不穏な雰囲気
イギリスから帰って来ると、イギリスに行く前の様子を見ていた百合は、真行寺が麗子を好きだと察し、スポックと仲良くなっており、籍を入れるとか、書類上の事は出来ないが、結婚する事になっていた。
ジョーンズと3人で住むらしい。
真行寺と麗子は一応再婚し、麗子の家に真行寺が住む事にしたし、全て丸く収まった。
「平和だ。実に平和だ。」
ポチと縁側で日向ぼっこをしながら、満足そうに言う龍介を何故か竜朗が悲しそうな目で見ている。
「なに?じいちゃん。」
「いや…。これで龍の煩悩が戻ってくれりゃ、もう何も言う事は無えなと…。」
「何、煩悩って…。」
爽やか過ぎる孫を見つめて、項垂れる竜朗。
「ーいや、いい…。ところで、寅はまたデート行ったのに、龍はいいのかい。」
「だって、イギリスでずっと一緒だったぜ?」
「寅だって、フランスでずっと一緒だったろうがよ。そういうもんなんだよ?毎日でも会いたいの。」
「はあ…。俺には分からんな。」
「そういうのも淡泊なのかい…。この子は…。」
「だって、俺だって他にもしたい事あるし。」
「うーん…。龍は、そういう淡泊なトコは、しずかちゃんに似たのかねえ…。」
「母さん?」
「そう。しずかちゃん、たっちゃん泣かした事あってよ。」
「へ?お父さんを?」
「そう。たっちゃんがさ、夏休みとかになると、毎日の様に迎えに来てたら、ある日、『そんな毎日の様に会わなくたっていいんじゃないの?私だって他にもやりたい事あるし。最低3日は間空けて貰えない?』って、普通の顔で言うんだ。
最初は、面白く思ってねえ俺に気を遣ったり、たっちゃんに会う度に俺がしごくから、そうならない様にって考えての事なのかなと思ったら、どうも違うらしい。
本気で言ってるって分かったら、たっちゃんが『そりゃないだろ。』って涙ぐんじゃって。」
「えええ。それでどうしたの。」
「しずかちゃん、一生懸命フォローすんだが、墓穴掘ってくだけ。
なんとかたっちゃんに、凄え好きなのは変わらないんだってのを分かって貰えたが、後で面倒臭いってドッと疲れてた。」
「うん。面倒臭いな、それ。」
「面倒くさいって全くお前らは…。
だから龍も気をつけな?瑠璃ちゃんにはっきりそう言わずに分かってもらえる様にしなよ?」
「はーい。」
帰国すれば、直ぐに新学期である。
新学期が始まると、直ぐ、極寒の永平寺の宿坊体験がある。
女子は畳敷きの暖かい部屋に泊まれるが、男子は人数が多いので、大きな広間で、仏様に見守られながら、寒さに震えて寝る事になる。
「きいっちゃん…。」
龍介が迷惑そうな、低い声で呟くように呼んだ。
「あんだよ…。」
「あんだよじゃねえよ…。なんでそんなくっ付いてんだよ…。気持ち悪いだろ…。」
「寒いんだよ…。いいじゃねえかよ、減るもんじゃなし…。」
「減らねえかもしれねえけど、不気味なんだって…。」
「我慢しろっ。俺が凍死してもいいのかっ。」
「凍死なんかしねえってっ。」
ブツブツ言い合っていると、向こうの方から先生の声がした。
「は…早く…寝なさい…。多分死なないから…。」
先生の声も寒さで震えている。
仕方なく、亀一を背中にくっつけたまま寝る。
翌朝は、朝4時10分という1番寒い時間に、鐘を鳴らしながら走るお坊さんに起こされて起きる。
起き上がると、かなり素早く布団を畳み始めなければならない。
その間、喋ってはいけない。
何故なら、曹洞宗では、全ての行いは修行だからである。
布団を片付けるのも、顔を洗うのも、食事をするのも、掃除をする事も。
だから、無駄にだらだらと時間をかける事は大変よろしくないし、スケジュールも詰まっているらしいので、モタモタやっている場合では無い。
龍介と寅彦は、毎日朝5時に起きて、稽古をしているから、身体が慣れており、4時でも苦も無く直ぐに身体が動くが、実は亀一は超低血圧である。
朝4時なんていつもは絶対寝ているから、急に起きても、血圧が上がらず、真っ青な顔で人が変わった様に、ボーっとしている。
起きようと思えば目は開けられるのだが、寒さも手伝い、まともに動けない。
布団を畳もうとしながら転がっている。
仕方がないので、2人で亀一の分の布団も畳んで、運んでやる。
それから禅堂へ向かい、座禅をするのだが、亀一はクラクラしているらしく、身体も動いてしまい、朝っぱらから警策でバシバシ叩かれている。
それから朝のお勤め。
本堂へ行って、お経を聞いたり、お線香をあげたりし、7時過ぎに朝食。
その後、自分が使った食器や洗顔を済ませるのだが、これはコップ一杯の水でやりきると決まっているので、こぼしそうな亀一の世話を焼いてやる羽目に。
龍介が自分の歯と一緒に亀一の歯も大急ぎで磨き、寅彦が自分の顔を洗いながら、片手で亀一の顔を洗う。
勿論、超適当だが。
当然、食器も洗ってやり、今度はお掃除。
自分達が使った広間は元より、庭なども雪の中、無言で掃除をする。
結局亀一が漸くいつもの亀一になったのは、次の目的地に向かうバスに乗った時だった。
「全く、きいっちゃんの目覚めの悪さは凄まじいな…。」
龍介が呆れ顔で言うと、寅彦が意地悪く笑った。
「栞さんが言ってたぜ?毎朝起こすのが一苦労なんだって。そのグダグダぶりは、100年の恋も冷めそうだってさ。」
それを聞いた龍介まで面白そうに笑いだす。
「そら大変だな、きいっちゃん。冷められたら大変だから、なんとかしな。」
「うるせええ!んなもんじゃ冷めねえから、安心しとけえ!大きなお世話だっつーんだよ!」
次の目的地は、京都である。
珍しく、永平寺を出たその日は嵐山と太秦を見学と、観光みたいな事が出来るはずだったのだが、昨日から降り続いていた、何年かに一度というクラスの大雪が、丸で龍介達の乗るバスを追いかけてくるかの様に吹雪いて来て、通り過ぎる道路から次々に封鎖になっていき、予定から大幅に遅れてしまったので、嵐山は行けなくなったと先生が告げた。
「なんか凄えな…。うちの学年に強烈な雨男でもいんのかね。」
珍しく寅彦がそんな事を言うと、龍介も言った。
「俺もそれは考えたけど…。でも、今までずっとなんかの行事の時は晴れてただろ?」
「それもそうだな。今回だけだから、うちにいるわけじゃねえのかもな。」
すると亀一が突然、眉間に皺を寄せ始めた。
「小学校の時…、ずっと雨だったぜ…。運動会も、遠足も、工場見学も、修学旅行も…。あれは格別酷かった…。」
寅彦の顔色もサーっと青に変わった。
「佐々木だ…。佐々木と学校が同じになった途端だ…。そして離れた途端、晴れる様になった…。」
「まさか、あいつも同じ場所を動いてるんじゃなかろうな…。」
2人の心配を龍介が笑い飛ばした。
「何言ってんだよ。仮にそうだとしても、俺たちは学校単位で動いてる。あいつと会ったって、トラブルに巻き込まれる事あねえだろ。」
2人はあまり納得行っていない顔で、グレーの空を見ていた。




