人間個人と同じで、社会も成長し続けることはできない
身長が伸びなくなってもう10年くらい経っただろうか。年に1度の健康診断でちょっと身長が伸びた結果が出ることもあるが、大抵は器具の問題で再度計測される。身長に関してはぬか喜びを味わうばかりで、あとは歳を取るにつれて縮むだけだというのに、体重は頼んでもいないのに増えるというのは如何なる了見か。人間という生き物をデザインした者に一言文句を言いたい。なぜ、体重増加も年齢によって止まる仕様にしなかったのかと。ミーティングで発注者からの聞き取りが甘かったのではないか。もしくは発注者がおっちょこちょいだったのか。
体重のことはひとまず置いておくとして、生物としての人間はどこかの時期で成長のピークを迎え、あとは衰えていくばかりである。身体的、外見的なものに限らず、脳、精神というものも衰えていく。将棋の棋士など年老いてもなお頭脳明晰な人間もいるが、やはり全盛期よりは劣ることになるはずだ。程度の差はあれど、ほとんどの人間は高齢になればボケて現実の認知能力が衰える。痴呆症にもなる。これは恥ずべきことでなく、人間の一生を一つの円に例えれば、赤ん坊の時代に戻っているというだけだ。人間は生まれた時と同程度の現実認識に立ち返ってその人生を終えることになる。
問題は自身の衰えを認めようとせず、まだまだ現役だと思い込んで無茶をするような場合だ。高齢者の自動車事故などはその典型だと思う。一定の年齢で免許の返納が推奨されても、なかなか自分がその段階まできているとは認め難い気持ちがあるのだろう。
自動車事故はあくまでも困った個人の話になるが、社会全体がこの困った思考に支配されてしまうと、もっと大規模で、より悲惨な結果を生み出す恐れがある。
今の不景気は一時的なもので、今後かつてのような、否、それ以上の経済的な成長ができる、豊かな国を作り上げることができると信じている、もしくはそれを信じ込ませようとしている人が多いように見受けられる。
少子化対策にしても、子供の数が増えて社会が活気づけば、より住み良い国になるという思想の下で実行されているのだろう。
いずれも、社会にはまだまだ成長の余地があるという考えが根っこになるように思うが、そこに大きな間違いがあるように思える。
社会を動かしていくには様々な形の資源が必要となるが、その資源には限りがある。新たな資源を作り出すための技術が発展しようとも、それが追いつかないくらいに人間は資源を消費する。そもそも技術発展にも資源を用いることになるのだがら、資源だけが順当に増えていくということは考えづらい。
いかに資源の消費を抑え、社会を存続させて行くか。いかに欲望を制御することができるかが今を生きる人間の最も大事な課題のように思える。
社会も人間がより集まったものであり、人間と同じくいつまでも成長、発展を続けることは出来ない。どこかで停滞し、後退することになり、私たちの社会はすでにそのフェーズに足を突っ込んでいるように思える。そのことをずっと見て見ぬふりをして誤魔化してきた結果が、今の社会の歪みになっているのではないだろうか。
恐ろしいことに、今もなお社会の成長と発展をスローガンに国を動かしていこうと考えている人間が多数いる。私たちが生きる社会が、年齢を顧みない危険運転をしようとしていないか気をつけてみた方が良いだろう。どこかに突っ込んで大破してからでは遅いのだ。終わり




