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ゲンキと男

おまえが目を覚ました時、そこは病室ではなくなっている。糞の匂いが立ち込める、藁のひかれた馬小屋だ。右腕には包帯が巻かれていたが、痛みはほとんど感じない。おまえは包帯をゆっくり解き、手首から先を確認する。傷一つない、きれいな右手だ。

馬小屋の外から音がする。音に釣られて外へ出ると、男がおまえに背を向けて、一心不乱に薪割りをしている。馬小屋に隣に木造の小屋があり、男はそこを住処としている。ここは森の開けた場所にある。

男は締まった上半身を剥きだしにして、てかてかと汗を光らせている。おまえの存在に気がつくと、男は顔をおまえに向けた。深い皺が刻まれた、長身で痩身で壮年の男だ。

「…よく起き上がってこれたな。あのまま死んでいてもおかしくはなかったが」

男は斧を幹に刺すと、肩にかけたシャツで顔の汗をぬぐいながらおまえに近づく。男はおまえよりも一回り大きい。体のあちこちについた傷と、獣のような鋭い目つきが、男の強さを物語っている。

「お前、何考えてんだ。身一つで森に入ってよ。…おいおい、手が生えてるじゃねぇか。どんな魔法を使ったんだ?鬼蜘蛛の毒も効いてねぇしよ。お前、一体何モンだ?」

それまで病気がちだったおまえが、欲していたスキルを与えた。体力小回復に加え、抗毒、抗菌、抗麻痺に抗睡眠。おまえはよく妄想の中で、身体の異常を恐れる必要がなくなるような、そういうスキルが欲していた。もうおまえが、傷を恐れることはない。それは必ず治るからだ。もうおまえが、体に異常をきたすことはない。何者もおまえを蝕めないからだ。そしておまえは自身の変化に、薄々気が付いている。

「俺は、ゲンキだ。あんたが助けてくれたのか。ありがとな」

「勘違いするな。治療代はあのあいつの毒牙だ。治ったんならさっさと出ていけ」

男は実にそっけない。けれど、おまえは気にならない。ただ体さえ丈夫なら、これからどこへでも歩いて行ける。それが、どうしようもなくおまえには嬉しい。

「分かった。なあ、これだけは教えてくれないか。街へはどうやって行けばいいんだ?」

「…」

男は何も答えない。品定めでもするような目でおまえを見ている。それでもおまえは構わない。馬小屋の前から左右に伸びている一本道を、どちらかに向かって歩いていけば、どこかしらに着くことがおまえにはわかっているからだ。

おまえが礼を言って立ち去ろうとすると、男がおまえに声をかけた。怪訝な表情は変わっていないが、おまえへの警戒はゆるめている。

「…お前、本当にそれでいいのか?理不尽だとは思わないのか?」

「理不尽…」

「鬼蜘蛛の対価が、包帯を巻いただけの治療と釣り合うとでも?」

「釣り合わないのか?」

「…お前、本当に何者だ?どこから来た?」

そう聞かれても、おまえには何も答えられない。東京の病院におまえはいた。そこでおまえは夢を見た。おまえは森の中にいて、大きな蜘蛛に追われていた。おまえはよく分かっている。夢の続きを見ていることを。そしておまえは恐れている。夢が醒めてしまうことを。なにもかも正直話してしまえば、この夢が醒めてしまいそうで、おまえは何も答えられない。だからおまえは質問で返す。男がおまえの想像の産物か。それを確かめるために。

「なんで、俺を助けたんだ?奪おうと思えば黙って奪えた。包帯を巻くことはおろか、家まで運ぶ必要もなかった」

「…狩人としての、矜持だ。他人の獲物を横取りするのは、他が許しても俺が許せん。例え相手が死にかけでもな。お前の持ち物はその妙な服だけだし、助けてやるのなら対価としてあの蜘蛛は俺が貰うのが筋ってものだろう」

男がおまえの想像なのか、おまえにはわからない。見たい夢を見ようとして、叶わないのとそれは似ている。ただ一つだけ言えることは、長い闘病生活の中で、おまえが読んだたくさんの本と、おまえが閲覧したたくさんの情報。それらの記憶が混ざり合って、この世界を成している。

「あのクモの死体って、そんなに高価なものなのか?」

「…この森の、捕食者の頂点に立つやつだ。まったく、そんな華奢な体でよく鬼蜘蛛を倒せたな。一体何をした?剣を口にぶっ刺したか?」

「いや、剣じゃない。そこらへんに映えてたキノコだ。赤い色した」

「…ああ、アカオニダケか。しかし、毒もってるやつに毒を食わせようなんて、よく思いついたもんだ。俺にはとうてい真似出来んがね」

「ただ、必死だったんだ。あのキノコが毒だってことも知らなかった。毒毒しいとは思ったけどな」

「…」

男はじっとおまえを見つめる。おまえは闘病生活の間で、感情のアンテナを発達させた。相手が何を考えているのか、それを瞬時に読み取ってしまう。おまえが今迄受信したのは、負の感情ばかりだった。しかし、男から読み取れるものは、おまえの読み取ったことのない感情だ。おまえはそのことを喜んだ。

「…価値に釣り合うだけのものはやれない。悪いな。街はこの道を左だ。…それと」

男は腰のベルトを外すと、それをおまえに手渡す。ベルトについた皮の鞘に、短剣が治まっている。ダークと呼ばれる種類のものだ。両刃で鍔のない短剣で、柄が包帯で巻かれており、手あかにまみれて汚れている。

ベルトを受け取ったおまえの両手に、おまけとばかりに巾着袋が乗せられる。おまえが男を見上げると、

「それは餞別だ。吊っておけ」

そう言い捨て、男は家の方へと帰って行く。おまえは黙って頭を下げる。


おまえはまだ気付かない。短剣の柄に刻まれた、包帯で隠された文字の意味に。おまえはまだ気付かない。狩人の男の正体に。おまえはまだ気付かない。おまえが試されていたことに。おまえは忘れてしまっている。しかし頭のどこかには、これと似た光景を覚えている。


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