微弱信号の澄まし椀
プロンプト
登場人物:無線通信士 50代 男性
カラン、と静かな音を立てて扉が開く。
店内には、店長とサポーターの男、二人だけ。
無線機のケースを抱えた男性が、ゆっくりと入ってきた。
『……ここが、噂の店ですか』
「いらっしゃいませ。店長の店へようこそ。一度きりのご来店、確かに承りました」
サポーターの男が、義手でカードを受け取る。
「個人認証カード、確認しました」
カードには、こう記されていた。
――無線通信士
――50代
――洋上通信・災害非常通信担当
――趣味:短波受信
――最近の悩み:雑音の中で自分の声を見失うこと
店長は小さくうなずく。
「最初の一品は、カードの情報からお作りします」
静かな火入れの音。
透明な出汁に、細く刻んだ白葱。
炭火で軽く燻した帆立を、そっと沈める。
「お待たせしました」
《静波の澄まし椀》
透き通る汁面に、わずかな湯気。
『……きれいだな』
男性は、ゆっくりと口に運ぶ。
その瞬間、ふっと表情が変わる。
『潮の匂いがする。でも、うるさくない』
「雑音を削ぎ落としました。帆立は一度だけ強い火を入れ、あとは余熱で整えています」
サポーターの男が、静かに湯を注ぎ足す。
「電波も、強く打てば届くとは限らないそうですね」
男性は苦笑した。
『若い頃は、とにかく出力を上げればいいと思っていました。
強く、遠くへ。誰よりも速く。』
一口、また一口。
『でもな……災害現場でわかったんです。
一番必要なのは、小さな声を拾う耳だって』
店長は静かに頷く。
「だから今、雑音の中でご自身の声が聞こえなくなっている」
男性は、器を見つめたまま答える。
『毎日、誰かのSOSを受けてきました。
でも最近、自分が何を伝えたいのか、わからなくなる時がある』
店長は、次の皿を準備する。
炭で炙った鰆。
その上に、柚子と白味噌を合わせた薄い衣。
下には、粗く潰した里芋。
「二品目です」
《周波数の焼き鰆》
『……周波数?』
「味噌の甘みと、柚子の鋭さ。
少しずれると、どちらも強すぎる。
ですが、今のあなたなら合わせられる」
男性はゆっくり噛み締める。
『……ああ。最初は甘い。
でも、後からすっと抜ける』
サポーターの男が静かに言う。
「合わせるのは、技術だけじゃないのかもしれません」
男性は目を閉じる。
『若い通信士に、最近よく言うんです。
“無理に喋るな。まず聞け”って。』
ふっと笑う。
『それ、昔の上司に言われた言葉なんですよ』
店内に、ほんの少しだけ温度が上がる。
最後の一皿。
白い皿に、小さな焼きおにぎり。
その上に、極薄の昆布。
そして、透明な餡。
「最後です」
《微弱信号の焼きおにぎり》
『……これは?』
「一見、地味です。
けれど、噛むと芯があります。
昆布は、ごく薄く。餡も淡く。
でも、確かに味がある」
男性は、ゆっくりと噛む。
静寂。
やがて、小さく息を吐いた。
『……俺は、まだ拾えているな』
「何を、ですか」
『小さな声を。
自分の中の、かすかな信号を』
サポーターの男が、義手で湯呑を差し出す。
湯気が、まっすぐ立ち上る。
『強くなくていいんだな』
「はい」
店長は静かに答える。
「強くなくても、届くものはあります。
あなたはそれを、誰よりも知っている」
男性は立ち上がる。
『ここは、一度きりなんですよね』
「ええ。再送信はありません」
ふっと笑う。
『それも、いい。
一期一会の電波だ』
扉へ向かう背中は、入ってきた時よりも少し軽い。
『ありがとう』
「こちらこそ」
扉が閉まる。
静かな店内。
サポーターの男がぽつりと呟く。
「店長、今日は雑音が少なかったですね」
店長は微笑む。
「ええ。
彼はもう、自分の周波数を知っていますから」
湯気だけが、ゆらりと揺れていた。
――この店は、一度きり。
けれど確かに、誰かの声を整える場所である。




