2 浮遊する霊
長い間、深い眠りに落ちていたかのような感覚だった。
意識が浮上し、重い瞼をゆっくりと持ち上げる。
「⋯⋯」
眩い光が目に飛び込み、思わず目を閉じる。
再度、瞼を開く。
太陽の光が降り注ぎ、ユウキの視界を白く染め上げる。
何度か瞬きを繰り返すうちに、ようやく光に目が慣れてきた。
「⋯⋯どゆこと?」
ユウキは困惑して呟いた。
目が覚めると、そこはどこまでも続く広大な草原。
そして、眼下には見知らぬ街並みが広がっている。
「本当に⋯どういうこと?」
眼下の光景もさることながら、透き通る自身の体にも困惑を隠せない。
ユウキは状況を整理しようとして記憶を辿る。
「ああ、そうか。僕は死んだのか」
死んで、霊になったのだろう。
「ルーシィ!」
周囲に誰もいないと分かっていながら、ユウキは彼女の名前を呼んだ。
共に死んだのだ。霊になっているなら近くにいるかもしれない。ひょこっと現れるかもしれない。でも返事はなかった。
─でも、ルーシィが死んだというのは思い込みできっと何処かで生きているのかもしれない。彼女に会いたい。
ユウキは溜息を吐き、胸に込み上げる切なさを押し殺す。
「絶対見つけ出すよ。ルーシィ」
気持ちを切り替え、眼下の街へと向かう事にした。
降りていくにつれて、目の前の情景が鮮明になっていく。
石造りの建物、点在する緑、活気ある大通りと露店。
物珍しそうに商人の話に耳を傾ける旅人。
広場で無邪気にはしゃぐ子供たち。
歌い踊り、人々を魅了する大道芸人。
遠巻きにそれを見物する豪奢な服を纏った貴族。駄弁る三人組の冒険者。
ユウキは行き交う人々の流れに紛れ込む。
しかし、誰もユウキに気づかない。
目の前に話をしながら歩く、とんがり帽子の二人の魔法少女。
その片方とぶつかりそうになり
「⋯⋯ぶつからないか」
ぶつかったと思った魔法少女は、ユウキをすり抜けていった。
「本当に死んだんだな⋯」
不思議な感覚だ。
ユウキはそう思いながら、露店の果物に目を留めた。
「人目がないなら⋯」
ユウキは果物の籠に近づき、瑞々しい赤色の果実を手に取る。
顔に近づけて、匂いを嗅ごうとする。
「⋯匂いがしない」
そして、一口齧ってみる。
「⋯味もしない」
ユウキは衝撃を受ける。嗅覚も味覚も失ってしまったのだ。
「最悪だ⋯」
ユウキは嘆く。人としての楽しみが、消えてしまったのだ。
●
それから何日か経った。
霊体となり、ユウキは人が持つ欲求を失っってしまった。
食欲、睡眠欲、性欲⋯。
かつては当たり前だった欲求が、今はただの記憶となった。
悲しいのは、その身になってしまえば、意欲すら湧かないことだ。
しかし、目の前で美味しそうにご飯を食べる人、気持ちよさそうに眠る人、イチャイチャする恋人たちを見ると、やはり羨ましいと思ってしまう。
だから、ユウキは腹いせにちょっかいを掛けることにした。
「ワイのアズサたんが消えたでござる!大事にしてたお人形なのにぃい!」
人の物を隠したり。
「ねぇ、ヒビ入ってない?」
「え、嫌だ。美味しく食べたかったのに破片とか口の中入ったら最悪じゃん」
人の食事中に食器を割ったり。
「気持ちね〜お風呂。生き返る〜」
「ね、ねぇ⋯⋯。あそこ誰も居ないのに変に水面たってない?」
浴場を見つけたら、綺麗な女性と一緒に入浴したり。
他にも、様々な悪戯を繰り返した。
夜、今日も何かしてやろうと、イチャイチャしている男女を脅かしに行こう。
そんなことを考えながら近くの共同墓地の前を通りかかった時だった。
「おい、お前かね。最近の荒くれは」
声をかけられた気がした。
声の方を見ると、そこにはユウキと同じ霊がいた。
かなり年配の姿だ。
初めて自分以外の霊と出会い、ユウキは呆然とする。
「お前だろ。最近、街で人にちょっかいばかりかけておるのは」
タイムリーすぎる。
「お前。その様子だと死んで間もないのだろう。気持ちはよく分かるが、悪ふざけはそれくらいにしてくれんかの」
諌める言葉に、ユウキは「まぁ、ちょっとやりすぎてる感じはあるけど」と返す。
「お前さんのせいで、霊滅隊が動くかもしれんじゃろ」
霊滅隊。初めて聞く単語だった。
しかし、霊を滅するという意味であることは容易に想像できた。
「霊と対峙できる人がいるってことか?」
ユウキの言葉に、お爺さん霊は鼻で笑った。
「そうだ。お前だけが霊滅隊の敵になってくれたらいいんじゃがな」
「そうもいかないんだ?」
「そうだ。奴らはワシら霊が視え霊を消滅させる力を持っておる。それに、話の分からん奴らだ。ワシはお前と違って自由に動けるようなものじゃない」
ユウキは首を傾げた。
「ワシ以外にも、もっとおる。地に縛られて不自由な魂がの。じゃから、巻き込んでくれるなよお前さん」
よく分からなかったが、ユウキは深く追求せずに「すみません。気をつけます」と謝って、その場から立ち去った。
「霊滅隊かぁ。恐ろしい組織があるわけだ。気をつけよう。死にたくないし。死んでるけど」
ユウキはお爺さん霊の話を聞いて、人にちょっかいを掛けるのは自重しようと思った。
●
今、ユウキが過ごしているのはウルカディア大国の領地にあるミディムという田舎町だ。
暇潰しで町を散策する中で見つけた、腕自慢、金稼ぎ、興味本位、探索や冒険を好む者たちが集う施設。
冒険者組合に、ユウキはいた。
この冒険者組合は、役所と酒場が合併していて活気がある。
ユウキは、役所と酒場を繋ぐ広間にある、壁に埋め込まれた魔導映晶を見ていた。
魔力を使うことで、板状にされた魔力伝導率の良い晶石に映像を映す魔導具だ。
「僕が生きてた頃は、こんな凄い物なかったんだけどなぁ」
映像もまた、管理された魔導伝波を使うことで、多くの場所で共有を可能にしているようだ。
他にも、小型の魔導携帯という魔道具もあり、文明が進んでいるなぁ⋯とユウキは思う。
魔導映晶には、ウルカディアから離れた聖王国シガリスというところで、剣聖の異名を持つ存在が凄まじい成果を出しているという報道が流れている。
アリサという名前で、世界の神が生み出した十二原初のうち、一つの原初の力を保有するのだとか。
よく分からないが、簡単に言ってしまえば人の形をした核兵器なのだろう。
しかし、その人間核兵器が金髪に全身金色の装備をした20代の美女というのは、中々にパンチが効いている。
冒険者の憧れらしく、報道を見る者たちの眼差しは熱い。
視線で魔導映晶に穴があきそうだ。
『モッカモーカにしてあげる〜』
番組が切り替わると、歌番組が流れる。
ウルカディアの都市で活動する、アイドル。
モカの歌唱に、ユウキはうっとりする。
このようにして、ユウキは一日を何となく過ごしていた。
そして、その時が訪れた。
人が行き交うホールの入り口から「危ねぇぞ!」と怒鳴り声が聞こえ、続いて「ごめんなさい!」と謝る少女の声が聞こえた。
こういう事柄は、冒険者組合ではよく起きることだ。
しかし、今日はなんだか騒々しい。
ユウキは気になって、意識を魔導映晶からそちらに向けた。
ユウキの胸が高鳴った。そんな気がした。
「⋯ルーシィ?」
目にしたのは見た目十二、三歳程の幼い少女だった。
目を惹く白い髪に、翡翠の瞳。身なりは痩せ、あちこちが擦り切れ、汚れている。
いかにも、闇を抱えてそうな女の子だった。
顔はあまりにも似ている。
しかし、髪の色も目の色も、ルーシィとは全く違う女の子だ。
なのに、なぜかあの少女と頭の中を過った少女が重なった。
なんでだろう。何故だろう。
少女は周囲の視線とひそひそとした声に気まずそうに縮こまる様子を見せた。
それでも、その場から引き返そうともせず、何かを探すように辺りをきょろきょろとする。
その拍子に、少女の視線がユウキと絡んだ。
ユウキはどきりとした。
しかし、それは一瞬の事で、少女は何もなかったかのようにユウキから視線を外した。
ユウキは「気のせいか」と小さく笑う。
やがて少女は求めていたものを見つけたのか、一点を見つめ、早足で歩き出した。
ユウキは何となく少女の後を追うことにした。
少女は冒険者組合の受付に立ち寄り
「あ、あの!」と声を上げた。
「あの!仕事がしたいの!」
受付の女性に、そう告げた。
「仕事がしたい」
そのような相談をする人は、冒険者組合では毎日見かける光景だ。
それが、当たり前の環境だからだ。
普段なら受付も手際良く取り計らうのだが今回はそうはいかない。
受付のふくよかで人の良さそうなおばさんの役員は少女の言葉に「仕事ねぇ」と苦笑いを浮かべる。
「そもそも、あなたは何歳なの?」
「28歳」
ユウキは思わず吹き出してしまった。
28歳?その身なりで?
周囲の人々も、ユウキと似たような反応を示す。
それが気に食わなかったのか、少女は「ホントなの!」とムッとした態度をとる。
しかし、それが余計に子供っぽく見えた。
「はいはい。28歳のお子さんね」
おばさんは少女をからかった後、険しい表情で言った。
「あなたのような子は、ウチには必要ないわ」
きっぱりと告げられた少女は一瞬たじろぐ。
しかし、すぐに「なんで!」と反発した。
「あなた、そこに鏡があるから見てみなさい。見るからに幼い。何か力があるならまぁ。でも、見た感じ、何の力も無さそうで、いかにも弱々しい」
辛辣な言葉を並べた後「実際そうじゃないの?」と追い打ちをかけた。
手を払い追い払う仕草に少女は苦い顔をする。
「わたし、頑張るから!」
そう声を張るも「気持ちだけじゃ駄目よ」と冷たく言い放たれた。
おばさんの対応に、少女は呻く。
ユウキは「しょうがないよ」と傍観する。
冒険者は実力主義。力こそが絶対という概念がある。
もちろん、力だけでなく、経験といった積み重ねも大事だが、少女にはそれが全く感じられない。
その点、ルーシィはちゃんとした実績があった。だから年少で冒険者にもなれた。
頑固なことに今も尚食い下がる少女。
面倒くさそうにあしらうおばさん。
二人の攻防が続く。
そのやり取りを見ていたらしい男が「おいおい」と笑いながら二人に近づいた。
近づいてきたのは見るからに気障な中年の男だった。
男は気安く少女の肩に手を置いた。
少女の顔が強張るのをよそに、男は言う。
「タレッタさんよぉ。こんなに、やる気に満ちてるんだぜ。この子の気持ちを無碍にしてやんなよ」
「キザール⋯」
受付のおばさんはタレッタ。気障な男はキザールというらしい。
タレッタは、キザールに「そう言われてもねぇ」と困ったように返した。
「どうだ嬢ちゃん。俺たちについてこないか?」
キザールは少女にそう提案し「お前らもいいよなぁ?」とホールで寛いでいたらしい仲間に声をかけた。
「おー!いいぜー」
声を上げながら、男の仲間たち二人がこちらに寄ってきた。
皆、キザールと同年代だろう。
「おおっと、俺の名前はキザール。こっちがテライで、こっちがヘイボンな」
キザールは自分と仲間の名前を口にした。
それに合わせてキザールの仲間が「よろしく」と笑みを作った。
少女は、キザールと彼の仲間の対応を見て「本当!?」と嬉しそうに目を輝かせた。
話が進み「もう」とタレッタは呆れてしまった。
しまいには「その子を守って、無事に帰ってくるのよ」と折れた。
少女は「やったぁ!」と更に喜びを露わにした。
そして、もう待ちきれないといった様子で、ホールの入り口へと駆け出した。
その姿に、男たちは頬を緩ませた。
「じゃあ」と男はタレッタに告げ、少女を追って走り出した。
これは何か起きそうだ。
そう思ったユウキも、少女たちについていくことにした。