2日目
翌日の行き。
前方の反対車線から、一台の車がハンドル操作を誤った雰囲気で、龍彦の車両の前に飛び出し、巻き込まれた形で、隣を走っていた車両が龍彦の車にぶつかり、怪我人らしきがヨロヨロと出て来たが、上着に隠された銃は見逃さない。
龍彦の車には、今回は佳吾が乗っていた。
何層にも防弾加工を施してあるので、車両自体には問題は無いが、道は塞がれた。
龍彦は険しい目のまま、そっと銃を準備した。
「夏目君。」
無線で名前を呼ぶだけで答える夏目。
「事故じゃないですね。顧問は絶対出しません。」
「有難う。」
龍彦は満足そうに微笑みながら、隙も作らずに構えていると、怪我人は、矢張り敵だった。
救助に出て来た一般の人を無視し、いきなり、マシンガンで警護車両3台を乱射し始めた。
龍彦達は、竜朗達をシートの下にうずくまらせ、ドアを盾にする様に小さく開き、応戦。
何発かは当たるが、何せ向こうはマシンガンをひっきりなしに撃って来るので、こちらも上手く撃てない。
ロンドン市警やMI5は来てくれたが、乱射状態に、手も足も出ない。
しかし、敵は確実に倒れて行っている。
龍彦と夏目の奮闘もあるが、離れた屋上からずっと警護している、デビットの狙撃のお陰だ。
ものの5分で、敵は全て倒れた。
龍彦は他にまだ居ないか目を配らせながら、無線で言った。
「デビット、有難う。」
「半分はドラゴンと夏目じゃないの。じゃ、アタシはまた闇に潜むわ。」
「頼んだよ。青山、こいつら回収してくれ。死にかけが1人だけ居るから、そいつ優先で。」
「了解しました。」
海外での勤務というのもあり、情報局の人間はかなり深く医学知識があり、町医者程度の知識と技術は持っている。
大体が、並み程度の救命救急処置なら出来てしまう。
青山は、本当は医者志望だったというのだけあって、医療技術は、情報局の中でも、1、2を争う腕前だ。
昨日確保した人間も、青酸カリカプセルを服用した者や即死状態でない者は、かなりの重症だが、なんとか生きている。
その時の襲撃人数は、6人だった。
入国した身元が割れている6人プラス、正体不明のXの配下22名。
その内、襲撃で捕らえた、または死亡した人数は、来英した日と昨日、今日と合わせて15人。
内、素性が知れている、マークしていた入国者は2人。
Xの放った刺客は、身元が割れている者4人に、戸籍の無い者があと6人。
生存者は3名。内2人は重症で、いつ死んでもおかしくない。
残りは全て、自殺かこちらが射殺している。
龍彦は戻るなり、地下室に行った。
昨日の元気な若い男、岡野慎也と名乗る男の前に椅子を引っ張って来て、座った。
長い足を組み、微笑を浮かべて、岡野を見る。
「喋る気になった?」
岡野は昨日から一言も喋らない。
「隣部屋に、また死体が増えたよ。手術室にはもう1人。」
岡野が舌打ちをし、小さな声で悪態をついた。
「また失敗しやがったのか…。俺を囮にしたくせに…。」
この男は自殺もしなかったし、仲間が死体で運び込まれても、ショックを受ける様子も、悲しむ様子も無く、寧ろ蔑む様な目で見ていた。
龍彦はその様子から行けると思った。
そもそも、Xの配下の人間全員が、戸籍もなく、学校にも通えず、人目を忍んで暮らしている事に満足しているとは思えなかったのだ。
昨夜は一言も喋らなかったが、今日は更に失敗したと聞き、そう漏らした事で、龍彦の読みは確信に変わった。
「君は囮だと言われて来たの?」
「そうだよ。」
龍彦は煙草に火を点け、岡野にもデスというイギリスの煙草を差し出すと、岡野も手錠をされた手で一本取り、龍彦に火を点けて貰うと、うまそうに吸った。
「君達には戸籍が無いね。年は?」
「20歳。」
「本とか?」
実は男はもっと老けて見えた。
荒んだ目のせいかもしれない。
「今更嘘ついてどうなるんだよ。どうせ、俺の事は殺すんだろ。」
「それはどうかな。君次第だ。」
「ーえ?」
「君の罪状としては、武器の無許可携帯と、公務執行妨害くらいしか無い。
正直に、Xと呼ばれる男や、その組織、計画など、知っている事を洗いざらい全て話してくれたら、戸籍を取って、学校にも行かせてあげるし、普通の仕事に就いたっていい。好きな様に生きられる様にしてやるよ。」
岡野は考え込んだ。
ここは焦らない方がいいと、龍彦の長年のカンが言っていた。
この男は、恐らくだが、個人を尊重されないで生きて来ているはずだ。
少なくとも、自分のああしたい、こうしたいは、子供の時から、叶えられる事は無かっただろう。
だとしたら、主体性を与えてやったらどうか。
岡野の意志を尊重しているのだと表したら、そして、龍彦が常に正直でいたら、岡野はこちら側につくのではないか、龍彦にはそんな目算があった。
「君にも色々事情はあるだろうから、返事は急がない。でも、俺もいつまでも待つ事も出来ない。
俺がいいと言っても、俺より上の人たちは、それを良しとはしないだろうから。」
「……。」
「俺を直ぐには信用出来ないだろうが、一応言っておくと、俺は誰が相手でも、約束を破った事は無い。」
「ー敵側のスパイでもか…。」
「うん。まあ、信じてはくれないだろうけどさ。」
「ーあんたの事は調べた…。他の奴がだけどな…。
イギリスの名門校を首席で卒業。東大に入学。やっぱりトップクラスで卒業。その後、外務省に入省。情報局に入り、手腕を買われ、直ぐにイギリス担当チーフになる。
仲間を守るために死んだふりして、アメリカで暮らして、最愛の女房にも、自分のガキにもずっと会えず、それでも、2人の幸せを願って出て来なかった…。
仕事はべらぼうに出来る。不可能は無いファイヤードラゴン。今回の襲撃だって、他の奴なら上手く行ったはずだ。」
「随分褒めてくれるんだな。それは有難う。」
「加納竜朗の関係者の中で、俺が興味を持ったのは、あんたと、息子だ。」
「それはどうして。」
「ずば抜けた才能を持ってる。裏稼業のな。
だけど、あんたら2人は一回も悪い事はしていない。息子は兎も角、あんたは、こんな稼業してたら、拷問だの暗殺だの、表沙汰に出来ねえ様な事してて当たり前のはずだ。
だがあんたは違う。スパイのくせに、清廉潔白で、常に正しいやり方しかしねえ。例え自分の身が危険になってもだ。息子もそうだ。扱ってる事件は小せえが、いつもそうだ。正しい道しか選ばない。それがどんなに辛くても。
なんでなんだ。」
「ーうーん…。後で後悔したくねえからかな…。」
「後悔?」
「そう。自分が間違ってると思っているのに、汚ねえ手を使ったら、多分、俺も龍介も後でずっとしこりになって後悔する。それ考えたら、楽じゃなくても、信念は曲げない方が、実の所楽なんだよ。俺たちにとっては。」
「後悔か…。大鳥居には無えんだろうな。精々あそこであいつを殺っておくべきだったとか、ロクでも無え事だけだろう。」
「大鳥居?」
「あんたらがXって呼んでる男の名前だ。大鳥居大輔。まあ、名前っつったって、俺たちにとっちゃあ、記号みてえなもんだ。好きな名前を名乗ってるだけだ。大鳥居だけは、先祖からの名前らしいけどな。あそこは血脈でやってる。」
待つ事も無く、岡野は話し始めた。
その話はとても長く、龍彦達、普通に生まれ育った人間には、奇想天外な話だった。