寅、それは単なる…
帰宅すると、龍介は寅彦の部屋の前に立った。
「寅、話させてくれ。誤解なんだ。」
暫くして、寅彦が出て来た。
「ーだよな…。ごめん…。俺もとっ散らかってた…。龍がそんな事するはずねえのに…って、どうした!?大丈夫か!?目の下真っ黒だぞ!?」
「だ、大丈夫…。でも分かってくれて良かった…。少し話そう。」
「うん…。」
部屋に入って、2人で向かい合って座ると、寅彦は暗い声で話し始めた。
「鸞が急に来てさ…。
今日は唐沢と会うから会わねえって言ってたのに、どうしたんだろうと思ったら、来るなり、別れて頂戴、私、赤松君とお付き合いする事にしたからって…。」
「なんの脈絡もなく?」
「なく。付いてきた唐沢の方がびっくりしてた感じ。
それだけ言って出て行っちまって、梨の礫。
ラインも電話も出ない。
もしかしたら、ラインもブロックされちまったのかもと調べてみたら、やっぱりされてた…。」
膝を抱えて、部屋の隅っこに入り、お決まりのドヨーン…。
「ブロックされてるかなんて調べなきゃいいのに…。」
「とは思ったが、気になった事は調べる癖が…。
仕方ないので、赤松と鸞のラインのやり取り全て傍受したら、俺と別れたその足で赤松と会う約束を…。
で、2人の待ち合わせ場所の監視カメラ映像をハッキング。
口の動きで会話を読み取っていたら、本当に付き合う事になっている。
しかも赤松の野郎、今日も本当に綺麗だとか、手え握ったり、髪撫でたりいいい!!!
その度に、鸞の奴、そんな嬉しそうな顔すんのかという程、嬉しそうな顔しやがってえええ!!!」
正に生まれついての情報官。
実に優秀だが、今回は裏目に出たというか、これでは、単なるハイスペックのストーカーである。
「と、寅…。それじゃ、ストーカーだから、もうやめなさい?ね?」
「分かってる…。辛いだけだから、もうしてない…。
その流れで、赤松の電話を盗聴していたら、龍にかけて、龍のお陰だとか言うからさ…。ごめん…。」
「それはもういいよ。実際、相談に乗ってくれって言われて、優子さんに聞いてやったり、話す時は正直に気持ち言えって言ったんだから…。」
「龍に相談するってのが、おかしな奴だが、それ位の事、龍がしてやるのは友達として当たり前だろ。龍と赤松は仲良いんだし。」
「俺に相談するのがおかしな奴ってなんじゃい…。」
「………。」
黙られてしまったので、気になる所ではあったが、寅彦がまた話し出しそうになったので、その事は置いておく事にする。
「鸞が赤松に乗り換えた以上、一緒にフランスなんかどんな顔して行けばいいのか分からない。
組長には会いたいし、仕事もしたいが、それ以前に鸞と会いたくない…。」
「そんでフランス行かねえって?でも、加奈ちゃんにも会えねえじゃん。」
「それはいい…。ユキだってそんな会ってねえし…。」
「組長はなんて言ってるんだ。」
「なんかあったって直ぐ察したらしく、鸞に聞いたのかな…。鸞はフランス来させねえから、俺だけ来いって…。」
「そいじゃ、気晴らしに行っといで…。」
どっち道、先程真行寺から聞いたのだが、京極は急な仕事が入って来られなくなったので、龍介を連れてイギリスに行く時に、寅彦もイギリスに連れて行っておいてくれと頼まれていたそうなので、寅彦がイギリスに行こうが、フランスに行こうが、変わらないのだ。
京極は寅彦としか言わなかったそうだから、鸞は暇になったら、自分で迎えに来るのかと思っていた。
「じゃあ、組長は寅の味方って事じゃん。」
「組長が味方してくれたって、当の鸞が組長に会えなくなっても、赤松がいいってなっちまったら、それで終わりだろ。」
「ーやっぱ鸞ちゃんの事好き?」
コクっと頷き、顔を膝に突っ伏す。
「だって、俺は愛想尽かしてねえもん…。
俺の方は、散々愛想尽かされるような醜態見せてるから、もう無理なんだろうけどさ…。
コレだって思ったんだもん…。
どんなに我儘言ったって、それが我儘には思えない程可愛かったんだもん…。
よく気がつくし、意外と男を立ててくれるし、あんなのどこにも居ない…。」
ドヨドヨドヨーン…。
もう処置無し。
龍介の疲労は更に蓄積された。
その頃、鸞は京極に電話していた。
「お父さん、私、やっぱり納得行かないんだけど。どうして私にフランス来るなって言って、寅だけ呼ぶの?」
「だから…。丸、連れの男、席立った。足止めしとけ。」
京極は、またしても仕事中だった。
今回は某国のある人物が握っている情報をスリを装い、奪ってしまい、気付かれない内に、また返すという物だ。
電話しながら、ターゲットとすれ違い、電話に夢中になっていてぶつかったというフリをし、全く同種のUSBとすり替える作戦なので、鸞との電話は好都合といえばそうだが、普通、こんな緊張を強いられる場面で、本気の電話はしない。
「お前が悪いんだろうがよ。」
「なんで私が悪いのよ。」
「寅の事振った挙句に傷付けたから。その日に別の男に乗り換えるなんて、よくもまあ、そんな酷え事が出来るな。俺だって、最低3日は空けたぜ。」
ターゲットとぶつかり、素早くターゲットのポケットに入っているUSBをすり替えつつ、話を一回切り、ターゲットに謝る。
「すみません。」
そこに計画通り、京極の後ろにアランが通り、京極はアランのポケットに、件のUSBを入れる。
京極は何食わぬ顔でホテルから出て、先に出たアランが入ったバンに入る。
既に加奈がさっきのUSBをコピーしている。
「そんな事言ったって…。別に、言われて直ぐ好きになったわけじゃないわ。高等部入って、赤松君と同じクラスになってから、ずっと、寅より気になってたのよ。」
「それはそれ。振る方にもセオリーってもんがあんの。」
もう京極の、仕事中の鸞との込み入った私用電話は、慣れっ子になっている加奈は、苦笑しながらコピーが済むと、京極にUSBの本体を渡す。
京極は急いでバンを出て、ホテルのボーイに変装している御手洗にUSBを渡し、御手洗は食事中のターゲットを給仕しながら、そっとすり替え、バレない内に急いで撤収。
「ーそうね…。必要以上に、傷付けたのは良くなかったかな…。」
「そう。寅はね、俺の時代でもそう居なかった、化石の様に古いタイプなだけで、男としては、お前には勿体ねえ位なの。
でも、お前がどうしても嫌になったっつーんなら、俺は何も言わねえ。
だが、仁義は通せ。
踏みにじって終わりにすんな。
夏休み中は反省してろ。分かったらフランス来い。いいな?」
「はい…。」
「じゃ、切るぞ。」
仕事も電話も終え、京極は珍しく深い溜息を吐いた。
「どうしたの?疲れた?」
気遣う加奈を、申し訳なさそうな顔で見る。
「なあに?寅ちゃんの事?」
「そう。」
「いいのよ。私だって、嫌いになるわよ。もしも、恭彦さんが、寅ちゃんみたいに、お化けって聞いただけで、そんなに乱れたら。」
「でも、それ以外はいい男だぜ?」
「そこが、それ以外はって思えるかどうかは、別問題でしょう?鸞ちゃんに厳しくしないで。寅ちゃんは自業自得よ。」
「かわいそうじゃねえかよ。何もあんな振り方しなくたっていいじゃねえか。だから俺は鸞に腹立ててんの。」
「振り方にも仁義なんてあるの?所詮恨まれるのに?」
「恨まれるのは当たり前。だけど、恥までかかせちゃ駄目なんだよ。
そこがアイツは分かってない。
恨まれるように、自分が100パーセント悪い事にしちまって別れるならいいが、それもしてない。」
「はあ…。」
「ところで、赤松ってどんな野郎なんだ。」
「赤松元総理の三男坊。
母親は響子さんで、京都でご健在。
彼が3歳の時に離婚して、元総理が引き取り、育てたのは、彼の叔母さんである、総理の妹さん。」
「ふーん…。で?」
加奈は当然、パソコンを使って調べている。
「ラグビー部の部長してるわ。
問題を起こした事も無く、部員、同級生の信頼も厚そうね。
成績は龍君達の直ぐ下って感じだから、優秀ね。
写真見る?明るく爽やかな甘いマスクのイケメンさんて感じよ?」
「いい。寅の方がいいに決まってるぜ。」
興味があるんだか無いんだか分からないが、不機嫌である事は間違いなさそうだ。
要するに、自分が知らない男と付き合うのが、心配で、面白くないのだろう。
完全無欠の京極も、やはりそこは女の子の父親である。
理屈で片付けられない何かがあるらしい。
寅彦もどうにか立ち直ったので、真行寺と3人で、イギリスに旅立った龍介は、やっと亀一の事を話した。
「えええ…。それはまた…。きいっちゃんにしちゃ、随分なしくじりようだな…。」
「ていうか、寅。」
「何。」
「どおして結婚してもいねえのに、んな事すんのかが問題だろ。正直俺は、あの人があそこまでスケベとは思わなかったぜ。」
真行寺は苦悶の表情でこめかみを抑え、寅彦は呆然としながら言った。
「俺たちの年齢だと、普通だと思うけどな…。行動に移す、移さないは別として、そんな常軌を逸したスケベって事は無えと思うけど…。」
「えええ!?」
心底驚いている様子の龍介に、更に驚きを隠せない寅彦。
「お前、まだ煩悩戻ってないのかよ…。」
「なんの話じゃい。」
「ま、まあ、それは置いておくとして、先生だって、17で龍太郎さんのお母さん妊娠させて、きいっちゃんと同じ展開だったんじゃねえのかよ。」
「そういやそうだな。だから爺ちゃん、青い顔して沈黙を守っておるのだな。」
「だ、だから先生だってそしたらスケベって事に…。」
「爺ちゃんはスケベじゃねえ!」
「同じだって…。」
「違う!」
同じなのだが。
寅彦はイギリスに迎えに来た京極と一緒にフランスに行き、漸くいつもの平和な夏休みになった。
そして、今年は、瑠璃が遊びに来る。
1週間程だが、龍彦の家に滞在して、一緒に帰国する事になっている。
どこに連れて行ってやろうかと、今から楽しみに計画を練る龍介だったが、そうそうすんなり行く筈は無くて…。