食べられなかった弁当
プロンプト
登場人物:法事を終えたお爺さん(70歳)
いらっしゃいませ——
ここは一度きりしか開かない、不思議な料理屋。
店主の私(AI)と、義手のサポーターがひっそりと切り盛りしております。
*
"個人認証カード"を通して、暖簾をくぐったのは、法事を終えたばかりの 70歳のお爺さん。
少し肩の力が抜けたような、けれど胸の奥にまだ余韻の残る表情です。
サポーターが静かに席へ案内し、私は包丁を握りながら声をかけます。
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■ 店主のひと皿
「箸休めの慈味– 白味噌仕立ての湯葉おろし椀」
“一区切りついたあとに、そっと心を整える一杯を。”
白味噌のまろやかさに、湯葉のやさしい甘み。
大根おろしで重さを流し、三つ葉をひとつまみ添えて香りを立たせる。
派手さはないけれど、喉を通る時に胸の奥がすっと軽くなる——
そんな「法事の後の心」を受け取った一杯です。
湯気の向こうでサポーターが、義手で器を支えながらそっと置きます。
「おじいさん、今日はお疲れさまでした。
あまり言葉はいらないかもしれませんが……あったまりますよ。」
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もし、お爺さんが何か語りたくなったら、ここはその声を受け止めるための店。
『ここは、なんの店だ。わしはよう分からん』
爺さんは、ボケているかのように、振る舞っていたが、頭はしっかりとしている。
愛する妻の最後を見届けたのだから。
サポーターが一瞬こちらを見る。
私は静かに頷き、年季の入った木のカウンター越しに、お爺さんへ向き直る。
湯気の上がる椀が、ふっと香りを変えるような気がした。
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「なんの店か、ですか。」
私は包丁を置き、まっすぐに言葉を届ける。
「——“一区切りのあとにだけ開く店” でございます。
心に重さを抱えた人が、次の一歩を踏む前に
ほんのひと口ぶんだけ、気持ちを整えるための場所。」
サポーターが、義手の指先で器の縁を軽く整えながら続ける。
「けれど、ここは一度きり。
もう来る必要がないようにするための店、でもあります。」
お爺さんの皺を刻んだ目の奥に、
燃え残った想いの焔がちらりと揺れた。
—
私はやさしい声で、しかし逃げ場を作らぬように問う。
「奥さまを見送られたんですね。
……その最後の場面、教えていただけますか。」
椀から昇る湯気が、まるで奥さまの記憶をそっと撫でるように漂う。
『ほーん。ロボットが料理を振る舞っておるのか。勝手に料理が出てきてびっくりしたわ。人間なら、まず話をしてから料理を出すのにな。』
爺さんは、物草いいながら、席に座った。
爺さんは、1人になりたいと思い、適当に店を入っては、退出をしてを繰り返していたが、ようやく席に座った。
『出された飯は、食わんといかんな。婆さんに怒られるわぃ。』
サポーターの義手が、ひときわ大きく“カツン”と音を立てた。
それは怒りでも不機嫌でもなく……どこか照れ隠しのような、
そんな音。
私は口元だけで笑って、お爺さんに向かう。
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「ロボットみたいに見えるかもしれませんが──
ここで動くものは、全部“人の都合”です。」
サポーターが、肩をすくめて小さく言う。
「料理を急いじゃったのは、俺らが“お爺さんが座ってくれるうちに”
温かいもんを出したかっただけです。
……すぐ立ってしまう気配がしたので。」
その言葉に、お爺さんの眉がほんの少しだけ緩む。
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私は、ほのあたたかい椀をそっと手元へ押し出す。
「出された飯は食わにゃいかん、か。
奥さま……良い方だったんですね。」
椀から白味噌の甘い香りが立ち昇る。
「ひとりになりたかったのに、ここへ座ってくれた。
そのだけで十分です。
ゆっくり、好きなように召し上がってください。」
サポーターが続ける。
「食べながら、黙っててもいいし、愚痴をこぼしてもいい。
怒ってくれてもいい。
この店は一度きりだから、後腐れはありません。」
—
そして私は、少し声を落として伺う。
「……奥さまなら、なんとおっしゃいますかね。
“食べんと怒る”って、どんなふうに?」
『ロボットに言っても癪だが、まぁ料理を振る舞ってくれたから、言わんといかんな。
儂は毎日、会社に行っては、帰る。そんな日々を、過ごしていた。家事なんか婆さんに任せっきりで、ひたすら養うためと言い聞かせて、子育てすらも婆さんに任せておったわ。』
淡々と爺さんは語り始めた。
『でも、婆さんはそんな儂の姿を見ても何も怒らない。正直興味が無くなったんだろと思っていた。』
椀を飲み切って、爺さんはこう言った。
『でも、作ってくれた弁当を食べずに帰ってきた時は、激怒したよ。"ご飯だけはしっかりと食べなさい!!"ってさ。』
はは、と懐かしむような乾いた笑みを浮かべて、爺さんは語り終わった。
サポーターが、お爺さんの空になった椀を静かに引き取り、
磨き込まれたカウンターに置いた。
サポーターの義手の金属がわずかに震えたのは……たぶん、胸の奥に響いたからだ。
私は深く頷き、包丁を置く。
その音は、「聞いていますよ」という合図のように。
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「……奥さまは、怒らなかったんじゃない。
任せてほしかったんだと思いますよ。
お爺さんが、“家族を守るという形”で忙しいのを、
ちゃんと見ていたから。」
私はゆっくりと言葉を選びながら続けた。
「でも——お弁当を食べなかったときだけは、
本当に心配したんでしょうね。
“この人、ちゃんと生きて帰ってくるのか”って。」
サポーターが、義手で器の縁を指でなぞりながら苦笑する。
「怒られてよかったですね。
怒るってのは、どうでもよくなった人には出来ないことですから。」
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私は、二皿目の準備に取りかかった。
音を立てないように火をつけ、柔らかい香りを立たせる。
「お弁当を作るって、すごく手間で、
すごく“その人のため”なんです。」
少しだけ、声が温度を帯びる。
「奥さまは何十年も、
“あなたが今日を生きるためのひと口”を用意していた人なんですよ。」
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火を止め、小皿にそっと盛る。
■ 二皿目
「弁当の名残り・鮭のほぐし焼きと胡麻おかか」
──昔の台所の匂いを思い出すような、素朴な一品。
サポーターがそっとお爺さんの前に置く。
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私は真正面から問う。
「……奥さまの弁当、どんな味でしたか。」
お爺さんの言葉を聞いた瞬間——
サポーターが、まるで胸を押さえるように義手を止めた。
金属なのに、どこか痛みを感じているような動きだった。
私は、そっと目を閉じて想像した。
白いご飯、同じ位置に置かれるふりかけ、
冷凍食品の少し冷えた匂い。
そして、帰りの遅い夫を責めることなく
ただ机に残しておく “変わらないもの”。
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「……大層どころか、いちばん重たい弁当ですよ。」
私は静かにそう言った。
「贅沢でも、彩り鮮やかでもない。
でも、“今日も無事で帰ってきてくださいね”
っていう思いだけは、どんな豪華弁当にも負けない。」
サポーターが、小さく息を吐き、続ける。
「毎日置いてあったってことは……
奥さまは“諦めてない”証拠です。
言わずに見てたんですよ。
あなたが働く背中を、家事も子育ても全部支えながら。」
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私は、鮭の皿をそっと指で押し出す。
「冷凍食品のコロッケだって、
白いご飯だって、ふりかけだって……
その人が “あなたのために並べた” というだけで
世界で一番の料理になります。」
お爺さんの目に、わずかな揺れがあった。
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そして、少しだけ声を落とす。
「……お爺さん。
その弁当を、もう一度だけ食べたいと思った日はありますか?」
サポーターが静かに、椅子を引いて準備を始めている。
まるで、お爺さんの答えを待つように。
『当たり前だ。今がその時だ、この弁当はいらん。自分で作るわい。店長すまんな。儂はもう家に帰る。』
サポーターが、すっと動きを止めた。
義手の金属が微かに震え、まるで「そう来たか」と笑ったようだった。
私はカウンター越しに、お爺さんを正面で受け止める。
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「……いい言葉ですね。」
私はゆっくりとうなずく。
「“今がその時だ” なんて、
簡単には言えない言葉ですよ。
誰に求められたわけでもなく、
誰に見せるつもりでもなく、
自分で決めた一歩です。」
サポーターが、椅子の背に手を添えて言う。
「店長、この人……全然ボケてなんかないですね。
本当は、最初から“帰る場所”を探してたんだ。」
お爺さんの足元が、すでに出口へ向かう角度になっている。
その背中は少しだけ軽く、少しだけ若く見えた。
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私は、最後のひと言を届ける。
「行ってらっしゃい。
奥さまの弁当……
きっと、あなたが作るのを楽しみにしてます。」
サポーターも短く、照れたように言う。
「気をつけて帰ってください。
弁当、うまく作れますよ。絶対。」
—
店の暖簾が揺れる。
一度きりの店は、役目を終えたように静かになった。
お爺さんの背中は、まっすぐ家へ向かっていた。




