余熱で走り続ける人生 ― 調律ステーキと、りんごキャラメリゼ
プロンプト
登場人物:自動車整備士 70代男性
店の扉が、ゆっくりと軋む音を立てて開いた。
油と金属の匂いを、長年染み込ませたような男が入ってくる。
『ここが噂の店かい。…一度きりってのが、いいじゃないか。』
店長は頷き、カウンター奥で手を洗う。
横では、義手を備えた男が静かに準備を始めていた。
「いらっしゃいませ。自動車整備士、70代。
長い年月、機械と向き合ってきた手ですね。」
サポーターの男は、カードを一瞥して小さく頷く。
「……音を聞く人だな。エンジンも、人も。」
店長は最初の一品に取りかかった。
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《長年始動スープ》
深く澄んだコンソメに、牛すじと根菜。
時間をかけて煮込み、最後にほんの少しだけ黒胡椒。
「これはね、朝一番にエンジンをかける前の一杯です。
無理に回さず、温度を上げる。」
皿が置かれる。
『……ほう。地味だが、いい匂いだ。』
男性は一口すすり、目を閉じた。
『……あぁ。
昔、工場で夜明け前に飲んだ缶コーヒーを思い出すな。
今日も一日、始めるかって気持ちになったもんだ。』
サポーターの男が、静かに言う。
「壊れないように扱ってきたんだろ。
人も、車も。」
『当たり前だ。
直す仕事ってのはな、壊れた理由を責めないことだ。』
店長は次の火を入れながら、微笑む。
「では、二品目は“直し続けた人生”にしましょう。」
鉄板の上で、音が鳴り始めた。
その音は、70年分の仕事に、静かに寄り添うリズムだった。
店長は、鉄板の温度を確かめるように、軽く水を落とした。
「ジュッ」という音が、店内に響く。
サポーターの男は、黙って横に立ち、義手でスパイスを量る。
その動きは無駄がなく、長年の相棒のようだった。
「二品目は、直して、調整して、また走らせる。
そんな日々を形にします。」
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《調律ステーキ・トルク仕上げ》
厚すぎず、薄すぎない赤身肉。
強火で一気に焼き色を付け、火を落として休ませる。
仕上げに、焦がしバターと刻み玉ねぎ、醤油を一滴。
皿がカウンターに置かれる。
『……いい焼きだ。
この“休ませ”が大事なんだよな。』
男性はナイフを入れ、一口噛みしめた。
『おお……。
派手じゃねぇが、芯がある。
無理に柔らかくしてないのがいい。』
サポーターの男が、低く言う。
「トルク重視だ。
最高速はいらねぇ。」
『ははっ、わかってるな。
若い頃はな、回せば回すほどいいと思ってた。
だが結局、長く走るのはこういうエンジンだ。』
店長は頷く。
「整備士の仕事も同じですね。
新品にするんじゃない。
今ある性能を、きちんと出させる。」
男性はゆっくりと咀嚼し、皿を見つめた。
『俺はもう、第一線じゃない。
でもな、若いのに伝えたいことはまだある。
“急ぐな”ってな。』
サポーターの男が、少しだけ口角を上げた。
「まだ、現役だ。」
『……そうかもしれんな。』
店長は静かに次の準備に入る。
「では、最後は――
“工具を置いた後の時間”を、甘い一皿に。」
店内には、鉄と火の匂いに混じって、
ほんのりと甘い香りが立ち始めていた。
店長は火を弱め、鍋を一つだけコンロに残した。
金属音は消え、店内は不思議な静けさに包まれる。
サポーターの男が、義手で古びた工具箱を思わせる木箱をそっと開く。
中には、焼き色のついた果物と、小さな瓶が並んでいた。
「最後は、工具を置いた後の時間です。
何かを“直す”役目を終えた人の、甘さ。」
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《余熱のりんごキャラメリゼ》
バターでじっくり焼いたりんご。
砂糖は控えめ、ほろ苦いカラメル。
仕上げに、ラム酒をほんの一滴。
皿が置かれると、温かな香りが立ち上った。
『……これは、反則だな。
昔、家に帰ると婆さんが作ってくれた匂いだ。』
男性はフォークを入れ、静かに口に運ぶ。
『……甘いが、残らない。
口の中で、すっと消える。』
サポーターの男が、低く言う。
「余熱だ。
止めても、すぐには冷えねぇ。」
『ああ……。
俺の手も、もう大仕事はしねぇが、
まだ温かいらしい。』
店長は、カウンター越しに一礼した。
「整備士の仕事は、形に残りません。
でも、直された車と、教えられた人に、確かに残る。」
男性は皿をきれいに空にし、ゆっくりと息を吐いた。
『ご馳走さん。
……いい店だな。
一度きりってのが、惜しいくらいだ。』
サポーターの男は、静かに答える。
「だから、忘れねぇ。」
男性は立ち上がり、背中越しに手を挙げた。
扉が閉まる音は、エンジン停止のように穏やかだった。
店内に残ったのは、
火を落とした後の、静かな温もりだけだった。




