正解を返さない時間
プロンプト
登場人物:スクールカウンセラー 女性 40代
店の扉が静かに開き、落ち着いた足音が一つ、店内に入ってくる。
「いらっしゃいませ。店長です。一度きりの店へ、ようこそ」
サポーターの男は、無言で椅子を引き、女性を案内する。義手がわずかに金属音を立てるが、それもこの店では生活音のひとつだった。
『こんばんは……ここ、少し不思議な空気ですね』
「ええ。ここでは、役割を置いていって構いません」
店長は、カウンターの奥で一枚のカードを確認する。
そこには——スクールカウンセラー、40代、女性。
“聴く側でいる時間が長い”“感情を受け止め続けている”という静かな情報が、行間から伝わってくる。
「最初の一品をお出しします」
サポーターの男が、白い皿をそっとテーブルに置く。
《言葉を預ける温野菜の白いスープ》
湯気は控えめで、香りも強くない。
噛む必要のない、ただ口に含んで温度を感じるための一皿だった。
「この料理は、何かを話さなくても成立します」
「今日は、誰の話も整理しなくていい」
女性はスプーンを持ち、少しだけ間を置いてから口に運ぶ。
『……優しいですね。考えなくていい味』
「ええ。店長は、考えない時間を最初に用意するのが好きでして」
サポーターの男は壁際に立ち、女性の表情がわずかに緩むのを確認すると、小さく頷いた。
スープの温かさが喉を通り、
“聴く役目”が、ほんの少しだけ外れる。
店内には、次の料理までの静かな余白が流れていた。
スープの器が下げられると、店内の空気が一段、深く静まった。
サポーターの男は、音を立てないように次の皿を運ぶ。
白い陶器の中央に、柔らかな色が集められていた。
「二品目です」
《受け止め過ぎた肩をほどく蒸し鶏と根菜の温皿》
蒸気はゆっくりと立ち上がり、鼻先をくすぐる程度の香りだけを残す。
噛めば、力を入れなくてもほぐれる。
『……身体が先に安心しますね』
「ええ。心より、肩のほうが先に緊張を覚えていることも多い」
女性は箸を進めながら、視線を伏せる。
『仕事柄……泣く子も、怒る親も、黙り込む先生も……全部、受け止める側で』
「整理しなくてもいい感情まで、預かってしまう」
店長はそう言って、火を弱める。
「でも、この店では、受け止め返さなくていい」
サポーターの男が、そっと水を注ぐ。
義手の動きは正確で、迷いがない。
『誰かに、聴いてもらう立場になるの、久しぶりかもしれません』
「今日は、話さなくてもいい立場です」
蒸し鶏を一口食べ終えた頃、女性の呼吸が深くなっているのが分かる。
背中が、椅子にきちんと預けられていた。
『……私、ちゃんと休めていなかったんですね』
「気づけた時点で、十分です」
店長は、次の仕込みに手を伸ばしながら、静かに続ける。
「次は、言葉の外側に触れる一皿を用意します」
店は一度きり。
だが、この夜の感覚は、彼女の中に残る余白として、確かに積み上がっていた。
温皿が下げられると、店内には箸の音すら消えた静けさが戻った。
外の気配は遮られ、時間だけが、ゆっくりと進んでいる。
サポーターの男が運んできたのは、小さな器だった。
持ち上げると、掌にすっと収まる重さ。
「三品目です」
《答えを探さない柑橘とミルクの静かな甘味》
酸味は丸く、甘さは遅れてやってくる。
評価も助言も要らない、ただ舌に残って消えていく味。
女性は一口食べ、しばらく目を閉じた。
『……誰かの答えを待たなくていい時間って、こんな感じなんですね』
「ええ。店長も、たまに忘れます」
『私は、正解を返さなきゃいけない場所に、長くいすぎました』
店長はカウンター越しに、彼女の手元を見る。
「正解を探す仕事は立派です」
「でも、正解にならない自分を、責め続ける必要はない」
サポーターの男が、静かに椅子の背を整える。
義手が触れる音は、今はもう気にならなかった。
『……明日、また学校へ行きます』
『でも、今日ここで、何も解決しなかったことが……少し、救いです』
「解決しないまま、終えていい夜もあります」
甘味を食べ終えた器は、空になっても、名残を残していた。
女性はゆっくり立ち上がり、深く息を吸う。
『ありがとうございました。役割じゃない私で、居られました』
「それで十分です」
サポーターの男が扉を開ける。
外の空気が、やわらかく流れ込む。
一度きりの店。
だが、聴く側だった彼女の胸には、
“聴かれなくてもいい自分”という、小さな居場所が灯っていた。
扉が閉まり、店はまた静けさに戻る。




