5 魔導書ーグリモアー
目を覚ますとさっきの赤ん坊であったときより体が軽く、辺りは暗闇であった。 そう、この空間は、まるでオルジィさんと出会った時のような雰囲気を醸し出している。
(ん、ここは……グリモアの中?)
目をしばしばとさせて周りを見るがやはり生と死の狭間にしか見えない。
もしかしたらグリモアどうこうの前に私の病気はもう末期なのかもしれない。だけど、少しだけ違う。ここはどうにも暗くて寂しい感じがする。
すると、ぷかぷかと眩い光の粒子が飛んでくる。私はその光の粒子が面白くて触れた。
(お目覚めかな? お姉さん)
(ひぃあっ!?)
触れた途端光の粒子は粉々に砕け散り、私の前に現れたのは金髪の幼い少年。
彼の見た目として七、八歳くらいだろう。そんな少年の手品のような粒子に驚いて腰を抜かすという恥ずかしい姿を見せてしまった。
少年は私の姿を見て目を大きく開かせた後にケタケタと笑い始めた。
(お姉さん、驚きすぎ! ……いや、そりゃそうだよね。こんな僕を見て驚かない方がおかしいかな。にしても素直だねーお姉さん)
ニヤニヤと危ない笑みを浮かべる少年は己の髪よりも深い金の瞳で私を見透かしているような気もする。
そんなことを考えていると彼は目をスッと細めた。
(お姉さんごめんね。素直というより正直って言った方が正しかったかな。でも、推理力があるみたいで何よりだよ)
(ありがとうございます。ところで貴方は誰なんですか?)
彼に向って感謝の気持ちを込めて頭を下げると、また素直だねーと笑われた。人を小馬鹿にした態度は思春期前の男児だからだろうか。
確か前世の私の従兄妹もこんな感じに人を見下していたと思う。きっと共通しているんだろうな。
(んー。見たら分かると思うけど、僕はこの魔導書の思念体だよ)
(え?)
(魔導書にはそれぞれ思念体という筆者の意図が残っていて、僕達思念体が魔法継承者に相応しいかを決めるんだよ。それで僕はこの魔導書、闇の封じられし刻印の思念体)
彼は淡々と告げた。聞いた上での、あくまで私の推測だが、この魔導書の作者は心が病み過ぎて厨二になっていると思う。
こんな恥ずかしい魔導書名を後世まで語り継がせるのだからとんでもない強者のはずだ。
私だったらきっと恥ずかしくて死にたくなる。今でも鳥肌が立っているのだからそうとうだ。
(相応しいか決める?)
(そうだね。挑戦者個人に僕たちが試練を与えて突破できれば継承できるっていう単純なルールだよ。……でも、突破できなかった者の末路は言わなくても分かるよね)
彼は不敵に微笑んだ。私が黙り込むと彼は鼻歌を陽気に歌いだした。
言わずとも想像できる。水の言っていたことはこういうことだろう。突破できなければ、最悪死に至る。ましでも心が壊れる。
考えるだけでも足がすくむ。
(それでも、挑戦するの? おねーさん)
(するよ)
それでも、私の答えは一つだ。せっかく火と水が探し当ててくれた魔導書を易々と手放すわけにはいかない。
彼らが私を信じているように、私も彼らを信じているのだ。だから裏切りたくない。絶対得とくして帰るんだ。
(無謀だね、でもそういう馬鹿っぽいところ僕は好きだよ……じゃーね)
※
「あれ、ここ……」
周囲を確認すると見慣れた景色。
古びたアパート、鯖を焼いた焦げ臭い香り、壁のシミ……間違いない、ここは日本の私の住んでいたアパートだ。どうにもこの部屋は見覚えある。
試練とは何なのであろうか。
この立体世界に戻されただけであろうか。私は不思議に思って窓の外を見た。しかし、それは出来なかった。
「何これ……」
思わずそう呟いた。
視界に入るのは、窓に映る自分の姿。
でも、見慣れた私ではない。顔どころか性別、年齢まで違う、しかも映った姿を私は知っている。彼は私の家のお隣さんの将来有望な高校生であった。
顔よし、成績よし、運動よしの彼。何故私が彼で……。
私はこのちっぽけな思考回路を巡らせた。
「私の肉体はもう火葬されているわけで……彼の魂と体を引き裂いて、私が仮の状態で入っていることなのではないか? ……きっとそうだろう」
この結論に至った。今の私は借り物の体なので無茶はできない。
でも、これが試練だとしたらあまりにもちっぽけだ。どういうことなのだろう。
その時だった。アパートに大家さんの叫び声が聞こえたのは。
「二階の西の角部屋から火があがったわ! 皆、逃げて!!」
火事が起きたようだ。大家さんの必死の声からかなり火の勢いは強いとみえる。
私は、借り物の体を傷つけないようにいち早くその場から逃げて、昔の避難訓練を思い出しながらアパートの民を誘導した。
「ゆっくり、慌てずに出て下さい!」
「あんた……かい?」
同じアパートのおばさんがよく分からないことを言っていたが今はそれどころではない。
無視して誘導を続けた。アパートの全員が避難して、火が強まっているが安心した。
すると若い女性が泣きながら火に向かっていくのが見えた。私はその女性を走って追いかけた。
肩をつかんで思いっきり振り向かせる。
「どうしたんですか!? 危ないですよ」
「息子が……中に! ああああああ」
彼女は混乱していて話が通じない。こんな状態で助けに行かせるわけにもいかない。
彼女のことは近所の怪力な若者に押さえておいてもらった。
この人の息子を今すぐにでも助けにいきたいが、私は借り物の体だ。しかも、火は威力を増している。今行くことは無謀であろう。
でも、誰かを見殺しにするくらいなら……!
私は借り物の体に水をかぶって、真夏の太陽のように燃え上がるアパートの中へと消えていった。