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異世界からの移住者たち、現代社会を満喫する

前作と世界は繋がっていますが話しは仕切り直しております。

現代社会というものの田舎が舞台となることはご容赦ください。


 聖都の空は快晴だった。初夏の爽やかな風は心地よくユニの肌を撫でていた。

 これで両手の枷がなければ昼寝でもするのだが、と空を見上げる。荷馬車から見える街道の向こうには硝子のような尖塔。あの下には大神官さまがいて、我々の生殺与奪を握っているわけだ。ユニは同じく枷をされた荷台の相乗り客たちをみる。皆若くユニとたいして変わらない、二十年生きたか生きていないか、という者たちに見える。

 彼らはこれからどうなるのか。そんなことを考えながらぼんやりしているうちに、馬車が止まる。

「降りろ」

 御者が声をかけてくる。その言葉に従ってユニたちは外に出た。

 そこは聖都の広場であるらしい。中央に大きな噴水があり、その先には彼方に見えていた尖塔をもつ神殿が口を開けてそびえていた。

「大神官様がお待ちだ。さあ、歩け!」

 兵士の声にぶつくさと文句をいいながら枷をつけられた若者たちが動き出す。

「へいへい」

 ユニも面倒そうに着いていく。神殿の中は外装と同じように硝子のような透明感があり、生活感が意識的に排除されている。

 本来ならこんな枷を付けた姿ではなく、鎧を纏い、ここに攻めいってた筈なのだが。ユニは大仰な建物の姿に眉をひそめる。

 兵士につれ回されるうちに謁見の間、光が集まる大きな椅子の前に彼らはやって来た。

「控えろ。大神官さまのおなりである」

 その声に入ってきたのは荘厳な神官服に『着られている』ような年端も行かぬ少女。精一杯威厳を出しながら大神官の椅子に座り、罪人たちを見下ろした。

「そなたたちがこの聖都を襲撃、異世界門を破壊しようとした反乱者たちであるな」

 その声に、一番年かさに見える男が前に出る。

「そうだ。異世界との交流をやめ、自分達の力だけで生きる。それが自然だろう?」

「黙れ! 反逆者どもめ!」

 少女の大音声とともに兵士が鞘で男に一撃を加える。

「異世界門は今や我らの暮らしに無くてはならないもの。一五年前のあの日以来、彼らのお陰で貿易や学びの機会が与えられているのだ。何がそんなに気に食わぬ」

「はっ、平和ボケした奴らの戯言なんぞ聞く気にもなれねえよ。俺らは戦争屋。北の要塞が庭だったんでね」

 他の囚人たちから同意、嘲りの声が飛び交い、少女の顔が怒りに染まる。周りの兵士たちは槍を構える。

「貴様ら……! ふん、だからこそお前たちには屈辱とも言える、嫌いでたまらない異世界で残りの人生を送ってもらう。死刑の方がよかったか?」

 少女は口の端を歪ませながら罪人たちを見下す。

 そして兵士に命じると、罪人たちはそれぞれ別々の部屋へと連れていかれた。ただ一人ユニを残し。

 大神官は椅子を立つとユニの前へ歩みより、ユニと目線の高さを合わせる。

「……姉さま。なぜ姉さまがこのようなことを? 本来ならこの服も、椅子もあなたのものでしたのに」

 ユニは大神官の少女をまっすぐ見据え、言葉を紡ぐ。

「ディー。やっぱり余所の力に頼るのはよくないよ。アイツら、貴重な鉱石や竜属をどんどん連れていってる。この神殿だってそのおこぼれで建てたものなんだ。こんな生活いつまでも続けられるわけがない」

「だからと言って、反乱なんて……」

 ユニは手を伸ばし、その小さな頭を撫でる。

「私達はもう引き返せないところまで来てしまったんだよ。そして失敗した。まあ、悔いはないさ。後の事は頼むよ、ディー」

 そう言うとユニは立ち上がる。

「さ、アタシの牢は何処だい? いや、あんたらよりもアタシの方が詳しいや。ほら行くよ!」

 撫でられた温もりを感じくずおれるディーを残し、ユニは兵士たちと広間をあとにした。


 ***

「コイツはすげぇや……」

 囚人の一人が目の前の護送車を見てポツリと溢す。

 黒い鉄でできた巨大な窯が蒸気をあげている。

 先頭には長方形の板が取り付けられており、向こうの世界の文字が書かれていた。

 後方では人々が荷物の積み込みなどをあわただしく行っている。

「蒸気機関車、ていう向こうの世界の乗り物だってさ」

「ああ、聞いたことはあるけど、実物は初めてだな」

「おい、静かにしろ! 時間だぞ!」

 兵士の声に皆が慌てて乗り込む。

 藁などがつまれた貨物車両。そこに荷物のように押し込まれる。

「けっ! さらば偉大なるオルニタってか!」

 外から鍵をかけられ脱走されないようにし、あとは到着まで放置。

「そしてこんにちは異世界、と」

 一人の囚人はワクワクした様子だ。

「お前、恐くないのか?」

 ユニは一緒に捕えられたメンバーにはいなかった少年に聞く。

「ボクはこちらの世界じゃ芽が出ないので。あえて異世界送りになるように捕まったんです」「ふーん」

「ところであなたはどちら様ですか? 他の囚人とはちょっと違うようですが」

「ああ、アタシは……」

 その時、ゴトン、という音とともに車両が揺れた。

「なんだ!?」

 全員が息を飲む。

 次に警笛の轟音。機関車が動き出したらしい。

 はじめはゆっくり、徐々に滑らかに車両は動き、前からは蒸気を吐き出す音が聞こえてくる。やることもできることもなく、ユニと囚人たちは藁に寝っ転がり時間を潰す。

 しばらくすると警笛が鳴り、漏れ入っていた光がなくなり暗闇が訪れる。トンネルにでも入ったらしい。

 刹那、全員が光に包まれる。

 自分達が床に立っているのか天井に座っているのか、空気が歪み光と闇が入り交じる。

「な、なんだこれ……」

 歴戦の戦士だった囚人たちもはじめての体験に戸惑っていたが、始まりと同じように唐突にもとの暗闇が帰ってきた。

 振動と移動している、という空気がしばらく続き、徐々に減速していく。囚人たちは無言で各々時間を潰していた。

 暫くすると機関車は止まったらしく、外から鍵を開ける音がする。扉が開き、外から光が入ってくる。

 囚人たちは兵士に取り囲まれるもの、と密集して次の動きに備える。

 だが、迎えた異世界人たちは武器も持たずにっこり笑う。

「いらっしゃい! ようこそ宇賀平市へ!」

 それがユニが異世界で聞いた第一声だった。


 ***

 半月後。判ったことは、彼らはユニたちの素性には興味はなく、罪人扱いはされなかったということ。ユニのような罪人も、後学のためにやって来た学者も、箔付けのためにやって来た貴族たちも皆同じように彼らは笑顔で出迎えた。

 こちらの世界の基礎知識を学ぶ二週間の研修が明け、膨大な知識の海に飲まれるようにユニは研修所のロビーの椅子に体を預けていた。

 次の異世界門が開くのは三ヶ月後。箔付けでやって来た貴族たちならそこで帰り、自分達の体験を虚実入り交じりながら話すのだろう。残念ながらユニは罪人であり、追放者。戻る選択肢はない。

 ぼうっと窓の外をみる。空は青々と広がり、雲一つなく快晴だった。あの日と同じ青空が広がっていて、自分が異世界に送られた日を思い出す。

「ユニさん、大丈夫でしょうか」

「どうしたんだい、いきなり?」

 ユニは声の方に振り向く。

 声の主はあの時同乗した少年。囚人服からユニが今着ているものと同じような制服に着替えており、思っていた以上の華奢な体躯に苦笑する。

「トリンか。困り事かい?」

 一緒にやって来た面子の中で一番若いこともあり、ユニによく懐いている。

「いえ、係の方が呼んでます。まだ住むところを決めていないのはユニさんだけだから連れてこい、と」

 そうだった。

 研修が終わったらまずは住まいを決めるという話になっていたのだ。短期の人々はこの研修所の宿泊施設を使えるが、ユニたちのような永住者はいつまでも居るわけにはいかない。

「わかった。すぐいくよ」

 立ち上がり、出口へと向かう。

「あ、そうだ。トリンは寮に入るのかい?」

「いえ。ボクはやりたいことがあるので一人暮らしすることにしました」

 そういえば護送中にそんなことを言っていたな、とユニは思い出す。

 トリンに手を振り研修所の一室、『生活支援室』へ歩いていった。


 個室のように衝立てで仕切られた区画には眼鏡で禿げ上がった中年の男性と、書類の束を抱えた小太りの男性が待っていた。

「ユニさん。生活支援室の中川です。こちらはオルニタの方々を対象とした不動産の平井さん」

「どうも」

 ユニは軽く挨拶をし、椅子にすわる。

「まず、ユニさんは永住するわけなのでこの国の高等教育を身に付けるため学校に入る。学校には寮がありますがユニさんは入寮の手続きをしていません。寮に入らないなら自分で物件を見つけ、家賃を稼ぐ必要がありますが、どちらを選びます?」

「ああ、それは決まっています」

「ほう?」

「自分で探します。その方が面白いでしょう?」

「……わかりました。では、物件を探しましょう」

「はい」

 中川の横にいた平井と呼ばれた男性が前に出る。

「ユニさんの場合、保証人が……ほう? いやいや、これは……大神官? 保証人なしと聞いていましたが、これなら一人暮らしには十分な補助が出ますよ。こちらなどいかがですか?」

 あの妹、余計なことを、とユニは内心毒づく。

「あまり家族を頼りにしたくもない事情があって。程度が低いものだとどうなります?」

 その言葉に平井は一瞬苦々しい表情になる。補助金の何割かが彼らの収入になるのだろう。

「じゃあ……、お、これは? シェアハウスみたいなものですが、女性限定、保証人不要、ただし大家と面談あり」

「ああ、そこならちょうどいいかも知れませんね。入居条件は?」

「女性のみであることと、下宿先の家事手伝いなど行うこと」

「なるほど。じゃあ、お願いします」

 こうしてユニの異世界での暮らしが始まった。

 ***

「ほう」

 地図を片手に通りを歩いてきたユニは『みなみ荘』と書かれた看板の前で立ち止まる。

 築四◯年などと聞いていたが中々どうして立派な建物だ。

 窓が多いが画一した感じなのは昔から宿泊所だったのか、屋根が大きな三角の形となっているのはこの地域が雪が多く、屋根に積もらないようにする工夫なのだろう。

 二重になっている玄関扉を開けると、質素だが広い玄関がユニを出迎えた。

「……どなたか、いらっしゃいますか?」

 ユニは奥のほうを見る。

「はーい! ちょっと待ってて下さいね!」

 少しして現れたのはショートカットの女性。ユニよりも小柄で、こちらで言うところの高校生くらいに見える。

「初めまして! あなたがユニさんね? 私は南奈美! ナミでいいよ。よろしくおねがいします!」

「ミナミナミ……ではナミどの、貴女が大家ですか? 面談があるとか」

「あー。まあ大丈夫よ。私は大家の孫だけど、たいした内容じゃないわ。ばーちゃん! 来たよ、ユニさん! あ、ユニさん、靴を脱いでこっちの椅子で待ってて!」

 奈美はパタパタと足音をさせながら奥へ入っていく。

 その様子にユニは台風のような娘だ、と笑う。ディーにもあのくらいの元気があれば、とふと思うが、かぶりを振りそれは思い出さないようにする。

 靴を脱ぎ玄関先へ上がる。やはりもとは宿泊所だったのだろう。靴箱の隣には小さな窓があり、管理室があったことをうかがわせる。

 カーテンがかかり中は使われていないようだ。広めのロビーの隅に置かれた椅子に腰掛け一息付く。

「ふぅ……」

 これからどんな日々が待っているのか。不安はあるが、楽しみでもある。

 ユニはそっと目を閉じ、その時を待つ。

 ***

「あ! ほらーユニさん寝ちゃってる! ばーちゃんがモタモタしてるからー!」

「疲れたんだろ。暫く寝かせてやりな」

 まどろみの向こうから声が聞こえてくる。

 ディー? 違う。……そうだ、下宿先に挨拶に来たのだった。重い身体を覚醒させ、ゆっくり目を開ける。

「もふ?」

 目の前には毛の固まり。耳をピンと立てた茶色のケモノが黒い瞳でこちらを見ている。

「……大家様ですか?」

「あ、違う違う! この子はウチのペイちゃん! 犬よ!」

「……寝惚けていたようだ、すいません。ではこちらが?」

 年のころは七◯くらいか。腰をしゃん、と伸ばした老女が奈美のとなりに立っていた。

「南あずま。このみなみ荘の大家さね」

「ユニ・ミアロードと申します。この度は……」

「ああ、そういう面倒な挨拶は抜き。お前さん、食事に好き嫌いはあるかい?」

 ユニはポカンとした表情になる。

「いえ。特には」

「よし。じゃあ約束だ。お前さんはワチらの家族として扱う。だからおま……ユニもワチらの家族になりなさい。食事はできるだけみんなで取ること。家事手伝いをすること。それだけさね。奈美、ユニを部屋に案内してやりな」

「はい! じゃあユニさん、行こう!」

「え、あ、はい……」

 戸惑うユニの手を引いて奈美が駆けていき、後ろをペイが着いていく。その様子を見て、あずまはくつくつと笑った。

 ***

「ここがユニさんのお部屋だよ! 広さは八畳、畳貼り! 風呂、洗濯、水回りは共用になるけど我慢してね?」

 気を遣うように奈美が聞いてくる。

「……いや、大丈夫。男子禁制なのでしょう? 私も昔は神殿で共同生活を送っていましたので規則正しい生活にはなれています」

 座卓に箪笥も据え付けられており、生活には支障がない。

「神殿? おお、異世界の僧侶様だ! ベホイミベホイミ!」

「……そちらの神官の挨拶ですか?」

「うーん、ユニさんにはまだ難しかったか……。そうだ、あとでウチの住人を紹介するよ。晩御飯まで休んでて」

 奈美は脱兎のごとく部屋を飛び出す。まあ、なんと言うか退屈にはならなさそうだ。

 ユニは配給された下着などが詰め込まれたカバンを床に置き、座り込む。ふう、と息を付き、「ゴメン! ユニさん! ばーちゃんからこれ預かっていたの忘れてた!」と扉が開く。

 布の衣服だ。

「荷物はそれだけって聞いたから着替えもないだろうって。はい、脱いで」

 有無を言わせずユニの制服をスルリと脱がし、布の衣服を巻いていく。

「浴衣って言ってね。こういう暑い日にはちょうどいいんだ」

 帯をぎゅっと締める。

「髪もボサボサにして……鋤いていい?」

 ユニがうなずくと奈美は嬉しそうに櫛をいれる。

「きれいな銀髪……地毛なの?」

「はい」

「すごいなぁ……こんな色、見たことがないや」

「……そうですか」

「うん。そういえば、その腕の包帯は取らないの?」

 ユニの左腕には黒い覆いが巻かれている。叛乱を決めたときに自ら封印したものだ。

「もう隠す必要もないですが……」

 と腕の封印を解くと、いくつもの紋章が彫られていた。

「わ! スゴイ! オルニタの人ってみんな腕に彫り物をしているけど、この数は初めてだよ?」

「身分証のようなものです。これは家紋、こちらは成人の証、これは……神官の……」

 ユニは口を紡ぐ。

「あ、ゴメン。言いたくないことならいいの」

「いえ。お気にならさず」

「じゃあ、また後で! ばーちゃんの晩飯はサイコーだぜ?」

 奈美は親指を立て舌を出す。

「わかりました」

 ふう、と扉を閉め「ごめんもう一つ!」

 閉められなかった。

「ペイちゃんと散歩がてら銭湯…お風呂でも行ってきて。これ地図と入浴券。ペイちゃんは番台で預かってもらえるから! 今度こそ! じゃっあとで!」

 ユニは足下にすり寄るペイの顔を見る。

 期待に満ちた表情で散歩紐を咥えている。

「……わかった。行くか」

 その声にペイは大きく尻尾を振り回す。

 見よう見まねでユニはリードを繋ぎ手に持つと、ペイが玄関までユニを引っ張る。見た目よりもはるかに力持ちだ。

 履き物を探すと、先程まで履いていた革靴の代わりに草履が一足置かれている。これを履けと言うことらしい。

 何から何まで手のひらの上にいるようなのは癪だがまあこれも気遣いなのだろうとユニは草履を履きペイの引っ張るに任せて外に出る。


 夕暮れの町は喧騒に包まれ、軒先に吊るした提灯が橙色の光を放っていた。

「……この世界は、夜が明るいんだな」

 ふと、そんなことを呟く。

「わん?」

「なんでもないよ」

 歩き出すと、ほどほどの気温に夜風が心地よい。懐にいれた地図を引っ張りだし、今いる道を確認しながら歩いていく。

『観光協会作成・オルニタ語対応宇賀平案内地図』と書かれたそれをめくり、今いる場所と付き合わせる。みなみ荘からまっすぐ歩き、目の前の通りは商店街か。それを突っ切るとお目当ての銭湯らしい。

 商店街では夕刻の惣菜を買い求める異世界人が多く目についた。酒場では人種に関わらず交流が行われているようだ。樽を机にした屋台で西方の耳長と腕に紋章を掘ったオルニタ人が談笑している。

「おう! ユニじゃないか。ずいぶん別嬪になっちまって!」

 見ると耳長と酒をあおっていたのはユニと同じくして異世界送りになったアリブ。いつぞや神殿でディーに啖呵を切っていた男だ。

「楽しそうだねアリブ。異世界送りは嫌なんじゃなかったの?」

「いや、その、あれはだな……」

「あらー、ありふさん、こまってるふー。さ、さ、のめのめ! ユニさん? ものむかねへー」

 アリブの前に座る褐色の耳長の女が酒瓶を付き出す。

「残念だけど風呂に行って大家と晩飯の約束なんだ。アリブ、なけなしの補助金なんだから変なことに使わないように」

「へいへい。お堅いこって」

 アリブと女はまた二人で飲みに戻る。

 ユニは待ってくれたペイに目で礼を言うと、またペイの引っ張るに任され歩いていった。

 商店街を抜けると目の前には目的の銭湯があった。

「ひのでゆ……、ひのでゆ」

 辿々しく覚えた漢字を読んでみる。

「『女』と書かれたほうに入ること!」との奈美からの言伝てを思い出し、ペイを抱きかかえ赤いのれんをくぐる。

「あら、ペイちゃん。と言うことはあなたはみなみ荘の入居者ね」

 大柄な女将がユニたちを出迎えた。『バンダイ』などという男女双方を見渡せるカウンターにはみ出そうな体格をのせ、にこやかな笑顔を向けてくる。

「……あ、この券で……。それと、この子を入浴中預かってくれるとか……」

 ペイを抱いたまま女将に渡し、ペイは女将に一声挨拶する。

「ええ、預かりますよ。うちはペットもオッケーだからね」

「あ、ありがとうございます」

 ペイを預け、奥へ進む。

 脱衣場に入ると、客はいない。脱いだ服をロッカーに入れ鍵をかける。

「……さて、入るか」

 タオル片手に風呂場へ入ると白い湯気が出迎える。広い洗い場と浴槽。浴槽の背景にはタイルで山が描かれている。

 叛乱に加わってからまともな風呂に入るのは初めてではなかろうか。そんなことを考えながらユニは身体を洗う。あの頃は洗っても血の臭いが纏わりついて、そのうちに洗うことさえ面倒になっていた。

 今、ユニは体を洗っている。血の臭いはしない。鏡を見ると疲れた女の顔だ。こればかりは洗い落とせるものでもない。ユニは湯で体を流すと浴槽に浸かる。ちょっと熱めだがそれが体に染みてくる。

「……気持ちいいな」

 思わず口に出ていた。

「……ん? ……ああ、そうか」

 どうやら自分は今、普通に暮らしているらしい。そう気づく。叛乱の時は毎日が必死で、気がつく余裕もなかった。

 叛乱の時は男も女もなく、強いものから生き残る。そのために泥をすすってきた。

 どうやら、異世界は『平和』らしい。少なくとも見た目は、だが。

 ユニは十分に体を暖め、風呂を上がり帰途についた。太陽は既に沈み空には星が瞬いている。まあ、知らない星空だ。神官の星詠みもこれでは無理だろう。ペイも満足げにユニと歩調を合わせて歩く。どうやらよい友達になれそうだ。

 しばらくのんびりと歩き、みなみ荘のドアを開ける。

「うぇるかむ! みなみ荘!!」

 軽い破裂音と紙吹雪がユニを出迎えた。

 瞬間、ユニはペイを抱きかかえ本能的に小上がりの影に身を隠し、左腕の紋章にマナを注ぐ。紋章の一つが輝きだし、ユニの次の行動を待つばかりとなった。

「あ……、大丈夫、大丈夫! 武器じゃないから! サプライズだよー!」

 奈美が困ったように呼び掛ける。

「え、と。その精霊術解除できます?」

 奈美でもあずまでもない、別の声が聞こえた。小上がりの影から居間のほうを伺うと、すまなそうに頭を下げる奈美ともう二人知らない女性がいた。

 ゆっくりとユニは立ち上がる。

「オルニタ神官の精霊術か。本物を見るのは初めてですよ」

 長い黒髪の東方人と、耳長の西方人。どちらも二十歳くらいだろうか。

「すみません。驚かすつもりはなかったんですけど……。あの、プラサと申します。来たばかりなのに迂闊でした。すいません」

 と恭しく謝ってくる。

「アチシはマサリ。って、ありふくんの友だちじゃん? あやー、さっきぶり!」

 褐色金髪の西方人。アリブと飲んでいた酔っぱらいだ。

「いえ。アタシこそ迂闊でした。まだ戦場の習慣が残っていたようです」

 ユニがマナの集中を解くと紋章の輝きも消えていく。

 ペイが不思議そうに鼻を鳴らした。

「ごめんなさいねー! みんな悪気はないんだけどー!」

 奈美が駆け寄りペイを受け取る。ペイは少し不服そうに鼻を鳴らすがおとなしく抱きかかえられた。

「こら、いつまでもじゃれあってるんじゃないよ。早くこっちに来て晩御飯だ! ユニ、お前さんが主役なんだからグズグズしない!」

 居間のほうからあずまが顔を出し少女たちに発破をかける。

「はい! 行きましょうか」

 と奈美はユニの手を取り食卓へ向かう。

「じゃあ始めよう。今日はお祝いさね。乾杯!」

 あずまがコップを掲げると皆が続く。

「かんぱーい!」


 ***

 次の日。

 うっすらと太陽が上りつつある薄明の時間、鳥のさえずりと右手に触れる毛むくじゃらの感触にユニは目を覚ました。

 右手のほうに眠気の残る目を向けると、茶色の毛玉がこちらを見ている。

「……ペイ? お早う」

 みんなで晩御飯を食べたあと、風呂に入ったこともありそのまま眠りに落ちたらしい。誰かが部屋に運んでくれたようだ。

 ペイは甘えた声で朝の挨拶をすると、昨日使った散歩紐を咥えて持ってくる。

「……分かった。着替えるから少し待ってくれ」

 ユニは制服に着替え、顔をタオルで擦るとリードを手に取りペイの首輪に取り付ける。

「……よし。行こうか」

 ペイを連れ玄関を開け、外に出ると朝日の眩しさに目がくらんだ。朝露の匂いと草の香りがする空気を吸い込み、伸びをする。

「ふぁあ……、いい天気だな」

 あくびをしながらペイの引っ張るに任せぶらぶらと歩いていく。昨晩活気のあった商店街もこの時間は鳴りを潜め、静寂に包まれていた。

 今日から学校へ通いこの世界で暮らす知識を学ぶことになる。ユニにとっては学校とは星と神について学び精霊との繋がりを身に付けるものだった。左腕を上げ、刻まれた紋章を見る。神官の紋章の中でもユニは追加の紋が多く刻まれている。神官戦士の紋、主神官の紋、大神官の紋。さらに使役する精霊の紋。こちらも一般的な神官よりも多く、将来を嘱望されていたこと、その期待に応えられる素質を秘めていたことがうかがえる。

 だがユニは反乱した。

 神官たちは異世界門の管理という利権に染まり堕落した。最たるものがあの硝子の塔、大神殿だ。見た目はきらびやかだが精霊にはあんなものは関係ない。その裏ではオルニタの資源や財産の横流しが行われ、その度に神官と商人が肥えていく。神官たちの腐敗に嫌気がさし、叛乱を起こしたのだ。

 そして叛乱は失敗し、ユニは異世界に追放された。

「わふぅ?」

 ペイの声にユニは現実に戻る。

 いつの間にか町外れまで歩いていたようだ。道の先にはフェンスがしかれ、異世界人が勝手に出られないように警備されている。

 警備するのは鋼鉄の巨人騎士。まさに流出したオルニタの技術だ。暇なのだろう、胸の搭乗口は開き、足下の仲間とあくび混じりに談笑している。

 結局は箱庭の平和、とユニは踵を返す。ペイがまた不満げに鳴く。

「ペイ、もう少し散歩しようか」

 ペイは嬉しげにしっぽを振り歩き出す。

 ペイは賢い犬だ。きっと自分がなにも考えずに歩いていたことを分かっていて、気分転換をさせてくれようとしているのだろう。

 商店街まで戻り、反対側の道を行く。ほどなくして駅が見えた。操車場にはユニたちが放り込まれた蒸気機関車の姿が見える。その隣にはもっと箱形の列車が見える。町の外に出られるもので、許可を得ていない異世界人は乗れないものだ。蒸気ではなくこの世界の動力、電気とやらで動くらしい。ペイは気にせず線路の上を歩く。ユニはペイに引かれながら、改めて町並みを見渡す。

 煉瓦とも違う建材の家々に舗装された道、街灯もマナでは無く電気で火を点けるそうだ。

「……平和だ」

 思わず呟く。実はこれは精霊に見せられている夢で、あの蒸気機関車に押し込められたときに、自分達は既に処刑されているのではなかろうか。そんな考えに思わず身を震わせる。

「……帰ろう」

 日差しも明るくなり、人影もまばらに見えてきた。居ないとまた奈美が不安がるだろう。

 ユニとペイは帰路に着いた。


「あー! 帰ってきた! 家出したのかと気になってたんだよ!」

 やはり奈美を不安にさせたらしい。

「すまなかった。この町を見ておきたくて」

 とペイが誘ってきたことは隠し謝る。

「うん。まあ、無事ならいいけど……」

 奈美は納得していない様子で腕を組む。

「それより、学校だ。準備して行かないとな」

 と話題を変えると奈美も気を取り直したようで笑顔を見せる。

「あ、そうそう! これお弁当! はい、リボン着けて、襟も正す! よし、これならどこに出しても恥ずかしくない宇賀南生だ!」

 まるで母親のようだ、とユニは奈美をみる。そういえば奈美は制服を着ていない。さすがに就学前と言うことはないだろうが、一応聞いてみる。

「奈美は……、学校には行ってないのか? あ、気を悪くしたらすまない」

 やはり異世界人と同じ学校に行くことはできないと拒否しているのかも。ユニがバツの悪そうな表情になると、目を丸くしていた奈美は慌てて言う。

「違う違う! ユニ、何か勘違いしてる! 私は二四才、もう大学まで卒業して立派に働いてるの!」

 今度はユニが目を丸くする。年下にしか見えない。

「え、と。そうなのか? すまないが私には奈美が一◯代半ばくらいに見えるのだが……」

「よく言われるのよ。それが悩みの種なんだけど。私も今日は仕事が進みそうだから部屋に籠るね。さ、行ってらっしゃい!」

「出かけるときは『行ってきます』、て言うの。ユニさん」

 ユニと同じ制服を纏ったプラサが自室からやってきた。黒い髪に白い制服がよく似合っている。

「マサリは?」

 奈美の問いかけにプラサは首を横に振る。

「飲みすぎだねー。起きたら私の仕事を手伝ってもらうよ。さ、改めて行ってらっしゃい!」

「行ってきます!」


 **

 宇賀平南交流校。ユニが今日から通う学校で、異世界人がこちらで生きていくための知識を学ばせてくれるらしい。

 登校中にユニはプラサ自身の話をいくつか聞いた。

 元冒険者で、東の竜の士族の一員であること。竜の士族は成人に際し伴侶をつれていなければ紋を授けられないこと。

 だから私は士族の紋しかないのだと、プラサはたおやかに笑っていた。

 しかし紋をもらうためには伴侶と二人で成人の儀式を受けなければならない。その儀式は厳しく、一人前の戦士として認められるため、命を落とすものも多いとのことだった。

「紋をもらった後は、紋に恥じぬよう精進しろと言われています」

 とプラサは言った。

「そうか、じゃあいつかは儀式のため帰るのだな。それまでよろしく頼む」

 ユニとプラサはしっかりと握手した。


 **

「さて、今日から何人か編入生が入ります。まだこちらの世界になれていない人たちなので、優しくしてあげるように」

 ジャージ姿の青い髪の女教師が入ってくるように目配せする。

 ユニとトリン少年。あと何人か同じ便で来たものたちが教室に入る。

 ユニは生徒たちの顔をみる。オルニタ人や耳長人、他の部族もいるようだ。

 学生とはいうが永住を決めた者は必ずここで学ぶので、年齢もまちまちだ。

「ユニ・ミアロード。ミアロード聖家の出だが、異世界門を破壊しようとして捕まりこちらに追放されて来た」

 あとは左腕を見せる。簡潔かつ分かりやすい自己紹介だ。

 教室内にはざわめきが起きる。大神官の一族が反乱して異世界送り? あの腕の紋章は本物だ。精霊とも契約しているらしい、しかもあの紋は特級だ! 

 各々好き勝手にユニを舐めるように見る。

「静かに。みな仲良くするように」

 担任の先生が注意すると皆大人しくなった。

「じゃあ次はトリン君。お願いします」

 と促すと、トリンは緊張した面持ちで立ち上がる。

「トリンです。父はこちらの世界、母は向こうの世界の二人の息子です」

 こちらもざわめきが起きる。確かに異世界門が現れて一五年、そう言うものが現れても不思議はない。トリンが左腕を見せると、こちらには一片の紋もない。

「父が異世界人でしたので、僕は士族には認められませんでした。こちらで暮らしの基盤を作り、母を迎えるつもりです」

 華奢な体に似合わぬ覚悟。生徒達は拍手を送る。

 残りの生徒たちも自己紹介を終わり、各々空いた席に腰を下ろす。

「姐御、やるねぇ。実家に反乱だって? ロックじゃん!」

 ロックとやらはよく分からないが、となりの席の髪を逆立てた男がヒソヒソ話しかける。

「ま、成り行きだよ」

「へぇ、成り行きで大神官サマに喧嘩売るかぁ」

 と、今度は別の声がする。

 見ると、後ろの席の少年がこちらを見ていた。

「アンタは?」

「ヤフル。北壁の向こう側、帝国の住人さ」

 今は『熊の門』と呼ばれる国境線上の小さな異世界門をめぐる事件。オルニタと帝国は戦になり、赤騎士と呼ばれる帝国の英雄が停戦を支持したことで門が封鎖され長い戦いが終わったのだ。

 ユニはヤフルという少年を見る。帝国から聖都の異世界門など簡単には来られない。わざわざ長旅の上異世界まで来た理由は気になるが、皆事情を抱えた身。深入りはしないようにした。


『技術実習』なる教科の時間。妙に生徒たちが高揚している。体育着に着替えたプラサを捕まえユニは何を行うのか聞いてみた。

「巨人騎士ですよ。操手の契約をしなくても動かすことができるのでみんな乗りたがるんです」

 確かに今朝散歩中にこちらの世界の人々も乗っている姿をみた。

「楽しいのか?」

「どうでしょう。私は竜にまたがるほうが解放感があって好きですが」

「へー」

「……あ、そろそろ時間ですね」

 とプラサが視線を向けると、運動場に巨人が現れた。

 こちらの世界でいうなら五、六メートルほどの大きさで、転んでもいいようにあちこちに保護棒などが据え付けられて、装甲は簡易なもの。騎士らしさは皆無だ。

 神殿の巨人騎士などは重厚な鎧と長柄の武器を持ち張り子の虎などと笑っていたが、反乱時にユニたちでは全く巨人に歯が立たなかったことを思い出す。まあ、今更な話だ。

 そんな騎士もどきでもやはり動かせるのは面白いようで、生徒たちは交代の時間を期待に満ちた目で待っている。

「『アレ』は名前はあるのか?」

 ユニは騎士もどきの巨人を指で差す。

「『宇賀南一号』ですって。略して『一号くん』。可愛くないと思いません?」とプラサは笑う。

「ふむ。名前があるのか」

「え、もしかして興味ありますか?」

 とプラサが目を輝かす。

「いや、特にはないけど……」

「そうですか……」


「下手くそ! 早く替われー!」

「うるせー! これでも上手くなったんだ!」

 生徒たちは楽しそうに代わる代わる一号くんを操る。

 青髪の女教師、レイナは頭を抱えながら生徒の乗り換えを指示していく。

「あー! 歩けないのに武器を振り回そうとしない! 何してるんですか? 立ったまま降りようとしない! 怪我をしますよ!」

「次はボクが」

 トリンが胸の操縦槽に滑り込み、安全帯を取り付け各部を確認していく。

「一号くんって……、本来のマナ機関じゃないのか。想定出力の三割も出ないようになってる。学生用だからかな……」

 トリンはチェックを終えると体を起こしてみる。「うん、大丈夫そうだ」

「では、気をつけて!」

 レイナの声に見送られトリンは一号くんを一歩踏み出させる。

「よし、行くぞ!」

 ユニはその姿を見守る。

「おい、あの小僧、結構やるぜ?」

「お、普通に歩いてる!」

「よーし、一号くんー! そこで立ち止まって。はい、腕を回すー。はい、屈伸運動」

 レイナの指示にトリンはついていく。

 が、屈伸運動の最中、しゃがみこんだところで動きが止まり、ぐらりと尻餅をつく。

「あー、そうですよね。トリンくん、中で酔ったと思うので引っ張り出してください」

 レイナが体力のありそうな生徒に指示を出す。

 言ったとおり、乗り込み口を開けるとトリンが青い顔でぐったりしていた。

「はーい皆さん。六メートルの巨人が屈伸すると、二メートルくらいまで一瞬で下がります。これを繰り返すんだから、慣れてないと当然、酔います。気を付けるように」

 レイナは冷たく言い放つ。

「うーん、ちょっと無理かも……」

 トリンは青い顔をして座り込む。

「もういい、アタシが代わろう」

 とユニは操縦席に座った。

「あ、待っ……」

 止める間もなくユニは一号くんを動かし出す。

 まずは立ち上がる……。動かない。

「ユニさんー。自分が無意識に動いている内容を意識的にやらないと動けませんよー」

 レイナが下から呼びかける。

 立ち上がる、というと今の姿勢が体育座りなので……右足を引いてお尻の下に。そのまま体重を前に。腰に重心が来たのでこのまま足に力を入れれば……! 

「はい、腕のことを忘れてますから」

 ステンとコケた。


「……悔しい」

 昼休み。ユニとプラサはあずまばーちゃん謹製の弁当を並べ昼食を取っていた。

「ははは、初めてでいきなり一号くんを動かせる人はそうそういないですよ」

「そうなのか」

「私だって最初は全然でしたから」

「レイナ先生って何者なの? オルニタ人ぽいけど」

 プラサは顎に指を当て考える。

「それがよく分からないんですよね。『熊の門』事件の時に活躍した北壁将軍、その人だって噂があるけど」

 熊の門事件は秘匿され、ユニであっても詳細を知ることはできない。ただ、帝国との国境線にある北壁要塞、そこで見事な手腕を発揮した第三王女、通称北壁将軍のことは聞いたことがあった。

「間違いないのはゲーム好きで犬が好き。ユニにちょっと似てるかな?」

「それ、褒めているのか?」

「さあ?」

 一つ間違いなく言えることは、あずまばーちゃんの作る唐揚げは絶品ということだった。


 ***

 放課後、ユニはトリンに誘われ図書室にいた。

「文字なんて解るのかい?」

 嬉々として本棚に向かうトリンにユニは聞いてみる。

「父さんがこっそり教えてくれました。簡単な文字ばかりですけど。あと、ここの本は対訳集がついているからユニさんでも読めますよ」

 トリンはにっこり笑いユニに答える。

 不意打ちの笑顔にユニは思わず胸を鳴らす。

 トリンは、人懐っこくかわいい。それは異世界人のハーフである彼の処世術でもあるのだろう。だが、その無邪気な笑みはユニには新鮮で、そして少し眩しかった。

「じゃ、読んでみようか」

「はい!」

 二人は思い思いに本を取ると席に着いた。

 トリンが読み始め、それにユニが続く。

 二人が黙々と本に目を通していたところ、入り口のほうから空気を読まない話し声が聞こえてきた。

「ホホホ! 貧相な図書室ですこと! お嬢様の書斎のほうが蔵書がありますわ!」

 学者たちが白い目を向けるが、高笑いする娘たちに囲まれた少女の腕をみてため息をつき席に戻る。

 腕にあるのは貴族紋。下手に関わると面倒なことになる。

「あら? 誰かいるのかしら?」

「さぁ? 誰もいませんわ?」

 娘は取り巻きに探るように聞くが、彼女らも首を横に振るだけだ。

(……誰だ?)

 ユニとトリンは声の主を見る。……あの手合いは関わると面倒くさい。無視するに限る、とユニは本に向き直るのだが、トリンは席を立ち令嬢に向かっていった。

「すいません。皆さん静かに勉強しているので、騒がないでもらえます?」

 令嬢は気がついたように首を縦に振りなにか言おうとするが、取り巻きの娘たちが立ちはだかった。

「少年。この方をどなたと心得る?」

「先の副将軍水戸光圀公?」

「誰よそれ! オルニタ西部のワジ伯爵が息女、カルテ様よ!」

「いや、関係ないでしょう。貴女はあなた。僕は静かにルールを守っていただきたいだけなので」

 カルテと呼ばれた令嬢は顔を赤くする。怒りというよりも図星をつかれ恥ずかしい、という感じか。だが取り巻きの前でそれを言うこともできず、扇子で顔を隠すがその下では汗がポロポロと滴っている。

「庶民が!」

 取り巻きの一人がトリンに掴みかかる。が、その腕をユニがガッチリと掴んだ。

「あ? なんだお前」

「……彼は私の連れだ。手を離せ」

 ユニはギロリと睨む。

「ひっ!」

 と、少女は悲鳴を上げると一目散に逃げていった。

 気を取り直したらしく、カルテは深呼吸してから前に出る。

「連れが失礼しました。私のいたらなさで少年に悪いことをしたこと、謝罪致します」

 貴族流に優雅に詫びをいれる。

「とは言え、彼女たちにも面子がある。どうでしょう。古流ですが決闘にてすませるというのは」

「え、嫌ですよ。悪いのお姉さんたちですもん」

 トリンはあっさり断る。

「……え?」

「そもそも僕、剣とか使えませんし」

「ええええええ!?」

 カルテの顔が真っ赤になる。

「お嬢様? よくもお嬢様に恥をかかせたな!」

「自爆しただけでしょう? 異世界に来たんだから異世界のルールにしたがってくださいよ」

「お、お嬢様が泡を吹いて……! おのれ、もう許さん!」

 明らかに前提が噛み合わないやり取りにユニは無言で笑いをこらえていたが、潮時だろうと間に入った。

「よし、その決闘アタシが受けよう。ぷぷ……」

「なんと! 女、正気か!」

「こいつ、今日入学した新入りよ?」

「いや、まあ、その、ふははははは!」

 カルテは言葉を失い、ユニは腹を抱えて笑う。

「……はあはあ。じゃ、いつどこでやる? 全員まとめてでも構わないよ」

 当のカルテはオロオロとしているが、取り巻きが勝手に段取りを決めていく。

「その言葉忘れるな! じゃあ一六時に校庭だ! さ、行きましょう、お嬢様!」

 カルテの一団が図書室を去っていく。

 いなくなったことを確認すると、図書室は割れるような笑いに包まれた。

「少年、よくやった! スカッとしたよ!」

「姉さんもカッコいい!」

「……二人とも酷いよ!」

 トリンは半泣きで抗議するが、皆は気にせず肩を叩く。

「いや、本当に助かった」

 ユニはトリンの頭を撫でる。

「……ユニさん、僕、男の子だよ?」

「ああ、悪いことから目をそらさず立ち向かった。立派な男だよ」

 ユニはトリンの目をじっと見る。


 **

 かくして一六時。

 ワジ家に喧嘩を売ったものがいるという噂は校内に伝わり、校庭には人だかりができていた。

 校庭の中央ではカルテとその取り巻きがユニを待っている。

「み、皆さま……」

 もうやめましょう。そう言いたいのだが言い出せない。

 カルテは見た目こそ堂々と立っているが、不安で仕方なかった。あの少年の言うとおり、非はこちらにある。頭を下げてすむならそれが手っ取り早いのだが、取り巻きが勝手に持ち上げ話を進めていく。

 そう言うのが嫌でこちらの世界へやってきたのだが、あまり変わらなかった。

 あの少年。思い出すとほんのり顔が朱に染まる。あのように本音で話してくれる人物。しかもちょっとかわいい。お友達になってくれないかしら? そんなことを考えているうちに決闘が始まってしまう。

「おい! 来たぞ!」

 ギャラリーがざわめく。ユニとトリンが反対側から歩いてくる。

「遅かったですね、逃げ出したかと思ったわ!」

 取り巻きの少女の一人が言う。

 ユニは一団を見据え、息を吸い込んだ。

「コジローやぶれたり!」

「…………はぁ?」

 カルテたちの中にコジローなどと言う人物はいない。

「……トリン。こう言えば盛り上がるって言ったじゃん。どうなってるの?」

「うーん、この世界のお話なので難しかったのかもしれないですね」

「い、いいから早く始めなさい!」

 カルテが叫ぶ。

「じゃ、ルールは簡単。相手にまいったと言わせたほうが勝ちだ。私が勝てばお前らはトリンに謝り、ここのルールに従う。お前らが勝ったら……」

「か、彼を私のおともだ……従者に! それでよろしくて?」

「だとさ。どうする?」

「ええいいですよ。だってユニさん、負けるはずがないもの」

 全幅の信頼をよせた笑みにユニは顔が赤くなる。

「よ、よし成立だ。一人ずつでもまとめてでもかかってきな!」

 ユニは左腕をまくり精霊術が発動できるように紋章を露にする。

「なめやがって……! 行くぞ!」

 取り巻きの少女たちがユニに殺到する。

「……ふん」

 ユニは軽くステップを踏むと取り巻きの一人の顎を蹴り上げる。

「ぐげぇ!」

 取り巻きの一人が吹き飛ぶ。

「よくも!」

 三人がユニを取り囲み一斉にかかる。

 ユニは右手を左から右に薙ぎ払うと三人を同時に殴りつける。

「ぶべらぁ!」「どぼぉ!」「はぶっ!」

 三人は宙を舞い、地面に叩きつけられると動かなくなった。

「さすがユニさん!」

 トリンが拍手をする。残りの取り巻きは二人。ノッポの女とチビの女。今までとは雰囲気が違う。どうやら彼女たちは本物の護衛だ。

「えーと、ここらで敗けを認めてくれるとアタシは助かるんだけど」

 ユニはカルテに呼びかける。

「……さすがにここまでやられて尻尾を巻いてはワジ家の名に傷が付きます。申し訳ないですが痛い目をみてもらいます。ルン! カウラ!」

 二人の護衛が前に出る。

 ノッポのほうはプラサと同族の東方人、チビはどうやら騎士だ。

 ユニは間合いを図りながら左腕の精霊紋に集中する。紋章が発光し、ユニの前に光の輪が展開する。

「神官どのと見受けましたが」

 ルンと呼ばれた東方人がゆっくり間合いを詰める。

「あいにく破門されてね。残ったのは大道芸さ!」

 言うなり光の輪が収束しルンに向かい弾ける。

「目眩ましなど!」

 だが、光が収まったとき、そこにいたはずの少女の姿がない。

「……!?」

「こっちだ!」

 声のする方を見ると、ユニは上空にいた。

「な!」

「空中ジャンプ!」

 ユニは跳躍すると、そのまま回転し踵落としを放つ。

 ルンはとっさに飛び退く。

 着地にあわせカウラが飛び出る。

「どっせーい!」

 ユニは着地すると同時に回し蹴りを繰り出す。

「おおお!」

 だが、カウラは両腕を交差させ蹴りをしっかり受け止める。

「ぐぬぅ!」

 重い衝撃に膝をつく。だが、なんとか耐えた。

「なかなかやりますわねぇ!」

 カルテは二人に信頼をよせているのだろう。先ほどまでのオロオロとした態度は鳴りを潜め、堂々たるお嬢様ぶりだ。

 精霊術を行使するなら集中する時間がいるが、目の前の二人がそれを見逃すはずがない。

 さすがに不利か。ユニはニヤリと笑う。ディーが、あの真面目な妹がみたらまたバカなことを、と怒るだろう。

「ユニさん!」

 トリンの声に顔をあげると、カルテの取り巻きが一人、剣を振り上げ襲いかかってきた。

「ちぃ!」

 ユニはしゃがんで避ける。

「あら、避けてよろしいのかしら?」

 カルテの言葉にハッとする。

 後ろから別の取り巻きが襲いかかる。

 さすがに躱しきれず一発もらう。

 今のでギャラリーのオッズが変わったらしく、ざわめきと喧騒が場に漏れる。

「その左腕切り落としてやる!」

 興奮した取り巻きがいきり立ち剣を振り上げる。

 と、その腕を横から掴むものがいた。

「やりすぎです。それ以上は喧嘩ではなくなりますよ?」

 あくまでたおやかな笑顔を向けながら腕を力強く掴む東方人。プラサだ。

「う、うるさい! 離せ!」

 取り巻きは振り払おうとするがびくりともしない。

「はあ、もう、仕方ありませんね」

 プラサはため息をつき、背後から首をひねる。取り巻きは気を失った。

「ユニさん。そろそろ帰らないとあずまさんの雷が落ちますよ?」

 とユニの手をとり引き起こす。

「それは困る。一日で宿無しは勘弁してほしいな……」

 改めて二人でカルテと残った取り巻きたちに向き直る。

 取り巻きたちはどうと言うことはないが、問題は護衛の二人。間違いなく彼女たちはプロだ。さてどうするか、と唾を飲み込む。

「あなたたち! 何をしているんです!」

 校庭全体に通る声が響いた。

 生徒の人垣を越えやって来たのは青い髪のジャージ姿。担任教師のレイナである。

「先生! これはその……」

「……決闘? こんなところで? しかも私闘ですか? どういうことなのか説明しなさい!」

 カルテは青ざめる。まさか教員が出てくるとは思わなかった。

「えーと、実は……」

 口ごもる一同にレイナはため息をつく。

「この世界では決闘などとうに廃れています。どうしても、と言うならば……ふむ。よし、来月のクラス対抗戦。そこで決着をつけなさい。合法的に殴りあえますよ」

「対抗戦って?」

 ユニはプラサにこっそり聞く。

「私たちの世界の戦をクラス単位で再現するの。こっちの政治家や軍隊……自衛隊? へのアピールですって」「ふーん」

「あの、先生、どうしてここに?」

 トリンがおずおずと尋ねる。

「たまたま通りかかったら騒ぎが聞こえたのです。……全く、あなたたちは初日から問題ばかり起こしますね」

「はあ、すいません」

「はいはい、解散かいさん! そこ、トトカルチョの金を持ち逃げしない!」

 カルテは取り巻きとともに離れていく。扇の影ですまなそうに頭を下げた気がした。

「さ、あなたたちも解散。みなみ荘でしょ? 私も帰ります」

 その言葉にユニはよく分からない、と首をかしげる。

「帰るって……」

 プラサはユニを小突く。

「レイナ先生もみなみ荘に住んでるの」

「へ?」

「私も驚いたけど、部屋空いてるからって。ちなみに私は隣の二◯二号室」

「マジか……」


 * * *

 ユニたちはみなみ荘に戻る。

「おかえりなさいっ、てどうしたの? 泥まみれ! でこの子は?」

 奈美が出迎えてくれるがユニの喧嘩した姿と見知らぬ少年に驚く。

「アタシのことはいいや。こいつ……トリンはちょっとトラブルに巻き込まれてね。一晩泊めてやってもいいだろう?」

「一応男子禁制なんだけど……。先生がいいならOKですよ?」

 奈美はレイナのほうを見る。

「まあ仕方ないでしょう。一人にするのも不安ですし」

「ありがとうございます! 助かります!」

 トリンが深々と礼をする。

「とりあえず汚れを落としてきてください。まずトリンくん? でいいのかな?」

「はい。すいません、お世話になります」

 トリンは浴場に向かう。

「異世界人の編入初日にはよくあるトラブルだから。大丈夫だよ」

 奈美はユニの目をみて慰めるように言う。

「いや、迂闊だったと思う。トリンの正義感は純粋だったけど、私が輪をかけて挑発してしまった」

「でも、ちゃんと止めてくれたじゃない」

「ああ、でもなあ」

「トリンさん、お風呂上がりましたか?」

「はい! 気持ちよかったです!」

「じゃ、次はユニとプラサ、レイナ先生も! はい、さっさと行く!」

 追い立てるように三人は風呂へと押し込まれる。


 部屋に風呂がないぶんみなみ荘の風呂は大きく作られており、やはりもとは何かの宿泊施設であったことがうかがえた。

 体を流したあとにユニたちは湯に浸かり、今日の疲れを癒していく。

「二人ともワジ家の名前は知っているでしょう? 西方ににらみを聞かせる武闘派の貴族。本人はいい子なんですが、取り入ろうとする取り巻きが面倒なんです」

「なるほど。ワジ家の令嬢があのカルテさんで、その護衛がルンさんとカウラさんですね」

「ワジ伯爵は現オルニタ王の姉を嫁に娶った、つまり外戚でオルニタでは強い影響力をもっています。ワジ家に取り入って地位を上げようとしている取り巻きが勝手に仕切っているんです」

「でも、それならなぜ護衛なんてつけてるんでしょう?」

 プラサの素朴な疑問にレイナは苦笑する。

「ワジ家の娘が異世界留学を決めたとき、ワジ家の派閥の貴族たちは大喜びで迎え入れました。しかし、その親族たちは反対したのです」

「なんで? そんなに仲がいいのかな?」

「逆です。異世界の知識がある、と言うのはそれだけで商品価値が上がる。こちらの世界にシンデレラという童話がありますが、似たような……まあ要するに嫉妬ですよ」

 面倒くさい話だ、とユニは鼻先まで浴槽に体を埋める。

「で、足を引っ張るために何をしてくるか分からない。だからあの二人は外の、と言うよりも身内に対しての護衛と言えますね」

 そこまで言うとレイナは浴槽から体を上げる。

「さあ食事にしましょう。待たせるとあずまさんの機嫌が悪くなります」

 レイナは年齢に反した均整の取れた体を拭きながら、脱衣所に入る。

 プラサはパジャマ代わりのTシャツとハーフパンツを取り出す。

 ユニは昨日もらった浴衣を纏い浴室をあとにした。


「喧嘩かい。ま、どんどんやりな。但し遺恨は残さないようにね」

 あずまが騒動にコメントしたのはそれだけだった。

 マサリが遅れて食卓につく。

「うー、奈美てんてー。ベタいれ終わりましたー。今日はここまででいい?」

「うん、おつかれさま」

「さすがに疲れるわぁ……。ま、いーや。飲むぞー!」

 マサリは冷蔵庫から缶に入った酒を取り出す。

「えへへ。奈美もレイナも飲む? ってだりだこの子は? レイナの隠し子?」

 仕事明けでテンションがおかしいのかこれがいつも通りなのか。

「あー。ユニの同期のトリンくん。訳アリで今日は泊まってもらいます」

 奈美がトリンを紹介するとペコリと頭を下げる。

「おぉぅ! かわいい……。どう少年、お姉さんの部屋に泊まらないか?!」

 マサリは鼻息を荒くし暴力的とも言える胸の二つの膨らみをたゆんと揺らす。

「ちょ、マサリ! 何言ってるんです!」

 レイナの制止も聞かずに、マサリはトリンを拉致しにかかる。

「えーっと、僕は男なので……」

「なにぃ! 可愛い男の子は国宝だじょ! よいではないかよいではないか……」

「おい、そのへんでやめとけよ」

「そーよ、もう、酔っぱらいなんだから……」

「うー、うるさーい! 私は今からトリンくんと寝るの! 邪魔すんじゃなーい!」

「うるさいよ!」

 あずまの声にマサリはピタリと動きを止め、席に戻る。

「うう、悪のりしすぎました……。ごめんね、トリンきゅん」

「いえ、気にしてませんから。それより、早くご飯食べちゃいましょう。冷めちゃいますから」

「そうだね。いただきます」

 ユニが手を合わせると皆も続く。

「で、先生。今回の件、どこが落としどころなんでしょうね」

 肉じゃがをつつきながらプラサが聞く。

「ただ勝つだけじゃ駄目でしょうね。あの取り巻きを解散させて、彼女の本音を引き出さないと」

 レイナはマサリからビールを受け取りクイと飲む。

「先生はどう思います?」

「うーん、カルテさんもカルテさんで色々あるんでしょうけど、もう少し冷静になればいいんですけどね……」

「先生、カルテのこと詳しい?」

 奈美が聞くとレイナは少し考え込むような表情をする。

「いい子です。それは間違いない。ただ、家名を意識しすぎて周りが期待する自分を演じることになってるのです」

「ふうん。ま、対抗戦とやらでアイツに勝てばいいんだろ? それならアタシに任せとけ!」

 ユニはトリンの肩を叩く。

「でも対抗戦って喧嘩とは違うんですよね? 何をするんです?」

 トリンは疑問をレイナに向ける。

「まあ、陣取り合戦ですね。二つの山にそれぞれ陣をひき、各所のフラッグを奪い合う。制限時間を過ぎたらフラッグを多く確保したほうの勝ち。あるいは巨人騎士を撃破して大将の腕章を奪い取る」

「なるほど」

「こちらの世界の軍隊も似たようなものですよ。陣地防衛、強襲、遊撃、支援」

「へぇ、面白そう。竜は乗れるんですか?」

「制限付きですけど乗れますよ。クラスの東方人に関わらず三人まで。飛竜は使わず地竜のみ。同じく巨人も二騎まで」

「で、うちのクラスは巨人はあるの? 騎士はいるの?」

 ユニの質問にレイナは箸で✕印を描く。

「無いしおりません。なのであなたたちが使えるのは学校から借りられる一号くんのみ。乗り手も未熟。竜だけは三騎全て運用可能ですね。まあ、私が指揮すれば殲滅を約束できる戦力ですが」

「じゃーレイナしゃんが指揮すればー?」

 ほろ酔いのマサリが言う。

「そうすると生徒のためになりません。あくまで主役はあなたたちです」

「あ、あの! 僕も! 参加できます!」

 トリンが立ち上がる。

「そうですね。あなたは一号くんを乗りこなす素質があります。騎士見習いとしてやってみますか?」

「はい! 先生!」

 トリンは満面の笑みをレイナに向ける。

「うう……、やっぱりトリンきゅん、かわいい……」

 マサリは缶ビールを一本空ける。

「よし! 明日から忙しいですよ! 明日は一限目から座学です! しっかり休まないと!」

「はい! 先生!」

「じゃあ、お開きにしましょうか」


 * * *


 ユニが編入した二組は元冒険者やユニのような罪人にスポンサーのいない学者など、端的に言えば『あまりもの』で構成されており、カルテの一組は貴族や軍人の子女、商人などが中心で何かしらの裏事情を感じさせた。

 すなわち、二組には正面切った軍事指揮など行ったものは皆無であり、今回の対抗戦のような催しは例年なら一組に花を持たせ、帰還の際の土産話となるためのイベントだったようだ。


「アリブ。また学校に行かず飲んで……」

 ユニとカルテの決闘から数日後、対抗戦の対策に頭を悩ませていたユニは、どちらのクラスにも顔を見せていない男のことを思いだし、この立呑屋へやって来た。

「おお、ユニ! ……ずいぶん丸くなったじゃないか? 女の子に見えるぜ!」

「うるせえ! お前が心配だから来たんだよ!」

「嬉しいこと言ってくれるじゃないの! ほら、飲め!」

「いらないよ!」

「まあまあ、今日は奢ってやるからよ」

「けっ、仕方ないな……」

「で、どうした? わざわざ来たんだ。何か用があるんだろう?」

 アリブはユニのカップに飲み物を注ぐ。

「アンタ、北壁の軍人だったって言ってたよね。軍隊指揮はやっていた?」

 飲み物をひとくち飲むと、しゅわしゅわと口の中で弾ける感触があった。

「なんだ? ここでも叛乱を起こすのか?」

「違うよ……。クラス対抗戦、て言うのがあってね、貴族様に一泡吹かせたいんだ」

「へえ……。面白い話だな。で、俺に何を聞きたい?」

「あんた、私と一緒に来ないか? というか来なさい。ここで暮らすなら学校に行く義務がある」

「そりゃ無理だ。今さら学校なんてアホらしくて行けないよ」

「ほう、アホらしいですか」

 アリブが取ろうとした酒瓶を後ろから誰かが取り上げる。

「……俺の酒!」

 振り返るとジャージ姿に青い髪。その姿にアリブの動きが止まる。

「…………ひ、姫様?」

「あなたの憧れの北壁将軍にして巨人騎士クロウガンの操り手、今はただの教師のレイナ・ダン・ラウルト・オルニタですが何か?」

 顔は笑っているが目が笑っていない。

「いや、その……」

「まさかとは思いますが、今のは本気ではないでしょうね……」

「滅相もない! そんなはずありません!」

「まあいいです。お酒は没収します」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 行く、行くよ! だから酒だけは後生だから!」


 **

 三人は対抗戦の舞台となる二つの山を見上げる広場に車を停め眺めていた。

「さて、アリブ。どうみます?」

 レイナは試すようにアリブに聞く。

「平地がここだけだから大規模な正面戦は難しい。フラッグの数だけが重要なら真面目に戦う必要もないね」

「ふむ。やはりそうですか。では陣地防衛は?」

「陣地の守り方次第ですが、おそらく敵は正面突破してくるでしょう」

「なぜそう思うのです?」

「まず第一に相手は指定の戦力を全て使用可能。第二にこちらは陣地の防衛に使える人員が少ない。そしてなにより、向こうはこちらを舐めていて、自分をアピールするための戦いだと考えている」

「そんなところでしょう。徹底的に勝つこともできますが、その後の関係も考えるなら必要なぶんだけ勝てばよいと私は考えます。彼らの面子を潰さず、カルテに敗けを納得させる。ユニ、あなたにできますか?」

「ああ、任せておけ」

「頼もしい返事です。それでは作戦を伝えます」

「はい!」


 ***

 それからはあれよと言うまにひと月が経ち、対抗戦当日となった。

「ユニ、準備はいい?」

 レイナが声をかけるとユニはニヤリと笑う。

「おう! いつでも行けるぜ!」

 トリンはこの一月練習を続けた一号くんに乗り、プラサは仲間の東方人と久々の竜への騎乗の感触を楽しんでいる。

「それじゃあ、始めましょうか。全体の指揮はアリブに従うこと。斬り込み隊はユニが先陣。トリンは言われたとおりに」

 山の各所には定点カメラが据え付けられ、中継ドローンも飛び回っている。学校の校庭にはオーロラビジョンに観戦席が設けられ、ちょっとしたお祭りの様相を呈していた。

『さあ、いよいよ始まります! 宇賀平市、南の山から現れたのは竜騎士隊です! カルテ率いる一組の精鋭たちです!』

 実況の声がマイクを通して響き渡る。

『続いては東の山から二組歩兵隊の登場です! 戦力に劣る二組がどこまで粘れるか』

「今年も二組はゲリラ線ですね。足どめの戦士だけ前線に出し、各フラッグへの隠密戦と見られます」

 したり顔で髭の男が解説をする。

『来ました! ワジ家の騎士、カウラが駆る巨人騎士! タウロナイト! 猛牛のような力強さです!』

 牛を模した兜の巨人が平地に貼った一組の本陣に現れる。その腕にはオルニタ貴族の戦装束に身を包んだ金髪の淑女、カルテが抱かれて手を振っている。

「おーおー、カッコつけちゃって、まあ」

 ユニは奈美から借りた双眼鏡で平野の様子を覗く。二組の本陣は山の中に敷き、目立たないように偽装している。あのように喝采を浴びることはない。

「いいなぁ……」

 トリンは羨ましそうにその様子を見る。

「おい、トリン。ぼーっとしてる暇は無いぞ。もう始まる」

「はい! アリブさん!」

 トリンは一号くんを起動する。

「よっと……」

 ゆっくりと立ち上がる巨人。付け焼き刃だが二組では一番の戦力だ。

「じゃ、またあとで」

 ユニは何人かのクラスメイトを連れて森の中に消えていく。

「まあ心配するな小僧! ゲリラ屋にはゲリラ屋なりの戦い方がある。お偉方に目にもの見せてやるよ!」

 アリブは上空を飛ぶ撮影ドローンにあかんべーをした。


 **

『はい、二組の本陣からの中継でした。なお、この放送は対抗戦のチームからは見ることはできず、場所の特定に繋がることはありませんのでどうぞご安心してお楽しみください』

 その様子を奈美は観客席からマサリと見ており、首には『取材』のプレートが掛けられている。

「奈美しゃん。完全に娯楽だね、これ」

 マサリは歩き回る売り子を呼び止めビールを追加する。

 一方奈美がモニターを見る目は真剣そのもの。メモ帳に色々書き留めながら様子を見守っている。

「うん。でもこういうイベントって今まで無かったから、すごく参考になるの」

「ふぅん……」

「あ、そうだ。マサリちゃん」

「何?」

「マサリちゃんのマンガ、今度編集さんが見せてくれって」

「え? マジで?」

「うん。うまく行けば異世界人の漫画家第一号だ!」

「おぉ! 『サウス・ゆこ』先生に鍛えてもらった甲斐があった! ありがとう、奈美しゃん!」

「うへへ……、いいってことよ……。さ、まずはコイツをしっかり見届けて飯の種にしましょ!」

 奈美は照れ隠しのようにモニターに向き直る。目の前の大画面では開始の号砲がなり、歩兵たちの攻防が始まっていた。


 **

『戦いすぎず森の中に誘導する』アリブが歩兵たちに指示した内容だ。元冒険者を多く集めた歩兵隊は個々の技量なら一組の元軍人たちに決して劣るものではない。

 神官の精霊術で盾を作り戦士の剣が互いに撃ち合う。魔術による土の壁や岩の塊が空に打ち上げられ、森から放たれた矢が雨のように降り注ぐ。

 戦いの中、カルテは平原の真ん中に立っていた。腕に光るのは大将を示す腕章。

 その手に持つ羽毛で装飾された扇子を閉じ、軍配のように前進を示す。

 一組の戦士たちは雄叫びを上げ二組の陣を崩しにかかる。組織だった動きが徐々に二組の戦列を下げていく。

「お嬢様。奴ら森に逃走していきます」

 カルテの脇に控える東方人、ルンが戦況を報告する。

「部隊を分け各個撃破。山狩りで本陣を探しなさい」

「はっ」

 ルンたち三人の東方人が駆る地竜が動き出す。

 まさに異世界を象徴する竜の姿がモニターに大写しとなり、観客席から声が溢れる。

 駝鳥、と言うより恐鳥類が鎧を纏ったような姿は美しく、それにまたがるルンたちの姿は映画に出る竜騎士の出で立ちそのもののようだ。軽快に走り森の中に分け入ってゆく。

 ここまでは想定どおり。上々だろう、とカルテは息を整える。気になることはいくつかある。

 歩兵の中にあの喧嘩っぱやいユニの姿がなかった。最前線に立ちそうなものだが意外と頭が回るタイプなのかしら? 

 トリンの姿もない。まああの細腕だ、後方支援に回っていると思いたい。怪我などしてほしくはないものだ。

 そして一番の懸念点。親衛隊と称し取り巻きたちは本陣から動いていない。貴族が小隊の指揮を取らねばならないのだが、森に入ると汚れるだの、カメラに写らないだの、カルテを守れないだの言い訳をつけ待機中だ。人の前に立たずなにが貴族か、と父、ワジ伯爵なら激怒するだろう。

 カルテは二組が兵を伏せているであろう山のほうを見る。空気に湿り気が出てきたが、そこまで気にできる経験は彼女にはなかった。


 **

 背の高い針葉樹と足元の雑草に囲まれた山中の森。

 一組の軍人たちは探索に優れる西方の耳長たちを斥候とし、後ろから警戒しながらついていった。

「……なんか静かじゃない?」

「うん。不気味なくらい……」

「おい、静かにしろ。敵に聞かれたらどうする?」

 先頭を行く士官が注意を促す。

「はい……」

「すみません……」

 二人の少女は口をつぐむ。

「見つけました」

 斥候がフラッグを発見し報告する。

「よし、お前たち、確保してこい」

 仕官は少女たちに指示する。少女たちは言い方が気に入らなかったようだが文句を言いながら渋々と前に出た。

「まったく、これだから野蛮人は……」

「私たちがどれだけ苦労したか、わかっているのかしら?」

「おい、無駄口叩くな。早く行け」

 士官が急かす。

「はいはい、わかりましたよ!」

「はいは一回でいい!」

 少女がフラッグに手を伸ばす。と、足元が跳ね上がった。小隊全員が宙へ舞い上がり、太い網に絡め取られる。

「えー!?」

「罠か!」

 二組の学者たちが手を叩きながら現れる。

「さすが一組の諸君、察しが良いね!」

「貴様ら!」

「さあ、大人しく捕まって貰おうか!」

 学者は兵士たちに手をかざす。兵士の身体が一瞬輝き、眠りの魔術が発動する。

「よしよし。次の場所へ移動しよう」

 学者たちは頷き、こっそりとまた森の中へ姿を消した。


 *

 一組の守るフラッグの一つでは、生徒たちの小隊があくびをしていた。

「いいよな、あっちは。カメラで大写し。写真でも撮ってもらえばオルニタでも英雄様だ。こっちは来るか来ないかも分からない二組の蛮族待ちだぜ?」

「アイツらにこちらに割ける戦力はないよ。またいつもの一発逆転、大将狙いだろ?」

 防衛組には商人などがまわされていることもあり弛緩しきった空気が流れている。後方に回された生徒たちは真面目にやる気はないようだ。

「おい、油断するな! もうすぐ敵が来るぞ!」

 隊長が声を上げるが、生徒達は聞いている様子がない。

「はいはい。分かってますよーっと」

「どうせ来ないだろ? この人数差で正面からぶつかるバカはいないって。ちょっと小便してくるわ」

 一人が離れ藪の中に消えていく。

「貴族様のイベントだろ? 真面目にやってられるかっての」

 ぼやきながら我慢していた小水を流す。

 出しきった頃音もなく後ろに立つ影が後頭部に一発喰らわせ、生徒はどさりと倒れ込んだ。


『どうやら二組の別動隊が一組の陣に侵入しているようですね。カルテ大将がいつ気がつくのか。おっと、申し遅れましたがこの戦い、西方術式の守護のルーンがかかっておりますので命の心配はありません。皆様、安心して観戦くださいませ』

 実況がアナウンスをする。


 アリブは頭をかきながら空を見上げる。

 空気の湿りが増し、初夏ではあるが気温が徐々に下がっていた。

「さて、そろそろ俺らも動くとするかね」

「はいっ!」

 トリンは巨人を起動する。

「トリン、無理するなよ」

「もともとまともにぶつかれば勝ち目はないんです。やれるだけやってみますよ」

 一号くんの巨体が静かに立ち上がり森を掻き分け歩きだした。


 **

「フラッグが奪われている?」

 カルテはやっとで逃げてきた生徒の報告を受け、事態を把握した。

 -ユニでしたか。やりますわね。

 接待ではなく本気で勝ちを狙うつもりのようだ。カルテは腕を組み、扇子の先で頬を軽く叩く。

「カルテお嬢様、どうします? このままでは負けてしまいますが」

「そうね……」

 カルテは少し考え込む。

「奪われたフラッグは仕方ありません。地竜隊を呼び戻し後方の警戒に当たらせるように。彼らの機動力なら山間を駆け回ることができます。前線は維持前進を緩めずに。よろしくお願いします」

 二組で唯一警戒すべきは未だ姿を見せない竜騎士隊、これだけは一組と同等の戦力と言える。カルテが振り返ると本陣のテントでは取り巻きたちが菓子を食べ報告を聞き流している。あそこで止められている情報もあるのだろう、とため息をつきそうになり、途中でやめた。大将がみっともない真似はできない。

「霧が出てきましたわね」

 これが悪いほうに転ばねばよいが、と山の方角に目を凝らした。


 **

「両陣営の旗がそれぞれ一二本、アタシらが奪ったのが今ので五本! さあ、次行くぞつぎ!」

 ユニ率いる強行部隊は森に紛れ一組のフラッグを次々と襲っていた。

「姐サン。うまく行きすぎて怖いっス」

 編入日に隣の席にいた髪を逆立てた男、ベロクが周りを警戒しながらついてくる。

「しかもセコくてロックじゃないっスよ……」

「文句を言うな! これは勝つための戦略だ」

 ユニは腰に差した刀を揺らし、鼻を鳴らす。

 一組の陣地は森に点在する林の中。木々の間から時折見える旗を目指し進む。

「……っ!?」

「どうしました?」

「……竜だ」

 フラッグをこれ以上奪われたくなくて後方に投入してきたか。

「音を立てるなよ。奴らは精鋭で竜の鼻もバカにできない。あんなのに見つかったら私らなんてすぐやられる」

「了解っす……」

 二人は木陰に隠れ竜の様子をうかがい続ける。竜騎士隊は三騎で陣の周りをぐるりと警戒しながら走り回っているようだ。竜の視線から隠れるように移動しつつ、慎重にフラッグに近づく。

「は……は……びぇっくし!」

「あ、バカ!?」

 ベロクは思い切りくしゃみをし、竜騎士の一人がそれに反応する。

「そこの連中、止まれ!」

 竜騎士たちは槍を構えて接近する。

「やべっ!」

「逃げるぞ!」

「はいぃ!」

 強行隊は慌てて走り出す。

「追え! 逃がすな!」

 三手に別れて逃げ出す強行隊を同じく別れて追いかける。

 ユニは走りながら左手の紋章に意識を集中する。森の中だ、蔦の精霊がよかろう。精霊紋の一つが輝きだし、茨のような光の筋がユニの左手を包む。

「そら!」

 光の蔦が竜騎士に襲いかかる。足元に絡み付き動きを止める。

「時間稼ぎか!」

 騎士は光の蔦を振りほどこうとするが、ほどくには魔術の武器を使うか対抗魔術を使うしかない。

「セコいやつ……!」

 騎士は歯噛みしながらユニたちの背中を見るしかなかった。


 **

『さあ、戦いも混沌の様を呈してまいりました。現状をおさらいいたしますと、一組の奪ったフラッグが七、二組の奪ったフラッグが五。じわじわと一組が包囲を狭めつつあるように見られますね』

『例年よりも二組が粘っていますね。よい指揮官がついたのでしょうか? に、してもこのまま包囲が進めば一組の勝ちは確定的です』

「なーんか好き勝手言ってるにゃー」

 マサリは鮭とばを咀嚼しながらビールを喉に流し込む。

「ま、気にすることじゃないけどにゃ」

 奈美はモニターを見ながらうなずく。

「霧が……」

 この時期、山あいの宇賀平市には霧がよく発生する。定点カメラやドローンの映像も白く染まり周囲の状況も読めなくなってきた。


 ***

 進軍を続ける一組の歩兵隊。抵抗しては退却を繰り返す二組の戦い方に嫌気がさしていた。

「あいつら、正々堂々と戦えないものかね?」

「無理ですよ」

 士官が否定するが、その口調はどこか呆れたような響きがあった。

「我々は誇り高き西方人だ。野蛮人の卑劣さには付き合いきれないね」

「まったくだ」

 士官は相づちを打つ。

 霧が濃くなり進軍速度が鈍りだした。早く終わらせてワジ家のご令嬢に取り入りたいところだ。

「隊長……!」

 生徒の一人が指をさす。その方向には霧に浮かび上がる黒い影。

「巨人だ!」

 一号くんでも巨人騎士。易々とかなうものではない。軍人見習いの多い一組はその事実をよく知っていた。

「退却、退却!」

 誰かが叫ぶと生徒たちは遁走する。

「待て、貴様ら!」

 士官が怒鳴るが、誰も聞く耳を持たない。

「霧のせいでよく見えなかったんだ! 俺は悪くないぞ!」

「うるさい!」

 士官は生徒の胸ぐらを掴みあげる。

「おい、あれを見ろ!」

 逃げた方角からは騎乗する影が待ち受ける。

 針葉樹の木の間を潜り抜け、一気にと間合いを詰めてくる。

「竜騎士だ!」

 言うか言わないかの間に騎士の槍が指揮官の兜を飛ばす。

「降伏しなさい。そうしないとカメラの前に全裸で落書きされた姿を晒してあげますよ」

 プラサは生徒たちに優しげに、しかし凄みのある声で告げた。


 **

「はぁ? それで降伏した隊が三方面? 見間違いでしょ?」

 斥候の東方人の報告を聞きながらカルテの取り巻きたちはケラケラと笑っていた。

 まあ、お嬢様に知らせるまでもなかろうと手を振り、斥候を下がらせる。

「サッサと終わらせられないもんかねー」

「この間のエセ神官も姿を現さないし、逃げたんじゃないのー?」

 テント内に笑い声が漏れる。

 幕外ではカルテが戦いの推移を見守っている。後ろに立つ巨人、タウロナイトの搭乗口が開き、背の低い少女、カウラが顔を出した。

「お嬢ー、さっきの話聞こえてたでしょー? 巨人がでたって」

 立ったままの巨人から器用に降りてくる。

「巨人と『交戦した』報告がありません。おそらく幻惑魔術か何かでしょう」

 外にいても取り巻きたちのおしゃべりは筒抜けなほどに緊張感を失っている。行軍中の生徒たちにも申し訳ないとカルテは思う。

「私が行こうか? 巨人相手なら巨人がいるっしょ?」

「いえ、あなたは本陣の護衛に残っていてください」

 カルテは立ち上がり、ローブを翻した。

「私は前線に立つ仲間たちを信じています」


 ***

「なんだこりゃ?」

 霧の中フラッグを奪取した一組の歩兵隊。

 撤退する二組の生徒たちが捨て置いたソレを見て、あきれた声をあげていた。

 風船だ。

 巨人のシルエットを象ったただの風船。

 あちこちで巨人の姿を見かけたのはこういうことだったか。霧の中なら確かにわかるまい。

「どこまでも舐めたマネを……! 伝令! 各隊にこの事を伝えろ! 巨人はニセモノ! 怖れず前進しろ、とな!」

 一組の兵士は怒りに任せて命令する。

 その時、視界の端にちらりと動くものが見えた。

(竜騎士!?)

 竜騎士たちはフラッグを守るように陣形を組み直し、突撃してくる。

「やばい! 総員退避!」

 一組の兵たちも慌てて後退する。

「だが、種は割れたぞ! もう手はないだろう!」


 ***

 残り時間三十分ほど。フラッグの取得状況は一組九、二組八。

 あとは適当に防衛すれば一組の勝利は決まったようなものだ。

「だからこそ、仕掛けてくるでしょうね」

 カルテは畳んだ扇子で反対の手を叩きながら考える。

 ここで勝利を狙うならカルテの腕に巻いてある大将の証を奪うのが確実だ。

 霧に紛れ強襲して来ることだろう。

「あなたたち! 最後くらいは動いてもらいますわよ! 大将の証を守りなさい!」

 取り巻きたちがやれやれと立ち上がりカルテを守るように陣を組む。

 誰かの声があがる。

「き、来ました! 巨人ですわ?!」

 霧の中な黒く巨人の影が浮かび上がる。

 二本角の巨人が背中から蒸気をあげ、影のほうに向かおうとする。

「カウラ! 待ちなさい、ニセモノです!」

 伝令のあった風船だろう。本命は……。

「後ろだねっ!」

 カウラは振り向き様に長斧を横凪ぎにする。

「わわっ!」

 背後から迫っていた「ホンモノの」一号くん。慌てて飛び退くが胸の装甲を斧が掠める。

「なんでわかったのさ!?」

「気配だよ!」

 カウラは斧を構えなおす。

「さあ、かかってこい!」

「くぅ……」

 トリンは唇を噛む。

「負けるわけにはいかないんだよっ!」

 ひと月で身に付けた付け焼き刃と幼い頃より修練を積んだ鍛え抜かれた刃。巨人の性能差も相まって赤子の手を捻るよう、とはまさにこのこと。

「わっ!」

 トリンは慌てて跳び退る。

「なにを遊んでいるのですか! さっさと倒してくださいまし!」

 カルテの怒号が響く。

「くそぉ!」

 一号くんは手に持った巨大な石礫を放り投げる。

「やけくそで勝てるわけないよ?」

 カウラは上体のみでかわすと、長斧を槍のように突き出す。バランスを崩した一号くんは大音響で尻餅をつく。

 カウラのタウロナイトは馬乗りになり抑え込む。巨人の腕を抑え込み地面に叩きつける。

「このまま折ってやる!」

 力任せに体重を掛けていく。ボキン、と一号くんの間接が外れる音がした。

「わわ……」

 押し潰されるかのように迫ってくる二本角の巨人にトリンは震えるしかない。

「くたばれ!」

 一号の頭上に巨木のような足が迫る。

「うわあああっ!」

 トリンは目をつぶって叫び声をあげる。

『おおっと、これはどうしたことでしょうか?!』

 体重を掛けていたタウロナイトの足が止まる。

 いや、受け止められている。

 一号くんの残った腕がしっかりとタウロナイトの足を抑え、拮抗している。

 そのまま立ち上がり、カウラは飛び退く。

 一号くんは外れた間接をガチリとハメ直す。

「銘無しのクセにやるじゃん……」

 カウラは舌で唇を舐めると長斧を大上段に構え、一気に振り下ろす。

 一号くんは皮一枚で躱す。安全保護のバーが何本か宙に舞うが構うことなく操縦槽目掛け正拳突き。ぐわん、とカウラ自身に衝撃が走る。

「うにゃ~っ!」

 一瞬意識が飛んだカウラは一号くんの次の動きを予測し、体勢を立て直す。

 が、一号くんはその場で立ち尽くす。

「……おや?」

 背部に背負ったマナ機関から黒煙が上がり、そのまま膝から倒れていく。

「……ん? どゆこと?」

「やりましたね!」

 カルテは思わず拍手する。

「勝ったんですのね!」

 取り巻きたちは喜び、カルテの周りを踊り回る。

「まだ終わってません。フラッグを守りましょう!」

「いや、ここまでだ。まいったよ」

 霧の中から無精髭の男が仲間も連れずやってくる。

「二組大将のアリブだ。二組は降伏する」

 と自ら腕の大将の証をとり、カルテの足元に投げ出した。


 山全体に対抗戦終了の花火があがる。

「ど、どう言うことですの?! ここまで粘ってあっさり敗けを認めるなんて!」

 カルテは扇をアリブに向ける。

「だって、俺たちできることはもう全部やったし。残っている手はねえもん。な?」

 霧の中からユニがぶらぶらと現れる。縄でくくりつけたフラッグ、その数は『一二本』。

「……え、ええぇ?!」


 **

『お……お待ちください。一組の奪取したフラッグ九本、二組の奪取したフラッグ……確かに一二本! ただし、大将の降伏により、一組の勝利! 一組の勝利です!』

 観客席では拍手と歓声が起きているが、疑問符がついたまま拍手しているものも多かった。

「奈美しゃん。なにが起こっているの?」

 あたりめを加えながらマサリが聞く。

「んー。つまり、大将の降伏でルール上は一組が勝ったんだけど、すべてのフラッグを抑えた二組が実質勝利したってこと」

「ふむー。よくわからないにゃー。ま、いいか! 今日はお祝いだ!」

 マサリは満面の笑みでビールを煽った。


 **

「さて、賭けはどうする? アンタが勝ったんだから好きにするがいいさ」

 ユニはニヤニヤとカルテの顔色を伺う。

 勝ちは勝ちだがこの勝ち方では彼女のプライドが許すまい。

 カルテは顔を赤くしながら考え込む。

(そういえば、私は今まで負けたことがありませんでしたね……。)

「そうですね……」

 カルテは少し考えた後、口を開く。

「それなら、『あなたたちの好きなように』してくださらない?」

「だとさ、トリン。どうする?」

 一号くんからやっとの思いで這い出してきたトリンがユニに駆け寄る。

「んー、じゃあ……」

 トリンは前にでるとカルテに右手を差し出した。

「え?」

「友達になりましょう。この世界でなら身分も地位も関係ありません。少なくともボクも、ユニさんもね」

「な……、なんなのよ! あなたたち!」

 カルテは狼をも殺すような眼光を向けるが、トリンは動じない。

「……わかりました。よろしくお願いしますわね」

 カルテは差し出された手を握り返す。

 取り巻きたちは白い目を向けているが、戦いを終えた生徒たちからは拍手が巻き起こる。

 そこには一組も二組もなく、ただ一つの学生としての連帯が感じられた。


 ***

「なかなか面白かったかな?」

 森の中で一人の少年が呟く。ユニの後ろに座っていたヤフルだ。

「あいつら、お前の計画に使えそうなのか?」

 ヤフルの後ろから大柄の男が姿を現す。

「まあもう少し様子を見るよ。まだ判断には早いからね」

「ふん、まあせいぜい頑張れや」

 男は踵を返し、森の奥に消えていった。


 ***


「いただきまーす!!」

 対抗戦を終えたユニたちは、慰労会と言うことでみなみ荘の食卓を囲んでいた。

「トリンがいるのはいいとして……」

 ユニはくるりと大きな食堂を見回す。

「なんでお前らもいるんだよ?」

 トリンの隣にはカルテが座り、二人を挟むようにカウラとルンが控えている。

「あら。お友達ですもの。当然でしょう?」

 唐揚げを頬張りながらカルテが言う。

「いや、そういう意味じゃなくてさぁ……」

「別にいいじゃないですか。みんなで食べたほうが美味しいですよ?」

「……トリンがいいならまあいいか。んじゃ、あらためて乾杯しようか!」

「かんぱーい!」

 こうして、ユニたちのクラス対抗戦は終わった。

「でもわからないことがいっぱいありますのよ!」

 カルテがひじきの煮物を食べながら叫ぶ。

「あらあら。お嬢様がはしたない」

 プラサはニコニコしながらチクりと言う。

「だって分からないんですもの。どうやってフラッグを一二本奪取できたんですの?」

「あーそれは」

 ユニが得意気に鼻をならす。

「竜騎士の中にウチの騎士を紛れ込ませた。逃げたふりして分断している間にね。あの霧じゃ見分けるのは難しいし、私の精霊にも認識阻害の術を使ってもらって防衛隊に『他の隊が応援要請している』って吹聴してもらったんだ。あとはこっそり近づけば余裕で……」

 ユニはカルテの皿の唐揚げを一つ取り上げる。

「ってわけ」

「搦め手ばかりですのね。次。一号くん。アレはトリンくんがあの動きを?」

 カルテの疑問にカウラが相づちを打つ。

「そうそう。あとで見たら私のタウロナイトの装甲がへこんでた。的確に私の位置を、だ。キミにそんな技術があるとは思えないんだけど」

 話を振られたトリンはタハハと笑う。

「そうですよねー。実はボク、あの時気絶してて。気がついたら花火が鳴っていたんです」

「……じゃ巨人が勝手に動いたとでも? あり得ませんわ」

「まあまあ。経験を積んだ巨人騎士は操り手の危機には自動で動くこともあるとか。あれもその一種でしょう」

 レイナが冷蔵庫から新しいビールを取り出しながらフォローを入れる。だが、二人は納得していないようだ。

「自動防御で外れた間接を直してカウンターなんて聞いたこともありません。先生、何か隠してません?」

「そんなわけないでしょう。たまたまクリーンヒットしたのでしょうよ」

「まあ、いいでしょう。最後。あのアリブという男、何者ですの? 今まで顔を見せなかったくせにいきなり大将? で降伏? 意味がわかりません」

「はーい! アリブくんは、わたしの飲み友達でーしゅ!」

 マサリが元気に答える。

「アリブは私たち反異世界門グループ『異世界分断戦線』のリーダーだよ。命は取らないまでも色々と精霊教会に嫌がらせを一緒にやってきた。……でも、確かにその前の経歴は知らないな。先生と顔見知りみたいだったけど……」

 ユニがレイナの顔を見ると、レイナはふう、と息をついた。

「彼は私のもと従者ですよ。わたしが去ったあとの北壁要塞をまとめあげ、帝国の戦争派残党を取り締まったアリブ・ウンタ将軍その人です」

「え?!」

「マジで?」

「うにゃ?」

「えーっと、確か北壁要塞って前の帝国との戦争で最後まで抵抗した場所よね」

 マサリが口元に指を当てる。

「ええ、アリブは私の戦いをずっと見ていましたから。彼がいたから私も安心してこちらに移住できたのです」

「ちょっとお待ちください…………、ということは、レイナ先生はあの北壁将軍、もと第三王女、レイナ・ラウルト様?」

 カルテたちが目を丸くする。

「ああ、もう王族ではありませんし、今は教師なので普通に接してくださいね」

「いえ、しかし……、と言うことは母さまの妹、つまり私の叔母様……?」

「さあさあ、この話はここまで! せっかくのお祝いなんですから! ほら、カルテちゃん! 飲んで!」

「は、はい! ありがとうございます!」

「ちなみに、レイナ先生なら今回の対抗戦、どうしました?」

 今まで黙々と食事をしていたルンが口を開く。確かに話に聞く北壁将軍ならどう戦うのか、興味深いところではある。

「条件次第ですね。今回は一組に花を持たせつつ実質勝て、と言うことでしたから、アリブの戦い方がよかったのでしょう」

「ではそのような条件無し。遺恨無しの戦いだった場合は?」

「あまり考えたくないですね。まあ、あんな丸見えの平地に陣をひいてますから、本陣が急襲されていると流言を流し、本陣に集まったところで火を放ち殲滅して終わりです。この時期は霧が出ることもわかっていますから伏兵も効果がありますね。あなたの父、ワジ伯爵なら一人正面から突っ込んで大将首を抱えて帰ってくるでしょう」

「……やっぱりそうなるよねぇ」

 カウラはため息をつく。

「でも、今回の戦いでわかったことがあるわ」

 カルテがお茶を飲み干すと立ち上がる。

「ええ、そうですね」

 ルンも立ち上がり、食堂から出ようとする。

「次の対抗戦で、私たちは負けないわよ!」

 カルテはビシッと指をさすと、そのまま廊下に出て行った。

「うにゃ、なんだか大変そうだにゃー」

 マサリは興味なさげに食事に戻る。

「いい友達ができたじゃないか」

 あずまがユニにニヤリと笑う。

「はっ、どうだかな」

 ユニは肩をすくめる。

「ふーん、いいのかい? このままだとカルテ嬢ちゃんは一組の『ホンモノの』大将になるぞ?」


 ***

 夜中、ユニはペイとみなみ荘の前庭で風に吹かれていた。久しぶりの戦いに高揚したのかなかなか寝付けなかったのだ。

 浴衣姿でペイを膝の上に抱き、団扇で体をあおいでいる。

「まだ起きてる」

 奈美がやってきて隣に腰かけた。

「奈美こそ。仕事はいいのかい?」

 聞いたところでは奈美は『漫画』なる絵物語で生計を立てており、今は異世界人との交流、すなわちこの生活を日記漫画で発表しているそうだ。それに感銘を受けたマサリが弟子入りし、自立を目指しているらしい。

「うん、今描いてるシーンは終わったし、ネタも溜まってるし」

「はは、売れっ子は違うね」

「まあねー」

 二人は空を見上げる。星々がきらめいている。

「ねえ、ユニさん」

「なんだい?」

「こっちは面白い?」

「そうだね。退屈はしないかな」

「そうか」

「…………」

「…………」

「……奈美、聞いてほしいことがある。アタシの話」

「なあに?」

「アタシはね、罪人なんだ。国に反旗を翻し、捕まって、帰ってくるなと追放された。追放したのは私の妹。悪いことをしたよ」

「……そうなんだ」

「なあ奈美。アタシは楽しんでいいんだろうか。ここで暮らしていいんだろうか」

「いいんじゃないかな?」

「そうかな……」

「やり直す機会を神様が与えてくれた。そう思わなきゃ。妹さんもそれを望んでいると思うよ」

「……そうだね。よし、ペイ! 寝る前にひとっ走り行こうか!」

 待ってましたとばかりにペイが起き上がり、ユニを引っ張りだす。

 ユニは奈美に手を振ると夜の宇賀平の町へ駆けていった。


 続く

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