ラスト・フロンティア・ラプソディ
夢追う男の、一獲千金と宇宙の藻屑
広大な宇宙の片隅で、夢破れた元エンジニアが新たな人生を模索していた。彼の名はチャック・マツオカ。しがないサラリーマン生活にピリオドを打ち、全財産をはたいて手に入れた中古貨物船『セカンドライフ』号で、自由気ままな航宙士となるはずだった。しかし現実は甘くない。莫大なローンと燃料費、そして孤独だけが彼を縛り付けていた。
そんなある日、チャックは思いがけない事態に巻き込まれる。仲間のSOS。海賊の襲撃。そして、自らの命と船をかけた究極の選択。果たして彼は、この危機を乗り越え、宇宙という名の「ラスト・フロンティア」で本当の自分を見つけることができるのか?
これは、ただの配達屋だった男が、知恵と勇気を武器に、広大な宇宙を駆け巡る冒険譚の序章である。
**1**
「アイリーン、ステータスレポート」
「はい、キャプテン。船体外装、特に異常なし。メインエンジン、出力安定。ライフサポート、正常に稼働中。ただし……」
「ただし?」
チャックは操縦桿を握ったまま、コンソールの向こうから聞こえる合成音声に問い返した。彼の愛機であり、城であり、そして唯一の財産である貨物船『セカンドライフ』号のメインスクリーンには、黒々とした宇宙空間と、そこに浮かぶ巨大なガス惑星の環が映し出されている。美しいが、見飽きた光景だった。
「……船内コーヒーメーカーのフィルター交換を推奨します。抽出効率が著しく低下しています」
「そりゃ最優先事項だな」
チャックは乾いた笑いを漏らした。AIのアイリーンは、この船の頭脳であり、チャックにとっては唯一の話し相手だった。彼女の几帳面な警告は、時に孤独を紛らわせてくれる。
チャック・マツオカ、38歳。元は地球圏のメガコーポで働くしがないシステムエンジニアだった。毎日モニターと睨めっこし、上司の顔色を窺い、満員シャトルに揺られて帰るだけの生活。そんな日々に嫌気がさし、なけなしの退職金とローンでこの中古貨物船を買い、自由航宙士ギルド(GIF)に登録して半年が経つ。
一攫千金――その夢は、半年経った今、船のローン返済と燃料代、そしてギルドの組合費に食いつぶされ、すっかり色褪せていた。
今回の仕事は、辺境の採掘ステーション『ロックボトム』へ、食料と医薬品を届けるという、ありふれた輸送依頼だ。報酬は安いが、確実な仕事だった。
「目的地まであと3時間。自動航行に切り替える。何かあったら起こしてくれ」
「了解。キャプテンは少しお休みください。最近の睡眠時間は、ギルドの推奨水準を下回っています」
「お前は俺のオフクロかよ」
軽口を叩きながら、チャックはパイロットシートをリクライニングさせた。船内に響く、低く安定したエンジンの振動が心地よい。目を閉じると、いつものようにローンの返済計画が頭をよぎったが、無理やり思考を追い出した。
**2**
けたたましい警告音で、チャックは叩き起こされた。
「どうした、アイリーン!」
飛び起きてコンソールを確認すると、メインスクリーンに赤文字で『緊急通信』の表示が点滅している。ギルドの公式チャンネルからだ。
「ギルドメンバーからの最優先SOSです!識別コード、GH-771、船名『タイタンズ・ハンマー』。座標は……本船からわずか30万キロの宙域です!」
コンソールを操作すると、SOSの発信源周辺の映像が拡大される。そこには、見るからに屈強そうな、軍の払い下げを思わせる重貨物船が映っていた。その船体に、ハイエナのように数隻の小型船が群がっている。海賊だ。レーザーの閃光が、音のない宇宙空間で無音のまま煌めいていた。
「『タイタンズ・ハンマー』……確か、退役軍人のバートさんが乗ってる船じゃなかったか?」
ギルドのステーションで何度か顔を合わせたことのある、寡黙だが腕は確かだと評判のベテランだ。
「アイリーン、救援に向かった場合の成功確率とリスクを算出」
「計算します。……救援に向かった場合、敵船は小型ながらも5隻。本船『セカンドライフ』の武装は前方パルスレーザー一門のみ。戦闘になった場合の勝率は17%以下。被弾による船体損傷、および生命の危険性は極めて高いと判断されます」
「だよな」チャックは頭を掻いた。
「推奨行動は、エンジン出力を最大にして、この宙域を速やかに離脱することです。ギルド規約によれば、SOSへの応答は任意。見過ごしてもペナルティはありません」
チャックは唸った。合理的に考えれば、アイリーンの言う通りだ。自分は戦闘のプロじゃない。ただの配達屋だ。関われば、やっと手に入れたこの『セカンドライフ』を失いかねない。ローンだけが残って、また地球で頭を下げる生活に戻るなんて冗談じゃない。
だが、メインスクリーンに映る『タイタンズ・ハンマー』は、明らかに分が悪かった。装甲が厚いとはいえ、多勢に無勢だ。あのままでは撃沈されるのも時間の問題だろう。
「……くそっ」
チャックの脳裏に、ギルドの酒場でバートに言われた言葉が蘇った。
『お前さんみたいな夢想家が、一番最初に宇宙の藻屑になる。だがな、チャック。この世界で最後に信じられるのは、ギルドの仲間だけだ。覚えとけ』
あの時は、説教臭いオヤジだと思っただけだった。
「アイリーン、進路変更!『タイタンズ・ハンマー』の座標へ!」
「キャプテン、危険です!勝率は――」
「分かってる!だが、見殺しにはできねぇだろ!」
チャックは叫びながら操縦桿を握りしめた。アドレナリンが全身を駆け巡る。脱サラして半年、初めて「自分の意志」で危険に飛び込もうとしていた。
「了解しました。進路を変更。目的地、SOS発信座標。エンジン出力を戦闘モードに移行します」
アイリーンの声は、いつもと同じく淡々としていた。だが、チャックにはそれが、無言の激励のように聞こえた。
**3**
現場宙域に到着すると、状況はさらに悪化していた。『タイタンズ・ハンマー』は片方のエンジンをやられ、無様に回転しながら漂っている。海賊船のうち2隻が船体に取り付き、強行ドッキングを仕掛けようとしていた。
「アイリーン!海賊共に通信!こっちの存在を知らせてやれ!」
「回線を開きます」
『――何者だ!ギルドの邪魔をするな!』
スピーカーから、ダミ声が響いた。ギルドを名乗っているが、どうせ偽装だろう。
「こちら、自由航宙士ギルド所属、『セカンドライフ』号!その船から離れろ!繰り返す、ギルドメンバーへの攻撃は、ギルド全体への敵対行為とみなす!」
チャックは、震える声を必死で抑えつけながら、マニュアル通りの警告を発した。
『ハッ、中古の輸送船が一隻増えたところで何になる!スクラップにしてやるぜ!』
通信が切れると同時に、見張りをしていたらしい海賊船の一隻が、こちらに向かってきた。
「来やがった!アイリーン、回避運動、パターンC!」
「了解!パターンCを実行!」
『セカンドライフ』号は、チャックの操縦とアイリーンのアシストで、機敏に身を翻す。敵のレーザーが、船のすぐ脇を掠めていった。心臓が跳ね上がる。
「こんの、クソッタレ!」
チャックはトリガーを引いた。船首から放たれたパルスレーザーが、敵機のシールドに弾かれる。やはり火力が足りない。
(ダメだ、まともにやり合っても勝てない。何か手は……何か……)
チャックの思考が高速で回転する。自分は戦闘のプロじゃない。だが、システムエンジニアだった。ロジックと、そして「裏技」を探すのが得意だった。
(そうだ、荷物だ!)
今回の依頼は、食料と医薬品の輸送。だが、その中に一つだけ異質なものがあった。採掘ステーションで使うための「高密度磁気パルス発生装置」。小惑星を破砕するための、非武装の工業製品だ。
「アイリーン!カーゴベイの磁気パルス装置を、エネルギーラインに直結!指向性を最大にして前方に放出できるか!?」
「……理論上は可能です。しかし、船の配電システムに過負荷がかかります。最悪の場合、全システムがシャットダウンする危険性が――」
「やるしかねぇ!急げ!」
チャックは必死で敵の攻撃を避け続ける。船体が何度か揺れ、火花が散った。
「エネルギーライン、直結完了!いつでも放出可能です!」
「よし!」
チャックは敵機がまっすぐこちらに向かってくるのを待った。引きつけて、引きつけて――今だ!
「放てぇっ!」
『セカンドライフ』号の船首から、目には見えない強力な磁気パルスが放出された。それは兵器ではない。だが、精密機械の塊である宇宙船にとっては毒薬だ。
パルスを浴びた海賊船は、一瞬にして全ての電子系統を焼かれた。エンジンが停止し、照明が消え、ただの鉄の塊となって宇宙を漂う。
『な、何をしやがった!』
他の海賊たちが動揺しているのが見て取れた。チャックはすかさず通信を入れる。
「見たか!これがギルドの新兵器だ!次はお前らの番だぞ!」
もちろん、ハッタリだ。過負荷で船のシステムは悲鳴を上げている。もう一度撃てる保証はない。だが、海賊たちはそのハッタリにまんまと乗った。
リーダー格の船が逡巡した後、他の船に撤退信号を送った。彼らは『タイタンズ・ハンマー』から離れ、ワープで逃走していった。
静寂が戻る。チャックは、汗で濡れた手で操縦桿を握りしめたまま、大きく息を吐いた。
「……やったのか?俺」
「はい、キャプテン。危機は去りました。本船のシステムダメージ、34%。修理が必要です」
淡々としたアイリーンの報告を聞きながら、チャックはパイロットシートに深く身を沈めた。全身の力が抜けていく。
**4. ギルドステーションにて**
数時間後、チャックの『セカンドライフ』号は、救援した『タイタンズ・ハンマー』と共に、最寄りのギルドステーションにドッキングしていた。
ギルドのオフィスに呼び出されると、そこには腕を吊ったバートと、モニターの前に座る職員のビショップが待っていた。ビショップは銀縁眼鏡をかけた、いかにも事務方といった風情の男だ。
「チャック・マツオカ君。今回の君の行動、記録映像で確認させてもらった」
ビショップは冷静な口調で言った。チャックは、無断で積荷を使ったことを咎められるのかと身構えた。
「まず、SOSに応じ、仲間を救った君の勇気ある行動を、ギルドは高く評価する。規約に基づき、君のギルド評価ポイントに特別ボーナスが付与される。それから、これはバート君からの謝礼だ」
そう言って、ビショップはチャックの口座に多額のクレジットが振り込まれたことを示すデータを表示した。チャックが低ランクの仕事を10回はこなさないと稼げない額だった。
「い、いや、俺は別に金のために……」
「受け取れ」
今まで黙っていたバートが、低い声で言った。
「あんたに命を救われた。礼を言う。……それから、謝る。あんたのことを見くびっていた」
バートは深々と頭を下げた。チャックは慌てて手を振った。
「だが、チャック君」と、ビショップが話を続けた。「問題はそこじゃない。君が使った『裏技』……磁気パルス発生装置の転用についてだ」
「あ、あれは、その……緊急避難で」
「分かっている。だが、その発想は面白い」
ビショップは眼鏡の奥の目を細めた。
「非武装の工業製品を、工夫次第で護身用の兵器に転用する。これは、我々のような非戦闘員が、この危険な宇宙で生き残るための新しい可能性を示している。ギルドの技術部が、君のログデータをぜひ研究したいと言っている。もちろん、情報提供料は支払う」
「え?」
チャックは目を丸くした。自分のとっさの思いつきが、金になるという。
「君は、自分がただの配達屋だと思っているかもしれない。だが、君の元エンジニアとしての知識と発想力は、この世界では立派な『武器』になる。それを忘れないことだ」
ビショップの言葉は、チャックの胸にすとんと落ちた。
オフィスを出ると、バートが待っていた。
「チャック。今度、俺の馴染みの店で一杯おごらせてくれ。うちの船のメカニックも、あんたに会いたがってる。あの磁気パルスの話、詳しく聞きたいそうだ」
「ええ、ぜひ」
チャックは、少し照れながら答えた。
自船のドックに戻る途中、チャックは自分の口座残高を確認した。バートからの謝礼と、ギルドからの情報提供料。それに、今回の依頼の正規報酬ももうすぐ入る。合わせれば、ローンの数ヶ月分にはなるだろう。船の修理費を払っても、お釣りがくる。
だが、それ以上に嬉しいものがあった。
『セカンドライフ』号のコクピットに戻り、パイロットシートに座る。
「アイリーン、コーヒー」
「フィルターが詰まっていますが?」
「いいから淹れてくれ。祝杯だ」
「了解しました。……キャプテン、お疲れ様でした」
アイリーンの声が、いつもより少しだけ、優しく聞こえた気がした。
窓の外に広がる、無限の宇宙。一攫千金の夢は、まだ遥か彼方だ。明日からも、ローンの返済と、面倒な仕事が待っているだろう。
だが、チャックの心は不思議と晴れやかだった。
自分はもう、ただの脱サラした配達屋じゃない。この広大な宇宙で、自分の知識と勇気で仲間を救った、一人の自由航宙士なのだ。
チャックは、ぬるくて薄いコーヒーを一口すすると、不敵な笑みを浮かべた。
「さて、アイリーン。次の仕事を探すか。今度は、もうちょっとスリルのあるやつをな」
このフロンティアでなら、まだ何か面白いことができるかもしれない。彼の本当の『セカンドライフ』は、今、始まったばかりだった。
(了)
壮大な前書きとのギャップ、本人が引きましたが、押し切ることにしてみました。