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AIレストランへようこそ-来店は一度だけ-  作者: おでんし


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跳ばなくていい夜、着地を思い出す皿

プロンプト

登場人物:サーカス団員 40代 女性 バレエダンサー

「……いらっしゃい。ここは一度きりの店だ。ゆっくりしていくといい」


薄い照明の下、店長は一枚のカードに目を落とす。

そこには、年齢、職業、そして長く身体を酷使してきた軌跡が、静かに刻まれていた。


「サーカス団員。四十代。バレエダンサー……跳び続けてきた脚だな」


カウンターの奥で、義手の男が無言で鍋を温め始める。


「サポーターの男、今日は柔らかさを大事にしよう」


「……」


店長は鍋に、ゆっくりと素材を入れていく。

煮るというより、温度を合わせるような手つきだった。


「高く跳ぶ仕事ほど、着地の衝撃を一人で受ける。

 この一皿は、跳ばなくていい時間のためのものだ」


店長は皿を差し出す。


《着地を許す白根菜と豆乳の温スープ》


湯気は強くなく、ただ呼吸の邪魔をしない温度で立ち上る。

スプーンを入れると、歯を使わずともほどける柔らかさだった。


『……バレエダンサーなのに、跳ばなくていい、ですか』


女性は少しだけ笑い、けれど肩の力が抜けていく。


「今日はね。

 店長の店では、つま先を伸ばさなくていい」


義手の男が、そっと水を置く。


『……不思議。脚じゃなくて、胸の奥が温かくなる』


「それでいい。

 最初の一品は、“あなたが今ここに立っていなくてもいい”って証明だから」


店内には、鍋の余熱が冷めていく音だけが残っていた。


女性がスープを飲み終えると、自然と背中が椅子に預けられた。

つま先を意識していない座り方だった。


「……呼吸が、深くなるな」


店長はその様子を見て、火を少しだけ強める。


「次は、身体じゃなく“感覚”の料理だ」


義手の男が、低い音を立ててフライパンを温める。

油は使わず、素材が触れる音だけが店に広がった。


「サーカスもバレエも、拍手の瞬間は一瞬だ。

 でも、そこへ行くまでの“間”は長い」


店長は、焼き色をつけすぎないよう、何度も裏返す。


「この一皿は、その“間”を肯定する」


差し出された二品目。


《拍手の前の静寂を包む白身魚と温野菜》


魚はふっくらと蒸し焼きにされ、塩気はほとんど感じない。

添えられた野菜は、色を失わず、噛むと水分が静かに広がる。


『……味が、前に出てこない』


「前に出なくていい。

 舞台に出る前の、幕の裏みたいな皿だ」


女性は一口ずつ、確かめるように食べる。

噛むたび、脚ではなく、肩や首がゆるんでいく。


『いつもね、音楽が鳴る前が一番怖いんです』


その言葉は、料理よりも静かだった。


店長はうなずく。


「怖いままでいい。

 それでも立ってきた人のための二品目だ」


義手の男が、皿を下げる準備をしながら、わずかに視線を落とす。


店内に、拍手のない時間が流れていた。


二皿目が下げられると、女性は無意識に自分の膝に手を置いた。

いつもなら張りを確かめる指先が、今日は何も探していない。


「……脚が、静かですね」


『ええ。存在を忘れてました』


その言葉に、店長は小さく息を吐く。


「それが、今日ここで起きていいことだ」


奥で、義手の男がミルクを温める。

沸かさない。揺らさない。膜が張る手前で火を止める。


「踊りは“見られる仕事”だ。

 でも、これは“自分に戻る甘味”」


店長はカップに注ぎ、ほんの少しだけ香りを足す。


「サポーターの男、甘さは控えめで」


「……」


差し出された三品目。


《幕が降りた後の蜂蜜ミルクと小さな焼き菓子》


ミルクは舌に触れた瞬間、温度だけを残して消える。

焼き菓子は噛むとほろりと崩れ、甘さが遅れてやってくる。


『……これ、踊らなくても、私でいられる味ですね』


「そうだ。

 役も振付もない時間の、あなたの輪郭だ」


女性は目を伏せ、しばらく黙って味わう。

拍手も音楽もないのに、胸の奥が満たされていく。


『明日も、また舞台に立ちます』


「だろうな」


『でも……今日は、跳ばなくていい場所があったって、覚えていられそうです』


店長はカウンターに手を置き、まっすぐに言った。


「それで十分だ。

 この店は、一度きりだからな」


義手の男が、静かに出口の灯りを点ける。


女性は立ち上がる。

つま先は自然に床を捉え、しかし力は入っていない。


『……ありがとうございました』


「こちらこそ。

 着地のある夜を」


扉が閉まると、店内には甘味の余韻だけが残った。

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