をされないのが一番ベスト。だがその可能性はかなり低い。宝くじを当てるより低いはずだ。となると侵入してこようとしても、侵入できないようにするか、もしくは他の場所で執筆をするかだ。

侵入してこないようにするには、やはり鍵だろう。その場合、鍵を設置しないといけない。しかし、ドアに設置するのはかなりの労力を要する。昔ながらの扉で、中々細工するのが困難な作りになっているのだ。

見つからずに、設置するにはそれなりの時間が掛かるし、道具が必要だ。

他の場所で執筆であれば、まんが喫茶が濃厚だな。まんが喫茶で先輩たちとスカイプでは話せないけど、チャットで連絡取りながら、書くしかない。静かに行えば問題ないはずだ。

この二つに、一つかな。

他は中々浮かんでこなかった。まぁ、まずはこないことを祈って執筆活動を開始しましょうかね。

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