第4話:〈ロード02〉「不確かな記憶と、確かな違和感」
完璧な学園生活は、完璧なままで続く。
教科書通りの授業。優雅なティータイム。そして、退屈な社交。
すべてが、私の記憶の中の「ゲーム」の筋書き通りに進んでいく。
だが、私の胸の内には、常にざわめきがあった。
まるで、画面の隅に表示された、消えない「バグ報告」のような。
目の前の景色は鮮明なのに、その根底にある「真実」が、まるで違う。
王太子セシルは、あの温室での「冗談」以来、私に対してより一層、完璧な振る舞いを続けている。その隙のない笑顔は、最早、彼自身の意思を感じさせない。
(まるで、誰かの手によって、プログラムを修正されたかのようだ)
私があの時、彼に疑問を呈したことで、観測者が彼を「修正」したのだろうか。
彼は今や、完璧な“王子様”のテンプレそのものだ。それが、かえって不気味に思えた。
今日の昼休みは、図書館に来ていた。
広大な蔵書の中で、私の目当ては、この世界の「歴史書」だ。
ゲームの世界である以上、歴史も設定されているはず。だが、私の知る歴史と、この世界の歴史が一致するのか。
あるいは、私が知る歴史こそが、**「観測者の描いた物語」**の歴史に過ぎないのか。
背の高い書架の間を縫って歩く。埃っぽい匂いと、紙の独特の香りが混じり合う。
その奥で、見慣れた銀色の頭が見えた。
天才魔術師アレン・クロード。
彼はいつも、この場所で、分厚い魔術書に没頭している。
(アレンのルートは、最も異質だった)
私が魔物から世界を救う、という壮大な物語。彼の研究が、その鍵となる。
私が知るアレンは、口が悪く、人嫌いで、皮肉屋。だが、時折見せる純粋な探求心と、不器用な優しさが、彼を魅力的にしていた。
だが、このアレンはどうだろう?
「アレン殿」
私が声をかけると、彼はゆっくりと顔を上げた。
アンバーの瞳が、私を捉える。
「……貴様か」
相変わらずの、ぶっきらぼうな口調。
「ここで何を?」
「見ての通り、読書だ。貴様こそ、このような場所に何の用だ、氷の令嬢」
(……口調が、違う)
私が知るアレンは、確かに口が悪かった。だが、ここまで露骨に「貴様」とは言わなかった。
彼が私を「氷の令嬢」と揶揄するのは、もっと親しくなってから、冗談交じりで言うことだったはずだ。
これは、彼がまだ「初期設定」だからなのか。それとも……。
「少し、この国の歴史について調べようかと思いまして」
私は、曖牲に答えた。
アレンは、ふっと鼻で笑った。
「歴史か。過去に縋って何になる。重要なのは、今この瞬間の、そして未来の観測だろう」
彼の言葉に、私は凍り付いた。
(……観測?)
なぜ、彼がそんな言葉を?
彼は、私が知るアレンよりも、さらに「観測」という概念に囚われているように感じられた。
まるで、彼自身もまた、何かの「観測者」であるかのように。
「……随分と、哲学的なことを仰るのね」
私は努めて冷静に返した。
アレンは、魔術書のページに目を落としたまま、再び鼻で笑った。
「貴様も、この世界が、何らかの法則によって**“管理”**されていると感じたことはないか?」
彼の言葉は、私の心を直接抉る。
(管理……)
ゲームの世界。主人公。そして、観測者。
彼もまた、私と同じように、この世界の「仕組み」に気づいているのだろうか。
それとも、これは観測者が、アレンを通して私に送っている、何らかのメッセージなのか?
「そのような突飛なことを考えるのは、アレン殿だけでしょうね」
私は、敢えて否定してみせた。
アレンは、今度は顔を上げ、私の目をじっと見つめた。
そのアンバーの瞳の奥に、私が知るアレンの知性と、そして、わずかな「好奇心」が宿っているように見えた。
「……そうか。ならば良い」
彼はそれだけ言うと、再び本に目を落とした。会話はそこで途切れた。
図書館を出て、私は中庭のベンチに座った。
冷たい風が、私の頬を撫でる。
セシルの不気味な完璧さ。
ミリアの「嫌悪」を孕んだ反応。
そして、アレンの「観測」「管理」という言葉。
(全てが、私に何かを伝えようとしている)
この世界の住人たちは、私の選択によって変化する「プログラム」でありながら、同時に、私に「真実」を囁きかけているようにも思える。
特にアレンは、その傾向が強い。
彼は「魔術師」であり、この世界の「理」を追求する存在。
もしかしたら、彼は、私を「観測」している存在の、端末のようなものなのだろうか。
「選ばれなかった選択肢たちの怨念」が、私の脳裏で再びざわめく。
無数のルート。無数の死。無数の別れ。
私はその全てを、この身体に抱えている。
それは、重荷であると同時に、この世界の**「穴」**を見つけるための、唯一の武器だ。
私は立ち上がった。
完璧な学園。完璧な人々。
その中で、私だけが、真実を知り、違和感を抱き、抗おうとしている。
この孤独な戦いを、私は一人で続けるしかない。
(観測者よ。貴方は、私に完璧なヒロインを演じさせたいのだろう)
(だが、私は、貴方の望む通りの人形にはならない)
私の知る「ゲームの歴史」と、この世界の「現実に起こるであろう歴史」。
その間に生じるであろう「ズレ」。
それが、私がこの世界を「ログアウト」させないための、そして、観測者の意図を読み解くための、唯一の道筋になるはずだ。
夕日が、学園の校舎を赤く染める。
その光景は、あまりにも美しく、そして、あまりにも不穏だった。
まるで、**「ロード2」**が、次の「セーブポイント」へと、私を強制的に進めているかのように。
──私は、この「不確かな記憶」を武器に、「確かな違和感」を追い続ける。