健気なポチ
しずかの事で、竜朗と寅彦にからかわれて家を出て来た龍介は、いつもの様に、ポチに運動をさせていた。
大型犬は、2時間は運動させないといけないと聞いてから、ずっとこうしている。
林の中で、ポチにボールを投げてやって、走らせる。
ポチは飽きもせず、何回もボールを持って走って来る。
その度に褒めて、また投げてやる。
「別に母さん居なくたって、平気だもん。な?ポチ。」
ポチが『そうなの?』と言う顔をしながらボールを取りに行き、いそいそとボールをくわえて持って来た時の事だった。
龍介はその時初めて、囲まれている事に気付いた。
龍介が尾行されている事にも気付かなかったのだから、相当の手練れと見て間違いない。
龍介は、即座に頭を回転させた。
プロなら、電話を掛けたり、連絡を取る素振り見せただけで、阻止する為に襲いかかって来る。
そうしたら、龍介より先に、ポチをなんとかするだろう。
ポチは吠えるし、噛まれたら大怪我だ。
つまり、奴らは出て来る前にポチを殺す。
それだけは嫌だ。
龍介はポチの前にしゃがみ込み、ポチのリードを外しながら静かな声で言った。
「ポチ、悪い奴らが居る。
このままうちに大急ぎで戻って、爺ちゃん連れて来てくれ。
いいな?何があっても止まるなよ?
爺ちゃん連れて来て、助けて貰うんだ。
俺は大丈夫だから。分かった?」
ポチは不安そうな目で龍介を見つめた。
龍介はポチの頭を撫でて、安心させる様に、微笑んだ。
「大丈夫。ポチが走って、直ぐ爺ちゃん連れて来てくれれば、大丈夫だから。いいな?」
リードを離すとポチはダッシュで林を出た。
誰も追おうとはしない様だ。
ホッとしながら、龍介はポチを追う様に見せかけつつ、林を出ようと走り出した。
しかし、賊は直ぐに動き出す。
ポケットからパタパタ竹刀とレーザーソードを出しつつ、ポケットの中で、iPhoneのボイスメモをオンにして落としたフリをした。
こういう時の為に、ボイスメモの場所も、起動してから押す場所も、見なくても出来るようにしてある。
龍介を捕らえようと襲いかかって来た1人は、パタパタ竹刀で叩いて怯ませ、もう片方の賊はレーザーソードで腕を斬ろうとし、逃げられた。
龍介のその動きを見て、相手もただの子供では無いと理解したのか、今度は6人一斉に来た。
足に2人、腕には2人づつ。
軍人レベルに鍛えられていそうな男、6人によってたかられては、流石の龍介も太刀打ち出来ない。
パタパタ竹刀も、レーザーソードも手から落ちた。
「てめえら何者だ!ロシア人か!」
1人の男が、ロシア語訛りの英語で尋ねた。
「加納龍介だな?」
龍介はわざとロシア語で答えた。
「そうだったらなんだ。」
男はニヤリと笑って、ロシア語で答えた。
「ほお、軍人並みに他国の会話も学んでいるのか。」
「俺の質問に答えろ。」
「ふん。可愛くないガキだが、一緒に来て貰おう。何、殺しはしない。まあ、お前の父親次第だがな。」
別の男が注射器で薬を打った。
「何打ったんだか知らねえが、俺は麻薬系の薬は効かない。
それよりお前らの目的はなんだ。
俺を人質に取って、父さんから情報を得て、どうする気だ。」
「お前は知らなくていい。そんな事より静かにしててもらわないとな。」
男はそう言い終えない内に、龍介の鳩尾を殴り、気絶させた。
竜朗は、そのまま寅彦と話していたが、玄関にドカンと何者かが当たる音で話を中断し、驚いて玄関を開けると、ポチが居る。
「ポチ!?1人かい?龍は?」
ポチは竜朗のシャツの袖を咥え、ぐいぐい引っ張る。
ただならぬ様子を感じ取る竜朗。
「龍になんかあったのか!?」
寅彦も出て来て、ポチに前を走らせ、必死に走って付いて行く。
加納家から少し離れた林に着くと、ポチは必死に何かを探し始めた。
竜朗と寅彦も龍介の名前を叫びながら探すと、竜朗は龍介のGショックを、寅彦はスマホを見つけた。
「先生…。」
寅彦が不安そうに言いかけた時、ポチが龍介のパタパタ竹刀を咥えて持って来た。
竜朗はポチの視線の高さにしゃがみ、ポチに問いかけた。
「龍は誰かに襲われたのかい?」
ポチは悲しそうな顔になって、しょんぼりする様に、顔を下に向けた。
竜朗は切なくなった。
大好きな龍介を救う為、ポチは懸命に家まで全速力で戻って来て、竜朗をここへ連れて来た。
恐らく、龍介の言いつけを守って。
龍介にしてみたら、助けが間に合うとは思っていなかったろう。
ポチに危害を加えられるのを防ぐ為の手段だ。
でも、ポチは竜朗を呼んでくれば、龍介が助かると信じて走って来た筈だ。
竜朗はポチの頭をゴシゴシと撫でて、ポチを抱きしめた。
「偉かったな、ポチ。おめえが悪いんじゃねえんだ。ごめんな。」
寅彦がスマホを見せながら、竜朗に焦った調子で言った。
「ボイスメモが残っています!」
2人で聞く。
龍介と男の会話がしっかり入っていた。
竜朗が図書館に電話をしようと、スマホを取り出すと、電話が鳴った。
「たっちゃん!?」
「お義父さん、龍介が攫われる可能性が高いんです。」
「ーもうやられた…。」
龍彦は絶句した。
「たっちゃん、これは俺の責任だ。こっちで必ず無傷で見つけ出す。」
「ーいえ。」
龍彦は静かな声で言った。
「山本逃した俺の責任です。こっちで必ず突き止めます。」
それだけ言って、龍彦は電話を切ってしまった。
龍介が気が付いたのは、ギシギシと鳴る安物のベットの上だった。
室内というか、そこはパーテーションで仕切られた、元オフィスの様な場所で、事務机等の類いが、乱雑に置かれていた。
手足は結束バンドで拘束されている。
窓はあるが、鉄格子が付いている。
防犯の為、元から付いている様だ。
壁には古ぼけたポスターが貼られていた。
『~の田ネギ使用!ネギの浅漬け!』
と書かれ、~の所は破れてしまっていて、分からない。
ーネギを使った商品を作ってた会社の跡かな…。
ネギの浅漬けってなんか不味そうだな。それで潰れたんだな…。
まあ、それは置いといて…。
田ネギ?下仁田ネギの事か?
下仁田ネギ使用ってわざわざ書くって事は、ここ、群馬県じゃねえの?
龍介はベットから立ち上がり、窓の外を見た。
とても環境がいいところらしく、雪に覆われた木々以外は何も見えない。
ー雪深いな…。でも、木の生え方が、関東甲信越地方の生え方だ…。やっぱ群馬県だな…。
先ほどの男が、ビデオカメラを手に数人の男と現れた。
「お前の親父にビデオメッセージを送る。助けてくれと訴えろ。こっちは日本語分かるからな。妙な事言ったら、直ぐに殺す。」
一瞬、龍介は、ここで殺されてしまった方が、龍太郎の迷惑にならないのではないかと思った。
だが、そんな事になったら、龍太郎も龍彦も、そして竜朗でさえも、正気では居ないかもしれない。
以前、変質者の家に迷い込んで、脱出した事件の後、龍彦も龍太郎も、竜朗も言っていた。
龍介が誰かに殺されたら、全人生を賭けて、その犯人を殺すと。
3人は身を持ち崩し、殺人者になるか、相手が相手だけに、下手をしたら、戦争を起こしてしまうかもしれない。
やはり、ここで死んでしまうのは、あまり得策ではなさそうだ。
龍介は疑われずに、少しでも情報を伝える術を考えながら、カメラの前に座った。