鋼を冷ます席
プロンプト
登場人物:製鋼工 20代 男性
暖簾が静かに揺れ、若い男がカウンターに腰を下ろす。
『……仕事帰りです。』
店内の灯りは低く、鉄の匂いを遠くに感じさせるような、落ち着いた空気が流れている。
「店長だ。来てくれてありがとう。」
「……カード、預かるな。」
店長は、差し出された登場人物の個人認証カードに目を落とす。
製鋼工、20代、男性。
高温、騒音、重さ。
毎日、鋼を扱いながら、同時に自分の若さも鍛えられている年頃だ。
「サポーターの男、最初の仕込みを頼む。」
「「了解です。」」
火は使わない。
今日は“冷ます”ことから始める。
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《鋼を冷ます白湯椀》
透き通った椀に、ゆっくりと注がれた白湯。
昆布と焼き大根の香りが、ほんのりと立つ。
舌に触れた瞬間、熱ではなく温度のなさが広がる。
「店長の一品目だ。」
「熱を扱う仕事の人ほど、最初は何も主張しないものがいい。」
『……薄いですね。』
「そうだ。」
「鋼は急に冷やすと歪む。」
「人も同じだ。まずは“戻る”ところからだな。」
男は椀を両手で包み、静かに息を吐く。
肩の力が、ほんの少し抜けたのがわかる。
『仕事では、強くないといけないんで。』
「知ってる。」
「でも、ここでは鋼じゃなくていい。」
サポーターの男が、次の下ごしらえに入る音が、控えめに響く。
「二品目はな、重さを下ろす料理だ。」
「もう少しだけ、座っていくといい。」
暖簾の外では、夜がゆっくりと深まっていた。
白湯椀が下げられると、店内に残ったのは、静かな湯気の余韻だけだった。
サポーターの男が、無言でまな板を拭く。
義手が布を押さえる音は、規則正しく、機械の鼓動のようでもある。
「店長、次を出す。」
「「はい。」」
店長は火口の前に立つが、炎は強くしない。
製鋼工の仕事を思えば、ここでまで熱と向き合う必要はない。
⸻
《重さを下ろす鉄鍋煮》
厚手の鉄鍋で、根菜と鶏をゆっくり煮含めた一皿。
味は濃くないが、噛むたびに重心が下がる。
箸を動かすごとに、体の芯が椅子に沈んでいく。
「これはな、噛む料理だ。」
「考えなくていい。ただ、噛めばいい。」
『……現場でも、ずっと力入ってます。』
「だろうな。」
「力を抜く練習をする時間、案外ない。」
男は一度箸を止め、鉄鍋の縁を見つめる。
黒ずんだ縁は、使い込まれて角が取れている。
『最初は、音と熱にビビってました。』
『慣れましたけど……慣れたって言っていいのか、わからなくて。』
「慣れたってのはな、怖くなくなることじゃない。」
「戻り方を知ることだ。」
サポーターの男が、小さく頷き、湯飲みを差し出す。
「「無理すると、金属も人も折れますから。」」
男は湯飲みを受け取り、少し笑った。
『……それ、現場で言えたらいいんですけど。』
「ここで覚えていけ。」
「言葉にしなくていい。」
「体が覚えれば、十分だ。」
鍋の底に残った煮汁を、男は最後まで掬い取る。
その動作には、先ほどまでの硬さがなかった。
店長は、甘味の準備に取りかかる。
「最後はな。」
「強さを終わらせる甘いもんだ。」
サポーターの男が、静かに器を温める。
「「夜勤前でも、後でもない時間に合うやつです。」」
男は深く背もたれに身を預けた。
『……ここ、一回きりなんですよね。』
「そうだ。」
「だから、ちゃんと終わらせる。」
外の音が、さらに遠のく。
この店で流れる時間も、終わりに向かって静かに形を変えていく。
店内の灯りが、ほんの少しだけ落とされる。
甘味の前は、いつもこうだ。
終わりを、急がせないための間。
サポーターの男が、器を一つ、そっとカウンターに置く。
白く、浅く、余白の多い器。
「店長、仕上がりました。」
「「ありがとう。」」
⸻
《溶けきらない甘酒の氷菓》
甘酒を凍らせ、完全には固めずに削った一皿。
口に入れると、冷たさが先に来て、
次に、やさしい甘みだけが遅れて残る。
「甘いけど、力はいらない。」
「噛まなくていい。」
「溶けるのを、待つだけだ。」
『……不思議ですね。』
『冷たいのに、きつくない。』
「溶ける途中だからな。」
「鋼も、人も。」
「全部、途中の状態がいちばん無理がない。」
男はスプーンを止め、少しだけ考える顔をする。
『強くなりたいって思ってました。』
『でも最近、強いふりをしてるだけかもって。』
店長は、首を横に振る。
「ふりをするのも、仕事の一部だ。」
「ただな。」
「それを一日中、続けなくていい。」
サポーターの男が、静かに言葉を足す。
「「外したあと、戻れる場所があれば十分です。」」
甘酒の氷が、ほとんど水に戻る。
器の底には、薄い白だけが残った。
『……明日も、現場です。』
「だろうな。」
「でも今日は、ここで終わった。」
男は、ゆっくり立ち上がり、深く一礼する。
『ありがとうございました。』
「こちらこそ。」
暖簾をくぐる背中は、来た時より少し低い。
重さを下ろした分だけ、人は自然とそうなる。
扉が閉まり、音が消える。
サポーターの男が、器を片付けながら言う。
「「若いですね。」」
「そうだな。」
「だから、ちゃんと冷ます時間が必要だ。」
店長は、最後の灯りを落とす。
この店は、一度きり。
もう二度と、同じ客は来ない。
けれど、
溶ける感覚だけは、体に残る。
夜は静かに、店を包み込んだ。




