鈴を外したまま立つ場所
プロンプト
登場人物:巫女さん 20代 女性
店の扉が、音も立てずに開いた。
白と朱の装いのまま、少しだけ肩をすくめるようにして、彼女は入ってくる。
『……あの、ここで合っていますか? 一度きりのお店、って』
「ええ。ようこそ。今日はあなたのためだけに、火を入れています」
サポーターの男は、無言で椅子を引き、彼女が座るのを確かめてから、静かに下がった。
店長は、カウンターの下から一枚のカードを取り出す。
それは、この店独自の――登場人物の個人認証カード。
職業:巫女
年代:20代
性別:女性
状態:人の願いを受け取り続け、私心を置く場所を探している
「……なるほど」
『やっぱり、わかっちゃうんですね』
「ええ。ですから最初の一品は、“あなたが外してきたもの”を、そっと置く料理にします」
店長は鍋に水を張り、火を入れる。
強くは沸かさない。音が立たない程度に。
「サポーター」
「はい」
義手の男が、白磁の小さな器を並べる。数はひとつだけ。
「最初の一品、できました」
⸻
《願いを降ろす白湯と一枚の根》
器からは、湯気がほとんど立たない。
澄んだ白湯の底に、薄く削られた根菜が一枚、静かに沈んでいる。
「味は、ほとんどありません。けれど――」
『……でも、香りは、ありますね』
「ええ。土と、水と、何も願わない時間の香りです」
彼女は両手で器を包み、ゆっくり口をつける。
一口、二口。
肩の力が、ほんの少し落ちた。
『……お参りに来る人のお願いって、重たいんです。
叶えられないものも、預かるから』
「だから今日は、あなたが“預ける側”です」
白湯を飲み終える頃、彼女の視線が、少しだけ下を向いた。
『……ここでは、何も祈らなくていいんですね』
「ええ。この店では、食べるだけでいい」
サポーターの男が、空になった器を静かに下げる。
店内には、鈴の音も、祝詞もない。
ただ、火の気配だけが、穏やかに残っていた。
店長は、火を一度落とし、まな板の前に立った。
包丁は使わない。手で、割る。
「巫女さん」
『はい』
「人の前に立つ前、あなたは何をしていましたか」
彼女は少し考え、首を傾げた。
『……朝、誰もいない境内を掃いてました。
落ち葉の音と、自分の足音だけで』
「ええ。それです」
サポーターの男が、低い皿を一枚、そっと差し出す。
縁に模様はない。傷もある、使い込まれた器だ。
「二品目、出します」
⸻
《誰もいない境内の朝餉》
白いご飯が、山ではなく“平らに”盛られている。
上に乗るのは、軽く炙った油揚げと、刻みすぎない青菜。
味噌は薄く、香りだけが立つ。
「派手さはありません。
人に見せる前、あなたが自分のために食べる朝です」
『……いただきます』
箸を入れた瞬間、彼女の動きが止まった。
『……あ』
「思い出しましたか」
『はい。
忙しくなる前は、こんな感じでした。
“ちゃんと食べてから、行こう”って』
一口、また一口。
噛むたびに、背筋の緊張がほどけていく。
『人の前に立つようになってから、
“整える”ことばかり考えてました』
「整えるのは、外だけじゃない」
サポーターの男が、湯のみを差し出す。
中身は、ただの温かい番茶。
『……静かですね』
「ええ。
人が来る前の境内と、同じです」
彼女は最後の一口を食べ終え、箸を置いた。
目を閉じ、ゆっくり息を吐く。
『……私、ちゃんと戻れますね』
「戻る、ではありません」
店長は、少しだけ微笑む。
「思い出しただけです」
器が下げられると、店内の空気が一段、軽くなった。
店長は、鍋に残っていた出汁を温め直した。
足すものは、ほとんどない。
削り節を一つまみ、塩をひと粒。
「巫女さん」
『はい』
「“前”と“昔”を思い出せたなら、次は“今”です」
サポーターの男が、少し深さのある椀を差し出す。
蓋つきだが、蒔絵も朱もない。静かな器。
「三品目です」
⸻
《願いの間に立つ澄まし椀》
蓋を開けると、透明な出汁。
中央に浮かぶのは、結び目を作った細い白滝。
その横に、丸く削られた大根が一つ。
『……結んで、ほどけない形ですね』
「ええ。
あなたは今、“人と人の間”に立っています。
どちらにも寄り切らず、でも離れない」
彼女は椀を持ち上げ、ゆっくりと口に運ぶ。
『……優しい』
「強くもあります。
澄んでいるのは、濁っていないからではなく、
何度も通して、残ったものだからです」
白滝を箸で持ち上げ、彼女は少しだけ笑った。
『願いを聞くの、嫌いじゃないんです。
重いけど……逃げたいわけじゃない』
「それが、今の立ち位置です」
サポーターの男が、そっと頷き、湯のみを下げる。
『前みたいに何も知らない私でもなく、
全部背負えるほど強くもない』
「だから、ちょうどいい」
店長は、火を止めた。
「人の前に立つあなたは、
支える柱ではなく、
通り道です」
彼女は最後の一口を飲み干し、椀を置いた。
姿勢は、最初よりも自然だった。
『……このままで、いいんですね』
「ええ。
今日ここに来られた時点で、もう肯定されています」
静けさが、少しだけ温度を持つ。
店長は、火も包丁も使わなかった。
小さな木箱を開け、中から白い布に包まれた器を取り出す。
「最後です」
サポーターの男が、彼女の前にそっと置く。
音を立てないよう、指先まで気を配って。
⸻
《鈴を外した白蜜の小さな餅》
掌に収まるほどの、小さな餅が二つ。
上からかけられた白蜜は、光を反射するだけで、主張しない。
鈴も、飾りも、意味づけもない。
『……可愛いですね』
「ええ。
祈りに入る前、祈りを終えた後。
どちらでもない、ただ“甘い”時間です」
彼女は一つ目を、指でつまみ、口に運ぶ。
『……あ』
「どうです」
『何も、考えなくていい』
二つ目を食べ終えた頃、彼女の表情から、役目の影が消えていた。
『ここでは、巫女じゃなくていいんですね』
「ええ。
名前も、肩書きも、外に置いてきましたから」
サポーターの男が、静かに木箱を閉じる。
しばらくの沈黙。
それは気まずさではなく、終わりを受け取るための間だった。
『……明日から、また立てます』
「立てます。
ただし、無理のない位置で」
彼女は椅子から立ち、深くは礼をしない。
代わりに、小さく会釈をした。
『ありがとうございました』
「こちらこそ」
扉が閉まる直前、鈴の音は鳴らなかった。
鳴らさないまま、彼女は外へ出ていく。
店内に残ったのは、
甘味の余韻と、祈らない時間の終わり。
サポーターの男が、ぽつりと言う。
「……静かですね」
「ええ。
ちゃんと、日常に戻れた音です」
火を落とし、看板を裏返す。
この店は、二度と開かない。
けれど、
彼女の中には、外さなくていい静けさが、残っていた。




