03 避暑地へ.
午後のサロンは、やわらかい光に満ちていた。
ローハン夫人と、その娘マーガレット嬢。
二人と過ごす時間は、いつも静かで穏やかだ。
ガーベラ伯母さまのところへ行った時のトランクを持って、玄関を入ったわたしを
「あぁ、先生、待ってました。これからミネルバお姉様と呼んでいいですか?」
「それは、ミネルバ様のおねえさまでは、ないですから……」
「え――いいですよね。お母様。どうでしょうか?」
「う――ん。いっそ、ミネルバとお呼びすれば、それだと少し年上のお友だちみたいでしょ」
「先生、それでいいですね。わたし……わたくしのことはマーガレットと呼んでください」
「いえ、それは」
「ミネルバ、ごめんなさいね。うちのお嬢さん、言い出したら聞かないのよ。でもね、あなたのことを慕って、尊敬してるのも本当なのよ」
胸の奥が熱くなり、思わず涙がにじみそうになった。
「光栄です。どうぞ、ミネルバと呼んでください。マーガレット」
「良かった――」とマーガレットに抱き着かれた。
しばらくしたら、わたしあての荷物が届いた。
ガーベラ伯母様がドレスを下さったのだ。
【古いデザインだけど、今、これを着こなせるのはあなただけです。あなたに本当に似合うと思います。着てくれたら幸いです】
わたしは、ドレスを胸に抱いて伯母様を思った。
最初は、ただ字を教えるだけのつもりだった。
けれど最近は違う。
字の練習をしたあと、一緒に本を読んだり、台所でお菓子を作ったりもした。
今日は、焼き菓子の匂いがまだ部屋に残っている。
マーガレットが嬉しそうに言う。
「ミネルバ、今日はうまく焼けましたね」
「ええ、とてもきれいに焼けています」
焼き菓子は、ローハン様にもとても好評だった。
ローハン様が笑いながら言った。
「これは本当にマーガレットが作ったのか?」
「はい」
わたしが言うと、ローハン様は心から驚いた顔をしていた。
「これは素晴らしい。娘の作った焼き菓子を食べられるとは」
本当に嬉しそうに食べていた。
正直に言えば、最初は迷った。
令嬢が台所に立つなんていいのだろうかと。
けれど夫人は気にしていない。
むしろ楽しそうだった。
夫人が紅茶を飲みながら言う。
「新しい時代が全部いいとは思わないけど」
「服を一人で着たり、髪を結ったり。そういうことは出来たほうがいいと思うのよ」
マーガレットも真剣な顔でうなずいている。
たしかに、そうかもしれない。
令嬢は何もできなくてもいい。
そういう考え方も、いままでの貴族には多かった。
けれど、自分でできることが増えるのは、悪いことではない。
「それでね」
夫人がふと思い出したように言う。
「今年はちょっと早いけど避暑地に行こうと思うの」
わたしは顔を上げた。
夫人は楽しそうに続ける。
「まだ人がいない避暑地で馬に乗るのが好きなの」
夫人がわたしを見る。
「乗馬は?」
一瞬だけ迷った。
けれど答える。
「……好きです」
侯爵夫人の顔がぱっと明るくなる。
「よかったわ。行きましょう」
夫人が笑って付け加える。
「夫が寂しがるけど、いいのよ」
マーガレットも嬉しそうだった。
「避暑地! 楽しみです」
ローハン家がわたしに払ってくれている給料が、高いのか安いのか。
正直なところ、よくわからない。
けれど、少なくとも、必要なものは自分で買える。
それだけは確かだった。
わたしは、自分で乗馬の服を買った。
靴も、自分で選んだ。
実家にいたころなら、考えられないことだった。
何を着るか。何を買うか。
すべて母が決めていた。
けれど今は違う。自分で選べる。
そのことに、まだ少しだけ戸惑う。
そして、ふと思う。
「新しい時代」と言葉が嫌いだった。
社交界で、軽く口にされる言葉。言う人は優越感を持ってそれを口にする。
それを聞くたびに、胸のどこかが冷たくなっていた。
けれど今、この家での生活を思う。
自分で服を選んだ。自分で靴を買った。
誰かに字を教え。
誰かと一緒にお菓子を作る。
もしこれが「新しい時代」なのだとしたら――
それは、案外悪くないのかもしれない。
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