異世界からの移住者たち、夏の臨海教室で羽を伸ばす
妹のディーと再会したユニの話。
やっと『異世界生活を満喫』し始めました。平和な夏のひとコマです。
交流祭からしばらくたった夏休みを目前に控えた暑い日。
北海道といっても最近の夏は三〇℃を越えることも珍しくなく、とくにこの山に囲まれた宇賀平市は空気が篭り、一般に思われる北国の夏という環境とは無縁であった。
「風の精霊……ん、何? 対価をここしばらく貰っていないからストライキする? お前もなんでこの世界に染まっているんだよ……」
銀髪の少女ユニは自らの左腕に刻み込まれた紋章に語りかける。
白い夏服に汗が貼りつき、鍛えぬかれた異世界人、宇賀平南交流校の面々もぐったりと机にへばりついていた。
教室にはエアコンなど無く、扇風機が首をふるたびに生暖かい風が教室内に流れ込み、生徒の体温をさらに上昇させる。
「だめだ……オルニタに帰る……」
「西方の火の山よりはマシだろうさ……。いや、やっぱ暑い……」
「一組はエアコン完備ですってよ。貴族様が羨ましいぜ……」
などと昼休み恒例のやり取りをしていると、担任教師のレイナがジャージの袖で汗を拭きながら入ってきた。
興奮気味に教卓に資料を置くと、その通る声をいっそう張り、弛緩しきった生徒たちに声をかける。
「皆さん、喜びなさい。先日の交流祭の活躍が認められ外出許可が出ました。すなわちわが校は来週二泊三日の『臨海学校』を実施します!」
その言葉を聞いた生徒たちの顔に笑みが広がる。
「臨海学校ってなに?」
「海に行くんだろ」
「水着とか持ってないよー」
などと騒ぎはじめた中、レイナは黒板に大きく文字を書いた。
『銭函海水浴場』、『高速バス』、『温泉つき合宿所』。
なんてこった、テレビでよく見るワードに溢れている!
「銭函海水浴場まではバスで四時間です。到着後は班ごとに自由行動になります。もちろん男女別ですよ。そして……」
レイナは黒板に何かを書き始めた。
『精霊教会』
「教会の方々が帰るまであと半月ほど。最後の思い出作りを手伝ってもらいます」
「ユニさん、よかったじゃないですか。妹さんも一緒ですよ?」
ユニの暮らすみなみ荘の住人、プラサが嬉しそうにユニに笑いかける。最近のプラサは伴侶が見つかったともっぱらの噂であり、非常に機嫌が良い。
「そうだね」
ユニは妹にして精霊教会の大神官、ディーが水辺ではしゃぐ姿を思い浮かべる。あの堅物の妹が子供らしく戯れるのは無理があるのでは? と思うのだが。
そんなことを考えているうちに授業が終わった。
「本当ですか姉様!」
ディーはみなみ荘のリビングで奈美の漫画を読む手を止め、犬のペイとともにソファに埋もれた体を起こしながらユニを見た。
傍らには大家のあずまばーちゃんが作ったかき餅が積まれており、ワンピースに身を包んだその姿は田舎の祖父母のもとで夏休みを過ごす只の女の子にしか見えないだろう。
「私も水着は持ってないし、みんなで買いに行こうか」
「ユニたちいいなー。私のときは何もなかったのにさー」
とマサリが口を尖らせる。
「マサリ、あなたは夏の合同誌の原稿が先! 仕上がれば東京よ東京! 梶さんが連れて行ってくれるって言ってるんだからキチンと形にするの!」
大家の孫娘にして漫画家の奈美がマサリに激を飛ばす。先日マサリの書いた漫画が雑誌に掲載され、夏のイベント用に出版社ブースの配布誌の原稿を改めて依頼されたところだった。
「うー……。それはそれなんだけどやっぱり海も見たかったよ。まあいいや。みんな、私の屍を越えて楽しんできてくだしゃれ」
「そういう言い回しどこで覚えるんだよ……。ディーに変な言葉教えてないだろうね?」
「あ、大丈夫。奈美しゃんの部屋にあった絵本を参考にしただけだから」
「そっかぁ。なら安心かな。ディー、じゃ明日早速水着を買いに行くかい?」
「うん! 準備しておきますね!」
次の日、宇賀平唯一のスポーツ用品店の水着コーナーは珍しく異世界人の団体でごった返していた。
「まあ考えることはみんな同じですね」
といつものように微笑むプラサ。
「姉さま姉さま! 服がイッパイです!」
立場も気にせずパタパタと店内を走るディー。ユニはやれやれと言いつつも優しくその動きを見守る。
「あれ? これ可愛いかも」
と手に取ったのはフリルのついた可愛らしいビキニ。
「ダメだよディー。サイズが合わないだろ」
「むー」
ディーは頬をふくらませる。
「あら? ディー様、こちらの方が似合うと思いますわ」
いつの間にか背後にいたのは大神官おつきの侍女ノーラ。彼女もお忍びのディーに合わせて神官服ではなく、淡いブルーのワンピース姿を纏っている。
「ほほう。確かに似合いますね」
プラサがディーと水着を見比べ、ユニは妹に小さく頷く。
「ん、じゃああたしはこれにする」
ディーは迷わずそれをレジへ持っていく。
「ふぅ、これでやっと一息つけます」
「ノーラさんは泳がないの?」
「えぇ、わたくしはあくまで付き人ですので。ディー様に悪い虫が着かないようにするのが第一です」
「ははは、大変だねぇ」
「いえいえ、ディー様が楽しいことが一番ですので」
「お待たせしました! 姉様!」
元気よく袋をぶら下げてディーが駆け寄ってくる。
「じゃ、みんな買い終わったならお茶でも飲んで帰ろうか。プラサ、喫茶店近くにあるかな?」
「『ギルのカフェ』にします? まあ変なものは出してこないでしょう」
「ギルかー。そこしかないよな……」
ギルとは西方で冒険者向けの酒場を経営していた男である。今は宇賀平の喫茶店の店主であり、コーヒーや紅茶は良質なのだが伝手で手に入れた変なアイテムを売りつけてくるのが困りものだった。
「こんにちはー」
カランカランと乾いたベルの音を立ててドアを開けると、カウンターで新聞を読んでいた男が顔を上げる。
「おお、久々じゃないか」
浅黒い肌で耳の尖った西方人がにっこりと笑いかけた。
「マスター、四人ね。いつもの」
「はいよ」
そう言うと、奥のキッチンに向かって声をかける。
「おい、シフォンケーキセット四つ頼むぞ!」
「かしこまりました!」
キッチンから響く若い女性の声にユニはなんとなしに店主、ギルバートに聞いてみた。
「マスター、バイトでも雇った?」
「おうよ。お前さんに頼んだときは散々だったからな……」
ギルバートは遠い目でユニをバイトに雇ったときを思い出す。
「精霊に働かせようとして皿を割り、精霊に掃除させようして箒を壊し、しまいには俺の大事な秘蔵の品まで破壊して……この恨みはらさでおくべきか……」
「悪かったってば」
「まったく、あの時はどうなることかと思ったぜ」
「姉さま……、精霊にそんな無駄な使役をさせたのですか」
ディーは一瞬精霊を統べる大神官の表情となりため息をつく。
「い、いや、そんなつもりはなかったんだけど……」
「おまちどうさまでした!はい、これがうちの自慢の『精霊の祝福』よ」
店員の女の子が甘い匂いのするケーキと紅茶を並べていく。
「美味しそうです!」
ディーは目を輝かせると、フォークを手に取るが、隣に座る侍女の咳払いに身を正す。オルニタ語で精霊への感謝を述べ、言い終わらないうちに満面の笑みでケーキにフォークを突き刺した。
「ありがとうございます」
店員は嬉しそうに微笑み、他の客の方へと向かっていった。
「はは、本当に幸せそうに食べるなぁ」
ユニは微笑みながら妹の頭を撫でる。
「はっ、すみません。聖都では薄味のものしか出ないのでつい」
「いいよいいよ。精霊も満足しているみたいだし」
「精霊の対価は感情ですからね。良き感情が発せられればそれだけ精霊も力を得ることになります」
ノーラはユニの紋章を指さしてプラサに説明する。
「そうなんですね」
「あれ? トリンたちじゃん」
奥のボックス席の方に男衆の一団が陣取り、ギルと話し込んでいる。
「……これよこれ。マジモンの消える薬! 温泉に行くんだろ? こいつを使えば女風呂だって覗き放題……」
「ギルさん、これ本物なんですか?」
ベロクの問いかけにギルはにやりと笑う。
「もちろんよ。光の精霊の力を封じた逸品さ」
「うぉ、まじかよ! いくらだ?」
「へへ、安くはないものだが、ご贔屓のお前らのため……、このくらいでどうよ?」
「うひょー! 買った!」
「毎度あり!」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
慌ててトリンが止める。
「なんだ? トリンも欲しいのか?」
「いや、そうじゃなくて……」
「お前ら何やってんだよ!?」
「げ、ユニ! それにプラサまで!」
「まあトリンくんも男の子ですものね。そういうものに興味あるお年頃なのよね……」
「プ、プラサさん、僕は違いますよぅ……」
「ふふ、冗談ですよ」
プラサはクスリと笑った。
「ふむ、これが?」
ユニは小瓶の中身を見て眉間にしわを寄せている。
「お? ユニも興味があるのかい? よし、特別価格、もう一つつけて一万円でどうだ!」
「わー、すごーい。本当にいちまんえんでー?」
先程のウェイトレスがわざとらしく合いの手を入れる。
「私はいらないよ……。まあ商売の邪魔をする気もないし、好きにしな」
ユニが席に戻るとディーが心配そうに訊ねてくる。
「姉さま、光の精霊と言っていましたが事実なら精霊教会としては看過できない問題です」
その言葉にユニは眉をひそめるが、次にはケラケラと笑いだした。
「大丈夫だよ、ニセモノだし」
「え?」
「ほら、光は魔力で出すものだからね。魔石で代用できるんだよ。多分西方のルーンの応用。使い捨てだろうね」
「あ、あはは……」
「まあ、アイツらも痛い目を見たら少しは懲りるだろ。ほおっておこう」
ユニは肩をすくめながら小瓶を片手に掲げ喜色をうかべるクラスメイトを見やった。
***
数日後、一行は銭函の海水浴場に到着した。
「海だー!」
宇賀南の面々も久々、あるいは初めて見る海に興奮が収まらない。
「はい、整列。皆さんあくまで授業ですからね。気持ちはわかりますがはしゃぎすぎないこと!」
レイナや他の教師たちが注意を促すが、みな気もそぞろな態度で陽光を照り返す白い浜を気持ちよさそうに眺めている。
「まあ、こんなもんだよな……」
と、ユニは苦笑しながら呟く。
「さ、ディー様。日焼けに熱中症、気をつけることはいっぱいあります。このノーラのそばを離れないようにしてくださいませ」
「うむ、わかった」
「さて、じゃあ着替えて準備体操をしたら浜辺を走ろうか」
「はーい」
と、女子たちは更衣室に向かっていく。
「プラサ、ちゃんとついていってあげてね」
「わかってますよ」
プラサはひらひらと手を振りつつ、その後について行く。
「ふむ、では私たちも行こうか」
「はい、姉様」
二人はパラソルの下で荷物を下ろし、シャツを脱ぐ。すると、下に着ていた水着が露わになり、男たちから歓声があがる。
「おおお!」
「すげぇ!」
「二人とも似合ってますね!」
「うるさいバカ! あまり見るな!」
ユニは顔を赤くし叫ぶが、
「いや、でもなあ……」
と男たちはユニの健康的な体と、張りのある胸に目が離せない。
「ふふん、姉様の美しさに見惚れるのは仕方ないですね」
ディーは胸を張って得意げである。
「ディー様はもっと自信をお持ちになった方がよろしいと思いますわ」
「ノーラさん、泳がないって言ってたのに」
マサリほどではないがかなりのサイズ。そして神官の清楚さなどどこへやら。スタイルの良さが際立つビキニ姿であった。
「いえ、ディー様に悪い虫がつかないように見張っているだけですので」
「だってさ。あきらめな」
と、ユニは周りの男たちに告げる。
「まあ、せっかくの海だし、楽しまないと損か」
「はい」
「姉さま姉さま、早く行きましょう!」
と、ディーがユニの腕を引っ張ってくる。
「はいはい」
「おーい、おまたせしましたー」
プラサたちも合流する。
「プラサっ……て、プラサらしいといえばらしいか」
競技用の色気皆無の格好で現れるプラサ。ボディラインはわかるものの露出などは一切ない、実用一点張りの代物だ。
「おぉ……」
ユニは一瞬息を呑んだあと、すぐに目をそらし咳払いする。
「いやぁ、こういうのも悪くないかもね!」
「そうですか?」
と、話していると男たちから一際大きい歓声があがる。ユニたちが声の方を見ると、豪勢な水着の一団が更衣室から現れた。
「待たせましたわね! ワジ家第三令嬢カルテ、華麗に参上ですわ!」と、パレオを巻いたビキニ姿でポーズをとる。
「さすがです、カルテさま! 素敵です!」
と、取巻きたちが拍手を送る。
「ど、どうですか、トリンくん? お、お友達としては……?」
「え? あ、いや、その……。似合っているんじゃないかと……」
トリンは赤くなりながら答える。
「ふ、ふふ、そうですか。お、お世辞が上手いですねぇ」
モゴモゴと口ごもりながらも嬉しそうである。トリンの視線は自然とユニたちの方に向かう。
『まあ頑張れや』と言わんばかりのユニからの生暖かい視線が痛い。
そしてクラスメイトからの殺意のこもった視線がより痛い。傍から見るとハーレムだろうが、トリンにしてみれば針のむしろである。
「うぅ……、帰りたい……」
トリンは小さくため息をつく。
「トリンくん、元気出してくださいまし」
準備運動ののち、この世界の救護のしかたなど講習を受け、泳ぎの得手不得手に別れしばらくは水泳の授業となる。自然と共に暮らす東方人たちはさすが皆水練達者であり、教師たちの補助として泳げない生徒たちの指導にあたっていた。
神官たちは学生ではないので救護講習のあとは別行動で思い思いに過ごしており、波打ち際から少し離れた浜辺で銀髪の少女は子供らしく砂を掘っては盛り、掘っては盛りを繰り返していた。
「ディー様、そこに堀を作りましょう。波を逃さないと……」
ディーとノーラの砂の築城計画はノーラのマメな性格が影響し、砂の上の土台作りからゆっくりとすすめられていた。
「ノーラ。この城、形になるのはいつなのか?」
「はい。夕方までには」
「……我はそのあいだ泳ぐこともなく築城を進めなくてはならんのか?」
「ユニ様に立派な城を見せると息巻いておられたではありませんか? 諦めます?」
「い、嫌だ! 絶対に完成させるのだ! なにか、なにか方法を考えるぞ!」
「はい、ではまずはこのバケツに水を汲んできてくださいね」
「うむ。任せるがよい!」
ディーは満面の笑みで答え、波打ち際で水をすくう。
重くなったバケツをもちよたよたと築城計画地へ歩いていると、ディーの足跡を追いかけるようにもう一つの足跡がついてくる。ディーの歩みに合わせるように、歩みを止めると追いかける足音も止まる。
「はて?」
振り向くと、ディーとさして年の変わらなさそうな、浴衣とかいった衣を纏った少女。
「あ、あなた……異世界の人?」
少女はおずおずと聞いてくる。
「いかにも。オルニタの精霊教会大神官、ディー・ミアロードである」
「ホンモノだ! すごーい!」
と、少女は駆け寄り、ディーの手を取る。
「お主、名前は?」
「あたし? シロ」
「ふむ、よろしくな。シロはこの土地の者か?」
ディーの問いかけにシロと名乗った少女は小首をかしげながら答える。
「んー。そうだよ」
「そうか」
「ねえ、一緒に遊ぼうよ」
「うーむ、しかし……」
ディーが悩んでいると遠くからノーラの声が聞こえてくる。
「ディー様ー。どこですー?」
「む、いかねばならぬようだ。よし。我は今姉様のために砂の城を建築中である。手伝ってくれるか?」
「うん、いいよ」
「では行こうぞ」
二人は並んで歩き出した。
***
「うむ、なかなか良い感じだ」
「かんじだー!」
ディーとシロは協力して城の形になってきた砂の山を見て満足気にうなずく。
子供とはいえ手が増えたことで建築計画は予定より早くすすみ、ユニも満足するであろう城の姿が砂辺にそびえていた。。
「これで完成だな。礼を言うぞ、シロ」
「ううん、そんなことないよ」
「ふふ、謙遜するでない。お主には感謝してもしきれんくらいだ」
「じゃあ、あのね……。神官さまなら……」
「おーい、ディー、お待たせー」
「姉さま!」
姉の姿を見留たディーはユニに飛びつかんばかりに駆けてゆく。
「お、立派なお城じゃん。ノーラさんが手伝ったの?」
「いえいえ。私は何も。ディー様とこちらの可愛らしい……あら?」
いつの間にやらシロの姿は消えている。
「うむー。折角姉さまに紹介しようと思ったのに……」
「地元の子? 私が驚かせちゃったかな。悪いことをしたよ」
「ユニ様は悪くありませんわ」
「…………ん?」
ユニの左腕の紋章が仄かに光っている。
なるほど、とユニは左腕を後ろに回し見なかったことにした。
「しかし、大きい城だな! オルニタの教会より大きいかもな!」
ユニはディーの頭をなでてやる。
「なに、その子もまたすぐ会えるよ」
ユニが優しく囁くと、「ふふ、そうですね姉さま!」
とディーは笑顔で答えた。
***
夕刻、日が傾きかけてきた頃。
砂浜は海水浴客も引き始め、閑散とし始めている。
「さて、今日はここまで。皆さん、合宿所に向かいますよ。ハイハイ、急ぐ急ぐ!」
レイナは生徒たちの尻を叩き着替えさせる。
海辺から合宿所までは徒歩一五分くらい。暫く歩くと宇賀南とそう変わらないコンクリート製の白い壁の建物が見えてきた。
「廃校になった中学校を改装した合宿所だそうです。体育館もありますし、一部の教室はそのままなので雨だったらこっちで一日バスケットボールでもする予定でしたが、晴れてよかったです」
「まあ、海でも十分に楽しめましたけどね」
レイナの説明にプラサは微笑みながらこたえた。
教室を改装した宿泊部屋は駄々広く、一組も二組も神官たちもないまぜに、くじで決めた部屋に一班一〇人あまりが放り込まれた。
「……で、わたくしは貴女と同じ部屋なわけですのね」
ユニの向かいにはカルテが正座し髪をとかしている。忖度したのか隣にはディーとノーラ。カルテのお付きはカウラ一人である。
「お嬢ー、腹減ったー。早く食堂に行こうぜー」
カルテの騎士カウラは主への尊敬の念など皆無のように腕を引く。ディーと大差ない小柄な体だが、巨人を操る騎士だけのことはあり、カルテを軽々と持ち上げる。
「ちょっと、待ちなさい! まだ髪が整ってませんわ!」
「はいはい。さっさとしてくれよ」
「ユニさん! 貴族たるもの身だしなみは何より大事なのです。もう少しお待ちなさい!」
カウラは渋々手を離す。
「今日は海鮮だって言ってたぞ。遅れたらお嬢の分も貰うからなー」
「ハイハイ。終わりましたわよ。分かれるならルンと一緒が良かったですわ」
「なんか言ったか?」
「なんでもございませんわよ」
ユニたちが食堂についた頃には他の班はみな席についていた。
「ほらお嬢、待たせてる」
カウラは口を尖らせ抗議する。
「揃わないと始まらないのですから大丈夫ですわ。すいません、お待たせしました」
「はい、皆さん揃いましたね。では食事前に精霊教会の大神官、ディー様から一言いただければと思いますがよろしいですか?」
レイナの声にディーは腰を上げ、皆の前に立つと大きく息を吸い込む。
「うむ、我こそはオルニタの神域守護を司る大神官ディー・ミアロードである! ……まずは、先日の交流祭のおり我ら教会の面々、貴殿らに命を救われたことに謝辞を言わせてほしい」
ディーは咳払いをして続ける。
「お主たちの中には教会を快く思わぬものもいるだろう。だが、今日は異世界に集った者同士、仲良く楽しんでいただければ幸いである。以上!」
「ありがとうございます。ではいただきましょう」
「いただきます!」
テーブルの上には焼き魚を中心に刺身の盛り合わせ、野菜の煮物などが並ぶ。
「これ、美味いな!」
「こっちの天ぷらも絶品だよ!」
「お嬢、遅れたんだから約束通り一品もらうよ。……芋天でいいか」
「くっ……。ま、まあ私は誇りあるワジ伯爵が一子カルテ。約束を違えることはありません。好きに持っていきなさい」
「お嬢、いいけどその生き方疲れない?」
と、カウラが突っ込みを入れると笑い声があがった。
ユニはついでなので前から聞こうと思っていたことを口に出す。
「なあカウラ。あんたら主従なんだよね? あまりそんな感じに見えないんだけど」
「あー、かもねー。子供の頃からつるんでいたから主というより幼なじみだなー」
カウラはさっき取り上げた芋天を咀嚼しながらカルテを見る。
「カウラの実家グーリ家は代々ワジ家に仕える筆頭騎士です。なので私と彼女は共に育てられましたので主従と言う感じはあまり無いですわね。少しは礼を持っていただきたいですが」
「そういうこと言うかー。ならお嬢のセミ取りの話とかバラすぞ?」
「ちょ! それは秘密です!」
「へー、そんなことがあったのかい?」
「お嬢は虫が苦手なんだぞ」
「違います! あれは……そう! 蝶々を追いかけていたんです!」
「ふふ、可愛いところもあるじゃないか」
「もう! さ、早く食べましょう!」
***
夕食後、入浴の時間となったのだが、男たちの動きが慌ただしい。みんなギルに例のインチキ薬を売りつけられたらしい。
「諸君! 待ちに待った時が来た!」
右手を高く振り上げるのは二組の元冒険者、自称勇者のレッド。
「ホントにやるんスか? 姉御にバレたらタダじゃ済まないッスよ?」
ベロクが心配げに皆を見る。
「今更怖じ気づいたのか? 勇者たるもの、いかなる時も前のめり! スケベイベントくらい発生するかもしれないぜ!」
「……分かったッス」
「じゃあ行くぞ!」
「おー!」
掛け声一斉、男子たちが浴場へと突撃してゆく。
脱衣場を抜け露天に向かうと男たちは男女を分ける竹垣を見て、一同ニヤリと笑い頷きあう。
まさに冒険者も貴族も軍人も、神官さえも心を一つにし、壁の向こうの桃源郷を攻略せん、と見定めていた。
「ギルが言うには光の精霊が姿を隠してくれるとか……」
と、レッドは例の小瓶片手に呟く。
「ギルのオッサンを信じるンすか? 絶対インチキ品っスよ?」
「馬鹿野郎! そんなことあるもんか!」
「いや、でも姉御が……」
「ええい! とにかくいくぞ!」
レッドは小瓶の蓋を開けると、中の液体を自分の体に振り撒ける。
その体は一瞬発光し、温泉の湯気に溶け込んだ……ような気がした。
「よし! これで俺も透明人間だ!」
「……姉御に怒られても知らないッスよ?」
「うるさい! さあ、突入だ!」
自称勇者は勢いよく露天の竹垣を越え、外周へ飛び出していった。
その様子を見た他の生徒たちも次々と薬を振りかけあとに続く。
「あれ、ベロクさん、皆さんどこへ?」
そんな騒ぎをよそに、体を洗い終えたトリンがのんびりと露天風呂にやってきた。
「あいつら、男のロマンを追いかけに行ったッスよ。丸見えなのに……」
**
「さ、ディー様、御髪を洗いますので背中を向けてくださいまし」
「うむ。頼むぞノーラ。では私は姉さまの御髪を……」
「あー、気持ちだけもらっておくよ。プラサー、露天行こうぜー」
「そうですね。ディー様、外でお待ちしています」
「うむ」
「お嬢、お背中流しますよ」
「だからお嬢と呼ぶのは止めなさいと何度も!」
「はいはい」
と、女子たちの喧騒の中、露天風呂に出たユニとプラサ。朱色の明かりが岩と竹垣を照らし、夜の暗さがそれを引き立てる。
「……おお、熱っ……」
「気持ちいいですね。星が綺麗。ユニさん、こちらの世界の星詠みはできるようになりました?」
「うんにゃちっとも。精霊の在り方も違うし、こっちは夜も明るいから星もあまり見えないしね。二千年前くらいの軍師はやっていたらしいから出来ないことはないと思うんだけど」
ユニは湯船から立ち上がると手を広げてみる。
「北極星を起点に見て……、柄杓の星にあっちに大三角。やっぱり無理かなぁ」
「……あ、あの、お姉ちゃん、神官様?」
その声に振り向くと、ディーと同い年くらいの少女が立っていた。風呂場には場違いな和装の少女。その姿にユニは昼間の出来事を思い出す。
「まあそんな感じ。アンタだね、妹と遊んでくれた子って」
少女は小さく頷く。
ユニは湯を出て少女に近づくと、小さい頭を撫でてやる。
「ありがとう」
少女は恥ずかしそうに俯くが、やがて顔を上げユニの目を見た。
「あ、あの、お姉さんにお願いが……」
少女が口を開いたとき、ユニはちょっと待て、と少女をかばうように手を伸ばした。
見るとルーンの魔術か、竹垣の一部に穴が開き、裸の男子たちが恐るおそる様子を窺っている。
「ここが桃源郷……!」
「ついに来た!」などと叫んでいるのを見ると呆れ果ててしまうが、とりあえず今はこの子を逃がすことの方が先決である。
ユニは男子の気を引くように声を上げる。
「お前ら! 見えてるぞ!!」
男たちはキョロキョロと顔を見合わせる。
「レッド! お前だお前! そんな薬効くわけ無いだろう!」
「お、俺!? いや、俺は別に……」
「ギルが言ってたろ! 光の精霊が姿を隠してくれるって!」
「やっぱりインチキ?」
男たちの動揺をよそにユニは左手の紋章を輝かせる。
水と風の精霊。「裸で濡れて風邪でもひけ!」とばかりに助平共にまとわりつかせる。
「うわ! 冷た! おい! マジで冷たい!」
「ぎゃあああ! 寒い! 寒すぎるぅううううううう!!!」
「撤退、撤退だ!」
ルーンの穴は閉じ、岩場の影で様子を窺っていたプラサが戻ってきた。
「いなくなりましたね」
「素直に帰ってくれて良かったよ。プラサ、入ってきたらどうする気だった?」
「それはもう……、ふふふ」
プラサは両手で首を捻るジェスチャーをする。
「こわい怖い。噂の伴侶の前ではそんなことするなよ?」
「あら、そんなことしませんよ? それより早く入りましょう。体が冷えてしまいますわ」
「はいはい」
「ところでユニさん、誰かと話してました?」
ユニが周りを見るとあの少女の姿はもう見えない。
「まあね。さ、湯冷めする前に上がろうぜ」
**
風呂上がりにユニたちは休憩室でアイスを食べていた。
火照った体に冷たいアイスが心地よい。
「どうしたのノーラさん、複雑な顔して」
「ディー様が楽しまれるのは良いことなのですが、贅沢を覚えてしまわないかそれが気がかりで……」
嬉々としてアイスのコーンを噛み砕いていたディーの動きが止まる。
「な、何を言うか。私とて立場はわきまえておる。大神官たるもの質素、粗食に努めねば精霊との繋がりを維持できぬからな」
「まあ、こっちにいる間はただの私の妹。それでいいんじゃない?」
「さすが姉さま! ということだぞノーラ!」
ディーは小さく胸を張り、ノーラはやれやれと微笑みながらため息をつく。
その様子を見て皆笑っていると、他の班の会話が聞こえてきた。
「……浜の向こうに岬があるじゃない? …………出るんだって」
「昔岬の洞窟にお社……この世界の神様を祀る塚だっけ、そんなものがあったんだけど、この間の地震で崩れたらしくて。それ以来岬から浜辺にかけて白い影が夜中にふらふらと……」
ふむ、と思い当たるふしがあるのかユニは手を打つ。
「ディー、明日なんだけど、岬の方に行ってみようか。友達に会えるかも知れないぞ?」
***
翌日、ユニたちは朝早くから浜辺の先に見える岬を目指し歩いていた。
まだ温まっていない朝の空気を吸い込みながら波打ち際を歩く一同の足跡を、よせる波が平らに流していく。
「ルンは海竜の扱いを得意とする蒼の士族出身ですの。あの岬を目指すなら斥候にうってつけですわ」
カルテが先をゆく二人の東方人の一人、ワジ家の騎士ルンを頼もしげに見ながら説明する。ルンとプラサ、黒髪で手足の長い二人が歩く姿は朝の太陽の照り返しと相まって映画のひとコマのようである。
「なんで僕まで……」
欠伸をしながらカウラに引っ張られるトリン。
「お嬢に目をつけられたのが運の尽きだ。諦めろ」
「姉さま、岬にシロがいるんですか?」
「多分ね。まあ行ってみようか」
と、しばらく進むと磯の香が強くなり、岬の足元に虎柄のロープで塞がれた穴が見えてきた。
「あそこが入り口のようだね」
「ほほう、あれが噂の……」
「なんか怖そうなところッスねぇ……」
と、いつの間にやらついてきていたベロクがしげしげと海沿いの岩場に見える洞窟を覗き込む。
「姉御、大丈夫ッスかね?」
「地震で崩れたって聞いたから足元には気をつけないと。土の精霊に守ってもらおうか」
ユニが左手に意識を集中すると、周囲の砂が集まり足元に小さな熊かモグラのような塊を形作る。
「おお! 可愛いです、流石姉さま!」
「じゃあ行くよー」
と、ユニが先頭に立って中へと足を踏み入れる。
ひんやりとした風が頬を撫で、湿った磯の臭いが鼻をくすぐる。
「うへぇ、暗いッスよ姉御……」
「明かりつけるよ」
と、ユニが左手を掲げると、掌の上に光球が浮かぶ。
「おお、便利ですね」
「これがホンモノの光の精霊。アンタらが昨日使ったパチモノとは違うからね」
「僕らは覗いてませんよぉ……」
「分かってるよ」
ユニがクスリと笑うと、後ろの男子たちがホッと一安心している気配が伝わってくる。
中に入ると、岩肌沿いに小さい穴と、篝火を点ける台が見える。社として使われていた、というのはここで間違いなさそうだ。
「ディー、火の精霊を呼んで篝火を点けてもらえるかな?」
「分かりました」
と、ディーが左腕を前に掲げると、彼女の前に赤い精霊が現れる。
「よろしく頼むよ」
ユニが言うと精霊はくるりと回り、その動きに合わせるように精霊の周りに炎が踊る。
「……よし、いい子だ」
ディーとノーラが精霊と意識を合わせ、篝火に火を点ける。暗闇だった洞窟は神秘的な柔らかい火の灯りに包まれる。
「助かった、また頼むぞ」
ディーが精霊に礼を告げると火の精霊は現れたときと同じようにくるりと回りかき消えた。
奥へ進むと、先行していたルンとプラサが腕組みして待っていた。
「あーこれか?」
洞窟を塞ぐように覆い重なる石が壁を作っていた。
ユニの言葉に二人は頷く。
「崩れてますね」
「お嬢様、危ないので出られたほうがよいかと」
ルンはカルテに告げる。
「いえ、勝手に付いてきたのは私たちですもの。最後まで見届けましょう」
「まったくお嬢はなー。私から離れるなよ?」
カウラが呆れたように言う。だが口元は緩み楽しそうだ。
「さ、この石をどかせば宜しいのかしら? ユニさん」
「ああ、お願いできるかい?」
カルテが一歩前に出ると、腰を落とし、石の隙間に手を差し入れ持ち上げようとする。しかし、石はびくともしない。
「む、これは……重い! カウラ! あなたの出番でなくて?」
「ちょいまち。うんしょ……!」
小さい体からは想像つかない力でカウラは石をどかしていく。どかした石を土の精霊がゴロゴロと外に転がす。ベロクやトリンたちも手を貸し、人が通れる空間を確保した。
「これで通れるようになったわね」
「お疲れさん。ありがとう」
ユニはカルテたちと精霊にお礼を言い、皆は更に奥へ進む。
「ディー様、水たまりがあります。お気をつけください」
「うむ。すまんな、ノーラ。……奥に行くほど精霊の力が増しているな。この感じは昨日の……」
程なくして一行は洞窟の最奥に辿り着く。天井に開く穴から光が射し、木造の小さな社を照らしていた。
社の前にはこれまた小さい朱塗りの柱が二本建てられており、その柱の上に更に二本の木材がわたされている。
「鳥居という、この国の神が通る門だそうです」
ノーラが説明する。
「随分朽ちてますね。地震の前からかなり見棄てられていたようですが」
社の様子を観察していたプラサは首を左右に振りながらユニたちに告げる。
見ると門の朱塗りもかなり色落ちしており、社自体も苔生して、木材も腐り朽ちている。
「これをなんとかしてほしいってこと?」
ユニは洞窟の入口の方に声を掛ける。ユニが目を遣る先には篝火に照らされて、白装束の少女が佇んでいた。
「おお、シロ! 昨日は急にいなくなったから心配していたぞ!」
ディーが少女に駆け寄る。
「お前が無事で良かった」
ディーは心底ほっとした様子でシロを抱き締める。
「あ、ありがとう……」
シロは顔を赤くし小さく零す。
その様子を微笑ましく見守るユニとノーラに、困惑した表情でカルテが問いかける。
「あの……。皆さま、何が見えてますの?」
カルテの疑問に一同相槌をうつと、ユニは思い出したようにポカンとしたかと思うとニコリと笑った。
「あ、みんなには見えないか。この社の神様。白竜の化身だよ」
**
カルテら精霊との繋がりがない人々から見ると、仄かな光がディーに纏わりついている、その程度の認識らしい。
信徒が増え、信仰が厚くなればまた違うのだろうが、現代のこの世界の信仰心ではこれが精一杯と言うことだった。
「俺っちには光すら見えないっス。トリンもっスかね?」
トリンはベロクの言葉に頷く。
「ああ、トリンくん……、私に精霊が見えましたら今目の前の様子を全てお伝えしますのに……!」
「まあまあ、お嬢。なら今から宗旨変えしてみるか?」
「うう……!」
「はいはい、じゃあ後で教えてね」
カウラに促されユニは手をひらひらさせながらシロに優しく問いかける。
「さ、シロ。どうしたい?」
ユニたちが見つめる中、シロはゆっくりと口を開く。
「あ、あの……。やっと私のことわかる人がいて、お願いしたくて……」
「うむ。私とシロは友だちだ。何でも言うが良いぞ」
シロはこくりと肯き、深呼吸をしてから話し始める。
「あの……。あの地震の時、私は社にいて……」
「ふむ。私は知らないがなかなかの地震だったらしいな。社が崩れなかったのは奇跡的だな」
「えっと、それで、町のみんなが困らないように地震の力を集めたらこの洞窟が崩れちゃって。私の力も弱くなってるから次の地震があったらもうみんなを守れないの。なんとか祠を直して力を取り戻せないかな……」
シロはそこまで話すと、涙を浮かべ始める。
「泣くでないシロ。私が何とかしよう」
「ほんと!?」
「もちろんだとも。友達の頼みだからな」
「ありがとうディーちゃん!」
シロは嬉しさのあまりディーに抱きつく。
その様子をノーラは複雑な表情で見守っていた。
**
「ディー様。あまり無責任なことを約束するものではありません。私達は一時の滞在者。町のことは町の人々が解決すべき問題です」
洞窟を出て、太陽が明るく見えることに皆が安堵しながら浜へ戻っているところ、ノーラはディーを指差し注意する。
「しかし、私はシロと友達になった。友なら何とかしてあげたいのが人と言うものではないのか?」
「まずあの子は人ではありません。土地神です。だからこそ増々異世界人である我々が口を出す問題ではないのです」
「むぅ」
ディーは口を尖らせる。
「ディー様、あなたはもう少し世界の交わり方について勉強なさるべきです」
「むう……。姉さまはどうお考えですか? 友を助けたいという私の思いはやはり間違いなのでしょうか?」
「うーん……」
ユニは腕を組み考える。
「アタシは良いと思うよ。確かに大神官としての責任はあるかも知れないけど、そのくらいのわがままは許してあげてもいいんじゃないかな?」
「姉さま……」
「それに、アタシはもうこちらの世界の人間だからね。コッチの者が自分たちのためになにかする分には問題ないだろう?」
「……ユニさまは甘いですわね」
「そうかもね。でもさ、そんなに堅く考えてると人生楽しくないよ?」
「……そうですね。少し肩の力が抜けた気がします」
「そうそう。ほら、ノーラさん美人なんだから笑って笑って」
ユニは笑いかけると、ノーラは苦笑を返す。
「はい。……では、ユニ様に免じて私も口出しさせていただきます」
「おお、そうか!」
「しかし、私とてただ口出しをするわけではありません」
「む?」
「ディー様がご自分で判断なさいませ。それが条件ですわ」
「むむ……、それは難題だな」
ディーは眉間にシワを寄せ悩み込む。
「ディー様は聡明ですもの。きっと大丈夫ですよ」
***
それからのディーの行動は早かった。
レイナにここまでの話を伝え、北海道の民俗学者と政治家に繋ぎをとり、放棄されていた社の復旧と鎮魂祭の実施を取り付けたのである。代わりにオルニタの精霊術についていくばくかのやり取りがあったらしいがそこまではユニの知るところではなかった。
二泊三日の臨海学校ではあったが教会の面々と学者連中は社の調査で居残り、ディーたちもそのまま残ることとなった。
そして一週間後の今日、いよいよ鎮魂祭が行われることとなったのだった。
三日月が岬の見える浜辺を照らす夜。
神主たちが篝火を組み、洞窟に向かい祝詞を上げる。その後ろには大神官の装束に身を包んだディーとノーラ。その姿を町の人々が見つめている。
老人たちはかつてその社に忍び込んだ度胸試しの話などに興じ、若者たちは年端もいかない大神官の姿にカメラを向ける。
だが、ディーの横に白い和装の少女が立っていることに気がつくものは誰ひとりいなかった。やがて、神主たちの祈りが終わり、オルニタの神官たちが前に出る。神官たちが左腕を光らせると浜辺から洞窟へ、一直線に光の精霊の軌跡が伸びていく。
町の人々はその幻想的な光景に拍手を贈る。最後にディーが両手を掲げると、ひときわ大きい光の玉が現れる。光の玉はゆっくりと洞窟を目指し、その後ろを和装の少女がついていく。光が洞窟に吸い込まれたとき、ディーたち神官には白い竜が一声鳴き、空へと舞い上がる姿が見えた。
やがて静寂が浜を支配し、神主と神官たちは町の人々に一礼する。
「さて、これでこの社は元通りになりました。どうかこれからもこの地を見守ってくださいますよう」
町長の言葉に人々は歓声をあげ、再び大きな拍手を送る。
「さあ、ここからはお祭りだよ! お盆にはちょっと早いが楽しんでくれ!」
篝火はキャンプファイヤーとなり、屋台も先程までの厳粛な空気を打ち消すように呼び込みの声をかけ始める。
人々の笑顔の中、ユニは静かに呟いた。
「ああ、やっぱりディーは凄いなぁ。流石大神官だ」
「違いますよ、ユニ様。大神官だから凄いのではありません。凄いから大神官足り得たのです」
ノーラの言葉にユニはバツが悪そうに頭を掻く。本来ならユニが着くべき座であった大神官の椅子。だがユニはそれを良しとせず反乱の末に宇賀平に追放された。その間ディーは子供らしい楽しみもなく大神官としての務めに励んでいた。それを思うと自分の選択は間違っているのではないかとユニは自問せずにはいられなかった。
***
翌朝、一行は帰り支度に勤しんでいた。
昨夜の宴会で酔い潰れた者も多いらしく、片付けは後回しにされ、まだあちこちで寝息が聞こえる中、ユニとディーは浜辺でふたり、社の方角を見つめていた。
「ディー。どうだった、こちらの世界は」
ユニの問いかけにディーは笑いながら答える。
「世界はまだまだ私の知らないことでイッパイです! 友だちもできましたし、バスや機関車にも乗りました! あずまおばあさまの作るご飯も美味しかったです!」
まるで夏休みの小学生の感想だが、彼女はオルニタの精霊教会を統べる大神官。おそらく帰ったあとはもう会うことはないだろう。満面の笑みを浮かべる妹を、ユニは全力で抱きしめる。
「……姉さま? …………姉さま」
ディーもユニに全力で抱きつく。
「姉さま、私また来たいです!」
「うん、またおいで」
「はいっ!」
「でもねディー」
「はい?」
「次はもっとゆっくり遊びに来るんだよ」
「……はい!」
***
それから一週間ほどがたち、異世界門が再び開く日がやってきた。
学校では異世界人と地元民による交流祭がひっそりと行われ、異世界の騎士や貴族たちも名残惜しそうに宇賀平の町を車窓から眺めている。
宇賀南の屋上から、ユニは駅から立ち上る機関車の黒煙を眺めていた。
「妹さん行っちゃいますよ。いいんですか?」
と横に立つプラサは問う。
「いいよ」とユニは短く答えた。
「そうですか……」
「それよりプラサこそ。伴侶が見つかったってもっぱらの噂だけどあれホント?」
その言葉にプラサは顔を赤くする。
「ホントなのかよ! まさか……熊先生!?」「ち、違いますよ! あんな筋肉ダルマ!」
「あんなに熱い視線向けといてよくいうぜ……」
「うう……」
「ま、でも良かったじゃん。胸を張って国に帰れるわけだ」
「それなんですが。私、こちらの世界で式を上げようかと」
「へ? 士族はいいの?」
「私の竜はもういますから。こちらで暮らすなら紋章もいらないですしね」
プラサは微笑む。
「ドン丸か。確かに気は優しいしそのくせ勇敢ないい竜だよ」
「はい。それに、宇賀平の皆さんにご恩返ししたいですし。私は卒業したらレイナ先生のように教師になります」
「そっか。いいと思うよ。応援する」
「ありがとうございます! ところで、宇賀南のみなさんも北海道に残るんですよね?」
「ああ、アタシはもう少し足掻いてみるよ。それに……」
「それに?」
「何でもない」
アリブが手に入れたかったもの。
ユニが夢見たもの。
それは蜃気楼のように届くはずの無いものだった。
どちらの世界もみんな生きている。二つの世界が交わり蜃気楼だったものが形をなした。
それはもう分かつことの出来ない一つの道。
「さて、行こうか。帰ったらペイの散歩にあずまばーちゃんの手伝い、やることはいっぱいあるさ!」
ユニは笑いながら屋上の階段を駆け下り、プラサはやれやれとあとに続く。宇賀平の町を、夏の風が吹き抜けていった。
終わり