新たな環太平洋共栄圏に向けて?
WWⅡで負けなかったら、私は生まれていなかった気がする。
WWⅡは、テーマとして面白いが、なかなかに難しい。個人的には、WWⅡそのものを小説のテーマとして描くことは、難しいなぁと判断している。なんでかなぁという想いを、エッセイ風に描いてみた。歴史ifとして描くと、自分自身が生まれなくなってしまうような気がするので、怖くて描けないというのもある。
今回のエッセイの執筆動機としては、年末年始の新聞一面記事や、英国のユーロに対する投票を含め、国際社会における、利害関係の錯綜がさらに面倒になっていることを整理しておきたいなぁという意味もある。
昔から若干は出ていましたが、2000年前後からでしょうか、第二次世界大戦系のifが増えてきたのは・・・ただし、取り扱い方そのものには、まだまだ厳しい状況があるようです。
年末年始の新聞記事からしても、世情そのものは戦争が終わってはいない感じがあります。まだまだ生きている人が居るというのも、厳しい状況を生み出しているひとつであろうと思います。個人的には、WWⅡについては、自分自身では描けないというのもあります。
この正月、母親が入院している、病院に行ったら、大正時代生まれの方が居て、第二次大戦終了時にはシベリアに抑留されていた方というお話を聞きました。まぁ、母親自身は沖縄の人間で昭和一桁生まれで、第二次世界大戦当時に沖縄戦に巻き込まれて、一フィート運動のフィルムに自分の母親が映っているのを観たりすると、なかなかに難しいものだなぁと思います。そういった意味でも、第二次大戦モノは、自分自身で描くのは厳しいなぁという状況にあります。様々に話を聞くと、祖父や祖母が関係していたり、あれ、そんなこと地元でも知らないなぁ、という状況があったりと、なかなかに判断に難しい状況があります。
沖縄戦は、事実上の敗北という表記がアメリカにあっても、実際にそこで死んでいった人にとって、表記上の勝敗に意味はありません。死んだし奪われたという事実だけが残ります。つまりは、利害関係者というのは、感情が先になってしまうと、言葉も論理も通じなくなるということなのです。
個人的には、WWⅡで日本が有利になる前提条件は、日本海海戦および二百三高地で勝って、奉天で敗北しての講和スタートが良いかなぁと思います。昔、南北戦争でアメリカ連合国とアメリカ合衆国が両方とも残るとかするのも、面白い発想だと思ってました。他の方々も描いていますが、アメリカと戦争しない選択肢が許される状況をどうやってつくるかといったところが重要と考えています。
普通に昭和を迎えてしまって以降だと、大陸利権を欲しているアメリカに対して、すべての大陸利権を守ろうとする日本では、交渉することが難しいというのがある。私が奉天で敗北して欲しいという判断は、この大陸利権そのものを元々日本がほとんど持っていなければ、アメリカやイギリスと合同で大陸利権を奪いに行くという選択肢が取れるからである。日英同盟継続もしくは日米英三国同盟の締結という流れに持っていくこともできるかなぁという発想である。
良い悪いの判断は別として、第二次大戦後に構築された、日米安保体制および環太平洋経済圏は、非常に強力な経済体制である。現状でユーロから外れそうな、英国まで入れると、双洋圏(太平洋+大西洋)経済ブロックといったところまで見えてしまう。つまりは、海洋国家連合VS大陸国家連合といったところである。
日本の政治・政策上の厄介な性質として問題となるのは、手に入れてしまった利権を手放せないことにある。手に入れた利権を削ることを、許容できない、利権の利害関係者が官僚だけでなく、政府関係者や利権に絡む国民までを含めて錯綜し、ステークホルダーの調整そのものが機能不全になるためである。
個人的に日本の政治体制というのは、戦前も戦後もそんなに変わっていないという感想なのである。国民に主権があると、大鉈をふるって利権を再構築することができない国家になる。戦前の日本は、国民主権に制限がかかっていたものの、天皇の下に、天皇の赤子たる国民によって国家が運営されていたと、個人的には判断している。
利権は、格差が大きかったとしても存在し、国民そのものが利害関係者という言い方ができた。富国強兵の下で、戦争が続き、戦死者が身近に増えれば、利害関係者の範囲は、拡大していく。利権確保のために、全国民に我慢を強いれば、確保した利権が奪われることに不満が発生する。ステークホルダーが全国民になれば、それを調整することが、徐々に誰にもできなくなるということだ。
だからこそ、明治以降の流れとしては、もう少し前段階で敗北しておいて欲しかったというのがある。個人的には、日露戦争で海上で勝って、陸上で負けるというのが、利権の再構築を国家が可能とするために必要だと判断した。そういう意味では、困ったことに、日本は戦争に強すぎた国家ということになる。
WWⅡで負けなかったら、私は生まれていなかった気がする。
短編にするか連載にするか悩んだが、とりあえず連載にしてみた。今回はWWⅡでも太平洋戦争における日本という感じを身の回りから描いてみた。前提として太平洋戦争で日本が勝てる要素は、基本的には昭和16年の段階で無いという判断がある。
この状況を日露戦争や幕末、さらには戦国と歴史を遡及していくと、色々と変化が起きていくのだと思う。本能寺が無かったりとか、甥っ子が関白になった作品世界であれば、WWⅡの前提条件はかなり違っていたのではないかと思う。
そういった状況は、かなり前段での話であり、昭和16年という状況下では、日米開戦そのものが、真珠湾攻撃のあるなしはともかく、負けると判っていても、開戦せざるを得ない程度に政府は追い詰められていたと判断せざるを得ない。正直、貧乏くじを引いたのが、当時の政府といったところである。
開戦は基本的に決定であり、そのための資料が欲しいから始まったのが「総力戦研究所」の話なのだろう。これは、戦後における政府関連の○○会議や○○委員会と同じなのである。基本的な結論は決まっていて、その結論に達する資料の作成が仕事となる。
どんなに荒唐無稽な計画であっても、実施が決定であれば、資料のデータは歪んでいくのである。必死で、実施したくない、敗戦必至のデータをいくら積み上げても上司は納得しない。何か無いかという理由探しだけが継続される。普通に考えて、普通に資料を作成すると、「敗戦必至」という結論になる。つまりは、普通ではない考えで、普通ではない資料を作成して、「開戦可能(敗戦についてはは記載しない)」という結論が提出される。資料を作成した方々は、誰もが「開戦すれば、最終的に敗戦」という結論でありながら、「開戦可能」とした。あくまでも「開戦可能」であって、「敗戦」も確定だから、終戦については記載できなかった。
アメリカが、昭和16年の時点では開戦を予想していても、疑っていたのは「敗戦が確定」で国家が「開戦」を選択する理由が、理解できなかったところにあると判断している。アメリカからすれば、勝つ事は確定でありながら、あれだけ被害が生じたことが、予想外であったと判断している。
前書きでも描いたけれど、WWⅡで負けなかったとしたら、私の両親が出会うとは思えず、私は生まれていないような気がする。歴史ifというのは難しい・・・