やっぱり…
その日の龍介は朝からご機嫌だった。
その前夜、龍太郎が苦労して見つけて来てくれた車を、更に完璧に整備した上、これでもかという程の防弾加工を施した状態でプレゼントしてくれたからだ。
朝から上機嫌で朝食を作り、瑠璃を起こす。
「今日からさ。車で八咫烏まで行って、そっから電車で大学行こうぜ。楽だろ?」
「うん。」
一限からでも、秘密通路を通って行けば、八咫烏からなら、2人の大学も近く、電車でここから行くより遥かに寝坊していられる。
ご機嫌で食器をガチャンガチャン言わせつつも、後片付けをしてくれる龍介を、瑠璃はそっと心配そうに見ていた。
ーあの車…。大丈夫なのかな…。
「何?んじゃ行こうか。」
振り返った龍介の、あまりに爽やかな笑顔に何も言えず、瑠璃も微笑み返して、家を出た。
「ねえ、あの車大丈夫なの…?」
隣家から元気良くエンジン音を立てて出て行った、龍介の新車を見たしずかが言うと、龍太郎は青ざめ、龍彦は笑い出した。
「やっぱ、マズイと思う?しずか…。」
龍太郎が聞くと、しずかは唸り、龍彦はまだ笑っている。
「ちょっとお!真行寺!?事と次第によっちゃあ、あの子また死ぬ目に遭うんだよ!?」
「殺しゃあしねえだろ。」
「けどさあ!」
「面白えなあ。今日八咫烏行く日だから、暫く見てよっと。」
「ああ~、心配だな。俺も行こうかな…。」
「あんたは行かなくていいだろうがよ。仕事しとけ。ったく。どこまで過保護なんだか。」
「あのな、真行寺!お前は龍で笑い取ったり、龍で遊んで全然平気って、その感覚がおかしいよ!父親の癖に!」
「あのなあ!それを言うなら、あんたの方がおかしいだろうが!話聞いてっと、本っと過保護!母親がしずかでなくて、普通の母親だったら、アイツ、とんでもねえ甘ちゃんになってたぞ!あんたの過保護は道踏み外す!」
「外さねえよ!少なくとも、俺は我が子を笑い者にしねえよ!」
「よく言うぜ!運動会だの、スポーツ大会だので、あんな旗振り回して、笑い者にしたくせに!」
「何をほざくかあ!」
べっちーん!
「どっちがだあ!」
べっちーん!
恒例のベッチンが始まったところで、しずかがおもむろに仲裁に入った。
「はいはい。それぐらいにして、2人共、そろそろ行ってらっこ。」
龍介は車を八咫烏の地下駐車場に入れると、瑠璃の大学まで送り、そのまま自分の大学へ行った。
ご機嫌だが、気もそぞろ。
吉田の合コンの話も珍しく機嫌良く聞いてやっているが、実は全然聞いていない。
それを証拠に相槌が完全におかしいし、間も合っていない。
「加納君はいつになったら、俺の話を聞いてくれるんだ…。」
涙ぐむ吉田の肩を透が叩いた。
「一生無理だろ。」
「ええええ~!?」
そしてその頃、出勤した夏目は、駐車場の端に停めてある車を見ると、出入り口ではなく、その車の方に歩き出した。
「達也さーん。どったのー?」
今日は美雨も出勤する日なので、一緒に来たのだが、いきなり逆方向に歩き出したので、声を掛けたのだが、夏目は返事もせず、一直線に、その出入り口から1番遠い場所に停めてある車に大股で近づいて行っている。
美雨もトコトコ歩いて、付いて行くと、その理由が分かった。
「あれえ!?プーさんだね!」
その車は、プジョー205GTIだった。
しかも夏目と同じ黒である。
「ITSチューニングじゃねえけどな…。」
「うーん…。ITSチューニングでない、プーさん…。龍、好きだったなあ。子供の時、プラモいっぱい作ってたし、京極さんがミニカー見つけては買って送ってくれてたよ。」
「龍介なのか!?」
「他にいる?こんな手間とお金が掛かる車、買うまで好きなんて人…。」
「居ねえな…。」
「龍だと思うなあ…。」
「なんで龍介…。なんで選りに選って龍介…。しかも龍介…。」
珍しく、夏目の言葉にしては意味を成していない。
余程動揺しているらしい。
「どしたの…。」
「嫌な予感しかしねえぜ…。」
この夏目の予感は的中する。
先ず、オフィスに入った途端、おはようございますと言う隊員達の目が笑っていた。
「なんだ…。」
「中隊長、車見ました?あの205、龍介のだそうですよ。」
嬉々として報告する新城。
すかさず、小鬼と呼ばれている小島がにやけながら追い打ちを掛ける。
「本っと仲いいっすね。車まで同じなんだもんなあ。しかもあんなレアなやつ。」
勿論、夏目はギロリと睨んで一言。
「第一中隊全員、訓練室に来い。2分後。」
小鬼も真っ青になって走り出し、『だから言わない方がと言ったじゃないですか。』と新城と2人で、部下に責められる。
これで、第一中隊は黙らせられるが、黙らせられないのが、第二中隊長の渋谷や、情報管理部の奴らである。
1時間みっちりと、地獄の閻魔大王の訓練を済ませて上がって来ると、渋谷がニヤニヤしながら待っている。
「おーい、車までお揃いかあ?メンテナンスとか工場とか、また色々親密に話せていいねえ。」
やおら渋谷の首に腕を回し、締め出す夏目。
「うるせえ…。」
「疑惑でなくて…、本とにホモなんじゃ…ねえの…。だったら、早いトコ…カミングアウトして…美雨ちゃん寄越せ…。」
夏目は渋谷を思い切り締めて落とすと、乱暴に放り投げた。
「渋谷隊!」
「はい!」
ドスの効いたダミ声で怒鳴ると、渋谷隊メンバーが椅子を蹴倒す勢いで慌てて立ち上がった。
「この土塀片付けとけ!」
「はい!」
実は渋谷は縦も横もデカイ。
身長は185センチもあり、夏目より約10センチは高いし、柔道体型のがっしりした体格で、横幅は、夏目の1.7倍位はあり、龍介に至っては、2倍はある。
その上、日焼けしなくても、松崎しげるバリの色黒なもんだから、夏目は渋谷に頭に来ると、土塀呼ばわりするのだが、言い得て妙とはこの事で、誰もが納得してしまう仇名である。
渋谷隊はでっかい渋谷を、丸でアリが大きな獲物をみんなで運んでいるかの様な感じで持ち上げ、急ぎ足で運んで行った。
夏目の怒りに恐れを成し、オフィスでは誰も車の事は言わなくなったが、今度は情報管理部から仕事でやって来た、加来のナンバー2である、我妻がやって来て、開口1番に言った。
「夏目え!お前ら、結婚はカモフラージュだろ!?車までお揃いって、もう誰にも邪魔出来ねえな!あはははは!」
口調で分かる様に、我妻は、夏目の上官である。
つまり、渋谷の様に怒りに任せて落とす事も出来ない。
夏目はギロリと我妻を睨み付けた。
全身から立ち昇る、人間から出ているとは思えない程の殺気に、我妻は思わず後ずさっている。
「ーご用件は…。」
「あ、あの…。公安が下調べした中国のスパイだ…。アジトが割れたんで…。」
夏目はバシッと音を立てて、我妻が持っていた書類を奪い取り、目を通すと、不機嫌メガマックスの状態で怒鳴った。
「夏目隊、全員カンファレンスルームに集合!打ち合わせ終了後、5分後には出るつもりでいろ!我妻副隊長!」
「は、はい!」
「香坂、貸して頂きます!」
「りょ…了解…。」
不機嫌メガマックスのままの夏目は鬼神の如く、怒涛の勢いでスパイ容疑者を確保し、帰り道、東大の手前で龍介にメッセージを入れた。
しかし、今日は愛の欠片も無い。
ー1分後。
龍介は、赤門から1番遠い校舎に居たから堪らない。
必死に走ったが、1分では到底着けず、2分後に到着し、既に待っていた夏目の乗るSUVに乗り込みながら謝った。
「申し訳ありません!」
頭を車に入れたその直後、龍介の脳みそが揺れるようなべっチーンを食らった。
これは今までに無い。
愛は全く無く、青山が見たという、あの世かと思う様な星まで見えた。
流石にクラッと来てよろけると、夏目は龍介の胸ぐらを掴んで車に引っ張り入れ、新城に不機嫌な声のまま言った。
「出せ。」
「はい…。」
ーなんか凄え怒ってない…?なんで?1分待たしちゃったから…?そんな事で怒る人じゃねえよな…。どうしてこんな怒ってんの…?
龍介はさっぱり分からず、潤んだ目で夏目を見つめたが、夏目は怒りのシヴァ神になってしまっている。
「俺、なんかしましたか…。」
「ーてめえ、喧嘩売ってんのか…。あの車、どういうつもりだあ!」
「205!?」
「そうだ!俺が朝からどんだけ恥をかいたと思ってんだ!ホモ疑惑が、とうとうホモ確定になっちまったじゃねえかよ!」
新城がその表現に思わず吹き出すと、夏目の蹴りが座席に飛んで来た。
座席越しとはいえ、凄まじい衝撃に、ハンドル操作がぶれる。
「ええええ~!?なんで!?」
「なんではこっちのセリフだ!」
「そんな事言われたって、俺だって、ずっと205は欲しかったんですよ!」
「遠慮しろよ!」
龍介はここでとうとうブチっと切れた。
「なんで遠慮しなけりゃなんないんですかあ!そんな嫌なら、てめえが乗り換えりゃいいだろ!」
夏目が額に山程青筋を立てて、不敵にニヤリと笑った。
「てめえ…、今なんつった…。」
龍介も負けていない。
元々は常に人の上に立ち、プチヤクザキャラで生きて来た男だ。
納得行かなければ、上官だろうが、敬愛する夏目だろうが、言いたい事は言う。
同じ様に不敵にニヤリと笑って、冷静に返した。
「てめえが乗り換えろと言いました。」
「やんのか…。」
「やってやろうじゃねえか…。」
運転席の新城と、助手席の本田が真っ青になって口々に止め始める。
「中隊長!車内で止めて下さいよ!」
「龍介!いいから謝っとけ!」
しかし2人が聞くはずが無い。
SUVの後部座席で、組んず解れつの大乱闘を始めてしまった。
両者、ほぼ互角。
「車壊れるううう~!止めて下さい~!!!」
新城達の叫びも虚しく、車が八咫烏の駐車場に着くまで、その争いは続いた。




