お隣さんと一緒に、商店街に帰ろう
このお話は、白い黒猫さまの【希望が丘駅前商店街~透明人間の憂鬱~】との完全コラボとなります!セリフは全く同じなのですが、あちらのユキくんと、うちの璃青さん、それぞれ両視点からお送りします。【透明人間〜】の方を先に読まれてからの方が感情の違いがより分かるかと思います。どのお話とリンクしているのか探してみて下さいね。
『やはり璃青さんは笑顔が素敵です』
そんな風に東明さん、改めユキくんに言われたのはつい先日のこと。あの失態から数日後、しばらく朝の挨拶がぎこちなかったけれど、最近ようやく自然に笑えるようになったと思う。
相変わらずいつ見ても見とれてしまうほど綺麗な彼にサラリと言われてつい、固まってしまったけれど。
あのぅ、彼って生粋の日本の方ですよね……?
それから二ヶ月経ったある日のこと、ふと天然石の在庫が気になり、電車で三駅くらいのお店に買い付けに出かけた。基本的にはビーズのように穴のあいた丸型でサイズ違い、石の種類違い、あとは変わった形のものや、他にも加工しやすそうなもの。
あれこれ買ったのはいいけれど、パーツも含め、これが意外と重かった。そうよね、そりゃ石ですもんね。
電車の中では幸い座れたからあまり感じなかったけれど、希望が丘駅に辿り着いて駅のホームで階段を上り下りしているうちに、猛烈な後悔に襲われた。さすがに買いすぎたかも。
駅構内を通り抜け、外のベンチをめがけて歩いたら、そこで一気に脱力してしまった。手提げ袋はふたつ。両手にひとつずつ下げてバランスよく持つとはいえ、途中で何度か休憩を挟んで行くしかないかしら。
でも、もうちょっとだけ休んで行こう。
そうやって、しばらくぼんやりしていると、すぐ近くでわたしを呼ぶ声がした。柔らかなテノールのこの声の主は………。
「璃青さん?」
「透さ………じゃなくてユキ、くん?」
慌てて言い直すと、彼は、わたしを見て、ふ、と笑った。
OLをしていた時には後輩男子なんていくらでもいたから“くん”付けで呼ぶことくらい何でもないはずなのに、彼の名前を上手く呼べないわたしはまるで純情な女子高生のよう。
若干うろたえているのを悟られないように俯いていると、「どうかしたんですか?」と尋ねられた。
心配はかけたくなかったけれど、簡単に説明した方がいいかな。
「問屋さんにアクセサリーの材料を買い出しに行った帰りなんですけど、少し買いすぎてしまって……」
ええ。自分の体力を過信しておりました。それより……。
「ユキさ………くん、は?」
「ソムリエの資格取るために講習会行ってたんですよ。……良かったら荷物持ちましょうか?」
淀みなく答える彼にすっかり感心していたけれど、後半の言葉をうっかり聞き逃すところだった。
………今、何とおっしゃいました?
「いえいえいえっ!とんでもないです。これ、ものすごーく重いんです !それも半端なく!」
思わず速攻でお断り申し上げた。だって、そんなに親切にしてもらう程の間柄ではないんだもの。いくら彼が紳士でも、そんな事はさせられない。
「だったら、余計に璃青さんに持たせられませんよ。俺も頼りなく見えるかもしれないけど男なんですよ」
彼は更に畳みかけてくる。
そんな、全然頼りなくなんか、ない。むしろとても頼れる人にしか見えないよ。
わたしがおろおろしている内に、ユキくんは荷物を軽々と持ち上げた。それも両方とも。
そんなのダメだってば。
「ウチの商品なんですから、わたしにも持つ義務がありますよ!ユキさ……じゃなくてユキくんにそれ以上重たい思いなんてさせられませんっ」
わたしは慌てて片方の荷物を奪うようにして抱え込んだ。意地っ張りで可愛げのないわたしに、我ながら少し悲しくなるけれど。
そんなわたしに彼も「わかりました」と苦笑した。
と、彼が一度手に持った荷物をベンチに置き、わたしの膝の上からも荷物を取り上げ、ふたつのエコバッグは並べて置かれた。それを呆然と眺めていると、彼は自分の鞄から布製の何かを取り出した。
マジックテープを剥がし、エコバッグの取っ手にそれぞれ巻きつけて貼り直されたそれは、どこかの雑貨屋でシリコン製のものは見かけたことのあるものの、買って試したことはない“取っ手カバー”。まさか、布製のものがあるなんて。
ていうか、そんなものを持ち歩く彼に、女子力のようなものを垣間見た気がした。
「これで少しは楽になるはずだから」
にこり、笑って見せた。
「澄さんお手製の、取っ手カバーなんだ。こうして取っ手を包むだけで指にかかる力が分散して痛みもかなり軽減されるんだ」
うっかりその笑顔に見とれたなんて言えない。彼の説明に、慌ててうんうん、と頷いた。
そうこうする内に結局わたしの主張も却下され、彼が重い方の荷物をさっさと持ってしまったから仕方なくもう片方の荷物を持ち上げる。
先ほどまで感じていた重みと手の痛みは殆ど感じられなくなっていた。
「わぁ、すごいです。このカバー効果抜群ですね!本当にこれ、いいですよ。楽になります。手が全然痛くないです!あー、これは知らないともったいないなぁ。皆に広めたいなぁ………」
シリコン製なんかじゃなくても充分だ。けれどキルティング製のこれは、多分手作り。
「でも澄さん、もう商店街の仲良しな人には配ってしまっているしね」
「とはいえ、仲良しな方以外の商店街の皆さんや、よそから来るお客様は知らないですよね?これ、和柄とかあったりしたら絶対売れますよ。澄さんに作ってもらえないかしら?うちのお店で紹介したいなぁ……」
でも、さすがにそれは図々しいよね。
「澄さんに聞いてみるよ。ただ澄さんって商売気がないからどうなるか分からないけど」
後半、ほとんど独り言になっていたわたしの言葉を拾ってくれた彼が、真面目に返してくれて恐縮してしまう。
「私からお話ししてみます。澄さんもお仕事されているので無理させられませんし、作り方を教えてもらって私が作るという手もありますし」
少し考えて、実現できそうな手段を頭の中で捻り出す。
ふと、隣を歩く彼の視線を感じた。
「あぁっ!ごめんなさい、わたし今なんかすごく図々しい事言ってましたよね?」
それに他にも何かおかしな事でも呟いていたかも。
彼は笑って首を横に振った。
「いや、璃青さんすごいなと思って。俺はマニュアル人間だから勉強してそれを実践するのが精いっぱいで」
凄いことなんかない。勉強したことをそのまま実践するのがどんなに難しいことなのか、わたしにも分かっているつもりだよ。そっちの方が凄いよ。
「そんな。ユキ……くんはしっかりしてますよ!わたし、いつもすごいな、って思ってるんですよ。それにいっぱいいっぱいなのはわたしの方!本当、情けなくて。お店を始めたばかりとはいえ、もっとちゃんとしなきゃ、って思ってはいるんだけど………」
あぁ、何を言ってるのか、自分でもわからなくなってきた。でも。
それまでの気恥ずかしさはなくなっていて、いつしか隣に立つ人の顔を見上げ、その瞳を真っ直ぐに覗きこんでいたわたしは、その中に何を見つけようとしているのだろう。
「いや、情けないのは俺の方で、商店街の方に助けていただいてやっと………」
「ユキくん、はしっかりしてますよ。情けないのはわたしの方です!」
「いや、俺の……」
いつの間にかお互いに言い合っていたのがおかしくて、ふふふ、と笑ってしまった。
「でも、ユキくん、の方が商売人としては先輩なんですよ?」
それだけは言えるよ。なのに。
「俺が黒猫に就職したのは先月ですよ。だから同期になるのかな?」
「えっ、仕事ぶりを見てる限りではそんな風には全然見えないんですけど……」
「ありがとう。それより前はバイトで黒猫にいたからね。そして黒猫とこの商店街が好きになってしまって、ここで頑張る事にしたんです」
あぁ、それはとてもよく分かる。
「なんか分かります、この商店街って元気になりますよね。頑張ろうって気持ちになります」
「だね」
わたしが笑えば、それに応えるように彼も笑う。再び二人でゆっくりと、家への道を歩き出していた。
道すがら、【繁盛ミート】のオススメがメンチカツだということ、【櫻花庵】のわらび餅が絶品らしいという話なんかを教えてもらった。
たゆたう水のようにも思える優しい声はわたしの身体に少しずつ浸透して、知らないうちに胸の中に小さな水面を作っていた。
店舗に着いて表から鍵を開け、荷物をカウンターに置いてもらった。
「本当に今日はありがとうございました!とっても助かりました」
わたしが頭を下げると、唐突に思わぬ提案をされた。
「あのさ、こういう重いモノ持つときとか男手が必要な時は無理しないで、近所を頼ってよ。うちなんて隣なんだし気軽に声かけてくれれば良いから。それにビルメンテの仕事しているから、ちょっとした水道のトラブルとかも俺、対応できるし」
そう言って一枚の名刺を渡された。
「あら?この名刺のムーンナイトエージェンシーって?」
どこの企業の名前なんだろう。すると、彼はそれを慌ててわたしから取り上げた。
「え、あ、ソレ、杜さんの仕事やビル管理とか不動産や含めての企業名がソレなんだ。ごめんこっちの名刺で」
あわあわしながら改めて違う名刺を差し出された。黒猫ちゃんの絵が入っていて、とっても可愛らしい。
今まで味気ない名刺ばかり見てきたから、何だかホッとして自然に顔が綻んでくる。
「ありがとうございます。そうだ!使うことがあるかどうかはわからないですけど、一応わたしの連絡先も教えておきますね」
彼の名刺を大事にそっと両手で受け取ったけれど、残念ながらまだわたしには交換できる名刺がないから連絡先だけでも。わたしが携帯を取り出すと、彼も自分の携帯を手にして赤外線でデータを交換することに応じてくれた。
その後、お店のお仕事に戻って行く彼を見送り、名刺を店舗の引き出しにしまおうとして手を止めた。
わたしはそれを持って自宅に上がると、自分のライティングデスクの引き出しに入れた。
この地でもらった記念すべき初めての名刺なんだもん。
誰にともなくそんな言い訳をして。
ありがとう、お隣さん。あなたは俯いていたわたしに、新しいお水を与えてくれました。
恋を失って枯れていくのを待つだけだったかもしれないわたしの中の、色づく前の固い蕾が、真新しい雫に揺れているよ。
この場所で、わたしはもう一度、生まれ変わることができるかな。
ね、ユキくん。
同じセリフでも、男子と女子では全く違う考え方なのが書いていてとても楽しかったです!白い黒猫さま、ご協力ご指導、ありがとうございました。