覚悟
その夜、シルの家に人が集まった。
父が呼んだのだった。村長、鍛冶屋の親方、村で一番物知りと言われる老いた薬師、そして祖母。狭い台所に、大人たちが肩を寄せ合って座った。
レンも来た。
シルが頼んだ。最初はレンは首を縦に振らなかった。人間の集まりに行くのは嫌だと言った。怖いのかと聞いたら、怖くないと言った。ではなぜと聞いたら、しばらく黙って、迷惑だろうと言った。
シルは笑った。
「迷惑じゃない。お前の話だから、お前がいた方がいい」
レンは結局、ついてきた。
台所の戸を開けたとき、大人たちの視線がレンに集まった。
誰も声を出さなかった。村長は目を丸くした。薬師は立ち上がりかけた。鍛冶屋の親方は口を開けたまま固まった。
レンは入口で止まった。翼を固く体に押しつけて、無表情で大人たちを見た。
「入れ」シルは言った。
レンは一歩、また一歩と入ってきた。
祖母だけが、驚かなかった。ただ静かにレンを見て、小さく頷いた。レンは祖母を見た。何かを確かめるような目で、一度だけ見た。
「座りな」祖母が言った。
レンはシルの隣に座った。
父が口を開いた。
「みなさんも書状の内容は知っているはずだ。三日の猶予がある。今夜、知恵を出し合いたい」
村長が咳払いをした。丸々と太った、小心そうな男だった。しかし村のことを誰より心配しているのも、この男だった。
「正直に言えば、両国の要求を断れば村が危ない。受け入れれば——」村長はレンをちらりと見た。「この子が危ない」
「断ります」シルは言った。
大人たちがシルを見た。
「子供は黙って——」
「シルに話させてやれ」父が静かに言った。
村長は口を閉じた。
シルは立ち上がった。膝が少し震えたが、声は震えなかった。
「両国がレンを欲しがっているのは、戦争のためです。でも石の板に書いてありました。力は意志に従う。守る意志があれば癒しとなり、奪う意志があれば破壊となる。連中がレンを使えば、それは破壊になる。東国が使えば西国を壊し、西国が使えば東国を壊す。どちらが手に入れても、戦争は終わらない。むしろ——」
「むしろ、大きくなる」薬師が静かに続けた。老いた声だったが、よく通った。「片方が力を持てば、もう片方は取り返そうとする。際限がない」
シルは頷いた。
「だから両国に、それを伝えるべきだと思います」
村長が眉を寄せた。
「伝えたところで、信じるかね」
「信じなくても、考えさせることはできる」父が言った。「東国と西国は今、同じ獲物を狙っている。互いに警戒している。その隙間に言葉を差し込めれば——」
「でも言葉だけじゃ足りない」鍛冶屋の親方が初めて口を開いた。ごつごつした手を卓に置いて、低い声で言った。「証拠が要る。この子の力が戦争の役に立たないという、証拠が」
全員が黙った。
証拠。どうやって。
レンが口を開いた。
部屋の全員が、レンを見た。レンは卓を見たまま、静かに言った。
「力を、見せる」
「見せるって、どうやって」シルは聞いた。
「癒しを見せる。破壊ではなく、癒しを」レンは続けた。「両国の兵士の前で、傷ついたものを癒す。そして——」レンは少し間を置いた。「同時に、何かが壊れる。それを見せる」
「力の代償を見せるということか」薬師が言った。
「癒せば壊れる。壊せば癒える。どちらに使っても、代償が伴う」レンは静かに言った。「戦争に使えば、自国の何かが壊れる。それをわからせる」
部屋が静かになった。
祖母が、ゆっくりと口を開いた。
「賢い子だね」
レンは祖母を見た。祖母はレンを見て、また小さく頷いた。
「でも危険だ」父が言った。「力を使えば、お前の体に何か起きるんじゃないか」
レンは少し黙った。
「わからない」正直に言った。「でも、やってみなければわからない」
「やってみなければ、って——」シルは言いかけた。
「シル」レンがシルを見た。「お前が言っただろう。諦めるのは全部やってからでいい、と」
シルは黙った。
自分の言葉が返ってきた。
話し合いは夜遅くまで続いた。
何度も行き詰まった。村長は弱気になった。鍛冶屋の親方は強硬になった。薬師は黙って考えた。父は整理した。祖母は要所要所で一言だけ言った。その一言が、いつも核心をついていた。
レンはほとんど話さなかった。でも何か言うときは、全員が静かになって聞いた。
夜中頃、おおよその形ができた。
三日後、両国の兵士を山の麓に呼ぶ。村長が使者を立てる。そこでレンが力を見せる。癒しと、その代償を。言葉ではなく、目で見せる。
それだけだった。
うまくいくかどうかは、わからなかった。
でも他に方法がなかった。
人が帰った後、台所にシルとレンと祖母だけが残った。
母が茶を出してくれた。レンは茶を初めて見た。匂いを嗅いで、少し飲んで、温かいと言った。それだけだった。
祖母がレンに言った。
「怖いかい」
レンは少し考えた。
「怖い」今回は迷わなかった。「でも、やる」
「なんでやる気になったんだい」
レンはシルを見た。シルは茶を飲んでいた。気づいていないふりをしていたが、耳がそばだっていた。
「一人じゃないから」レンは言った。「そう言われたから」
祖母は笑った。皺が全部、笑顔になるような笑い方だった。
「そうかい」祖母は言った。「それなら大丈夫だ」
レンは祖母を見た。
「なぜ大丈夫だと言える」
「六十年前もそうだったから」祖母は窓の外を見た。北の方角を。「あのとき私は怖くて逃げてしまった。でもお前たちは逃げない。それだけで、もう違う」
部屋が静かになった。
茶の湯気が、ゆっくりと立ち上った。
レンはしばらく祖母を見ていた。それから静かに聞いた。
「あなたが会った子は、今もいるのか」
祖母は少し間を置いた。
「さあね」穏やかに言った。「でも、お前がここにいる。それで十分だよ」
レンは何も言わなかった。
でもその夜、帰り際に、レンは初めて祖母に頭を下げた。
深く、丁寧に。
祖母は何も言わなかった。ただ、レンの頭にそっと手を置いた。
一瞬だけ。
それだけだった。
では書きますね!クライマックスの場面です。
三日間は、あっという間に過ぎた。
村長が両国に使者を立てた。山の麓に来い、翼の子供が力を見せる、と。東国も西国も、すぐに返事を寄越した。来る、と。
その三日間、シルは毎日山へ行った。
レンは普段と変わらなかった。岩場に座って平原を見た。シルの持ってきたスープを飲んだ。山のことを教えた。地上のことを聞いた。
ただ一つだけ違ったのは、夕方になるとレンが石造りの広場へ行くことだった。シルもついていった。レンは中央の石の前に立って、目を閉じた。何をしているのか聞いたら、練習だと言った。
「うまくいきそうか」
「わからない」
「怖いか」
「怖い」
それだけだった。でもその怖い、という言葉が、三日前より少し軽くなっている気がした。
当日の朝、シルは夜明け前に目が覚めた。
眠れなかったわけではなかった。ただ、目が覚めた。窓の外はまだ暗かった。北の方角に、山のシルエットが見えた。
台所に行くと、祖母がもう起きていた。
「早いな、おばあ」
「お前こそ」
祖母は何も言わずに、大きな土鍋でスープを作り始めた。今日のスープは、いつもより具が多かった。干し肉も、豆も、根菜も、全部入っていた。
「たくさん作るな」
「食べてから行きな」祖母は言った。「腹が減っては戦はできぬ」
シルは笑った。
「おばあ、今日は戦じゃないよ」
「何でも同じだよ」
昼前、山の麓に人が集まった。
東国の兵が十人。西国の兵が八人。村長と、村の大人が何人か。そしてシルと、父と、祖母。
祖母は来なくていいと言ったのに、来た。足が悪いのに、父に支えられてやってきた。
「来なくていいって言っただろ」
「見たいんだよ」祖母は言った。それだけだった。
東国と西国の兵士たちは、互いに距離を置いて立っていた。顔を見合わせなかった。でも同じ方向を見ていた。山の入口を。
しばらく待った。
風が吹いた。
レンが降りてきた。
木々の上から、白い翼を広げて、ゆっくりと降りてきた。朝の光を受けて、翼が輝いた。着地したとき、誰も声を出さなかった。
東国の兵士の一人が、剣に手をかけた。
「やめろ」東国の隊長らしき男が低く言った。「見届けるまでは手を出すな」
レンは人の群れの前に立った。裸足で、粗末な布を巻いただけの格好で。でもその立ち方は、あの広場で見た守護者の立ち方だった。
シルはレンの少し後ろに立った。
レンがシルを振り返った。目が合った。
シルは頷いた。
レンは前を向いた。
「何を見せてくれるんだ」東国の隊長が言った。「翼の子供よ」
レンは答えなかった。
かわりに、懐から何かを取り出した。
昨日、山の中で見つけた小鳥だった。羽根を痛めて飛べなくなっていた。レンが拾ってきていた。シルは知らなかった。
レンは小鳥を両手に乗せた。
目を閉じた。
最初は何も起きなかった。風の音だけがあった。兵士たちがざわめきかけた、そのとき。
光が出た。
白い、柔らかい光だった。レンの手のひらから、じわりと広がった。小鳥を包んだ。小鳥が身じろぎした。羽根が、ゆっくりと広がった。
小鳥が、飛んだ。
誰かが息を呑んだ。小鳥は真っ直ぐ空へ上がって、雲の方へ消えた。
誰も声を出さなかった。
次の瞬間。
レンの後ろで、音がした。
山の麓の木が一本、根元から折れた。音を立てて倒れた。誰も触っていなかった。風も吹いていなかった。ただ、折れた。
静寂。
レンは目を開けた。
「見たか」シルは兵士たちに向かって言った。「癒せば、壊れる。これが力だ。どちらに使っても、代償が伴う」
誰も答えなかった。
「東国がレンを手に入れて戦に使えば、東国の何かが壊れる。西国が使えば、西国の何かが壊れる。城かもしれない。畑かもしれない。人かもしれない」シルは続けた。「力は意志に従う。守る意志があれば癒しになる。奪う意志があれば破壊になる。あなたたちの意志は、どちらだ」
東国の隊長が、じっとレンを見ていた。
西国の隊長も、じっとレンを見ていた。
誰も動かなかった。
祖母が、父に支えられながら一歩前に出た。
「私はこの子の仲間を、六十年前に見た」祖母は静かに、でもよく通る声で言った。「あのときも同じだった。力を狙う人間がいた。その結果、翼の種族は滅んだ。残ったのはこの子一人だ」祖母は兵士たちを見回した。「同じことをまた繰り返すのかい」
風が吹いた。
倒れた木の葉が、舞い上がった。
東国の隊長が、ゆっくりと剣から手を離した。
西国の隊長が、小さく舌打ちをした。でも剣には触れなかった。
長い沈黙があった。
東国の隊長が口を開いた。
「一つ聞く」隊長はレンに向かって言った。「お前は何のためにここにいる」
レンは静かに答えた。
「山を守るためだ。東と西の均衡を保つためだ。それが、俺の種族が果たしてきた役割だ」
「我々の敵ではないということか」
「敵になるつもりはない。でも——」レンは隊長を真っ直ぐ見た。「山に手を出すなら、話は別だ」
隊長は長い間レンを見ていた。
それから、後ろを振り返った。兵士たちを見た。それから西国の隊長を見た。西国の隊長は、視線を逸らした。
東国の隊長は、レンに向き直った。
「わかった」
たった二文字だった。
でも西国の隊長も、少し遅れて、同じ二文字を言った。
「わかった」
全員が帰った後、山の麓にシルとレンと祖母だけが残った。
父は少し離れたところに立っていた。見守るように。
レンは倒れた木を見ていた。
「大丈夫か」シルは聞いた。
「疲れた」
「怪我は」
「ない」レンは少し間を置いた。「でも、木が死んだ」
シルはレンの横顔を見た。レンは倒れた木から目を離さなかった。
「癒すたびに、何かが死ぬ」レンは静かに言った。「だから、むやみには使えない」
「うん」
「でも今日は、使ってよかった」
シルは頷いた。
祖母が二人のそばに来た。父に支えられて、ゆっくりと。レンの前に立って、その顔をしばらく見た。
「よくやったね」
レンは祖母を見た。
「俺は、これからも一人だ」レンは静かに言った。「何も変わらない。山にいて、守る。それだけだ」
「そうかい」祖母は言った。「でも一人じゃないだろう」
レンはシルを見た。
シルは笑った。
「毎日来る。スープも持ってくる。おばあが作れなくなったら、俺が作る。たぶんまずいけど」
レンは何も言わなかった。
でも、口の端が、ほんの少し動いた。
笑い方をまだ知らない子が、笑おうとしたような、そんな動き方だった。
祖母が見ていた。
父も見ていた。
シルだけが、気づかないふりをした。
気づいたら、泣いてしまいそうだったから。
山は、その日も変わらず雲をまとっていた。
東と西の間に、ただそこにあった。
でも今日から、その山には名前があった。
シルがレンに教えた名前ではない。レンが持っていた名前でもない。
二人だけが知っている、呼び方があった。
ただいま、と言える場所。
おかえり、と言ってくれる場所。
それだけで十分だった。




