朝露をやめない庭
プロンプト
登場人物:庭師 60代 男性
店の扉が静かに開き、土の匂いをまとった男が入ってくる。
『……ここで、いいんだな。』
店長は頷き、カウンター越しに一枚のカードを受け取った。
登場人物の個人認証カードには、こう記されている。
•職業:庭師
•年齢:60代
•好きな時間:朝一番の水やり
•身体の癖:長年の剪定で、指と腰に静かな疲れ
•心の状態:仕事は好きだが、終わりの時期を意識し始めている
店長はカードを静かに伏せ、厨房へ向かう。
サポーターの男は、義手でゆっくりと湯呑みを並べ、何も言わずに男を迎え入れた。
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店長は、最初の一品を差し出す。
《朝露を含んだ根菜と白湯の一皿》
透き通った白湯の中に、柔らかく火を通した大根と人参。
派手さはないが、噛むたびに土の甘みが広がる。
店長は、静かに言葉を添える。
「長く土に触れてきた手と身体には、まず温度を戻す料理が必要です。」
庭師の男は、箸を取り、一口含む。
『……ああ。これは、朝の庭だな。』
白湯を飲み干すと、肩が少し落ちた。
サポーターの男は、小さく頷きながら、次の準備に入る。
店内には、剪定ばさみの音の代わりに、湯気の立つ音だけが残っていた。
店長は、男の器が空になったのを確かめると、再び厨房へ戻った。
鍋に火を入れる音ではなく、水を注ぐ静かな音が店内に響く。
サポーターの男は、義手でそっと卓を拭き、朝の庭に差し込む光を思わせる位置に器を置いた。
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店長が運んできた二品目。
《朝露を落とす青菜と出汁の温冷皿》
薄く張った出汁の下に、軽く湯通しした小松菜と春菊。
上から、冷やした透明な出汁を一筋だけ注ぎ、最後に柚子の皮をひとかけ。
店長は、男の手元を見ながら語る。
「朝一番の水やりは、植物のためでもありますが、
実は、庭師自身が一日の呼吸を整える時間でもあります。」
庭師の男は、器を持ち上げ、まず出汁をすする。
『……冷たいな。』
そう言いながらも、すぐに箸を進め、青菜を口に運ぶ。
『……ああ。これだ。
水をやると、葉が一斉に息をするだろ。
その瞬間だけ、庭が起きる。』
温かい青菜と、冷たい出汁が口の中で交わり、
男の背筋が自然と伸びていく。
サポーターの男は、その様子を見て、湯呑みに新しい白湯を注いだ。
店長は、静かに結んだ。
「今日一日を始めるための水やりは、
もう、あなたの中に染み付いています。」
庭師の男は、何も言わずに最後の一口を飲み干し、
朝の庭に立っているような、穏やかな表情を浮かべていた。
庭師の男は、器を置いたまま、しばらく動かなかった。
朝の水やりの余韻が抜けたあと、ふっと息を吐く。
『……店長。』
その声には、土よりも重たいものが混じっていた。
『最近な、朝が来ると考えるんだ。
この庭に、俺が水をやるのは、あと何年だろうって。』
指先を見つめ、節の太くなった手をゆっくりと握る。
『体は、まだ動く。
でもな、木を見りゃ分かるだろ。
潮時ってのが、近づくと音が変わる。
……俺、自分の音が分からなくなってきてな。』
店内が静まる。
サポーターの男は、義手で新しい布巾を畳み、
男の正面ではなく、少し斜めの位置に皿を置く準備をした。
店長は、しばらく黙ってから、ゆっくりと厨房に向かう。
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三品目が運ばれてくる。
《剪定を待つ木のための柔らか煮込み》
長く煮た鶏と里芋。
形は残しつつも、箸を入れると自然にほどける柔らかさ。
味付けは控えめで、噛むほどに出汁が滲む。
店長は、男の目を見て言う。
「庭師は、木を育てる仕事ですが、
同時に、“切らない時間”を見極める仕事でもあります。」
男は、里芋を一口食べ、ゆっくりと噛む。
『……切らない、時間か。』
店長は続ける。
「辞めるか、続けるか、を決めなくてもいい時期があります。
今は、枝を落とす前に、樹液の流れを確かめる季節です。」
男は、箸を止め、目を伏せたまま小さく笑った。
『俺は、辞め時を探してたつもりで、
実は、まだ庭に立っていいかどうか、
誰かに聞きたかったのかもしれんな。』
サポーターの男は、静かに白湯を差し出す。
店長は、最後にこう添えた。
「水をやる手が震えたら、休めばいい。
でも、震えながらでも土を感じられるうちは、
まだ、庭はあなたを待っています。」
庭師の男は、煮込みを食べ終え、深く息を吐いた。
辞める日付は、まだ決めなくていい。
そう思えた表情で、器を両手で包み込んでいた。
庭師の男は、三品目の器を空にし、しばらく黙って座っていた。
迷いは消えていないが、重さは土に戻ったようだった。
サポーターの男が、義手で小さな皿と匙を静かに置く。
その所作は、苗を植える前に土をならす動きに似ていた。
店長は、最後の一品を運んでくる。
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《次の季節を迎える甘土のデザート》
焼き芋を裏ごしし、ほんの少しの蜂蜜とミルク。
上には、若葉を思わせる薄い抹茶の泡。
温かさと冷たさが、同時に口に入る。
店長は、低い声で語る。
「庭には、
“何も植えない季節”があります。
それは終わりではなく、土を休ませ、
次に何を迎えるかを決める時間です。」
男は、匙ですくい、ゆっくり口に運ぶ。
『……甘いな。
でも、重くない。』
二口、三口と進めるうちに、男の表情がほどけていく。
『俺はな、辞めるか続けるか、
どっちか決めなきゃいけないと思ってた。
でも……植えない庭ってのも、庭なんだな。』
店長は、小さく頷く。
「朝の水やりを続けてもいい。
誰かに庭を譲りながら、立ち会ってもいい。
どちらも、あなたが育ててきた仕事の続きです。」
サポーターの男は、静かに微笑み、空いた器を下げた。
庭師の男は、最後の一口を味わい、深く息を吸う。
『……明日も、朝は早い。
水をやってから、少し長めに庭を眺めてみるよ。』
立ち上がる背中は、来た時よりも軽い。
店長は、扉の向こうに続く気配へ向けて、静かに言葉を送った。
「あなたの庭は、
もう次の季節を迎える準備ができています。」
扉が閉まり、
店は、また一度きりの静けさに戻った。




