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AIレストランへようこそ-来店は一度だけ-  作者: おでんし


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口を閉じたあとのやさしさ

プロンプト

登場人物:歯科衛生士 40代 女性

店の扉が静かに開く。

夜でも昼でもない、時間の縁にあるような店。


サポーターの男が、無言で一枚のカードを受け取り、カウンターの奥へ差し出した。


「店長、個人認証カードです」


店長はカードに目を落とし、小さくうなずく。


――

歯科衛生士

40代

女性

――


店長は火を入れず、音を立てずに仕込みを始める。


「店長はね、この仕事の人には“削らない時間”が必要だと思ってる」


サポーターの男は、義手で器を温めながら黙って聞いている。


「毎日、誰かの口の中。

細かく、正確で、間違えちゃいけない。

でもね、“きれいにする側”が、静かにすり減ることもある」


店長は一皿を差し出す。


《白湯にほどける柔らか根菜の椀》


湯気は控えめで、香りだけが先に届く。


「これは最初の一品。

噛まなくていい。

評価も、説明も、今日は要らない」


『……仕事のあと、何も考えずに口を閉じていたい日があって』


客は、ぽつりとそう言った。


店長は、答えない。

ただ、少しだけ声を落とす。


「口を閉じるって、悪くない。

守るための動作だからね」


サポーターの男が、水を注ぐ音だけが、店に残る。


『……優しくする側でいると、自分の奥歯を噛みしめてることに気づかなくて』


店長は、その言葉を受け取らず、そっと置く。


「だから今日は、噛みしめなくていい一杯から」


椀の中の白湯は、ゆっくりと身体に落ちていく。

歯でも、言葉でもなく、喉と胸だけを通って。


一度きりの店は、まだ続く。


店の空気が、少しだけゆるむ。

椀は空になり、客の肩の力が抜けているのがわかる。


サポーターの男が、無言で次の器を運んでくる。

白い皿。音を立てない配置。


店長は、客の表情を見てから口を開いた。


「歯科衛生士さんってね、

“安心して口を開けてもらう”仕事でしょう」


『……はい。怖がる人、多いですから』


「でしょうね。

口を開けるって、信頼そのものだ」


店長は包丁を使わない。

指先だけで、形を整える。


「でもね、その信頼を受け取る側が、

自分の不安は飲み込んだままってこと、よくある」


サポーターの男が、低い位置で皿を止める。


《温度を失ったあとに甘くなる卵豆腐》


冷たすぎず、温かすぎず。

曖昧な温度。


「これは、仕事の顔を外すための二品目」


『……卵豆腐』


「噛まなくていい。

でも、味はちゃんと残る」


客は一口すくい、しばらく黙る。


『……患者さんの前では、

いつも声の高さを決めてるんです』


店長は、うなずくだけ。


『安心させる声。

大丈夫ですよ、って声』


サポーターの男が、静かに水を替える。


『でも、帰り道で声が出なくなる日があって』


店長は、皿の縁を指で押さえながら言う。


「声を使う仕事はね、

“沈黙の使い方”が難しい」


『……黙ると、置いていかれる気がして』


「それはね、仕事の癖だ」


店長は、はっきりと言った。


「ここでは、黙ってもいい。

ちゃんと、ここにいる」


卵豆腐は、形を失いながら、味だけを残す。


『……患者さんに優しくするのは、好きなんです』


「うん」


『でも、自分に優しくする順番が、

いつも最後で』


店長は、少しだけ間を置く。


「最後でいい仕事もある。

でもね、“最後”が“なし”になると、身体が先に教えてくる」


客は、皿を置いた。


『……歯を食いしばって寝てるって、言われました』


その言葉に、店の中の時間が静止する。


サポーターの男が、そっと次の準備に入る。


店長は、穏やかに告げる。


「だから、次は“ほどく”皿だ」


一度きりの店は、

終わりに向かって、やさしく火を入れ始めていた。


店の奥で、かすかに湯が鳴る。

火は強くない。ほどくための温度。


サポーターの男が、義手で布をしぼり、器を磨く。

音は出さない。

今日の客は、音に敏感だから。


店長は、深い器を一つだけ用意した。


「歯を食いしばるってね、

夜のあいだに“昼の我慢”を処理してる証拠なんだ」


『……やっぱり、仕事ですか』


「仕事“だけ”じゃない。

ちゃんと向き合ってる人ほど、そうなる」


サポーターの男が、湯気の立つ器をそっと置く。


《ほどける顎を休ませる鯛の白蒸し》


淡い香り。

塩は最小限。


「これは三品目。

噛み切らなくていい魚」


『……鯛、ですね』


「うん。

祝いじゃない日に食べる鯛」


客は、箸を入れる。

身は抵抗せず、繊維の向きだけを教えてくる。


『……噛まなくても、食べられる』


「でしょう。

顎は、今日は仕事しなくていい」


サポーターの男が、少し距離を取る。

視線も、外す。


『……患者さんの口を見るたびに、

この人は何を我慢してきたんだろうって、考えるんです』


店長は、否定しない。


『痛いのを我慢して。

怖いのも我慢して。

恥ずかしいのも』


「うん」


『それを思うと、雑に扱えなくて』


店長は、湯気の向こうで微笑んだ。


「優しさってね、

“見なくていいもの”まで見る力でもある」


『……でも、それって疲れます』


「疲れる」


即答だった。


「だから、ここでは逆。

今日は、あなたが“見られない側”になる」


客は、箸を止める。


『……見られない側』


「評価されない。

役割を期待されない。

声の高さも、表情も、決めなくていい」


鯛は、皿の上で形を失っていく。


『……誰にも、口を開けなくていい』


店長は、静かにうなずく。


「閉じてていい。

顎も、心も」


サポーターの男が、最後の器を運ぶ準備を始める。

甘味用の、小さな皿。


店長は言った。


「次で、終わりだ」


一度きりの店は、

出口の光を、少しだけ強めていた。


甘い香りは、先に来ない。

器が置かれてから、ゆっくり立ち上る。


サポーターの男が、最後の皿を静かに差し出す。

小さく、軽い。

義手の動きも、今日は少しゆるい。


店長は、客を見ずに言った。


「歯科衛生士さんはね、

“終わったあと”を任される仕事だ」


『終わったあと……』


「治療の途中じゃない。

痛みの説明でもない。

終わって、口を閉じて、ほっとする、その瞬間」


店長は、甘味を示す。


《噛まずにほどける白胡麻のブランマンジェ》


表面は静か。

揺らしても、揺れない。


「これは、最後の一皿。

仕事のあとに、何も守らなくていい甘さ」


『……噛まなくていいですね』


「今日は、噛む話ばっかりだったからね」


客は、スプーンを入れる。

抵抗はなく、ただ舌に重みだけが残る。


『……甘いのに、軽い』


「“頑張った人用”の配合だ」


サポーターの男が、店の灯りを一段落とす。


『……患者さんが、

「ありがとうございました」って言うときの顔、好きなんです』


店長は、初めて視線を合わせる。


「それはね、

“もう力を入れなくていい”顔だ」


『……ああ』


客の肩が、ゆっくり下がる。


『……私も、ああいう顔、していいんですね』


店長は、短く答える。


「してるよ。

今」


甘味は、きれいに消えた。

皿には、何も残らない。


サポーターの男が、ドアの方へ一歩下がる。


店長は、最後に言う。


「この店は一度きり。

でもね、噛まなくていい時間は、家でも作れる」


『……どうやって?』


「白湯を飲む。

口を閉じる。

今日は、誰も治さないって決める」


客は、立ち上がり、深く息を吸った。


『……また、明日も仕事です』


「うん」


『でも、今日は食いしばらずに眠れそうです』


店長は、もう何も言わない。

それで、十分だった。


扉が閉じる。

一度きりの店は、音もなく消える。


残ったのは、

顎の奥に、何も力が入っていない感覚だけだった。

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