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帰省 (前)

璃青さん、ちょっとだけ現実逃避、の巻。

 店先でラジオペンチを手にしたまま、ぼんやりと座っていたらしい。気付いたら自由に店内の商品を手に取って見ているお客様に、チラチラと伺われていた。


 ………もう。またやっちゃった。


 彼の気持ちを知ってしまってから、自分で自分がコントロールできない“ぼんやり時間”が多すぎるって気付いてはいた。

 

 あれ以来ユキくんの顔がまともに見られない日々が続いている。なるべく会わずに済むように、とほぼ引きこもりのような生活をしながら、日々、異なる感情で混乱している。

 “嬉しい”“切ない”“苦しい”……でも。

 繰り返される無限のループは夢の中までわたしを悩ませる。


 いつか、年の差がネックになって飽きられたりしないかな。ううん、そもそもその前に『付き合う』かどうか決められずにいるけれど。


 悩んでいる割に、彼を想う時間は日々長くなり、繋ぐ石たちはほぼ暖色系ばかり。わたしは自分で思うより現金な性格だったらしい。

 デザインもサクサク決まるし、ハンドクラフトをする上では、恋はいいエッセンスになっているのかもしれない。そう、これが“恋”と呼べるのなら。




 閉店後に自室で寛いでいると、母から電話があった。



『最近そっちはどう?』

「どう、って……別に変わりないけど」

『お隣さんとは上手くやってるの?』

「え。えーと、まぁ、それなりに?」

『何よー、それ。お母さん、心配してるんだからね』

「何をよ」

『夏祭りの時に無理矢理あんた達をくっつけようとしちゃったからさ。これでもちょっと罪悪感があったのよ。だって周りに色々言われたら上手くいくものもいかないでしょう』

「………うん。そんなこともあったね」

 


 本当に忘れかけてた。あれはやっぱりお節介されていたのね。



『やっぱり疲れてるのかしらねぇ。初めての一人暮らしでいきなり店主でしょ。開店して半年くらいになるはずだけど、ちゃんと休んでるの?』

「うん、休んでるよ」

『その割に元気なさそうじゃない。一度帰って来たら?真珠まなみもあんたに会いたがってるわよ』

「あー、今度幼稚園だっけ?元気?」

『元気よ。“りおちゃんは?”ってようやく聞かなくなったし』



 うん。それだけは可哀想なことしたな、って、家を出る時それだけが心残りだったんだ。姪っ子の“まな”はわたしにとてもよく懐いていたから。



「ーーー分かったよ、一度帰る。その代わり次はいつ帰れるか分からないけど」

『あら、誘ったのはこっちだけど店は大丈夫なの?』



 えぇ?帰って欲しいのかそうじゃないのか分からないじゃない。



「うん。二、三日くらいなら大丈夫じゃないかな。まだ年末でもないし。干支の置物を少しだけ仕入れるけど、今だったら………」

真珠まなみに言っちゃうわよ?』

「いいよー。お土産買ってくわ。どうする?」

『お父さんに篠宮さんとこでお酒でも買ってあげて。後は適当でいいわよ』

「分かった。まなの絵本も買って帰るよ」

『そう?じゃあ帰る時にまた連絡してちょうだい』

「うん。お休みー」

『お休み。ちゃんと寝るのよ!』



 はーい。……と心の中で返事して、電話を切った。


 うん。帰ろう。心の整理もつけたいし。

 でももし黙って帰ったら、あのひとビックリするかしら。

でもここにいたらまだ気持ちがソワソワ落ち着かなくなるばかりだから、向こうに着いてからメールで知らせてみようか。





《誠に勝手ながら、三日間休業致します 店主・澤山》


「これでいっか」



 貼り紙OK。

 早朝の静まり返った商店街には、鳥のさえずりしか聞こえない。朝の早い人たちでも、まだ中で色々準備中のはず。


 十三夜を三日後に控えた今日、わたしは商店街の誰にも告げず、実家に帰ることに決めていた。

 始発に乗っても、着く頃には我が家の皆もとうに起きている。

 帰ったらまず母に口止め。一応内緒の帰省だから、澄さんに連絡しないように釘を刺さないと。


 あと三日。多分あっという間のタイムリミットだけど、ギリギリ当日まで実家で過ごす。

 彼の未来、わたしの未来。よく、考えて。



 電車に揺られ、故郷が近付くと潮の香りに寝不足の目も冴える。

 晴天を映して、今日の海は瑠璃色。

 いつか透くんにも同じ景色を見せてあげたい。

 それは、わたしの覚悟次第なのかもしれないけれど。




「ただいまー」

「お帰り。何なのあんた、朝っぱらから。こんなに早いと思わなかったわ」

「ごめん、さすがに早かったかな。お兄ちゃん達は?」

「もうすぐ起きてくるわよ」



 出迎えてくれた母は、朝食の準備の最中だった。家を出た時のままの自分の部屋に荷物を置いて、とりあえず母を手伝う。

 シャケを焼いていると、後ろから足元に衝撃を受けた。地味に痛いし、転ぶかと思ったけれど、抱きついてきたのは。



「りおちゃん、おかえりなさーい!」

「まなー、おはよう!ただいま〜!」



 姪っ子の真珠まなみだった。



「おー。璃青、早かったなぁ」

「忙しい時間帯にごめん!お兄ちゃん、ただいま」

「お前、なんか痩せてない?ちゃんと食ってるの?」

「え、食べてるよー。あっちだって美味しいものいっぱいだもん」

「ふーん、気のせいか。で、土産は?」

「あ、お父さんのお酒とまなの絵本だけ」

「何だと?」

「だって旅行帰りじゃないし」



 まとわり付く真珠まなみを抱き上げながらシャケを焼きつつ、兄と話す。家を出る前には当たり前だった光景。



「あっ!そうだ。お母さん、今回のこと澄さんには連絡しないでよね」

「どうして?もうメールで話しちゃったけど?」

「あーーー!遅かったか〜」



 床に座り込むと、小さな真珠に何故か“いいこいいこ”と頭を撫でられた。



「あんたのお店を閉めてる間にお隣さんに迷惑がかかったら困るでしょう」

「本当にそんな理由?」

「そうよー。あんたこそ何をそんなにコソコソ帰ってきてるのよ」

「な……っ。お母さんが“帰ってきたら?”って言ったんじゃない!コソコソなんてしてないもん!」



 ほら、お母さんがそんなこと言うから、他の大人が一斉にじとーっとした目で見るじゃない!

 もう、お父さんまで!


 兄嫁の友佳子さんを除いた家族が全員ダイニングに揃っていた。

 わたしは居心地の悪さを感じながら、全員のご飯をよそったりして口を噤んでいた。

 だってもう、どうせ何を言ってもからかわれてしまう。

 そんな中、友佳子さんが遅れてやってきた。



「璃青ちゃん、お帰りなさい!いきなり真珠がまとわりついてごめんね〜」

「ううん。久しぶりに会えて嬉しいからいいの。友佳子さんも元気そうで良かった」

「あー………。はは、うん。元気は元気よ」



 ……お兄ちゃん。相変わらず友佳子さんを疲れさせてるのね。これじゃ真珠の弟か妹ができるのも時間の問題かも。



 久しぶりにわたしを交えた全員で朝ごはんを頂くと、父と、兄夫婦が出勤していく。

 我が家でお留守番の真珠は来年度から幼稚園だけれど、入園手続きを既に終え、最近は幼稚園主催のお遊びの会に顔を出したりしているらしい。 

 義姉あねも仕事をしているから、それは母が付き添って行っているということだった。



「まな、明日の幼稚園のお遊び会、りおちゃんが行ってあげようか」

「うん!りおちゃんがいいの!」



 うーん、小さい子は可愛いなぁ。

 まぁ、普通に考えてわたしの年ならこのくらいの子がいても不思議じゃないものね。

 透くんの子どもなら、男の子でも女の子でも凄い美人になりそうだよね。赤ちゃん可愛いだろうなぁ………。


 そこまで考えて赤面した。


 ーーー何を考えてるの、わたしったら!



 距離を置いて冷静に考えるための帰省だったのに、どうしても思い出してしまう。

 わたしはこの日、全てを振り切るように母の代わりに家事をこなし、気付いた時にはもう、空には月が昇っていた。

 今日が終われば残りあと二日。月が完全に満ちるまで、もう僅か。


 透くんも、今のこの月を見てるかな。


 一日分の家事を終えてぼんやりと月を眺めていると携帯が振動して、メールの着信を知らせた。

 相手は透くんだった。



『璃青さん、お元気ですか?今、俺は月を眺めています。あの時の月には負けますが、とても綺麗です。ご実家に帰られていると澄さんから聞きました。なんか色々すいません。ますます璃青さんを悩ませてしまったようで申し訳ないです。ご家族の所で羽伸ばしてゆっくり楽しんで下さい。商店街にお戻りになるのをお待ちしています』



 やっぱりもう知られていた。

 逃げてきたつもりはないけれど、ほんの少し罪悪感。なのに、送信者のその名前に心臓が煩いくらいにドキドキしている。


 ーーー何か伝えなきゃ。


 わたしは急いで返事を打っていた。



『今晩は。今回の帰省、透くんに黙って出てきたみたいになってしまってごめんなさい。でも、必ず答えを出すので待っていて下さい。今夜の月、まだ少し痩せているけど、とても綺麗ですね。今、同じ時間の月を見ていること、何故かとても嬉しく感じています。また、連絡します。』



 メールをくれたことが素直に嬉しい。

 けれど真剣に向き合わなければいけないことだから、今はまずリラックスして身体を休めて、それから考えよう。


 明日は兄のパソコンを借りて花言葉を調べてみるつもり。

 彼がわたしを想ってくれているのなら、カクテルの意味も変わってくる。

 その意味と花言葉、二つのキーワードがわたしの迷いを吹き飛ばしてくれることを願いながら。




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