りゅーちゅけと夏目しゃん
今から12年前。
龍介が5歳の時、夏目は行き掛かり上、龍介と2人で、加納家で留守番をさせられた事があった。
夏目は当時12歳。
12歳と言っても、その当時から今と大して変わらぬ迫力と、今程低くは無いにしろ、ドスの効いたダミ声で、威圧感は半端では無く、亀一と寅彦は夏目を見ると、遊びに来たとしても物も言わず逃げ帰って行ってしまっていたが、龍介だけは物怖じせず、普通だった。
しかし、夏目は自分が子供の時から子供が嫌いだし、龍介は子供らしくなく、落ち着いた頭のいい子とはいえ、言っている事が全く分からない。
大体、竜朗としずかしか全ては分からない上、友達同士の筈の亀一達だって、半分程度しか理解出来ないという話だ。
夏目にしてみたら、外国人より酷い。
もう宇宙人である。
そんなのと2人きりにされてしまったのだから、堪らない。
しかし、状況的に拒否もできなかった。
双子を妊娠中のしずかが、急に出血したとかで、急遽竜朗が病院に連れて行くという、緊急事態だったからだ。
夏目と雖も、そこは断れなかったのである。
加納家のリビングで、正面のソファーにちょこんと座り、夏目を見つめて、大人しくしている龍介は、しずかを心配しているのか、元気が無い様に見えた。
龍介は甘やかされているという感じでは無いが、今まで一人っ子で、親と爺ちゃんは独り占め状態であったし、優しい子だから、しずかが具合が悪くて、病院へ行ったというだけでも、不安になっているのかもしれなかった。
「ー母しゃん、死んじゃったらどうちよう…。」
夏目の予想通り、不安になっている様で、なんとか夏目でも分かる言語でそう言って、大きな目に涙を溜め、口をへの字にしている。
「大丈夫だよ。死にゃあしねえよ。」
「だって、血がたくしゃん出たって言ってまちた…。」
「人間、相当量の血が出ねえ限り、死なねえから安心しとけ。」
「はい…。」
少し納得した様だが、元気が無い事には変わりが無い。
こんな小さい子と遊ぶというのは、夏目のスキルには無い事だが、気を紛らわせてやった方がいいだろうというのは、思った。
「ーなんかするか。」
「なんかってなんでしゅか…。」・
「ゲームとか…。サッカーとか…。」
龍介が少し笑った。
「あしょんでくりるの?」
なんと言っているんだか、もう分からない。
「そ、外行こうぜ。外。」
しずかも竜朗も居ない家の中にいるのは、却って良くない気がした夏目は、何を言っているんだか分からないが、そう悪い気はしていないのだろうと、表情で判断し、龍介を促し、外に出た。
梅雨に入ってはいたが、その日は天気が良く、暑いくらいだった。
外遊びには丁度いい感じだ。
しかし、夏目はこの辺りは、あまりよく知らない。
駅から加納家まで週に一度の稽古日に、歩いて通って来ているだけで、たまに帰り道にフラフラと雑木林を1人で探検している位である。
それに、自分も5歳児の時もあった筈だが、今となっては、5歳児がどういう遊びを好むのかもよく分からない。
当てもなく家を出ると、龍介が林の前で立ち止まった。
「どうした。」
「なんかしかってる。」
「叱ってる?誰が。」
龍介が指差す方向には、人は居なかったが、何かが光っていた。
「しかってんじゃなくて、光ってんだろ。」
特に当てがあったわけでは無いので、夏目も珍しく余り深く考えず、既に160センチ近くあった夏目からして見ると、一向に進んでいる気がしない、チマチマ歩きの5歳児龍介を担ぐ様に抱き抱え、通りを渡り、雑木林の中に入った。
その雑木林は、加納家の真ん前にある、今では龍介達の秘密基地が2軒ある場所だったが、当時は何も無く、夏目も帰り道に通った事もあるが、特に格別変わった場所では無いはずだった。
しかし、今日は変わった場所になっていた。
なんと、竹取物語よろしく、木の幹のど真ん中から神々しい様な、まばゆい光が出て来ているのである。
「なんだ、これは…。」
夏目と雖も、その頃は、未だ中学1年になったばかり。
興味をそそられ、龍介を降ろして、近付いて見ていると、龍介も必死に背伸びして見ている。
再び、龍介を抱き上げて見せてやると、また何か言った。
「なんかちゅきまがありゅよ。」
全然分からないが、夏目もその時、龍介が見つけた隙間を発見していた。
そこから覗いて見ると、布の様な物が見えた。
「誰かいましゅかあ?」
龍介が聞くと、あろう事か、中から女の声で返事が。
「はい!ここから出して下さい!」
夏目は思わず、龍介を抱いたまま後ずさってしまった。
「なちゅめしゃん!たしゅけてあげなきゃ!」
今度は状況的なものから、龍介のセリフが聞き取れた夏目。
「た…助けるって…。龍介…。あんな所に入ってる奴だぜ?どんな化け物か分かんねえだろ?」
「でも、だちてっていってりゅ!」
相変わらず、何を言っているのかは分からないが、必死に訴える様子とニュアンスから、出してやれと言っているのは理解出来た。
それに、夏目も子供である。
興味を惹かれ、隙間に指を突っ込んでみたが、少年の夏目の指1本分しか無い隙間から、声の主は引っ張り出せそうになかった。
「ちょっと、中のなんか。」
夏目は中の何者かに声を掛けた。
「はい!」
「少し避けとけ。穴広げる。」
夏目は再び、龍介を降ろすと、ジーンズのポケットから飛び出しナイフを出し、隙間を削り、広げ始めた。
中の何者かに当たっては大怪我なので、一応慎重に、なるべく刃を中に入れない様に削った。
ある程度削ると、中の何かが言った。
「あ!出られそうよ!」
そして、何かは出てきた。
その何かは、所謂、妖精だった。
薄い水色のヒラヒラしたワンピースを着て、10センチ位の体長。カゲロウの様な羽根が生えている。
「ありがとう!これで帰れるわ!」
妖精は飛び立った…はずだったが、滑空する事も無く、ボトリと地面に落ち、こんな小さな身体からそんな大声がでるのかという凄い音量で、ビエーンと泣き出した。
「お、落ち着けよ…。」
夏目はおっかなびっくり羽根をつまみ、持ち上げた。
「妖精の粉が無くなっちゃったんだわあああ!これじゃおうちに帰れないいいいい~!!!」
夏目はそのまま妖精をつまみ上げているのも抵抗を感じ、龍介の掌に置いた。
龍介は、妖精を心配そうに覗き込んで聞いた。
「ようちぇいのこにゃって、なあに?どこにありゅの?」
妖精は泣きながら答え始めた。
夏目には分からなくても、妖精はりゅーちゅけ語が分かるらしい。
「5色のお花の花粉と四つ葉のクローバーで出来るの…。探してくれる?」
「いいよっ。」
龍介の気を紛らわせる事が目的で出たのだから、龍介がやる気ならやるしかない。
四つ葉のクローバーというのが、不安材料ではあったが、龍介と一緒に、妖精を龍介の肩に乗らせて、花の方から探し始めた。
「なちゅめしゃん!ちいろいおはにゃあった!」
「ち…?」
何色だか全然分からないので、龍介の手元を見ると、タンポポを握っていた。
「黄色かよ…。」
ムッとする龍介。
「ちいろっって言ったもん!」
「分かんねえって!お前の言語は!。はい、赤!」
見つけた花から大きめの葉っぱの上に花粉を落とし、次を探しにかかる。
龍介が紫陽花の花を手に、嬉々として叫んだ。
「みじゅいりょ!」
夏目は勿論、龍介の手元を見て判断する。
「み、水色な…。」
夏目は隣の紫陽花に手を伸ばす。
「はい、ピンク。これで4色か…。」
龍介が白い花びらの、西洋タンポポを見つけた。
「ちろっ!」
「白な。後は四つ葉のクローバーか…。」
林の中には、お誂え向きに、クローバーの群生があるが、夏目は、四つ葉のクローバーなんか見つけようと思った事すら無い。
渋々という感じで、探し出そうとする夏目に、妖精が言った。
「見つけようとしちゃダメですよ?頭に四つ葉のクローバーを描いて、それだけを考えて、欲しいとか、取ってやるとか思わない事です。」
「ー無心でやれって事かよ。」
「そう。でないと、四つ葉のクローバーは隠れちゃうの。」
四つ葉のクローバーが隠れるとは、またメルヘンな話だなと思いながら、夏目は笑ってしまった。
そもそも自分は今、メルヘンの究極に位置する妖精と話し、妖精の粉作りの材料を集めるなんて事をやっている。
普段から大人みたいな夏目が妖精を見つけた上、妖精の粉集めなんかしたと友達に話したら、間違いなく、病院へ行けと言われてしまうだろうから、友達には絶対言えないが、意外な程苦でもなく、寧ろ楽しくすらあるのは、無邪気に楽しんでいる龍介と一緒のせいかもしれない。
言われた通り、無心で探してみようと努力したが、どうも取ってやるという意気込みは消えないし、必死に探してしまっている内に、目がチカチカして来て、全部四つ葉に見えて来る。
すると、暫くして、やっぱり欲の無さそうな、龍介が見つけた。
「葉っぱ、よっちゅっ!これでいいのっ!?」
「そうそれよ!ありがとう!」
龍介が花粉を集めた葉っぱの上に四つ葉のクローバーを置くと、妖精は葉っぱの上でくるくると回り、それらをかき混ぜ始め、花粉と四つ葉のクローバーは、いつの間にかキラキラ光る粉になった。
そしてその粉は妖精にまぶした様に全身にくっ付き、妖精自体がキラキラと輝き出すと、羽根を動かすと共に、宙に浮かんだ。
「ありがとう!これでおうちに帰れるわ!お礼に願い事1つ叶えてあげる!何がいい!?」
夏目は龍介から言えという様に、龍介の肩をちょんと突ついた。
「あの…。母しゃんが元気に帰ってくりゅようにちてくだしゃい。」
「ママが元気で、赤ちゃんも元気になって帰って来るのね。了解。」
妖精は、しずかがどうしているのか、ちゃんと知っているらしい。
流石、摩訶不思議生命体。
「あなたは?」
妖精は夏目の顔の真ん前に飛んで来て言った。
「俺?」
「そうよ。あなただって探してくれたじゃない。穴も大きくしてくれたし。出してくれたのはあなたよ。」
「その前に、なんでお前はあんな所に閉じ込められてたんだよ。」
妖精は暗い顔になった。
「ああ…。その事ね…。おうちがなくなっちゃった友達を迎えに来たのよ。そしたら、迷った挙句、カラスに襲われそうになって、隠れたの。あの木のお爺さん、隠してくれたのはいいんだけど、その後熟睡しちゃって、塞いだ穴を開けてくれなくなっちゃったのよ。」
謎が多すぎて、夏目は平然としながらも、パニック寸前だった。
「その友達って…。」
「妖精仲間よ。向こうの林に住んでたんだけど、人間があの林を潰してしまったから、おうちがなくなっちゃったの。でも、私がここに入っちゃってる間に、私の森に行ったみたい。もう大丈夫そう。」
「あんたの家のある森って?」
「さあ…。人間の言葉でなんという所なのかしら…。冬はとても寒くて、雪が凄いの。でも、夏はとても涼しいわ。それに、木がいっぱい。森も沢山あるの。人間も少ないし、いい所よ。夏場はちょっと賑やかだけど、龍介や達也みたいな子供にも会えて、まあまあ楽しいわ。」
名乗っていないのに、名前まで知られている。
なんだか多少不気味な気がしてしまう。
「北の方かな…。」
「いいえ、方向的には、ここから西よ。」
「てえ事は長野とかか…。」
「地名は分からないわ。」
「なんで俺や龍介の名前は言わなくても分かるのに、地名は分かんねえんだよ!」
「怒らないでよ!分かんないんだもん!興味無いから!」
なんだか違う価値観で生きているのは間違いなさそうである。
「それで?達也の望みは何?」
夏目は変な所が現実主義だった。
こういう願い事など、どうせまともに叶うはずは無いと確信を持っていた。
だから、絶対叶いそうにない事を言ってみた。
「俺はそうだな…。新しい自転車が欲しいかな。凄えいいやつ。5段変速ギアが付いてて、大人用の。100万位するやつ。」
「ふーん。分かったわ。じゃ、有難う。またね。」
妖精は飛び立ち、そしてキラキラの粉を巻きながら空に消えて行った。
「良かったね!」
嬉しそうに言う龍介の頭を撫でながら、夏目もまんざら悪い気はしなかった。
妖精を助けたー結構いい気分だ。
帰宅し、龍介の手を石鹸でガシガシ洗っていると、竜朗としずかが帰って来た。
しずかは家で安静にしているという条件で、無事に回復し、帰って来られたそうだ。
妖精の力と思えなくもなかったが、偶然という線もあるので、夏目はそれが妖精のお陰とは言わなかったが、龍介は言った。
「ようしぇいしゃんが元気にちてくりたんだよ。なちゅめしゃんとようしぇいしゃんをたちけてあげたの。」
全然分からないが、しずかは驚いた顔で笑った。
「龍、妖精さんに会って、助けてあげたの?凄いねえ。妖精さんに会えるなんて。達也君もお疲れ様。」
しずかはどう見ても話を合わせている風でなく、信じている様だ。
竜朗は変な顔で笑っており、龍介の言う事を信じていないわけではなさそうだが、聞いていたくはなさそうな感じで、仕事がとか言いながら、部屋に行ってしまった。
しずかは龍介の話す訳の分からない言語を聞き取り、感心しながら楽しそうに聞いている。
つい夏目も話したくなり参加すると、矢張り興味深げに聞いてくれた。
子供が話す、こんな荒唐無稽な話をまともに信じてくれる大人というのが居る事を、夏目はその時初めて知った気がした。
「しずかさんは信じてくれるんですか。こんな話。」
「だって、達也君や龍が嘘なんかつくはずないもの。
それに妖精って昔から居るって言われているでしょう?
私は残念ながら見た事は無いけれど、きっと居るからそういう存在が信じられてきたんだろうし、居たとしても不思議じゃないと思うの。
時々、人の居ない森なんか行くと、キラキラした光は見た事あるもの。居るのよ、そういうのって。
だから信じちゃうな。」
夏目は、そう言うしずかと龍介と、3人で妖精について話している内に、なんだかとても幸せな気分になった。
自転車なんか貰えなくてもいいやと思える位だった。
そして帰宅した夏目は、しずかよりも、自分の方が余程スレた嫌な大人なのかもしれないと思わざるをえなかった。
「達也!見てみろ、これえ!」
帰宅するなり、父が嬉々として見せて来たのは、ショッキングピンクのスポーツタイプの高級自転車だった。
「な…なんだそれはああ!!!」
「これさ、そこの自転車屋で特価で売ってたんだよ!
なんかどっかの金持ちが特注でこの色でオーダーしてきたのに、急に要らねえって言い出したんだと!
代金の殆ど支払ってんのに、もういいってさ!
だから、このメーカーの、このクラスで5万で売ってたんだよ!
お前の欲しがってた5段変速ギアだぜ!?
どうだ、これ!」
「どうだって…、だからって、その色お!」
「色なんか気にすんなよ!普通に買ったら100万だぜ!?な!これ乗れ!アレはもうお前には小さいからよ!」
律儀な妖精は約束を果たしてくれたが、色までは選んでくれなかった様だ。
夏目は真っ青な顔で、そのショッキングピンクの自転車を見つめた。
どうしてここまでというほどに毒々しいピンク色…。
どう考えても、この色に乗るのは嫌だ。
「親父いいいい~!!!」
「慣れる慣れる!」
「慣れるかあ!こんな色お!」
しかし、父の言う通り、この色さえ考えなければ、確かに分不相応な程、いい自転車である。
夏目は必死に考え、黒いペンキを買って来て、ピンク色を塗り潰す事にした。
翌日、自転車を解体し、色を塗り潰していると、あの妖精が振りまく粉が見えた気がした。
なんだか、あの妖精に笑われている様な気がする。
「こんな色、男は乗れねえんだよ。」
思わず呟くと、笑い声が聞こえた。
妖精を信じて、もうちょっとちゃんと願い事を言えば良かったなと、夏目は自嘲気味に笑った。




