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舞台裏の少女

作者: 美雨



「どうして。どうして忘れてしまったの」


 本校舎と学生寮を繋げる小さな渡り廊下の真ん中。少女は小さな声で呟いた。視線の先には渡り廊下から見える中庭に設置されたベンチに座り、寄り添う一組のカップル。淡い金髪の綺麗な少女と優しげに笑う少年が楽しそうに談笑している。


「ひどいわ。隼人さん。どうしてあの子の言葉だけ信じるのよ」


 少年、山梨隼人(やまなしはやと)の背に向かって少女は震える声で言った。少女の艶やかな黒髪を冷たい風が揺らす。オレンジ色だった空がしだいに群青色に染まり、太陽は姿を消してしまった。夕食の時間が近いからか、辺りに他の生徒は見当たらない。

 突然、淡い金髪の綺麗な少女、栗之宮琉奈(くりのみやるな)が山梨隼人の首に両手を回し、抱きついた。そして、青い、宝石のような瞳で少女の視線を受け止め、妖艶に微笑む。


「ごめんね」


 ピンクのグロスが塗られた唇から少女にだけ読み取れる言葉。少女から山梨隼人の表情は見えないが、何か大切なものを見つめる、数ヵ月前まで少女が独り占めしていたあの表情をしているのだろう。少女はそれを思うと泣きたくなった。取り戻そうとして足掻いても、無駄だった。彼が記憶喪失になった理由すら本当のことを伝えられない。今の彼は栗之宮琉奈こそが運命の人であり、命の恩人だと信じている。代わりに少女が憎悪の対象となった。あるはずのない栗之宮琉奈との過去の記憶を奪った人間として、彼に近づくことすら許されない。真実を知っている彼の友人は栗之宮家の権力に逆らえず、遠巻きに見ているだけ。誰も、独りになった少女に手を差し伸べるものはいなかった。


「どうして隼人さんなの。あんなに、あの方たちと仲が良かったのに。隼人さんと関わる時なんてなかったはずなのに……」


 栗之宮琉奈は有名な財閥の一人娘だ。その家と肩を並べる生徒会メンバーとは入学当時から仲の良い様子が見られた。 少女が知る限り、ただの社長子息の山梨隼人と関わりは無かったはず。気に入らない人間は学園から追放し、欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れようとする栗之宮琉奈の周りには家柄を一番とする生徒が集まり、後は遠巻きに見ている生徒がほとんどだ。どちらかと言えば少女と山梨隼人は後者のはずだった。


「邪魔」


 ぼんやりと少女が思考を巡らせていると、また栗之宮琉奈の唇が動く。綺麗な顔から表情が消え、はっきりと伝わる殺意から少女は素手で心臓を捕まれたような感覚を味わった。

 顔を真っ青にし、ゆっくりと学生寮の方へと体を向ける少女。両手で抱え込むようにして持っていた楽譜がぐしゃりと歪む。その右手首には包帯が巻かれていた。


「隼人さん。あなたが大好きでした。私、もう、頑張れないわ」


 少女は静かに涙を流した。

 これまでの努力は報われず、ピアニストとしての未来までも奪われた。

 決して愛しい人の心には届かない思い。少女の初めての告白は独り言に終わった。 

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