白紙の旅程を畳む夜
プロンプト
登場人物:旅行企画 30代 女性
店の扉が静かに開き、女性が一人、席についた。
カウンター越しに、店長は差し出された《登場人物の個人認証カード》に目を通す。
――旅行企画、30代、女性。
店長は軽く頷き、調理場へ向かった。
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「ようこそ。一度きりの店へ。
今日は“移動し続ける人”のための料理を用意します」
サポーターの男は、義手で丁寧に皿を温め、静かに店長を支える。
やがて、一皿目がカウンターに置かれた。
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《地図を畳む白身魚と季節野菜の温前菜》
白身魚は蒸され、ふんわりとほどける。
付け合わせの野菜は、あえて形を揃えず、各地の土の香りを残したまま。
「企画書の中では、世界を何度も行き来しているでしょう」
「でも、身体はちゃんとここにあります」
店長はそう言って、皿を女性の前へ押し出した。
『……仕事柄、いつも次の場所を考えてます』
女性はそう呟き、ひと口運ぶ。
湯気とともに、肩の力が少し抜けたのがわかる。
「この一品は、“今いる場所に戻る”ための料理です」
「まだ、次へは行かなくていい」
サポーターの男は無言で水を差し出し、
店内には、咀嚼の音だけが静かに流れた。
女性は、ゆっくりと皿を空にした。
指先が、先ほどよりも落ち着いているのを、店長は見逃さない。
「では、次の一皿を」
サポーターの男が、義手で鍋の火を弱める。
沸騰させない、急がない火加減。
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《予定を入れない日のスープ 根菜と穀物の静かな一杯》
透き通った琥珀色のスープ。
刻まれた根菜と穀物が、底に沈み、ゆっくりと温度を伝える。
「旅行企画の仕事は、空白を許されにくい」
「移動、手配、締切。全部が、先へ先へと押してくる」
店長は、椀を両手で差し出した。
「でも、このスープには“目的地”がありません」
「飲み終える場所も、決めなくていい」
『……何もしない日、作るのが一番難しいです』
女性は苦笑いしながら、スープを口に含む。
噛まなくていい、考えなくていい温度。
『頭の中の地図が、少し白くなりました』
「それで十分です」
「空白がないと、旅は線路になりますから」
サポーターの男は、静かに椅子を引き、
女性が背もたれに身体を預けられるよう、距離を整えた。
スープの温もりが、腹の奥で落ち着く頃、
店内には、行き先の話題が一切なくなっていた。
スープの椀が下げられると、
女性はしばらく、何も言わずにカウンターを見つめていた。
考えていない、というより――考えが動いていない。
店長は、その沈黙を壊さないまま、最後の仕上げに入る。
「ここからは、戻るための一皿です」
サポーターの男が、義手で小さな器をそっと磨き、
音を立てずに店長の前へ置いた。
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《帰路を決めない柑橘とミルクのやさしい甘味》
淡い白のミルクに、ほのかな柑橘の酸味。
甘さは控えめで、後味だけが長く残る。
「企画の仕事は、誰かを送り出す役目です」
「でも、自分がどこへ帰るかは、後回しになりやすい」
店長は、器を差し出しながら続ける。
「この甘味は、“帰らなくてもいい帰り道”です」
「今日は、ここで終わっていい」
『……明日も、企画は続きますけど』
女性はそう言って、ひと匙すくう。
少し間を置いて、もう一口。
『今夜は、ホテルに戻って、何も調べずに寝ます』
店長は、微かに笑った。
「それも立派な旅程です」
「誰にも提出しなくていい」
サポーターの男は、静かに会計の準備を整え、
女性が立ち上がるタイミングを、待っている。
食べ終えた器を前に、
女性の表情から、仕事用の張り付いた笑顔が消えていた。
『いい店ですね。……また来たくなります』
「申し訳ありません」
「この店は、一度きりです」
女性は小さく頷き、席を立つ。
扉が閉まる直前、肩越しに一度だけ、深く息を吐いた。
店内に残ったのは、
次の旅程を書き込まれていない、静かな夜だけだった。




