間が笑った夜 -自分にだけウケる三皿-
プロンプト
登場人物:お笑い芸人 男性40代 ピン芸人
店の扉が、静かに開いた。
一度きりの約束の店に、男が一人、肩をすくめるように入ってくる。
『どうも…。一人芸人、40代。今日はネタじゃなくて、自分を休ませに来ました。』
店長はうなずき、カウンター越しに男を見る。
サポーターの男は、義手でゆっくりとカードを受け取った。
サポーターの男は、「個人認証、確認しました。」と静かに告げる。
店長は少し考え、包丁を手に取った。
「最初の一品は、あなたの個人認証カードからいきましょう。」
「40代、一人で立つ芸人。笑いを作る側で、笑われないように立ち続けてきた人ですね。」
サポーターの男は、「力を抜かせる一皿が良さそうですね。」と添える。
店長は火を入れ始め、一品目を作り始めた。
少し様子を伺いながら、一品目を完成させ、
店長は、湯気の立つ器を男の前に置きながら、少しだけ言葉を添えた。
「これは、探すのをやめるための一品です。」
《間を休ませる白だし茶漬け》
白だしの澄んだ香りが、ふっと鼻に抜ける。
具は最小限。焼き海苔と、ほぐした白身魚、ほんの少しの三つ葉だけ。
『……ネタ探し、ずっと頭が止まらなくてさ。』
『歩いてても、飯食ってても、「これ使えないかな」って考えちまう。』
男はそう言って、茶漬けを一口すする。
熱すぎず、薄すぎない出汁が、喉を通る。
考える前に、体が「楽だ」と判断していた。
『あぁ……これだ。』
『考えなくていい間、だな。』
店長はうなずく。
「ネタは、探すと逃げます。」
「でも、間が戻ると、勝手に座ってきます。」
男は箸を止め、しばらく湯気を見つめた。
『……俺、ネタを見つけようとして、間を壊してたのかもな。』
『笑わせる前に、間を休ませないといけなかったんだな。』
サポーターの男は、静かに器の位置を整えながら、こう言った。
「何も起きない時間も、芸の一部です。」
男は、最後の一口をゆっくり味わう。
『舞台でウケなくても、この一杯みたいな時間があれば、また立てそうだ。』
器は空になったが、
男の頭の中からは、ネタを探す焦りだけが、そっと消えていた。
店長は、火を弱め、鍋の中身を確かめてから深皿に盛りつけた。
湯気は強すぎず、静かに立ちのぼる。
《積みネタ根菜のコク煮込み》
大根、人参、ごぼう。
どれも派手さはないが、長く火にかけられたものばかりだ。
『さっきの茶漬けでさ……』
『ネタ、探すのやめてもいいんだって思えたんだ。』
男はそう言って、箸で大根を割る。
中まで、きちんと色が染みている。
『探してないのに、勝手に思い出すことがあるんだよな。』
『昔の失敗とか、滑った夜とか。』
一口、噛む。
根菜は、抵抗せずにほどけた。
店長は静かに言う。
「掘り返さなくても、残るものは残っています。」
サポーターの男は、義手で鍋の蓋を閉めながら、低く続けた。
「積んだネタは、休ませるとコクになります。」
男は、箸を置き、深く息を吐く。
『……ネタ帳、ずっと開きっぱなしだったな。』
『閉じてた時間も、ちゃんと仕込みだったのか。』
また一口。
味は強く主張しない。
だが、食べ進めるほど、奥から温かさが出てくる。
『無理に新しいの探さなくてもさ。』
『積んできたもんが、勝手に煮えてくれるんだな。』
店長はうなずいた。
「火を入れ続けるより、火を離す勇気が必要な時もあります。」
男は、最後の根菜を口に運び、皿を見つめた。
『……今日は、探さない日でいいや。』
『それだけで、明日ちょっと面白くなりそうだ。』
深皿は空になり、
男の中で「探さなきゃ」という焦りだけが、静かに煮溶けていた。
店内に、やわらかな甘い香りが広がった。
店長は、慌てる様子もなく、ゆっくりと最後の皿を差し出す。
《自分だけにウケる黒糖プリン》
黒糖の色は深いが、光を吸い込みすぎない。
上にのった生クリームも、飾り気はない。
男は、急がずにスプーンを取った。
もう、次のネタのことを考えていない手つきだった。
『……いいな。』
『もう、早く答え出さなくていいって顔してる。』
スプーンを入れると、プリンは静かに揺れ、抵抗なく割れる。
口に運ぶ。
甘さは、前に出てこない。
黒糖のコクが、あとからゆっくり追いついてくる。
男は、ふっと息を吐いた。
『焦ってた頃ならさ、「これウケるかな?」って考えてた。』
『でも今は……俺がうまいって思えれば、それでいいな。』
店長は、カウンター越しに短く答える。
「それが、一番長く続く笑いです。」
サポーターの男は、義手で水を注ぎながら、こう付け加えた。
「自分にウケる感覚が戻ると、他人の反応は後から来ます。」
男は、二口目、三口目と、間をあけて食べる。
もう急ぐ理由が、どこにもなかった。
『これさ……』
『誰にも見せないネタ、作りたくなる味だな。』
最後の一口を食べ終え、スプーンを皿に置く。
『売れるとか、評価とか、今日はいいや。』
『まず俺が笑えたら、それで十分だ。』
空になった皿は、
焦りを手放した証のように、静かにそこに残っていた。
男は、空になった皿をしばらく眺めていた。
次の言葉を探す様子は、もうない。
ゆっくりと立ち上がり、軽く肩を回す。
その動きには、舞台前の張りつめた癖が残っていなかった。
『……俺が笑えたら、それで十分だな。』
誰に向けた言葉でもない。
確認するように、自分に落とした一言だった。
店長は、カウンターの内側で包丁を置き、短くうなずく。
「その感覚、忘れなくていいですよ。」
サポーターの男は、義手で椅子を静かに戻しながら言った。
「今日の笑いは、保存がききます。」
男は、思わず小さく笑った。
ネタの笑いではない、声を出さない笑いだ。
『じゃあ、今日は帰って……何もしないでみます。』
『それで面白くなかったら、また考えます。』
扉の前で、一度だけ振り返る。
『ここ、誰にも教えないっす。』
『俺の中だけで、ウケたんで。』
店長は微笑み、
サポーターの男は、静かに頭を下げた。
扉が閉まる。
店に残ったのは、
笑わせなくても、笑っていいという空気だけだった。




