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異世界からの移住者たち、町を出て都会を見学する

陰謀の芽生え、翻弄される異世界人たち。ユニにも試練が訪れます。札幌を舞台に起きる大事件とは。

 一五年ほど昔、異世界の小国オルニタと日本の過疎地宇賀平市に転移門が発生し、国交が樹立された。

 小さなかつての炭鉱街で、役目を終え衰退するだけだったこの町は、異世界人の居留地として再生したのだ。フェンスに囲まれ就労資格を得なければ町の外にも出られない暮らしではあるが、一五年という時間は着実に彼らの存在を根付かせていた。


 ***

 異世界人が下宿するみなみ荘。異世界でもこちらの世界でも女三人寄れば姦しいというのは変わらない。

「マサリ、これベタ入れて!」

「あいよ~」

『サウス・ゆこ』のペンネームで漫画を連載しているみなみ荘家主の孫娘、南奈美。

 締切が近く、今日はアシスタントの異世界人、マサリと修羅場を向かえていた。

 マサリは、耳の長い西方人として知られる褐色の少女である。身長は一六〇センチくらいか。

 腰まであろうかという長い金髪をポニーテールにしている。

 瞳の色はブルーだ。顔立ちも整っていて美少女といえるだろう。

 しかし、いつも眠そうな半開きの目をしていることと、酒好きな性格もあり、美少女、として扱われることは稀である。

 今の目標は異世界人初の漫画家としてデビューすること。奈美のアシスタントとして修行を積んでいた。

「ベタあがりだよー。ゆこせんせー、次の原稿下さいな?」

「はいよー」

 そういって、奈美はペンタブを動かし原稿データをアシスタントの作業フォルダに放り込む。

「あーもう!  なんでそんなに上手いんだよぉ」

「そりゃあたし、天才だからね!」

「くそぅ、このやろう……」

「ほら、そこトーン貼りして」

「はぁーい」

 その様子をユニとプラサは少し離れて棚の漫画を引っ張り出しながら眺めていた。

「モノを作るって大変なんだねェ」

 ユニが傍らに積んだ漫画を読みながら彼女たちの血走った目を観察する。

「そうですね。私達にはわからない苦労があるみたい」

 プラサが相槌を打つ。

「ふむ」

 ユニは興味深げに二人の作業を観察していた。

「お二人とも、お茶でも入れますから休憩します?」

 プラサが聞く。プラサは東方人と呼ばれる自然と共存し竜を操る士族の一員である。伴侶を見つけるためにこの世界に来たらしいが、今のところ学生生活を満喫しているようだ。

「休……いや、このページで終わりだから! 終わらせてから!! !」

 奈美が気合いを込めて言い切る。

「はいはい。じゃあ、準備だけしておきますね」

 プラサが台所へ向かう。

 ユニは膝の上でだらけている犬のペイをひと撫ですると、手元の漫画に目を戻す。荒唐無稽、ともいえるその漫画では主人公の出自と強さの秘密が明かされ息子へと世代交代を行おうとしているようだった。

『さて、次巻に続く……』

 そう書かれた文字を見て、ユニは満足げにうなずいた。

「終わったー!!」

 奈美が両手を掲げガッツポーズする。

「お疲れ~。じゃあ原稿のデータまとめて……このフォルダでいいんだっけ?」

「マサリ、わかってきたじゃない。あとはメールで送れば……よし、終了だ!」


 ***

 みなみ荘の中央にある二階まで吹き抜けたロビー兼居間で四人はお茶を飲みながら談笑していた。

「私たちの暮らしを漫画にしているんだろ? そんなに面白いものかね?」

 ユニが疑問を口にする。

「内地だとまだ珍しい感じだからね。特にこの間の対抗戦。リアルな戦闘が大反響だったのよ!」

「あのセコい戦いが……」

 先日行われた異世界の戦闘を再現するというクラス対抗戦。ユニたちの二組は霧に紛れて勝利条件のフラッグを掠めとるという、あまり格好よくない戦いをしたのだった。

「でも、あの対抗戦で他のクラスの子たちと仲良くなれましたよね」

 プラサが微笑みながら言う。

「そうだねぇ」

 ユニも同意し、一組の貴族令嬢、カルテの顔を思い浮かべる。

 いかにもなお嬢様だったが、貴族の誇りと嫌みの無い性格には好感があった。

「あ、編集さんから返事。……おぉ? ふむ……」

 奈美は携帯をまじまじと見る。

「マサリ、日曜空いてる?」

「ヒマだよー。なにもなければ蜘蛛マン観に行くつもりだったけど」

 こちらで流行っている映画の最新作らしい。

「悪いけど蜘蛛マンはまた今度にしてもらっていい? 編集さんがマサリの原稿を見てみたいって。日曜は札幌行くよ!」

 マサリの表情がポカンとなる。

「えぇ!? なんでわたしが漫画描いてること知ってんの!?」

「前に話したじゃん! 担当さんは漫画家志望者全員チェックしてるんだよ」

「いや、言ってたかもしれないけど……」

「マサリの描いた漫画は全部読んでくれてるよ。アドバイスとか、内容がよければ読み切りなんかも考えてくれるって!」

 奈美はマサリの手を取る。

「マジか……」

「で、どうする?」

「まぁ、行ってみるかぁ……」

 マサリは渋々といった様子だが、まんざらでもない顔をしている。

「私も行きたいです」

 プラサも手を挙げる。

「そうだね。こういう機会でもないとこの町から出られないし、みんなで行こう!」

 奈美は両手を上げて万歳する。

 異世界人が宇賀平市の外に出るためには身元責任者とか役所の許可証など手続きが多く面倒くさい。マサリが渋々という感じなのも前回奈美と即売会に出た際に非常に手間を取られ、酒も没収された苦い思い出があったからである。

「と言うわけで昼から市役所に行ってくるね。レイナ先生に車出してもらうかな」

 レイナとは、異世界人の代表をかつて務めていた女性で、宇賀平市ではユニたちの担任教師を勤めている。

「私も役所に行きましょうか? ついでに晩のおかずでも買いましょう」

 今日の夕食当番はプラサだ。

「じゃあお願いしようかな。私はレイナ先生にお願いしてくるね! ロビーで集合!」

 奈美は二階へとパタパタと上がっていった。


 **

「札幌ですか。懐かしいですね」

 役所で外出許可証をもらい、電車の指定席を予約した奈美たちは商店街のスーパーの駐車場に車を停めた。

「レイナ先生は札幌には詳しいんですか?」

「熊の門はここより札幌に近い町に出るんですよ。なので何回か行ったことがあります」

 レイナは懐かしげに微笑む。

「奈美は札幌の大学だったんでしょう? 私などよりよほど詳しいと思いますが」

「あはは、まぁ、そうかも」

「ところで、当日はどこへ行く予定なんでしょう?」

「まずは編集部でマサリの原稿。その間プラサたちは観光でもしててよ」

「札幌ならデパートもあるしね。服買おうよ!」

 マサリが興奮気味に言う。

「それは楽しみですね。……マサリ? 食玩は返してきなさい」

 プラサは言いながらキムチと豚肉をカゴに入れる。

「いや。それ私じゃないよ?」

 見るとレイナが顔を赤くしている。

「……その分は私が出します。揃わないと合体できないのです」

「先生……今日だけですよ?」

 プラサはため息をつくとカゴをそのままレジに持っていく。

 奈美と一緒に会計を済ませ、車でみなみ荘に戻ると、前庭でユニとペイがフリスビーで戯れていた。

「ユニーただいまー」

 奈美の声に反応して、ユニは顔を上げる。

「おかえり。楽しかったかい?」

「うん。でも、やっぱりこっちの方が楽しいなー」

「そうかそうか」

 ユニは嬉しそうに笑うと、ペイが咥えているフリスビーを取り上げ、また投げる。

「本当にペイちゃんはユニさんに懐いてますね」

 プラサが感心する。

「なんか気が合うのかもね」

「んじゃ、私はアリブくんと飲んできましゅ~。ご飯までには帰るから」

「見せる原稿の準備も忘れずにね!」

 と声をかける奈美に手を振りマサリは外出する。

「さて、私は食事の準備しますね。あずまさん呼んでこなくちゃ」

 プラサは買い物袋を手にみなみ荘へ入っていき、レイナがあとに続く。奈美はと言うと、玄関先の階段に座りユニが戯れる姿を楽しげに眺めている。

「異世界かぁ……」

 奈美は生まれも育ちも北海道。たまたま祖母が過疎地のスキーペンションを半ば趣味で経営していただけだった。それが十五年前、調査団とやらが炭鉱跡に異世界との門を発見し全てが変わったのだ。愛する地元の町は再編され、あれよあれよと施設ができ、町の出入り口にはフェンスがつけられた。地権者特権だかで異世界人相手の商売なら減税されるとか色々あって、沈むだけだったこの町は箱庭ではあるが盛り返しができたのだ。

(異界ゲートは結局見れなかったけどね……)

 そのおかげで異世界人との共同生活という貴重な経験ができているのだから文句はないが、あの時見た異世界への興味は消えていない。

「奈美、考え事?」

 満足した表情のペイを抱え、ユニが戻ってきた。

「あ、ちょっと昔のことをね。ね、ユニ。オルニタってどんな国?」

 その言葉を受けて、ユニは隣に座る。

「ん、普通……て言ってもまた奈美の普通とは違うか。八百年ほど続いている王政国家。歴史とかその辺はレイナ先生に聞いて。私の実家は大陸の信仰厚い精霊教会の大神官の家系でね。父も母も異世界門の管理を任されるまでは本当に、慈悲深い大神官だったそうだよ」

 そういえばユニは異世界門を破壊しようとして捕まりこちらの世界に追放されたと言っていた。

「でもね、権力なんて持ったばかりに貴族や商人と癒着。王都に対抗して聖都なんて名前をつけて。今や王様が教会の顔色をうかがう始末。本当は教会なんて人々と精霊を繋ぎ亡くなったときにきちんと精霊の国に送り出してあげる、その程度のものなんだ」

「そう、なんだ……」

「まぁ、そんなことより次は奈美の話を聞かせてよ」

「私の話? うーん」

 奈美は少し考える。

「私ね、おばあちゃん子だったんだ」

「おぉ、良いじゃないか」

「お父さん、お母さんは札幌で働いているんだけど、私は大学を出てこっちに帰ってきたの。スキー客なんてこないし下宿にするって言ってたから、マンガを描きがてらお手伝いしようって」

「それでこっちに来たんだ」

「お陰でネタには困らないし、ユニたちとも出会えたし。毎日楽しいよ?」

 奈美は笑顔をユニに向ける。

「そっか……」

 ユニは目を細める。

「あ、そうだ。これお土産」

 奈美は鞄から包装された包みを取り出す。

「これは?」

「やきそば弁当……道民のソウルフードさ!」

「おお、ありがとう!」

「ふふ、札幌だともっと色々な珍しいものがあるからね! 驚くのはこれからだぜ!」


 ***

 斯くして日曜日。

 奈美とマサリ、プラサにユニは特急電車に乗り、札幌へ旅立った。

「まあ旅と言っても一時間半くらいだけど」

 と奈美はスナック菓子の袋を開ける。

 マサリとユニは窓の外に流れる景色から目が離せない。

「すごい、速い!」

「こちらに来たときは荷物扱いだったし、まさかこれほどとは!」

「うんうん。もっと驚け! 私にネタを提供しなさい!」

 奈美がウンウンと頷きながら二人の様子を楽しげに見る。

「あ、札幌駅が見えましたよ!」

 プラサの言葉に皆が視線を向ける。

 巨大な駅に飲み込まれるように電車が入りホームに止まる。

 改札を抜けると、駅だけで宇賀平の人口より多いのでは、と思わせるような人が往来していた。

 そのような中でも売店や観光案内所などで異世界人たちが働いている姿が見える。自分もいつか宇賀平を出るのだろうか、とユニはふと考える。

「ほら、ぼーっとしないで行くよー!」

 と奈美は元気よく歩き出す。

「わぁ、人がいっぱいだねぇ」

 マサリはきょろきょろしながら奈美の後を追う。

「奈美、どこに行けばいいの?」

「大通公園沿いに編集部があるからそこに行くよ。プラサとユニは……終わったらメッセ入れるから、電波塔の下で合流しましょ。一時間くらいで終わるとは思うんだけど」

「わかりました。じゃあ私たちはその辺りをブラブラしてますね」

 と二手に分かれた。


 **

「すげー。駅前の頓田書店なんか比べ物にならないな」

 ユニとプラサは公園沿いの大型書店に入り、何階も続く壁一面の本に圧倒されていた。

「それが奈美さんの漫画ですね」

「『宇賀平くらし』へぇ」

 書店の一角に『オルニタ関連コーナー』が設けられており、真面目な異世界門の解説本や歴史書から、奈美の漫画まで雑多に集められていた。

「オルニタ精霊学入門……、よくわかる西方語。プラサ、こっちの人たちって私らの世界に行くことあるのかな?」

「トリンくんのお父様はこちらの世界の人だって言ってましたよね。でも、許可のない人は行けなかったはずですよ」

 二人はしばらく立ち読みを続けるが特にめぼしいものは見つからないようだ。

「そろそろ行きましょうか?」

「ああ、行こう。奈美とマサリが待ってるだろうしね」

 そう言うと何冊か気になる本を摘まむと会計を済ませて店を出た。


 ***

「マサリさん、でしたね。宜しくお願いします」

 奈美とマサリは編集部の一室で奈美の担当編集者、梶と向き合っていた。

「よ、よろしくお願いします!」

 マサリは机に頭を打ち付けんばかりの勢いで頭を下げる。

「マサリ、緊張しすぎ」

 奈美が笑いながらフォローする。

「まあ座って下さい。ゆこ先生……奈美さんとは昔からタッグでやってまして、マサリさんの話はよく聞いてましたよ。『宇賀平くらし』のマーちゃんのモデルですよね?」

「えっ、そうなんですか!? これワタシだったの?」

 マサリは驚きながら奈美を見る。

「ははは……創作半分だけどね」

「なのでお会いできるのを楽しみにしていたんですよ。こんなにキュートな方とは思いませんでしたが。さ、話はここまでにして、原稿を見ましょうか!」

 梶の言葉にしたがいマサリは原稿の入った袋をいくつか取り出す。

 受け取った梶は先ほどまでの柔和な態度からうってかわり、真剣な目で原稿を読み始める。

「ど、どうでしょう……」

「次の原稿を」

「あ、これでしゅ」

 二つ、三つと原稿を読み進め、ふう、と息をつく。

「これはゆこ先生が指導した?」

「そうですね、道具の使い方と基本的な描き方くらい。アイデア、構成は自力です」

「ふむふむ。……マサリさん。二本目を膨らませて三六ページ読み切り。締切は月末。できる?」

「へ? あ! や、やります! やらせてください!」

「よし、決まり。ネームができたらゆこ先生から僕宛に送ってください。ゆこ先生も指導をしっかりとね」

「やった! ありがとうございます!」

「いえ、こちらこそ良い仕事になりそうです」

「あの、ちなみにネームはどれくらいで……」

「ベースはできてるし、一週間あれば出せるかな? 分からないことがあれば連絡をください」

「ひぃ! あ、はい! 頑張ります!」


 ***

 ユニとプラサは本屋を出たあと大通公園をブラブラと歩き、キッチンカーのケバブに舌鼓を打ち、電波塔の下でアイスを頬張りながら奈美たちの合流を待っていた。

「大きい塔ですねえ」

「建物も大きいね……」

 ベンチに座り公園で戯れる人々を眺める。ちらほらと異世界人の姿もあり、少しずつではあるが暮らしに馴染んでいっているようだ。

「ところでプラサ、気づいてる?」

「四人ですかね? さすがにユニさん、有名人ですね」

 プラサはユニに笑顔を向ける。

「まあアタシだろうね。教会の連中か、貴族の仕返しか……」

 どうにもつけられている。それも複数。

「ユニさん、こういうの得意ですか?」

「うーん、あんまり……」

「あ、じゃあ私が」

 プラサは立ち上がると少し歩いて振り返る。

「ふふ、バレてないとでも思ってたんでしょうか?」

 微笑みを崩さずにプラサは電波塔の裏手へ歩いていく。

 ユニが買った本を開き目を通し始めると、四人がプラサに続いていった。

「ん、アタシじゃないのか……?」

 宇賀南の異世界人なら誰でもいい可能性もある。まあプラサが遅れをとるようには見えないし、少し様子を見よう。

 ユニは風の精霊の紋章に集中し、精霊を呼び出す。プラサが危ないようなら知らせるように指示を出し、本に戻ることにした。


「四人……。か弱い女性に大がかりではありません?」

 電波塔の裏手には人気がなく、プラサは四人の人物に囲まれていた。

 道を通る人々がプラサたちを気にかける様子はない。この世界の人が薄情なのでなければ、人避けのルーンでも使っているのだろう。ならば西方人だろうか。

「元冒険者、竜無しのプラサだな」

 一人の男が前に出る。

「……その二つ名の意味は知っていますね?」

 プラサは表情を変えずに男に尋ねる。

「もちろんだ。並みの竜騎士よりも腕があるのに成人の儀を受けていないため伴侶も竜もいない流浪の東方人。すなわちお前さ」

 男はニヤリと笑う。が、次の瞬間宙に舞い、背中から地面に叩きつけられる。男が立っていた場所にはプラサが手を払いながら立っていた。

「私が聞きたかったのは、その呼び名は私を怒らせると言うことを知っていますか、と言うことです。あなたたちはどうでしょうね?」

 プラサの問いに対し男たちは武器を構える。

「暗器……国はバラバラ、西方人だけじゃない、と。なんだかキナ臭い話ですね」

 三人がプラサを囲み距離をゆっくり詰めてくる。プラサは倒れている男を蹴っ飛ばし、懐から転がり出た武器を拾う。オルニタ製の仕込み刀。強度が不安だがないよりましか。

 三人の顔を見る。みな無表情で感情は読み取れない。暗殺者なんてそんなものか。プラサは腰を落とすと地面を蹴り一気に間合いを詰めた。


 ***

 ユニは本の続きを読んでいたが、不穏な気配を感じて顔を上げる。プラサは無事だろうか。

「さっきの女の子、やられちゃいましたかね」

「アンタが本命だね。……何の用だい」

 欺瞞の術だろう。ソイツは目の前にいるのに男なのか女なのか、声が高いのか低いのか、年は若いのか老人なのか全くわからない。西方のルーンにはそういうものもあるとアリブが昔言っていたか。

「ユニさん、でしたね。異世界門を破壊しようとして捕まったとか。まだその気持ちはありますか?」

「……あったらどうするんだい?」

「志を同じくする者たちがいます。是非力をお借りしたい」

「……無理だね」

「何故また?」

「理由は簡単。顔も見せないやつは信用できない」

「…………なるほど。まあ、今日は顔見せですよ。顔は見せてないですけどね? あなた方の活動に感銘した者たちがいるとだけ覚えておいてください。じゃ、また」

 ソイツは来たときと同じようにふらりと姿を消す。ユニがベンチの背もたれに体重を預け深呼吸していると、プラサが戻ってきた。

「お帰り。ナンだったの?」

「何でしょうね? あと一人まで追い詰めたら欺瞞の術を強化され、気が付いたら倒れたひとごといなくなってました。ユニさんの方でも何かあったみたいですね」

 プラサの周りにユニの精霊が舞っている。トラブルがあったことだけは伝わったらしい。

「ああ、なんか変なのがやってきて仲間にならないか、だって。断ったけど」

「それはそれは。悪名がとどろくと大変ですね」

「よせやい。でも、なんだろうねアイツら」

「わかりませんが、西方人だけではないと思います。武器、戦い方は各国の寄せ集め、見たことがないものもありましたから『こちら』の世界の人間の可能性すらありますね」

「厄介だねえ」

「ええ、まあ」

 プラサはユニのとなりに腰かける。

 しばらく周りをぼうっと見ているうちに打ち合わせを終えた奈美とマサリが合流した。

「ごめんなさい、遅くなって」

「いえ、大丈夫です」 

「ん? ホントに? なんだかつかれた顔をしているけど」

 マサリの言葉にユニたちは慌てて笑顔を作る。

「人混みにつかれただけだよ。そっちも大変だったろ。昼飯でも食いに行こうぜ!」

 ユニは強引に話を切り替えると立ち上がった。


 ***

 奈美おすすめのレストランに四人は入り、注文を入れ一息つく。

 奈美はマサリの原稿を確認すると、マサリにアドバイスをしていく。マサリはメモを取りながら真剣に聞いている。

「……うん、これでいける。マサリ、お疲れ様」

「ありがとうございます、ゆこせんせー! これなら締め切りに間に合いそう!」

「頑張ったね」

「はい!」

 奈美とマサリが微笑んでいると、注文したランチがそれぞれの席に運ばれてくる。

「お、うまそー」

「美味しそうです」

「いただきます」

 四人で食事をはじめる。

「マサリ、また飲み物おかわり? トイレ近くなるよ」

「だってドリンクバーだもん! 色々飲んでみたいんだよ……やっぱトイレ」

 マサリは席を立ち小走りにトイレに向かう。

「だから言ったのに」

 奈美はステーキを頬張りながらその背中を見ていた。

「そう言えばマサリは私たちの世界では何やってたんだろうね? こちらを満喫しているしあまり話してくれないけど」

 ユニがパスタを丸めるのに苦戦しながら言う。

「さあ? あまり話してくれませんね。まあ皆さん事情があって来た人ばかりですし、無理に聞くものでもないと思いますが」

 プラサはパスタをフォークに巻きつけながら答える。

「そうだよね……」

「はい、でも、きっと楽しいことをやっていたのだと思います」

「え?」

「あの子、よく言ってるんです。私の人生は冒険だ、って」

「ふぅん……」

「さ、食べましょうか」


 ***

 食事を終え、四人は公園をぶらつき始める。

「祭?」

「そう。異世界との交流祭。いつもなら宇賀平市内で毎年やるんだけど、今年は交流一五周年記念とかで、この大通公園を使って大々的にやるそうなの」

 奈美の言葉にユニはさっきの出来事を思い出す。なるほど、それは反対派にも絶好の機会だ。

「でね! 今回は向こうの世界の偉いさんも呼んで交流をより密にするんだって! スゴいよね!」

「……その偉いさんの中に教会は入るのかね?」

「異世界門の管理者ですからね。当然来るでしょう」

 プラサが口を挟む。

「教会が絡んでくるのは面倒だけど、お祭りは楽しみたいかなあ」

「私たち学校の生徒もパレードに駆り出されるそうです。ユニさんもですよ。サボらないでくださいね?」

 プラサがユニに釘を刺す。

「うぇ……。めんどくさいよアタシは」

「仕方ありません。ほら、行きますよ」

 プラサはユニの腕を引っ張りながら歩き始める。

「プラサ、待った、ちょっと、早い、速い……」

「まったく、これくらいでバテないで下さい」

 そんな四人の脇を子供たちが追いかけっこをしながら駆けていく。中には西方人の子供なども混じっており、すでに異世界も人種もこちらでは関係なく人々が暮らしているのだとユニは感じていた。


 ***

「はい、お土産」

 移動に制限がかかる異世界人にとっては札幌に行くだけでも一苦労だ。

 ユニとプラサはそんなクラスメイトにお土産を配っていた。

「これが白い恋人……テレビで見ましたよ!」

 トリンが目を輝かせながら菓子の包装を解く。

「はい、どうぞ」「ありがとうございます」

「いいから食おうぜ」

「いただきます」

「わぁ……甘い……おいしいです」

「うまいな」

「おいひい」

「うん、なかなかの味だね」

 みんなでお菓子を堪能する。

「聞きましたわよ、ユニさん! 札幌まで行ったそうですわね!」

 ガラリとドアが開き、一組の貴族令嬢、カルテがお供をつれて入ってくる。

「これが白い恋人……テレビでよく見る……すごい……こんなものが……」

 カルテのお付きの一人、ルンが菓子を手に取り感動している。

「……あんまり食べると太るからね?」

「わかっておりますとも! これはあくまで記念品で、お父様に自慢するだけですので!」

「一箱買っておいたから自分のクラスに持っていってよ……。貴族同士でキャッキャしてくれ」

「何を言うのです! お友だちでしょう? それに戻ったらトリンくんに会えないではないですか!」

「え、なんの話?」

 突然出てきた名前にトリンが首を傾げる。

「あ、いや、こっちの話。そういえばカルテは向こうに帰るんだよな? いつまでいるの」

 ユニの問いにカルテは少し考え込むような仕草をする。

「そうですね……。まだ決めていませんけど来年くらいには帰ろうかと思っていますわ」

「そっか……」

 ユニの言葉にカルテは不思議そうな顔をするが、すぐに笑顔に戻る。

「なに、寂しいんですの?」

「そりゃあね。もう会うこともないかもしれないし」

「清々しますわ。でも帰る前に、貴女とは決着をつける必要がありますけどね!」

 カルテは強がるように高笑いする。

「へいへい」

 ユニはため息混じりにカルテを見る。

「てえことは、交流祭にはカルテは出られるってことだね。札幌には行ったことあるの?」

「ええ、ありますわ。ま、私は向こうでは有名人ですので、顔見せは必要でしょうけど」

「有名?」

「ええ、オルニタ貴族の子女の中でも私ほどの美貌の持ち主は他にいないでしょうし、文武両道の才女ですもの。ワジ家の名前を聞いて畏れおののかないオルニタ人はいませんわ」

「へいへい。さすが貴族様だ」

「なっ……! なんですのその態度は!」

「まあまあ落ち着いて」

 カルテが声を荒げ、それをトリンがなだめている。

「でも、交流祭でオルニタからもたくさん偉い人が来るんですよね? カルテさん、埋もれちゃいません?」

 トリンが素朴な疑問を口にすると、カルテは一瞬黙り込み、そして笑う。

「あら、トリン君。面白いことを言いますね。先日の戦いを指揮し、勝利に導いたのは誰だったかしら?」

「もちろんカルテ様!」

 取り巻きの生徒たちが嬉々として言う。

「そう、中身はともかく結果は私たち一組の勝利。そしてその戦いを指揮したのがワジ家の三女、私カルテですわ!」

 カルテは得意気に胸を張る。

「そんな私が埋もれる? むしろこれは凱旋のための前哨戦。ワジ家にカルテあり、と大々的に知らしめるのです!」

「はぁーん……」

 ユニは感心したように相づちを打つ。

「な、何ですのその反応は!」

「いや、なんか凄いなと」

「ふん、当たり前ですわ!」

 カルテは再び胸を張った。

「ユニさん。私たちはいつか帰ります。つまり、ここで何を成せばよいのか。何を学び帰ってきたのかが重要なのです。ま、遊説して終わりと言うものもいるでしょうが、それはそれだけの器だったということ」

「ふぅん……」

「それに、向こうの世界とこちらでは文化も違う。交流祭はこちらの文化を知る良い機会です」

「ああ、そうかもね」

「はい、そうです。だから、交流祭でしっかり勉強してくるつもりなのです」

「いやいや、貴族の甘ったれ嬢ちゃんだと思っていたが大したタマだ」

 いつの間にやらアリブが横で白い恋人の封を開けている。

「うん、甘い。これに合う酒はあるかな……」

「学校で酒は禁止ですよ。さ、カルテさんも自分のクラスに戻りなさいな」

 ジャージ姿のレイナが手を叩きながら現れ、生徒たちは雑談をやめ解散する。

「ハイハイ。さっき皆さん話していた交流祭の話です。来週の定期便でオルニタの国賓がやってきます。そして二週間後、札幌の大通公園で祭りが行われます。巨人騎士や竜が列をなす式典や、オルニタの食事屋台も並ぶ出店など十五年を記念する大々的な祭りになる予定です」

 生徒たちの声が沸き上がる。

「……のですが、のですが。うーん、言いにくいのですが、二組は留守番になりました」

「はぁ!?」

 生徒の何人かが不満を漏らす。

「いやいや、仕方ないんですって。皆さんはこちらに来て半年も経っていないじゃないですか。この大通公園のお祭りは異文化交流の場でもあるわけで、はみ出しものばかりの二組の面々にホストが務まるのか、と市議会の面々が気にしてまして……」

「そんなぁ! 先生! 何とかならないんですか!」

「うーん、難しいですね。皆さんがもう少しこちらの世界に慣れたら、あるいは許可が出るかもしれませんが」

「そんな……」

「ふうん。じゃあその式典が襲撃されたら大惨事だ。どちらのお偉いさんも集まるんですよね?」

 とニヤリと笑い聞いてくる少年。北の帝国出身のヤフルである。

「そうならないように万全の警備体制が引かれています。だいたい、国家規模の数の巨人騎士と竜騎士、さらにこちらの警察を相手に襲撃なんてナンセンスですよ」

「ははは、それもそーですねー」

「と言うわけで全くもって申し訳ないですが皆さんは留守番で。一組のお土産に期待しましょう」

 ユニは内心安堵するところもあった。教会の人間も来るのなら会いたくないのが本音である。罪人として追い出されて、こちらではのんびり暮らしているなどなかなかにバツが悪い。まさか妹にして大神官のディーが来るなどはないだろうが、会わないに越したことはないだろう。

「……ま、仕方ないよね」

「ええ、仕方ありません」

 プラサの同意に一同はホッとする。

「すいません、もう一つ。一号くんですが、先日の対抗戦での破損が多かったため、しばらく技術科の生徒たちと補修を行います。終わるまでは実習授業で巨人の使用は中止。その時間は竜の厩舎管理を行います」

「ええぇ……」

「そんなぁ……」

 生徒たちが落胆する。

「ええと、代わりにと言っては何ですが、交流祭で使う巨人の調整をお願いします。皆さんが整備すれば、より安全に使用できますからね。一号くん以外の本物の巨人騎士の整備は貴重な経験ですよ。技術科の面々が指導してくれるので楽しみにしてください」

 トリンの落胆をよそに、生徒たちは少しだけテンションが上がる。

「よし、行こうぜトリン!」

 自称ユニの舎弟、ベロクがトリンの腕を引く。

「うん! 補修前にワックスがけしておくよ!」

 二人は早速教室を出ていった。

「元気いいねぇ」

「トリン君は本当に一号くんが好きなのね」

「そうだね。トリンと一号は仲良しだもんね」


 ***

「……ねえ、プラサ、これってどういうこと?」

 一週間後。ユニたちは宇賀平駅のホームにて異世界からのSLの到着を待っていた。

『宇賀平観光協会』と書かれた半纏を纏い、スーツ姿の市役所の担当と一緒に立っている。

「バイトです。ユニさん、本代くらい自分で稼がなきゃって言ってたじゃないですか」

 そうなのだが。今回の便は偉いさんがいっぱい乗ってくるのだろう? ユニのような脛に傷持つ輩にお迎えをやらせて大丈夫なのか? 

「大丈夫です」

 担当氏は力強く言いきる。

「ユニさんが向こうの世界でお尋ね者と言う話は聞きました。だからこそ更正した姿を見せることでこちらの世界が魅力的であることをアピールするのです。名付けて『不良が捨てられた子猫にエサをやったらいい人に見えるよね』作戦!」

「それダメな奴だよ! ていうかさ、そのネーミングセンスはどうにかならなかったの?」

「ええ、どうにも……」

「おいコラ! 聞こえてんぞ!」

 駅員のおじさんが怒鳴る。

「ごめんなさい!」

「すみませんでした!」

 担当氏は咳払いをする。

「さ、時間です。偉い人の相手は正職員がしますから、貴女たちは一般の皆さんのお迎えをしてください」

 その言葉を待っていたかのように炭鉱の坑道に引かれたレールから汽笛がなる。

「あ、来た!」

 線路の向こうから蒸気機関車が現れる。

「あれがSL?すごい大きいですね……」

「そうよ。石炭を燃やして走るの」

「ほええ……」

「さ、来ましたよ、笑顔笑顔! 皆さんお迎えして!」

 担当氏に尻を叩かれユニたちは所定の車輌のドアの前へ走る。

「ようこそ! 宇賀平市へ!」

 二人は降りてきた異世界人たちに笑顔を向ける。

「こんにちは!」

「こんにちは」

「ようこそいらっしゃいました!」

「はい、こんにちは」

「遠いところをありがとうございます!」

「いえ、こちらこそ」

「お疲れ様です!」

「ええ、ありがとう」

 なんとかなるものだ、と改札や研修所への案内を行うユニとプラサ。やはり今回の便は偉いさんが多いようで、その分護衛の騎士たちや傭兵の姿も多数みられる。一般の異世界人が少ない分、ユニたちの割り当てられたお迎えはそう時間もかからずに終わりを向かえた。

「こんなものですかね」

 プラサもにっこりとユニに笑いかける。

 ふと偉いさんの降りる車輌に目をやると、白いローブ姿の一団が順繰りに下車しているところだった。

「教会の人たちですね。知り合いはいます?」

「いても会いたくないよ……」

 教会の面々は担当氏に連れられて改札に向かう。ユニはプラサの背中に隠れ目立たないようにし、プラサの前を次々と通過していく。「……あれ?」

 しかし一人の少女がこちらを見て立ち止まる。

「……ねえさま?」

 ユニと同じ銀色の髪の少女。大事な妹にして教会の大神官。

「……ディー。来ちゃったか……」

「姉様!」

 飛びつこうとするディーだが、護衛の神官が肩をつかみかぶりを振る。

 ディーは後ろ髪を引かれるように小さく頷くと、ユニにお辞儀をして列に戻る。

「よかったですね、姉妹の再会で」

「うん……。でも、なんか複雑……」

「あちらで何かあったんですか? なんというか、ちょっと素っ気ないというか」

「まあ、アタシは罪人。向こうは大神官様。異世界送りにした張本人だからね」


 **

 バイト代を受け取ったユニとプラサは駅前の『かまどや』にてそばをすすっていた。

「それはユニさんを死刑にしないためにみんなまとめて異世界送りにしたんだと思いますよ。優しい妹さんじゃないですか」

「まあ、理屈ではわかってるんだけど」

「それに、向こうでは罪人でもこっちではただの学生です。遠慮することもないでしょう」

「アタシは、ね。向こうは現役の大神官様だ。異世界送りの罪人と仲むつまじくしてたら余計な勘繰りをされてしまうよ」

 ユニは付け合わせのタクアンをボリボリ齧る。

「ままならないモノですね」

 と、プラサは汁に浸したコロッケにかぶりつく。

「神官さまたちはこのまま札幌に行って警備に守られて交流祭を向かえるそうです。ホテルも貸しきりだとか。交流祭が終わったあと二ヶ月は過ごすことになりますから、そこで会えるといいですね」

「うん、そうだね」

「さて、あずまさんのカミナリが落ちる前に帰りましょうか。いつもの立呑屋でマサリも拾っていきましょう」

 と、プラサは立ち上がる。

「うーん、やっぱり会ったほうが良いかなぁ」

「そうですね。もう会うこともできないかもしれないんですし、今のうちに会っておいた方がいいですよ」

「そっかぁ……。うーん、難しいねぇ……」


 ***

 同じ頃、いつもの立呑屋でアリブは呑んでいた。

 珍しく客が「一人もいない」。あのやかましいマサリさえも来ていない。

 なぜかそれを不審に思うこともできずアリブはグラスを傾ける。

「それは私が奢ります」

 いきなりの声に横を向くと、一人の影が同じくグラスを傾けている。

 男なのか女なのか、若いのか老人なのか、目の前にいるのにわからない。

「知らないやつに奢ってもらうほど落ちぶれてはいないんだがね」

 とアリブは嘯く。

「これは失礼。わたくし、あなたのファンでして」

「ファン?」

 アリブの眉毛がピクリとあがる。

「ええ、ええ。異世界門を破壊しようとしたレジスタンスのリーダー。もとオルニタの北壁将軍。そして先日の対抗戦ではみ出しものの二組を事実上の勝利に導いた立役者。ただし学校はサボりがち」

「すっかり調べてるってわけだ」

 アリブは酒を煽る。

「はい」

「それで、何が目的だい?」

「アリブさん、まだ異世界門の破壊に興味あります?」

「ないな」

「即答ですか」

「ああ、ない」

「ふむ」

「……ないけど、あんたが俺に何かさせようとしているなら乗ってもいい」

「なに、簡単なことです」

「簡単?」

「また戦をやってほしい。処は札幌、観客は教会」

「……ふむ」

 アリブは酒を呑む手を止める。

「ああ、お返事はまた今度。じっくりお考えください。でも確かなのは、あなたは根っからの戦争屋だと言うことですよ。実際、こちらじゃヒマでしょう?」

「……」

「それに、これはあなたの敬愛する姫様と一戦交える最後の機会です。この機を逃せばもうあなたがあの誇り高く高慢、人を信じつつも手駒と割りきるあの姫を見返す機会はもうないでしょう。ではまた」

 影が指をぱちん、と鳴らすともとの立呑屋の雑踏が帰ってきた。グラスの下には紙幣が一枚。

「……足りないんだがなあ」

 紙幣をポケットに入れ、アリブはもう一度グラスを傾けた。


 ***

「ひっくし!」

「先生、風邪? 風呂あがりに裸でゲームしているからだよ」

 レイナのくしゃみに奈美がやれやれと言う様子で目を向ける。

 居間でいい歳の女性がテレビに向かいコントローラーをガチャガチャと動かしている。しかもパンツ一丁。

「なんだか嫌な予感がします」

「レイナしゃん、ガチャでも外した?」

 タブレットにペンを走らせながらマサリが聞く。

「いや、そういうのではなく……ぶしっ!」

「早く服を着てください。漫画のネタにしちゃうよ?」

「そうですね……、このボスを倒してから……よし!」

 レイナの操る剣士が巨大なモンスターに連撃をあたえ、見事勝利のファンファーレが鳴り響く。

「すっかり湯冷めしてしまいました」

「じゃあ今日は早めに寝ようか?」

「そうですね、そうします」

 レイナは脇に畳んであったパジャマを着込む。

「ところでさ、マサリ」

「なんすか?」

「交流祭の日、取材がてら札幌に行くんだけど、一緒に行かない?」

「え? いいの?」

「もちろん! 祭りのついでに梶さんに原稿をみてもらおう!」

「やった!」

「先生は参加するの?」

「気乗りはしませんが参加です。できれば私もクラスの面々と留守番したかったのですが」

「ええ? どうして?」

「いえ、なんでもありません」

「ふーん……」

 奈美は首を傾げる。

「さて、そろそろ寝ましょうか」

「そうだね、おやすみなさい」

 奈美とマサリは原稿に戻り、二人だけの時間が訪れる。

「さて、もうひと頑張りしますか」


 ***

 明くる日、ユニたち二組の生徒は二班に分かれ、巨人騎士の調整と竜の世話を行うことになった。

 ユニとプラサはサイロを隣に持つ牧場を改装した竜の厩舎に立ち、広い敷地に漂う草の匂いを堪能していた。

「いいところですね、ここ」

「うん、のどかで気持ちいい」

 二人は顔を合わせて笑う。

 周りには鱗張りの恐鳥類といった風体の地竜たちが気ままに歩き回っている。

 やはり東方人たちは竜の扱いに手慣れているようで、気分を推し量りながらヒラリヒラリと扱っている。

「東の国では成人の儀を終えると自分と伴侶につがいの竜が贈られます。彼らは家畜ではなく、一生を共に過ごす家族なのです」

「へえ」

「だからこそ、竜を持たないものは半人前として扱われる。私も長い冒険者暮らしをしていましたが、東の国ではどんなに凄腕であろうとも、竜を持たないものは子供扱い。士族の決定に口を出すことはできません」

「なるほどね……」

「ですから、私は私より優れた竜使いを求め旅をしていたのです。見つからないまま宇賀平までやってきてしまいましたが」

 プラサはすり寄る竜の鼻先をなでてやる。どうやら先日の対抗戦で騎乗した竜らしい。

「プラサはすごいよ。アタシなんて、自分のことで精一杯だったもん」

「そんなことは……」

 プラサは謙遜するが、その表情はどこか誇らしく見える。

「おーい! サボるなよー!」

 牧畜科のがっしりした教師の声が響いてくる。

 プラサがユニの手を掴み立ち上がらせると、二人は小走りに教師のもとへ向かっていった。


「今日は巨人騎士の方に行かなかったお前たちのために、俺のとっておきを見せてやろう!」

 熊のように毛むくじゃらの教師は厩舎の奥の扉を開く。

 そこからのそのそと一匹の竜が歩み出る。

 他の竜より一回り大きい姿にユニはほう、とため息をつくが、東方人たちはそれとは違う感嘆の声をあげた。

「せ、せ、センセイ? この子、飛竜ですよね?!」

「そうだぞ、こいつは火焔の吐息をはく飛竜だ」

「うわー、はじめて見たー」

「この子は俺が育てた。竜使いの修行を積んだわけではないが、俺はこの子に愛されている。だからこうして連れてきている」

 学者の生徒が手を上げる。

「先生、飛竜は保護種になってますよね? 異世界の移動は禁止されているはずですが」

「もちろん知ってるよ。この子、ドン丸は密輸業者に子供の頃に無理やり連れてこられてな……。俺たちが取り返したのさ。それ以来懐かれて、こちらで育てる許可をとったと言うわけだ!」

 教師は豪快に笑い、一緒にドン丸も羽を羽ばたかせ小さく鳴く。

「まあ、そんなことだろうとは思っていましたが」

 と、プラサは呆れたように言う。

「しかし、まさかこんなところに飛竜がいるとは」

「先生、この子は乗れるんですか?」

 東方人たちが目を輝かせる。

「きままに空を飛ぶことはあっても人を乗せたことはないな。俺が乗ろうとしてみたがこの図体だろ? こてん、と転げ落ちちまった!」

 熊のような教師は見た目のままに割れんばかりに笑う。

「乗せてみるか?」

 教師が飛竜のドン丸に聞くとくう、と声をならし姿勢を低くする。乗ってもよいらしい。

「うわぁ……、なんか緊張するね」

「大丈夫、先生が支えてくれていますから」

 プラサが促す。

「さあ、おいで!」

 ドン丸の背に乗り込む生徒。鞍などはないため、手綱を取り付け固く握ってもらう。

「先生、しっかり掴まってるね!」

「ああ! 振り落とされないようにな!」

「はい!」

 大地を二本の足で踏みしめ、ゆっくりと力強く羽を羽ばたかせ上昇する飛竜。

「おお、いい眺めだな」

 ドン丸も人を乗せたことがないため恐る恐るとした様子であまり高度は上げていない。

 遊覧飛行としてならこのくらいがよかろう、という案配だ。

「先生、私も乗っても良いですか?」

 辛抱できなくなったプラサが普段のたおやかな姿とは違い興奮気味に聞いてくる。

「おう、いいとも! だが、あんまり暴れるんじゃないぞ!」

「はい!」

「プラサ、危ないよ?」

「心配ご無用です」

 プラサは手綱を手に取るとヒラリとドン丸にまたがる。

「大丈夫ですよ。あなたの力を知りたいだけですから」

 ドン丸にささやき、手綱を引く。飛竜の力強い羽ばたきと共に、プラサは他の生徒よりも高く舞い上がる。

「うわあ……!」

「これは、なかなか楽しいですね!」

「プラサー、気をつけて!」

「ええ、わかっています!」

「ははは、気に入ってもらえてよかったぜ!」

 教師は大空を舞うプラサたちに手を振る。

 それに気づいたプラサも手を振りドン丸も大きく空中で宙返りする。

 ひとしきり楽しんだあと、ゆっくりと飛竜は大地に足を下ろした。

「先生、ありがとうございました。飛竜に乗るのは久しぶりで……楽しませていただきました」

「いや、ドン丸も楽しそうだったしいいってことよ! また乗りたくなったらいつでも言ってくれ、お前たちなら大歓迎だ!」

「はい!」

 プラサは嬉しそうに微笑みながら降りてきた。ユニたちもそれに続く。

「センセ、アタシにも乗り方教えてくれる?」

「おっ、いいぞ! 今日は授業はないしな、存分に楽しんでくれ!」

「やった!」


 ***

「てな感じでさ、ドン丸のやつ、かわいいんだ……」

「ユニさんいいなー。僕らは巨人にワックスがけですよ。足場が狭くて怖いのなんの」

 トリンはハァと溜息をつきながらペンキ缶を床に置く。

「巨人騎士の方は順調なのか?」

「ええ、一組の皆さん、交流祭前にきれいにしておきたい、って協力してくれました。あー、僕も一号くんに早く乗りたい!」

 トリンは足をじたばたする。

「おー、がんばれー」

「もう、他人ごとじゃないですよ?」

「へいへーい」

「まったくもう……。そういえばユニさん、アリブさんってそちらにいました?」

「え? いないけど……」

「そうなんですよね……。今朝から見かけなくて」

「へえー。そう言えば囚人組の連中もいないな。みんなでサボってバーベキュー……なわけないな」

「ですね」

 ユニと一緒に捕まり異世界送りになった囚人、つまり『異世界分断戦線』の連中がごっそりといない。凶兆でなければいいが、とユニは思う。

「プラサ、アリブに連絡つかないか? ちょっと気になってきた」

「わかりました」

 プラサはスマホを取り出し連絡を試みるが、やはり繋がらないようだ。

「ダメですね」

「そっか。……どこかで呑んだくれているだけと信じよう」


 その後、アリブたちは交流祭までいつもの呑み屋にさえ姿を見せなかった。


 ***

 あれよと言う間に時は経ち、交流祭その日。

 札幌の大通り公園に会場が設けられ、厳重な警備の中、人々は祭りの賑わいに沸いている。

「マサリさん、仕上げてきましたね!」

 と大通りに面したオフィスで梶が原稿を手にマサリを労う。

「ど、どうでしょう?」

 隣に座る奈美も我がことのように心配そうな目を向ける。

「ふむ、これなら大丈夫かな」

「良かったね、マサリちゃん」

「よよよよし! マサリ先生のデビュー作だ!」

「よし、じゃあ早速校正しようか」

「はいっ!」

 原稿の話に盛り上がる梶とマサリに安堵した奈美はふと窓の外に目をやる。

 大通りでは奈美にとっては見慣れた、札幌の人々にとっては珍しい、巨人騎士が列をなしている。

「梶さん、巨人見ます? 真下にいますけど」

「え! マジ? まじ?」

 梶も流石に男の子。ロボとかドラゴンなどと聞くと目を輝かせ窓による。

「ほ、ほんとにいるじゃん! かっけぇ!」

「巨人騎士は交流祭の間ずっとここにいるんです」

「いいなぁ。巨人騎士のそばで働けるなんて」

「編集さんってみんなそう言う子供っぽいところありますよねー」

「うるさいな。夢見るのは自由だろ?」

「はいはいそーですね」

「むむむ、なんだその態度は」

「いひゃいれすー」

「あれ? あそこにいるのレイナちゃん?」

 マサリが指で示す方向は古参の異世界人や政府関係者が座る貴賓席。

「んー。遠くてよくわからないねー」

「あ、でもなんかすごい人だかりできてますよ? 誰か有名人がいるのかもしれませんね」

「うわ、それは見てみたい」

「じゃあ行ってみます? ここからなら近いですし」

「そうだね」

 三人は荷物をまとめ、編集部を飛び出した。


 ***

 宇賀南の学生食堂では居残りの二組の面々が定食をがっつきながらテレビ中継される交流祭の様子を見ていた。

「残念だったね、あんたたち。今日は奢りにしてやれ、て先生方から言われてるから好きなもん食って元気だしな!」

 食堂のおばちゃんがドンと大きな丼をテーブルに置く。

「おお、うまそう!」

「こっちの唐揚げもうまいぞ!」

「ありがと!」

「サンキュー!」

「センセーたち、今頃何してるんだろう?」

「あ、カルテだ。うわ、何あの上品ぶった笑顔」

「相変わらずね」

「……ねえ、あそこ混んでない?」

「本当だ。なんかすげー人だかり」

「各国の巨人が並んでるよ……。本国でもあんなの見られないぜ?」

 思い思いにテレビに向かい感想を口にする二組の面々。やはりどこか残念そうである。

「……あっ!」

 プラサが声を上げる。

「どうしたのプラサ?」

「あそこです! レイナ先生です!」

 プラサは指さす。確かにそこには青髪の女教師の姿がある。しかし、様子がおかしい。

「なに、あの人だかり。ていうかあのドレス」

 テレビに写るレイナは仏頂面で王族が纏うケープを羽織り貴賓席に座っていた。

「ああ、こうなるから行きたくなかったんですね」

 プラサは一人得心いった、という風情で首を縦に振る。

「ん、どういうこと?」

「ま、話したくなったら話してくれるんじゃないですか? 間違いないのは彼女はレイナ・ダン・ラウルト・オルニタ。オルニタの元第三皇女にして先代の北壁将軍だったということ」

 プラサはたおやかな笑みを皆に向ける。

 ユニが立上がり、プラサに何か言おうとしたが、突如駆け込んできたベロクに遮られた。

「みんな、大変だ! ……一組の騎士たちが倉庫に縛られてる!」


 **

 ユニたちが体育倉庫にたどり着くと、確かにロープでぐるぐる巻きにされた男女がいた。トリンたちがワックスがけを手助けした騎士たちだ。

「何があったんだい?」

 猿ぐつわを解きながらユニが聞く。

「うううううう!」

「わかんねぇよ!」

「……ぷは、俺たちは交流祭で使う巨人騎士の整備をしていたんだ。そうしたら突然捕まって、ここに連れて来られちまった……」

「じゃあ、交流祭に出ている巨人は誰が乗っているんです?」


 **

 札幌の交流祭会場を練り歩く巨人騎士。

 その先導を行う竜騎士ルンは列を離れ、先頭で旗を掲げるカルテの横に着いていた。

「カルテ様、妙です」

「……ええ、私も感じています」

 二人は小声で話す。

「巨人の動きがぎこちないですわね。竜騎士たちはどんな感じかしら?」

「はい、いつもより動きが鈍いですね」

「……なにかあるのかしら?」

「ことによると、周りは全て敵かもしれません」

 その時、会場のスピーカーからノイズ混じりの声が聞こえてきた。

『みなさま! これより巨人騎士によるパレードを行います!』

「……いよいよですね」

「カウラに警戒するよう伝えてちょうだい。政府の要人から離れないように」

「はい」

 ルンは竜にまたがりカルテから離れていく。

 何事もなければよいが、とカルテは再びワジ家の紋章が刻まれた旗を高く掲げた。


 ***

「これこれ! この味だよ!」

 マサリは西方人の屋台から買った携帯食を頬張り奈美たちに解説する。

「これは冒険者たちがダンジョン内で一休みするときによく食べる食事なんだ! 塩分が効いてて体にもいいんだよ!」

「へえー。美味しいね」

「ええ、とてもおいしいです」

「あ、あっちにはもっとすごいのもあるよ!」

 マサリは二人を引っ張って次の店へと連れて行く。

 オルニタ料理で両手がふさがったころ、梶が目ざとく見つけた休憩スペースに三人は腰を下ろし、買った料理を並べていく。

「さあ、食べてたべて! 東方人の自然食やオルニタの貴族料理! どれも美味しいよ!」

「ははは、すごいね。こんなに食べられないよ」

「そうですね。ん? マサリどこ行くの?」

「うん? トイレ。ちょっと行ってくるよ! 待ってて!」

 マサリは勢いよく立ち上がり走って行く。

 奈美はその背中を見つつ、脇を行進する巨人騎士たちに目を移す。

「なんか変じゃないですか?」

「そうかな?」

「はい。なんといいますか、歩き方がロボットみたいなんです」

「ロボットって、君ね」

「いえ、本当にそんな感じなんです」

「うーん、近くで見ている奈美さんがそう言うならそうなんでしょうね。電波塔前から道庁前までパレードして、そこで式典でしたっけ」

「はい」

「なら、少し休めるのはあと一時間くらいかな」

「そうなんですよね」

 奈美はため息をつく。せっかくの祭りなのに取材ばかりでゆっくりできない。

「まあまあ、もう少しの辛抱ですよ」

 などと話しているとマサリが手を拭きながら戻ってくる。

「ただいまー。奈美しゃん、梶しゃん。ここ、離れたほうがいいかも」

「え? 何で?」

「……なんだか、戦場の空気が漂ってる。道庁のほうには人避けのルーンも仕込まれてるし、何か起きるよ」

 マサリは目を細め、遠くを見るような表情になる。

「マサリちゃん、それって……」

「うん、あたしたちの故郷でもよくあったこと。……戦いの前にはよくこんな風が吹いてた」

「そっか。じゃあ編集部に戻ろう。ゆこ先生の取材は悪いけど屋上からということで。いいかな?」

「いいと思います」

「うん、仕方ないね」

「じゃあ、行こう」

 三人は立ち上がり、足早に会場を去る。奈美たちが編集部へたどり着いたとき、大通公園から爆発音が響き渡った。


 **

「分断された?」

 先頭を歩き既に道庁前の広場にたどり着いていたカルテは、突然の爆発音に後ろを見る。「はい、どうやらそのようです」

 カルテの問いにルンが答える。

「一体何が……」

「おそらくですが、何者かが襲撃してきたのでしょう」

「それはまずいわね。ルン、斥候を」

「はい」

 ルンのまたがる竜は勢いよく駆けていく。

「皆様、落ち着きなさい! まずは体勢を整えること! 何者かわかりませんが、こちらに控える神官様が狙いでしょう。守りを固めるのです!」

 カルテの声が広場に響き渡り、オルニタ人たちは落ち着きを取り戻す。

「ルン、無事でいて……」

 カルテは小さく呟いた。

「さて、あなたたち。ここは危険だから下がって」

 カルテは一般人たちに避難を促す。

「あ、あの!」

「ん?」

 カルテは振り返る。

「騎士様、頑張って!」

 札幌の子供たちが不安そうに見つめてくる。

「大丈夫ですよ。人々を守るのが騎士の役目。あなたたちは終わるまで安全なところに隠れてなさい」

 カルテは微笑む。

「カルテ様! ご報告します!」

「どうしたの?」

「敵襲です! 巨人騎士が暴れだしました!」

「巨人騎士が!?」

「はい! それも一組の騎士たちが……」

「……やられましたわね。おそらく平和ボケしていた騎士が巨人を奪われたのでしょう。残存する巨人騎士で食い止めなさい。竜騎士たちは三手にわかれ情報収集と教会、要人の護衛にかかるように。行きなさい!」

「は!」

 騎士は敬礼すると竜に乗って飛ぶように駆けていく。


 ***

 突然の騒乱に大通公園は大騒ぎになっていた。

「おい、あれ見ろよ!」

「うわ、なんだありゃ!」

「巨人騎士が暴走しているぞ!」

「きゃああああ!」

 悲鳴があちこちで上がる。

「皆さん落ち着いてください!」

 警官隊の呼び掛けと避難誘導にしたがい退避する観覧客をよそに、巨人同士の戦いが始まる。

「何が起きた!」

 要人達も警護の人員に連れられ避難を始める。

 怒声と不安がたちこめる要人席で、レイナはただ一人席に座ったまま推移を見守っていた。

(魔術師たちは破壊魔術を使っていない……。竜騎士たちも積極的にこちらに斬り込まない……。政府が目的ではない……)

 レイナの思考は加速していく。

 その時、巨人の一機が斬撃を捌ききれずに足をよろめかせ要人席に倒れこむ。轟音と砂煙が巻きあがる。

「ふむ」

 魔術師たちが設置していた障壁により巨人は席の手前で止まり膝から落ちていく。

 要人達は悲鳴を上げて我先にと席を離れようとするが、見かねたレイナが声を上げる。

「落ち着いて! 障壁がある以上ここが一番安全です。しばらくはもつでしょう」

 言いながらも兵士達の挙動一つ一つを捉えようと目は戦場から離さない。

『レイナ様! カルテ様からこちらを守るよう指示を受けました! あとは任せて!』

 牛のような二本の角飾りをもつ巨人騎士、カルテの護衛にしてワジ家の騎士カウラが駆るタウロナイトが貴賓席の前に現れる。

「ええ、ありがとう」

「はい!」

 カウラの巨人騎士は巨体にも関わらず俊敏な動きで巨人騎士の一機に組み付き、そのまま地面に叩きつける。

「……安全を確保次第順に退避をお願いします」

 レイナは政府の関係者へ告げると携帯電話を取り出した。


 ***

「なんだってんだよ……!?」

 宇賀南の学生食堂でテレビ中継を見ていた二組の面々は、突然の出来事に目を疑っていた。

「ディーは、ディーは無事なのか? 奈美は、マサリは?」

「ユニさん落ち着いて。テレビに語りかけても答えは出ません」

 プラサの言葉にユニはテレビから手を離す。液晶画面には汗のあとが残っていた。

「……悔しいけどその通りだ。アタシたちに出来ることはあるかな」

「……わかりません」

「でもこのままだと……」

 その時、プラサの携帯が振動する。

「……レイナ先生だ! もしもし?」

『プラサ、テレビは見てますね? なら話しは早い』

 プラサは通話をスピーカーモードに切り替える。二組の生徒達がレイナの言葉を待つ。

『あなた達を残したのはこの可能性を見越していたからです。自由に動ける戦力がないといざというときに手がなくなる。それに、冒険者の多いあなた達なら自己判断で指示待ちになることなく動けるでしょう?』

「でも先生。俺たち、そちらに行く方法なんて無いぜ? 巨人だって……」

 生徒の一人が肩を竦める。

『大丈夫です。一号くんを残したでしょう? ……多分今ガッカリしたと思いますが。技術科の倉庫に行きなさい。ビックリしますよ』

 生徒達がにわかにざわつく。

『何人かは駅に向かいなさい。駅長に話をしてあるので異世界門用のSLが使用できます。駅長から線路は通過できるように話してもらっているはずです』

 数名の生徒がおう、と駅に駆け出す。

『プラサは睦月先生から飛竜を借りて自力で向かうように。飛竜なら最前で戦闘に加われます』

「わかりました」

「先生、アタシも行きます」

 ユニが立ち上がろうとするが、レイナは制止する。

『いえ、あなたはここに残っていて下さい。あなたは最後の仕上げ。ここで失うわけにはいきません』

「でも……」

『大丈夫です。私の予想通りなら……それでカタが着くはずです。そしてあなたには一番辛い役目を負ってもらいます』


 **

「これが一号くん??」

 トリンは技術科の面々が自信満々に見せるその巨人の姿に目を白黒させていた。

 骨格に簡易な安全装備を着けただけの見慣れた姿の面影はなく、緋色の鎧を纏い、刀を二本ぶら下げた堂々たる騎士である。

 しかも背中に背負ったマナ機関は通常の騎士が背負うものより一回りも大きく、それでいて体と調和しておりこの騎士本来の装備であったことを感じさせる。

「巨人騎士『スカーレット』! 聞いたことあるだろう?」

 トリンは首を縦に振る。

 北方帝国で最強、無双と呼ばれた赤騎士だ。二〇年ほど前にレイナが守る北壁要塞の戦いで行方不明になったと聞いた。

「一号くんは伝説の巨人騎士だった?」

「て、ことだね。もう戦わせたくない、と本来の赤騎士さまが寄贈したそうだ。でトリンくん、お前さんに乗りこなせるかな?」

「やってみるさ」

「よし、じゃあトラックに乗せて駅に向かうぞ! 頼んだぜ!」


 ***

「熊先生、いや睦月先生。ドン丸をお借りしますね」

「ああ。本物の竜の姿を見せてやれ。やれるな、ドン丸」

 飛竜は力強く雄叫びを上げる。先日と違い鞍や鎧も身に付けた立派な飛竜姿だ。

「よろしく頼みます」

 プラサは飛竜の背に登ると手綱を握る。振り返る飛竜の瞳に自分の姿が映り込む。

「さあ、行きましょうか」

 飛竜は羽ばたき、大空へと舞い上がった。


 ***

 駅では既にSLがその黒い巨体から蒸気を上げ、二組の面々を待っていた。

「よし、若造ども! いつでも行けるぜ! 窯の中も十分に暖まってらあ!」

 機関士は警笛を大きく鳴らす。

 不要な後部車両も切り離し、一号くんに地竜たち、そして二組の面々を乗せると機関車は動き出す。

「さあ、行くぞ!」

 二組の面々はSLの窓から見える景色を眺める。

「すごい……」

「ああ、すげぇ……」

「まるで映画みたい……」

「うん……」

 皆、興奮気味に言葉を交わす。皆冒険者の鎧やローブなど、懐かしい衣服に袖を通している。

「この世界の連中なら、ゲームから出てきたのかい? て聞いてくるかもな!」

 生徒の一人が歯を剥き出して笑う。

「ああ、きっとそう言われるぞ! 勇者様ですか? ってな!」

 生徒達も笑いだす。

「おい、見えてきたぞ!」

 ほどなく見えてくる巨大なさっぽろ駅。左手の電波塔方面からは煙があがっているのが窺える。

「プラサばかりに格好いいところは見せられないからね! アタイたちはここから行くよ!」

 東方の竜騎士たちは停車を待たずに次々と市街地へ降りていく。

「よし! 頼んだぜ!」

「ああ!」

 二組を乗せたSLは速度を落とし、駅のホームに入る。

「うわぁ……!」

「おおぉ!」

 二組の生徒達は歓声を上げる。

「ここが、異世界!」

「お城みたい!」

 二組は大騒ぎしながら、駅構内に足を踏み入れる。

 耳長の西方人たちが早駆けと守りのルーンを唱えもと冒険者たちが大通りへと向かっていく。

「まずは魔術師たちを押さえるぞ!」

 人避けのルーンを解除すれば魔力抵抗のできないこの世界の機動隊も加わることができる。

「おっしゃー!」

 二組は魔術師たちを追う。

「待ってろみんな……必ず助ける……!」

 ***

『あ、あー。我々は異世界分断戦線である。このように、異世界同士が交流してもろくなことにならない。我々の主張はただ一つ。即刻異世界人を退去させ、ゲートを封鎖すること。それだけだ』

 司会席のマイクを奪い、襲撃者の一人が自分達の主張を始める。

『何が交流一五年だ。山奥に閉じ込め我々を研究材料として観察している。我ら異世界分断戦線はそのような政府の行い、また、それを容認する教会のあり方に異議を申し立てる』

「そんな! 我々の治水や建築に医療、農耕技術だって提供しているし、資格を得れば町の外でも働ける! あくまで対等のパートナーとして交流しているつもりだ!」

 政府の大臣がレイナの横で叫ぶ。

『政府はそう思っているかもしれないが、教会は違う。彼らは異世界人の知識を独占するために彼らを監禁しているのだ!』

「……そんなことはありません」

 レイナの言葉は、しかし会場に響くことはない。

『故に! この要求が聞き入れられない場合、教会の神官たちに犠牲を払ってもらうことになる! 心せよ!』


 カルテたちは大通公園に響き渡る自称異世界分断戦線の宣言に教会の人々が集まる道庁の守りを固くする。

「狙いは神官様方。皆様、踏ん張りますわよ!」

 カルテは剣を抜き放ち、部下達に檄を飛ばす。だが、その表情には不安の色がありありと浮かぶ。

 大通公園側より土煙が見え、竜たちが駆ける足音が響いてくる。ルンたちが討ち漏らした竜騎士たちが向かってきている。

「盾兵! 前へ!」

 竜騎士の突進を防ぐために重装歩兵部隊が前線に出る。

「魔術部隊、構えなさい」

「はい!」

 カルテは部隊の隊長に声をかけ、相手と接触するタイミングを計る。

「撃て!」

 カルテの合図で火球が、氷の槍が、風の刃が飛び交う。

「ふんっ!」

 先頭を走る竜騎士たちは魔術の嵐を躱しながらカルテたちめがけ突っ走る。先頭の騎士が盾をもつ兵士たちに衝突する。盾をもつ兵士達の陣に隙間が出来たことを見定めると竜騎士たちは再び距離を取り、二度目の突進を試みる。

「ここを防ぎきらないと後続が合流しますわよ!」

 カルテは正念場と自身も槍を携え構えを取る。

「来なさいな……!」

 竜騎士が突撃し、兵士の隊列に激突した。

 力と力が正面からぶつかり合う。

「ぐぬぅ……!?」

「きゃあっ……!」

 カルテの部隊が後方に押し戻される。竜騎士の力は人間の比ではない。

「カルテ様ッ!」

「大丈夫ですわ! 皆さん、しっかりなさい!」

 部隊は態勢を立て直す。

「はい!」

 盾の隙間をこじ開けるように竜騎士たちは力をこめる。ぶつかり合いではカルテたちは分が悪く、少しずつ防衛陣が散らばってゆく。

 公園のほうからは合流する兵士達の足音。

「まだです! このカルテ、ワジ家の者としてここで引くわけにはいきません!」

 陣が破られんとしたその時、横殴りに割り込む一団が竜騎士たちを吹き飛ばす。

 それは二組の竜騎士隊。北の大地で育てられた竜達をあやつるはぐれ者たち。

「大丈夫か? こっちは任せてくれ」

 二組の竜騎士が声をかけるとカルテは口角を上げる。

「あら、随分と遅い到着ね」

「悪いな、ちょっと寄り道をしてたんだ。上を見なよ」

 カルテが空を見上げると、大きく雄叫びを上げ、羽の生えた竜が大空を我が物のように飛んでいた。

「あれは、飛竜??」

「ああ。プラサだよ」

 竜騎士は自慢げに言う。

「プラサさんが飛竜を?」

「ああ。飛竜は無敵だよ。なんたって、巨人騎士はもともと飛竜に対抗するための物だったくらいだからな!」


 プラサは飛竜と大空を舞う。

 速く、速く。強く、強く。巨人も地竜も魔術師も所詮は地を這うモノたちだ。この天空を支配するのは本物の竜とそれを駆る騎士。

「飛べ! ドン丸!」

 プラサの呼びかけに飛竜は答えるように力強く鳴き、翼をはためかせる。

「さあ、行きましょう!」

 飛竜は力強く地面を蹴り、一気に上昇する。

「飛竜だ!」

「竜だ!」

 飛竜は息を吸い込むと、こちらを見上げる巨人に向かい焔を放つ。

 巨人の叫びと共に炎が辺り一面に広がる。

「すごい……」

「ああ、これが飛竜の本気だ」

 プラサは飛竜の上で胸を張る。

「さあ、後はあいつらを倒せばいいだけだ。トリン。任せます」


 戦いは乱戦となり、数に劣る異世界分断戦線は徐々に勢いを無くしていた。

 二組の冒険者や学者たちも戦いに加わり、彼らの経験、知識で人避けを張っていた魔術師もお縄となる。

 そうなれば機動隊も参戦し、形勢は決まりつつあるように見えた。

 残存する巨人騎士たちは最期とばかりに集まり道庁へ走ってゆく。

『どうせマナも残り少ない……なら華々しく散ってやるよ!』

 いの一番に駆け出した巨人騎士はなりふり構わず避難する一般人を盾にしながら道庁へと向かっていく。

「卑怯な! 騎士のすることですか!」

 カルテが叫ぶが耳を貸す余力は彼らにはない。劣勢でもさすがに巨人騎士、道庁前まで迫り、目の前に彼の大神官、年端もいかぬ少女の姿を見る。忘れもしない、異世界送りにした張本人。向こうで受けた屈辱、今晴らさん……! 

『この恨み、思い知れ……!』

 巨人騎士は大神官の少女めがけて剣を振り下ろす。

 少女は巨人騎士の一撃から目をそらさない。

 もとよりいつかはこうなる覚悟は出来ている。

 ただ、姉さまにもう一度会いたかった。



 剣が止まる。

 背後から腕をつかむのは緋色の巨人騎士。

 その姿は力強く、美しささえ感じさせる。

「赤い……騎士!?」

 赤騎士は片手で易々と巨人を持ち上げなぎ払う。

 追い付いた残存する騎士たちはその姿を目にすると一斉に武器を構える。

「赤騎士って……冗談のつもりかよ!」

 向こうの世界で赤騎士の名はおとぎ話などでも語られ、特に騎士の間では知らぬものはいないほどだ。

 こけおどしで赤く塗った騎士が現れた。余裕の無い彼らにはそう見えた。

「なんだ、こいつは!」

「こんなの、ただのデカブツじゃないか!」

 嘲笑う騎士は4騎。

 一人が長槍を構え矢継ぎ早に繰り出す。

 よしんば腕に覚えのある騎士だとしても、槍の長さと突きの速さを生かせば遅れを取ることはない。

 ない、筈だった。

 槍は一撃目で容易く受け止められ、そのまま逆に振り回される。

「ぐえぇっ……」

「おい、大丈夫か!」

 仲間の一人が倒れたことで残りの三人は槍を捨て、各々剣や斧を取り出す。

「例のやつだ! フォーメーションを取れ!」

 3騎が直線上に並び後ろの騎士の行動を悟らせないように襲いかかる。こちらの世界の漫画で身に付けた戦法だ。

「はぁっ!」

「ふんっ!」

 三者三様に剣を振るうが、全て刀も抜かない赤騎士に捌かれる。

「馬鹿なっ!?」

「そんな!」

「そんなはずは!」

「投降してください。あなたたちが悪人でも、僕は戦いたくありません」

 赤騎士の拡声器からまだ少年の、トリンの声が響く。

「何を言うか! 我々は二つの世界のため蜂起したのだ! 夢見る子供に何が分かるかよ!」

 一騎が赤騎士に向かい飛びかかる。

 赤騎士は半歩避けようと体をそらすが、後ろに神官たちがいることを思いだす。

 判断が遅れた赤騎士は相手の一撃を食らいバランスを崩す。

「ぐぅぅぅ……!」

「ははははははははは! やったぞ!」

 勝利を確信した騎士は笑い出す。

「まて! よく見ろ!」

 赤騎士は膝立ちからゆっくりと起き上がり、二本の刀を両手に構える。背中に生える通常の巨人騎士より大きな、もはや翼のようにも見える一対の角から蒸気を上げる。

「まさか、あれは……本当に赤騎士? まずい! 逃げるんだ!」

 逃げようとする騎士たちに、しかし赤騎士は一歩早く動く。

「はあっ!!」

 赤騎士の刀が一閃し、巨人の首が落ちる。

 残り二体。

「うわああああっ!」

 やけくそ気味に一体の騎士が斧を振るう。

 赤騎士とて乗り手は子供、なら一縷の勝ち目はある……! 

「はっ!」

 赤騎士は斧の腹を殴りつけ、騎士の体は宙を舞う。

「嘘だろぉ……!」

「もう、終わりにしましょう」

 残った一体の巨人騎士は、仲間の惨状を見て恐れをなし逃走を図る。

 が、そこに待ち受けるはワジ家の守護騎士タウロナイト。長斧の一撃を巨人に浴びせる。「ぐわああっ……!」

 巨人は力なく倒れ、動かなくなる。

「ふぅ……」

「ありがとうございます、カウラさん」

「よゆーよゆー。トリンくんも初めてなのによくやった!」

 カウラはタウロナイトの胸部を跳ね上げ新鮮な空気を吸う。

「お嬢ー! 終わったぜー!」

「ご苦労様です。皆さん、無事ですか?」

 カルテが心配げに問いかけると、ワジ家の騎士たちは親指を立てる。

「おう! 怪我ひとつ無い!」

「私も大丈夫です!」

「僕もです!」

 カルテはほっとした表情を浮かべる。

「警察と連携して騒ぎを収めましょう。皆様、あと少し頑張ってくれますね?」


 ***

 編集部の屋上から一連の出来事を見守っていた奈美たちだが、上から見る分には騒ぎは収まり、落ち着きを取り戻しつつあるように見えた。

「マサリ、どう?」

 知覚強化のルーンで観察していたマサリに聞く。

「どうやら異世界分断戦線とやらは全員捕まったみたい。怪我人はいるけど死人は出ていないねー。あいつら、最低限の矜持はあったみたいだよ」

「よかった……」

 マサリの言葉に安心して、つい本音が漏れてしまう。

「でも、これで異世界分断戦線もおしまいですね」

 上空から羽音とともに声がする。

 三人が見上げると、飛竜にまたがる竜騎士の姿があった。

「プラサ?」

「おお! 竜騎士だ!!」

「「ジャンプ!」」

「「おれは しょうきに もどった!」」

 梶と奈美が声を合わせる。

「はい?」

「……あー、ゲームの話。不謹慎でした」

 プラサは飛竜から降り立ち兜を脱ぎ長髪を風になびかせる。

「なんにしても皆さん無事で何よりです。怪我はありませんか?」

「いやいや、こちらのセリフだよプラサ! 大丈夫?」

「はい、私は大丈夫ですよ」

「そうか……ならよし! あずまばーちゃんに怒られずにすむ!」

 奈美とマサリは手を合わせてプラサの頭を撫でる。

「私もですよ。まだやることがありますのでレイナ先生と合流しますね。気をつけて帰ってください」

 プラサは飛竜に再びまたがり飛び立とうとする。

「あ、プラサ! これ!」

 マサリがプラサに紙包みを放り投げる。

「……冒険食ですか! 懐かしい!」

「レイナさんと二人で食べて! また後でね!」

 プラサはマサリからの食事をしっかりと懐にいれると再び飛び立つ。

「「おお……格好いい……!」」

 梶と奈美はその美しいシルエットに現状を忘れるほどに見入っていた。


 ***

 生徒がいなくなり、SLも札幌に旅立った宇賀平は本来の静けさを取り戻していた。

 山あいに口を開ける異世界門も、門が開いていない今はただの閉山した炭鉱跡に過ぎない。

 暗闇へつづく線路の上を男がひとり歩いていた。

「これか」

 炭鉱の深部に設置されたトンネルの骨のような機械。宇賀平と聖都をつなぐ異世界門を安定させる装置だ。

 男は暗闇にそびえるその機械を一瞥すると、ポケットから小さな石を取り出す。

「この世界に未練は無いな。……いや、酒はそれなりに旨かったか」

 男は石を機械の足下に並べ、ふう、と息をつく。懐からライターを取り出し、火をつけると、石の山へ放り投げた。


 どん、と大きな音とともに火の手が上がる。

 これでもう異世界門は使用できない。神官どもも帰ることも出来ない。さあ、あいつらに何が出来る? 

 男が振り返り坑道から去ろうと足を踏み出したとき、

「待てよ、アリブ」

 声がかかった。


「ほう、あっちにいないと思ったら、お留守番かよユニ」

「お前、今何をしたか分かってんのかよ!」

「何って、見ての通りだ」

「ふざけんじゃねえ! こんなことしたら、アタシたちの国はどうなるんだよ!」

「はっ、もともと俺らの国じゃないだろうが」

「それでもだ! 人々が暮らし、みんな馴染もうと努力してる! ずっと飲んだくれてたお前がそれをぶち壊すのか!」

 言われたアリブは口の端を吊り上げる。

「異世界分断戦線の一員だったユニさまとは思えない言葉だな。見ろよ。やっと念願かなって向こうは向こう、こっちはこっちに切り分けられたじゃねえか!」

「それはどうでしょう」

 坑道の入り口から声が響く。

 影がユニたちに近づいてくる。

「先生!」

「……姫様?」

 青い髪のドレスを纏った担任教師。もとオルニタ第三王女にして不敗の北壁将軍。レイナ・ダン・ラウルト・オルニタその人である。

「プラサの飛竜に乗せてもらいました。何とか間に合ったようですね」

「何がだよ! 見ての通り門は……門が?」

 見ると門の周りを岩の塊が覆い隠し、炎を全て防いでいた。ユニの左腕が鈍く光る。

「大神官の精霊術か……!」

 ユニが光を止めると岩は門から剥がれ落ち傷ひとつ無い姿をさらけ出す。

「フン、なんの取り柄もないやつだと思っていたが……最後に邪魔をしたか」

「何だと……!」

「そうだろ? 竜に乗れない、巨人も扱えない、ルーンも使えない、お前にあるのは大神官の家名だけだよ! そんなお前を何で仲間にしたと思う。いざと言うときの人質さ! 見ろよ、お陰で俺たちはまだ生きてる! あのあまっちょろいガキ神官がお前を殺せないのも想定してたと言うことさ!!」

「黙れえぇ!」

「おっと……!」

 怒りに任せて振り回された拳を、しかしアリブはひらりとかわす。

「お前に……! 何が分かる!」

「分からないね! 俺は、俺らは! 異世界人だからな!」

 ユニが左腕の精霊を呼び出すのをレイナは手で制する。

「ここまではよくやりましたと誉めましょう。交流祭で異世界人が札幌に集まった時を狙って騒ぎを起こし、時間を稼ぐ。それ自体は囮で本命は一貫して異世界門の破壊。二組の生徒たちがいなければ見事成就してたでしょうね」

「……っ!」

「でもあなたたちは失敗した。それなりに楽しく暮らしていたでしょうに、何が不満だったのです?」

 その言葉にアリブは怒りを露にする。

「何が……だと。流石誇り高く高慢、人を信じつつも手駒と割りきる姫さまだ! あんたが行方不明になった二〇年前の数ヶ月、死ぬ気で要塞を守ってたら帝国の赤騎士とお友だちになって帰ってきて! 戦争が終わったらフラリといなくなり! 未練を断ち切るために異世界門の破壊を目指したらこっちに送られて! 感動の再会かと思ったらまた指揮官やらされて! あんたを見かえさないと俺は一生……!」

「原因は私ですか……?」

「当たり前だ! あんたを憎んで! 恨んで! それこそ死に物狂いで戦ってきた! なのにどうしてだ! どうして俺の居場所を奪おうとする! どうして……」

 アリブの目から涙が流れる。その姿をレイナは無表情で見つめている。そして静かに語りかける。

「バカですね……。私はあなたを信じたから全て任せて異世界に旅立ったのです」

「なっ!」

「私はあなたのことを信頼していました。だからこそ、私のいない世界で生きる道を与えたのですよ」

「う、嘘だ!」

「本当です」

 レイナの表情は変わらない。

「嘘だと言えよ? でないと俺の人生、全部丸ごと嘘っぱちになっちまう……」

「慰めのために言ってほしいですか? 知っているでしょう。私は言いませんよ」

「うう……、クソ……!」

 アリブは振り向くと異世界門の手動パネルをめちゃくちゃにいじる。

 門に光が走り時空の割れ目、球体が現れる。

 大きくはないが人ひとり抜けるには十分なサイズだ。

「いけない! ユニ、止めて!」

 レイナの言葉にユニはアリブにしがみつこうとするがアリブはヒラリと躱し球体の中へ身を踊らせる。ユニが追いかけようとするがレイナはその手をつかみかぶりを振った。

「あんなメチャクチャに弄るとどこに出るか分かりません。もしかすると一生時空の迷子になる可能性もある」

 ユニは膝からストンと力が抜けたように崩れ、レイナにしがみつく。

「でも、でも、アイツ笑ってたんです。『すまなかった』て。う、う……」

「大丈夫ですよ。私がついてます」

「はい……」


 ***

 その後しばらくは学校も休校となり、宇賀南生たちは大通公園の復旧を手伝うことになった。

 巨人が整地し、魔術がアスファルトを溶かし、学者たちはそれを計画する。それぞれが得意分野で作業にあたっていた。

 ユニも精霊たちを呼び出し人手の足りないところの作業に回っていたのだが、休憩時間中思いがけない再会があった。

「姉さま!」

「ディー……? この辺は危ないよ。大神官さまが来るところじゃない」

 ユニの言葉を聞かずディーはユニに抱きつく。

「仕方ない。少しだけだよ」

 ユニは握っていたお茶のペットボトルを机におき、銀髪の少女を抱き寄せる。

「姉さま、レイナ様から聞きました。アリブに騙されて反乱に加わっていたと。ならばあなたの罪状は減じられます。また一緒に暮らすことだって……」

「それは無理だ」

「なぜ!?」

「私はすでにオルニタを裏切った身だ。今更戻るわけにもいかない」

「ならせめて私たちと一緒に!」

「それもダメだ」

「そんな! お願いします!」

「アリブのやつ……、格好つけて全部背負って行きやがって……」

 ユニ自身が納得していない。それに。

「それにねディー。アタシはこっちの世界、気に入ったんだ。友達もいっぱいできた。みんな右も左も分からない世界で一生懸命自分の居場所を見つけようと足掻いているんだ。そしてこの世界はそれを歓迎してくれている。ならアタシももう少し足掻いてみるよ」

「そう、ですか。……ならせめて、次の異世界門が開くまで、一緒に暮らしていいですか? 姉さまの住むみ、みな……みなみ荘! 私も皆様に会いたいです!」

「ああ、もちろん。歓迎するよ」

 ユニはディーの頭を撫でる。

「やったー!」

「こら、はしゃぐなよ」

 二人の笑いが休憩所に響いていた。


 ***

 札幌某所。深夜。

 少年が復旧中の公園の中に佇んでいた。

 傍らには少年の倍はありそうな大男が控えている。

「一件落着。姉妹の絆は強くなり、宇賀平の異世界人は札幌の街を守った英雄さま。めでたしめでたし、と言うわけだね」

 少年は大男に話しかけるが男は聞く素振りはない。

「それもあなたの手のひらの上でしょう、ヤフル」

 公園の噴水を挟んだ反対側から人影が歩いてくる。それを見たヤフルはニヤニヤと笑いを浮かべる。

「いやいや、よい見世物でしたよ、レイナ様。愛しの弟子を自分の手で始末した感想はどうだい?」

「最悪ですね」

「ハハッ、そりゃ結構! 僕もあんたのことは気に食わなかったんだ! あの飲んだくれに肩入れしてさ!」

「あなたに好かれるつもりはありませんよ。あなたにとっては願ったり叶ったりでしょう。今回の一件で異世界人たちが『商品になる』ことが証明された。どっちが勝とうがあなたにはどうでもいいことだったんです。優秀な兵器であることをアピールできればそれでよかった」

 レイナは淡々と答えるがヤフルはますます笑みを深める。

「その通り! あんたは優秀だったさ! 流石不敗の北壁将軍だ! 僕の国を潰した女!」

 レイナは刀の鯉口に親指を添える。

「なぜあなたが二〇年前から姿が変わらないのかそんなことはどうでもいいですが、私の生徒たちに手を出せば容赦はしません。覚えておきなさい、北方帝国の失地皇帝ヤフル」

「おお怖い。じゃあせいぜい気をつけるとしよう。僕は君と違って約束は守る主義なんだ」

「さっさと消えてください」

「言われなくても。お仕事の時間だ。おいで、アルサレムの竜騎兵たちよ」

「はい」

 数騎の竜騎士たちがヤフルを守るように間に入る。大男が左腕の袖をまくるとそこに刻まれた紋章が光りだし、周囲が霧で包まれる。

 視界が晴れた頃にはすでにヤフルの一団は姿を消していた。

「……遊ばれましたね」


 ***

「じゃーん! これがマサリ先生のデビュー作だ!」

 みなみ荘のリビングで、マサリは編集部から届いた包みを開き、一冊のマンガ雑誌を取り出した。

「三六ページ新人読み切り……ほうほう。ディー、読んでみな」

 ユニはペイと戯れていた妹に雑誌を渡す。

「はい……えっと、『異世界ファンタジー・ハーレムラブコメ』……? これって……?」

「ふっふっふっ、まぁ読めば分かるよ」

 ニヤニヤと反応をうかがうマサリ。

 ディーはページをめくりマンガを読み進める。

 くるくると表情を変えていくディーの姿にマサリは唾を飲み込む。

「どうかな? 大神官様のお眼鏡にかなったかな?」

「すっごく面白い! 特にこの主人公、奈美さんそっくり! それにヒロインの女の子も可愛い!」

「そうだろ? だよね! やっぱこういうのが良いんだよ! よし!」

 マサリは小躍りしながら缶ビールのプルタブを開ける。

「こら、調子にのらないの。次があるかアンケートの結果次第だからね」

 奈美がそう言うが、表情は弛んでいる。

「わかってるよぅ。まだまだアイデアはいっぱいあるもんね! 描くぞ!」

「うん、頑張ってね」

「はい!」

 こうして、異世界人の少女たちの日常は再び動き出す。


 異世界ゲートの復旧工事が終わり、異世界門が再び開く日がやってきた。

 学校では異世界人と地元民による交流祭がひっそりと行われ、異世界の騎士や貴族たちも名残惜しそうに宇賀平の町を車窓から眺めている。

 宇賀南の屋上から、ユニは駅から立ち上るSLの黒煙を眺めていた。

「妹さん行っちゃいますよ。いいんですか?」

 と横に立つプラサは問う。

「いいよ」とユニは短く答えた。

「そうですか……」

「それよりプラサこそ。伴侶が見つかったってもっぱらの噂だけどあれホント?」

 その言葉にプラサは顔を赤くする。

「ホントなのかよ! まさか……熊先生!?」「ち、違いますよ! あんな筋肉ダルマ!」

「あんなに熱い視線向けといてよくいうぜ……」

「うう……」

「ま、でも良かったじゃん。胸を張って国に帰れるわけだ」

「それなんですが。私、こちらの世界で式を上げようかと」

「へ? 士族はいいの?」

「私の竜はもういますから。こちらで暮らすなら紋章もいらないですしね」

 プラサは微笑む。

「ドン丸か。確かに気は優しいしそのくせ勇敢ないい竜だよ」

「はい。それに、宇賀平の皆さんにご恩返ししたいですし。私は卒業したらレイナ先生のように教師になります」

「そっか。いいと思うよ。応援する」

「ありがとうございます! ところで、宇賀南のみなさんも北海道に残るんですよね?」

「ああ、アタシはもう少し足掻いてみるよ。それに……」

「それに?」

「何でもない」

 アリブが手に入れたかったもの。

 ユニが夢見たもの。

 それは蜃気楼のように届くはずの無いものだった。

 どちらの世界もみんな生きている。二つの世界が交わり蜃気楼だったものが形をなした。

 それはもう分かつことの出来ない一つの道。

「さて、行こうか。帰ったらペイの散歩にあずまばーちゃんの手伝い、やることはいっぱいあるさ!」

 ユニは笑いながら屋上の階段を駆け下り、プラサはやれやれとあとに続く。宇賀平の町を、夏の風が吹き抜けていった。


 ***

 終わり






 おまけ


 宇賀平市唯一の銭湯『日の出湯』で、番台に座る女将はいつものようにテレビを見ながら入浴客へタオルを貸したり、コーヒー牛乳を渡したりしていた。

 最近楽しみが増えた。

 みなみ荘の、たしかプラサとか言った子。学校の牧畜科の教師、名前は忘れたが熊のような毛むくじゃら、牧場の息子と仲むつまじく通ってくるようになった。女将は思う。きっとあの子たちは良い夫婦になるだろうな、と。

 そんなことを考えていると、ガラリと扉が開き一人の少年が現れた。

 彼は番台の女将に料金を払うと「こんばんは」と言い、服を脱ぎ始める。

「はい、いらっしゃい。おや、最近筋肉がついてきたね」

 と女将が聞くと、少年は満面の笑みを浮かべる。

「そうですか! ワジ家の騎士様たちに稽古をつけてもらっているんです!」

 ウキウキと浴場へ入る少年。まだ毛は生え揃ってないようだ。

 女将がテレビに向き直ると、今度は貴族らしい三人組が入ってくる。

「これがトリンくんが通っていると言うお風呂屋さんですのね! 不衛生でじつに素敵ですわ!」

「お嬢……それ誉めてないやつ。女将さん、三人分ね」

 小柄だが筋肉質の少女が小銭をじゃらりと置いていく。

「はい、まいどあり。あんたらも大変だねぇ。こんな田舎までわざわざ来て。ゆっくりしていきな」

「ありがとう」

「カルテ様! 違います、そこはトイレ! この広い場所でみんなで着替えるんです!」

 お付きの子のノッポの片割れが一生懸命説明している。

 まあ、ここ数年の日の出湯はだいたいこんな感じで日が暮れていく。

 日付も変わりそうになり客もまばらとなった時間、最後の客がフラリと現れる。

 少年のようだが違うかもしれない。

「はい、四五〇円ね」

 少年は小銭を渡し服を脱ぐ。

 しばしポケットの中をまさぐっていたが、お目当てのものがあったのか無かったのか、番台へと戻ってくる。

「女将さん、タオル借りていい?」

「あいよ。あげるよ。いつも来てるからお礼」

 女将は日の出湯のロゴが入った真新しいタオルを渡す。

「ラッキー。ありがとね女将さん、愛してる」

 女将は特に答えずテレビに向き直る。

「ああ、もひとつお願いしていいかな? レイナ先生最近来てる?」

「レイナちゃん? さぁ知らないけど……。最近は忙しいみたいで来れてないんじゃない?」

「ふ~ん……。いつでもいいんだけどさ、来たらこれを渡してくれないかな?」

 少年は紙の包みを女将に渡し浴場に入っていく。オルニタ文字が書かれているが女将には読めず、興味もなさそうに番台の引き出しに放り込んだ。

 女将はため息をつく。レイナは確か2ヶ月前に来たっきりだ。まあ気が向いたら来るだろう。少年の湯上がりを待ち、女将は今日の仕事を終える。

 旦那は釜の火を落とし、風呂の湯を抜き女将と旦那は一日の仕上げに風呂を磨き上げる。

 風呂は宇賀平も異世界も関係ない。つかれた人たち全てを迎え癒す場所。また明日もいい一日になりますように。



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