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最終章 今宵、月と踊る

第五章今宵、月と踊る。



 1


 二人で一緒に手を繋いで教室に入る。笑い声、ひそひそ話が聞こえる。

それでも構わなかった。

 自分の「好き」の形がこれなんだ。悪口なら好きなだけ言えばいい。

初めて着る学校指定のスカートは通気性がよく、プリーツ加工が施されていて可愛い。

ずっと、こんな格好をして通学したかった。

まさか、なこが貸してくれるとは思わなかったな。

隣にいるなこは僕の制服を着て、軽く頷く。

「き、君たちなんて恰好しているんだ!?」

 新野先生は、僕たちを交互に見て声を荒らげた。

「僕達の好きを表現しているんだ。誰にも迷惑なんてかけていない!」

「言うね、渚」

 小声で囁くなこ。

「いや、だとしてもだな。その格好はおかしいだろ」

「どこが、どうおかしいんですか?先生なんだから教えてくださいよ」

喧嘩腰で話しかけるなこ。ひい…… クラスメイトの視線が痛いよ。

「そりゃ、決まってるだろ。男子は男子の制服で女子は女子の制服を着る。それが普通で当たり前なんだよ。君たちは異常なんだ」

 異常。そう言われて自分でも不思議と納得できた。僕は普通と違うから、叩かれて普通に戻されるんだ。腐った蜜柑は捨てられるんだ。

「それは、違う!」

 頭でそれを理解はできても心がそれを否定した。

僕の声に新野先生はたじろぐ。おとなしめの子が声を上げたら、びっくりするだろう。おとなしめの子はおとなしい。それが普通だ。

 その普通に僕らは抑圧されてきた。もう散々だ。もう疲れた。

「僕は、僕たちはその普通に翻弄され生き辛かった!自分の好きを好きと言えずに、殺してきた! でも、皆といて気付いた。好き好きでいていいって! だから、これから何百否定されても、好きだって言い続けます!」

 視界が滲む。胃液が喉までせりあがってくる。自分よりも上の人に反抗するのはいつだって怖い。母さんの時だって、立ち向かうのは怖かった。だけど、もう逃げるのは嫌なんだ。

「よく頑張ったね、渚」

 なこが僕の背中を軽く摩ってくれる。嬉しいはずなのに、涙がポロポロ溢れ出てくる。

「大丈夫、大丈夫だよ渚。もうあなたを傷つけるものはないんだよ」

 なこの華奢な身体が僕を抱きしめる。一瞬驚いたけど、僕もなこの身体を強く抱きしめた。クラスの喧騒など僕たちには聞こえなかった。


 2


「あ~、やっぱり恥ずかしい……… 」

 トイレの個室で頭を抱えていた。あの場の雰囲気もあったけど、凄く恥ずかしかった。

あの後、授業の開始を告げるチャイムが鳴ったけど、授業を受ける気分になれなくて、教室から飛び出した。

「勢いで言い過ぎだよ……… 」

 言ったことに対して後悔はしてない。心はスッキリしている。

ただめっちゃくちゃ恥ずかしい。もうあの教室にいれないよ……… 。ドンドン、誰かが扉を強く叩く

「入ってまーす」

 声を張ったつもりなのだが、扉を叩く音は強まる。もう、何なんだよ!心の中で独りごちる。苛つきながら、扉を開けると、そこには黎明くんがいた。

「黎明くん……… どうしてここに?」

「君を探していたんだ。みんなでやるって言っただろ?」

「え、何を?」

「たった一回の人生なんだ。後悔したままなんて勿体無いだろう?って言ったの忘れたのか?」

その言葉で思い出した。皆でバンドをするんだ。

「黎明くん、覚えていたんだ」

「当たり前だろ。皆待ってる。さあ行くぞ」

 鼻を擦る黎明くん。

「うん、行こう」

 トイレを出た先に、なことまどかが待っていた。

「おーそーい! ここでずっと待っていたんだからね」

 まどかの顔を見るのも随分久しぶりな気がする。腕を組みながら待っている様子がまどからしい。

「さっきぶりだね、渚」

「う、うん……… 」

 先に教室を出てしまったから気まずい。なこは全然気にしていないみたいだけど。

「まーたイチャイチャしてらあ」

 大袈裟にため息を吐く黎明くん。

「イチャイチャなんてして── 」

「はいはい、イチャイチャはそこまで。屋上行くわよ」

 僕の話を遮って、話をするまどか。

「え? 屋上? なんで?」

「そこで私達の音楽をするのよ」

 まどかに手を引っ張られて屋上まで来た。空は快晴で、手を伸ばせば青空に手が届きそうだ。

「ん~! いい天気ね」

「まどか、屋上まで呼び出してなんの……… 」

 背伸びをしているまどかから視線を移すと、屋上の奥にはパラソルが立てられており、その中に楽器が置かれていた。

「なんで、あんなところに楽器が置いてあるの?」

「ふっふっふ! よくぞ聞いてくれました!実は~」

 まどかは、もったいぶった言い方をして、言葉を溜める。

「ここで、納涼祭で私達の音楽を奏でるんだよ」なこがまどかの言葉を遮る。

 納涼祭。毎年、夏の終わりに有志の人が集まって、出店をするお祭りだ。

「あ~! もう、私が言おうとしているのにさ~」

 拗ねた口調で言うまどかだが、身体を一回転させて嬉しそうだ。

「二人とも仲いいね」

「何? 私達に妬いているの?」

 顔を近づけてくるなこ。

「ち、違うよ!」

 本当は、ほんの少し羨ましいと思った。友達同士で仲良くなれたことがなかった。仲良くなろうとすると、皆離れていく。裏切られるのが怖くて僕の方から離れていった。

「渚、なんかつまんねえこと考えてるな? 俺たちは渚の味方なんだ。裏切ったりしないぜ」

 僕の心を読んだかのように、笑って背中を叩く黎明くん。

「うん、そうだね。ありがとう。黎明くん」

 そうだ。大丈夫。僕には皆がいる。思考の波に呑まれるな。自分自身を信じるんだ。

「えっと、渚に説明しても大丈夫?」

「ああ、良いよ。遮ってごめんね」

「私達だけで先に進めてごめんね。でもこうでもしないと、逃げてしまうと思ったから」

「そんなこと」

 ない。そう言いたかったけど、言葉が出てこなかった。もし先に聞いていたら僕はそれに

参加しただろうか? いや、言い訳をつけて逃げていたかもしれない。僕は前よりも変われた気はする。前に進めた気はする。

 だけどバンド、人前に出るって考えたら竦んでしまう。直前になって逃げていたかもしれない。

「皆には全部お見通しってわけか」

「ええ、渚のことは幼馴染の私が一番知ってるわ」

 胸を張り、ドヤ顔をするまどか。

「いや、俺も負けていないが?」

「私も渚のことを想う気持ちは人一倍よ」

「いや、なんの張り合いしてるの……… ちょっと恥ずかしいって」

「恥ずかしくなんかないわ。あの旅はあなたを救う旅でもあったのよ。そのあなたに一番近くに居た私が理解してて当然でしょ」

 なこは、さも当然といった風だ。嬉しいなぁ、そこまで僕のことを見てくれていたんだ。

「ありがとう、なこ」

 後ろで咳き込む声が聞こえた。

「私達も負けてないんですけど……… まあ、今回は勝ちを譲ってあげるわ」

「あくまで仕方なく、だからな!」

 悪の幹部が去る時に言う捨て台詞みたいだなと思った。

「……… 渚の笑顔久しぶりに見たわ」

 まどかが懐かしむように呟く。

「え、今僕笑ってた?」

 自分の頬を撫でる。笑ってる自覚はなかったけど、笑えていたんだ。

「うん、笑ってたよ」

「そっか……… あ、この楽器でバンドをやるんだよね?」

 視線を楽器に移す。

「うん、そうだよ。渚には歌詞を書いてもらいたんだ。メドレーはもうできてるから、それに合うメドレーを書いてくれるだけでいいから」

 もうメドレーができてるのは早いな。

「……… 締切って決まってるの?」

「ええ、五日後の納涼祭のある日にエントリーしたわ」

 まどかはばつが悪そうな顔をする。

「五日後?! 早すぎない?」

「ごめん、でもその日がデッドラインなの。本当にごめんなさい」

 頭を下げるなこ、まどか、黎明くん。

「ううん、全然大丈夫。皆の為に僕、頑張るよ!」


 4


「うう〜ダメだ……… 何も浮かばない」

 机の上に突っ伏して泣き言を漏らす土曜日、今日学校は休みだ。

〆切まであとニ日。皆の前で意気込んでいたのはいいものの、全く持って出てこない。

迷惑はかけられない。だからこそ早く書かないとって思えば思うほど出てこない。ため息を吐き、机の上に置いてあるスマホを起動し、音源を聴く。

 ギターのリフとドラム音が胸に響く。気分が高揚する。

 喉元まで出てきそうなのに浮かばない。諦めて、机から離れてベッドにダイブする。

机の上に置いてあるスマートフォンが震える。充電コードを伝って、手に取る。画面は登録していない番号からだった。営業の電話とかかな?疑問に思いながらも、応答の文字を押す。

「もしもし?」

「あ、よかった! 繋がった! 私、なこ! まどかに番号教えてもらったんだ」

「なこ!知らない電話番号だったから誰かと思ったよ」

「えへへ……… メッセージでも良かったんだけど、もしかしたら見ていないかもしれないと思って電話にしたんだ。ごめんね、今大丈夫?」

 電話越しでも、遠慮がちに聞くなこの顔が浮かぶ。こういう時でも自分以外の誰かを気遣うのはなこらしい。

「うん、大丈夫。ちょうど作詞行き詰ってたところだよ」

「そうなんだ。じゃあさ今から出かけない?二人で!」

 二人での部分を強調するなこ。時計をチラリと見るお昼の十二時だ。家に籠っていても、書けないし、気分転換に出かけるのもいいだろう。

「うん、いいよ出掛けよう」

「やった! じゃあ駅前に三十分後集合で!」

「あっ、待ってどこに行くの」

 プツンと、そこで電話は切れていた。

どこに行くか聞いていないんだけど……… まあ、行けば分かるか。

 起き上がり、財布と携帯をポケットに入れる。一階まで降り所の鏡で髪を整える。玄関の扉を開けて、気付く。あれ、そういえばなこと二人で出掛けるのって初めてじゃないか。

 何を話せばいいんだろ。夏の気だるい暑さなど気にならないくらい、頭をフル回転させる。

駅に着くと先に、花柄のワンピースを着たなこが待っていた。

夏らしい涼しい恰好で髪を耳に掛ける姿は様になっていた。まるで、何かの絵画みたいで、その瞬間を切り取りたい衝動に駆られた。だけど、時間は流れていく誰にでも、平等に。

 なこは僕に気が付くと手を振り近くに来る。チワワみたいで可愛い。

「ごめん、待った?」

「ううん、今来たところだから大丈夫だよ!じゃあ、行こっか!」

 なこは僕の手を取って、駅のホームまで連れて行こうとする。

「待って、なこ。今日は何しにいくの?」

「今日はね、デートしに行くんだよ」

 なこは照れることなく、真剣な表情で僕を見つめる。数秒、時が止まった。

「え、でででデート!?」

「だって、私達好きを確認し合ったけど、デートはまだじゃない。いい機会だと思って」

「いやまあ、そうなんだけど」

 なこの思いがけない言葉にしどろもどろになってしまう。

「駄目、かな?」

 僕の手を解き、俯いて、暗い表情をするなこ。何をやってるんだ僕は。こうなることは、予想はできたはずなのに、頭の中から消していた。

 そんなことはないって迷惑だから、僕になんか時間を使ってもらうのは申し訳ない。なこも僕といて本当に楽しいのか自信を持てなかったから、その可能性を捨てた。彼女の隣にいたいのなら、もっと、自分に自信を持たないと失礼じゃないか。僕は、変わるんだろ。

変われたんだろ。ここで立ち止まっていちゃ駄目なんだ。

「ううん、駄目なんかじゃない。驚いただけだよ。デート、しよう」

 ぱああぁっと表情が明るくなるなこ。

「うん! 行こう!」

 解かれた手を再び結び直す。解いたなら、なんどだって結び直せばいい。


 5


「ここがデートの場所……… 」

「うん!やっぱり定番でしょ!遊園地!」

 地元の駅から一時間ちょっとでインフィニティワンダーランドだ。無限に楽しんで欲しいということで、付けられた遊園地らしい。三十種類ものアトラクション、六十種類に及ぶ食事を楽しめる遊園地だ。おぼろげだけど、小学生の時に一度だけ行った記憶がある。

「パスってどこで買うんだっけ?」

 どこかにチケットカウンターがあるはず。辺りを一瞥すると、なこが視界の前でチケット二枚をひらひらと見せてくる。

「チケットはもう買ってあるよ」

「いつの間に。いくら?払うよ」

 ポケットから財布を出そうとする手を止められる。

「ううん、いいの。私が勝手にしたことだから。気にしないで。それよりも今日を楽しもう!」

「なこがそういうなら……… うん、楽しもう」

 なこからチケットを受け取り、ゲートで見せる。園内に入るとスピーカーから洋楽が流れていた。

この音楽を聴きながら、ポップコーンを食べていたっけ懐かしいなぁ。ノスタルジーな気分に浸って立ち止まっていると、なこが脇腹をつつく。

「ほら、行くよ。渚!」

「うん!」

 沢山の人が笑い合っている姿を見ると、こっちまで嬉しくなる。

「まずは絶叫系から行こっか!」

「え、嫌だ」

 テンション高く、腕を上げるなこ。

だが、僕は間髪入れずに拒否した、絶叫系は苦手だ。宙に浮く瞬間が苦手だ。心臓に手を触れられている、あの気持ちの悪い感覚が嫌いだ。

「え〜〜〜! もったないよ! 行こうよ!」

「いや、本当に無理なんだって……… 」

「でも、インワンは絶叫系がほとんどだよ?」

 インワンは、インフィニティーワンダーランドの略称だ。

捨てられた子犬のような目で見つめてくるなこ。昔の記憶を手繰り寄せる。

 母さんと、ジェットコースターを乗っていた。落ちて水が掛かるのが小さい頃は好きだった。落ちる直前に、母さんが手を握ってくれたことも思い出した。

柔らかくて、暖かかった手の感触、待ち列で今日帰ったら何を食べようか、このアトラクション楽しみだね!と話していた。

 なんでこんな大切なこと忘れていたんだろう。

ああ、また自分が嫌いになりそうだ。顔を伏せて奥歯を噛む。

「…… 分かった! 渚は絶叫系が苦手だってことを知らなかった私が悪いんだから、あれに乗ろ!」

 なこは手を叩き、乗るアトラクションを提案した。それは観覧車だった。

「観覧車か…… 乗ったことないんだよね」

「なら、なおさら乗ろうよ!」

「気を利かせてもらってごめん」

「ううん、何も言わずにチケット買った私が悪いし、渚が謝る必要はないよ」

 なこは、燦々として笑っている。

「ううん、なこは悪くないよ。はっきりしない僕が悪いんだ」

 なこは、僕の手をギュッと握り、首を振る。

「ううん、そういうことじゃないの。誰が悪いとか誰が良いとかじゃないの。きっと、世界はもっと簡単なんだ」

「世界か……… 」

 なこは、僕よりも先を見ているんだ。自分という存在は一体何なのだろうとより小さく思えた。

「いたっ!」

 額にデコピンをされた。

「また色々考えていたんでしょ? そういう時は私達を頼って。頼りないかもしれないけど、絶対渚の助けになるから」

「なこ……… 」

「さ、行こう!」

 二人で観覧車の待機列まで並ぶ。朝から覧車に乗る人間は早々いないようで、貸切状態だった。

待ち列には陽気なメロディーが流れてくる。

「なんか、こんなにスムーズに待機列進むの初めてだよ」

「私も! なんかこの世界を独り占めしてるみたいでいいよね」

 独り占め。なこの言葉で立ち止まる。何か良いアイディアが閃きそうで出てこない。

「…… 何か思い浮かんだ?」

「うん、喉元まで出かかってるんだけど、出てこないや」

「大丈夫、まだ時間はあるし、思い詰めないで。さ、乗ろう」

 肩を落とす僕の背中をゆっくりと撫でるなこ。

赤く大きな建築物が向かってくる。

 係の人に案内されて、ゴンドラの中に入る。

 中は、想像以上に赤一色だった。エアコンとスピーカーまでも赤なのは少し驚いた。

「赤一色なのびっくりした?」

「う、うん。想像の十倍くらい赤かったから…… 」

 ゆっくりと上へと向かっていくゴンドラ。時計の針と同じで戻ることは決してない。真っ直ぐ上へと進んでいく。

「観覧車って不思議だよね」

ゆっくりと流れる景色を眺めながら呟くなこ。

「不思議?」

「うん、観覧車自体は周り続けるけど、私達は一周しかいられないわけじゃない?それってなんか刹那的で素敵だなって思うんだ」

「刹那的か…… 」

 なこの言葉が頭の中で反芻する。この瞬間は永遠じゃなくて、いつかは終わりが来る。

あの長かった旅も終わってみるとあっという間だった。

「ねぇ、渚」

 過去を振り返っているとなこが、僕の頬に手を置いた。

「な、なに…… どうしたの?」

「私、渚が好き。心の底から大好き、愛している」

 恥ずかしくて、背けようする僕の顔をギュッと持って離さない。

「なこ、恥ずかしいよ」

「私も恥ずかしい。でも、こうでもしないと渚は逃げるし、それに今まで言葉にはできていなかったから」

 なこの目は潤んでいた。

「だから、言うね。渚、あなたの全てが大好きです。私と付き合ってください」

「うん、僕もなこのことが大好き。君と付き合えるのならこれ以上幸せなことはないよ」

 なこの両手は、顔から僕の背中にゆっくりと移動して、そのまま抱擁した。

「私は、あの時の言葉で、あなたと一緒にいられると思って、付き合えると思ってた。これはいわば確認作業なの。それも分かんないくらい鈍感なのが少しムカつくけど許してあげる。君はもう、私のものだから」

 耳元で呟いたなこの声は悪魔的で魅力的だった。

ああ、この瞬間がずっと続いたらいいのにな。それは叶わない思い。ならばせめて、この一瞬を永遠に覚えていたい。瞑目し、この一瞬を閉じ込める。

「あ!」

 閃いた。この想いを歌詞にすればいいんだ。

「何か浮かんだ?」

「うん! でも…… 」

 観覧車は地上に近づいている。もっとなこと話をしたい。それにせっかく遊園地に来たんだから、もっと遊ばないと。

「ほら、着いたよ。早く出よう」

「う、うん」

 ゴンドラの扉を開けて外に出る。

なこは、慈愛の目で僕のことを見つめる。

「大丈夫、私に気を遣わないで。渚は渚のするべきことをして、私が勝手に連れて来たんだし、罪悪感を感じなくていいの」

「でも、せっかく連れて来てくれたのに………… 僕の私情で帰るなんて… 」

「違うよ、渚。それは私達にとって必要なことなの。私達のためだと思って歌詞を書き上げて」

「…… 分かった。でも歌詞を書き終えて全部が終わったら、またここに来よう」

 なこと小指と小指を絡めて、指切りげんまんをした。

「約束だよ」

「うん、約束だね」

 僕は、なこから背を向けて歩き出す。なこと皆のためにも歌詞は必ず書き上げる。絶対に。


 6


「やった!できた!」

 やっと歌詞ができた。なことのデートで、この一瞬を忘れたくないという気持ちを歌詞にしたらスラスラ書けた。

 スマートフォンに手を伸ばして、なこに向けて文字を打ち送信ボタンを押す。電気スタンドのボタンを消して目頭を押さえる。少し集中し過ぎた。目を休めようと横になろうとした時、スマートフォンが震える。

 まだ明るい画面を見ると、なこから返信が返ってきていた。

『渚!めっちゃくちゃいいよこれ!この歌詞ならいけるよ!誰かに届けることができるよ』

 目頭が熱くなった。自分の頑張りが認められた気がして、身体が浮遊している気分になった。

立ち上がって部屋の中をぐるぐる回りながら返信を打つ。

『ありがとう! これで何かを残せるのなら嬉しいな。そういえば練習時間って大丈夫なの?』

 送信ボタンを押して、返信を待つが数分待っても来ない。

Wi-Fi の調子が悪いのかもしれない。電波状態を見るが、アンテナは四本立っている。

 なこに何かあったんだろうか? 心配になったが、連続で送るのは迷惑かもしれない。

もしかしたら、お風呂に入っている最中かもしれない。ぐるぐると思考を巡らせていると、なこから電話が掛かってきた。

すぐに応答ボタンを押して耳にスマートフォンを当てる。

「もしもし? なこ?」

「急に電話してごめん。言葉だと何て言えばいいか分からなくて、電話を掛けたの」

「そうだったんだ。うん、大丈夫だよ。で、どうしたの?」

「ええっと…… その、練習時間なんだけど、明日しかないの」

 いつもの元気溌剌の声ではなく、沈んだ声だった。

「明日だけ…… 」

 たった一日で演奏なんてできるのだろうか。僕がもっと歌詞を書けていれば。

「うん、そうなの。しかも体育館を押さえていたんだけど、もう取れなくなったの。だから場所も明日決めないといけない」

「明日で全部。ごめん、僕のせいだ。僕が歌詞を書くのが遅かったから…… 」

「ううん、そんなことないよ。浮かばないのか仕方ないし、ギリギリまで粘ったからこんなに良い歌詞ができたんだと思う。本当は渚にこのことを言うつもりはなかった。でも渚を信じているし、言わなくて仲間外れなんて、私は嫌だったから」

 耳元でなこの力強い声が響く。

「そうだったんだ。ありがとうなこ。何か手伝えることあれば僕も手伝うから!」

「手伝えることか……… あるのはあるんだけど、これを渚に頼んでいいのかっていうのもあって」

「全然、大丈夫! なんでもやるよ!」

なこの助けになれるのなら、どんなことでもやれる。

「なら、言うんだけど、まだ楽器担当が一人決まっていないの。ボーカル担当は私。まどかは衣装兼ベース担当、黎明はドラム担当、ギターが足りてないの」

 まどかは衣装だけだと思っていたけど、ベースをやることになったんだ。いっぱい練習しているんだろうな。

 いや、それよりもギター?音源にはギターの音が入っていた気がしたけど、気のせいだったのかな。

その疑問をなこにぶつけてみた。

「ああ、それは後から入れたのよ。黎明ギターもできるから。ただ、本番ってなると分身でも出来ない限り黎明は一人だから。どうしたものか、皆で話し合っていたのよ」

「結構重要な問題じゃない、それ……… ?」

「ええ、でもいざとなれば黎明がドラムを叩きながらギターをするって言ってたわ」

 黎明くんがドラムを叩きながらギターを弾く様子を想像する。無茶だ。

「ええ…… それは無理があるんじゃ」

「だから今片っ端からギター弾ける人を探してはいるんだけど、見つからなくてね。もし心当たりがあれば助かるわ」

「分かった。僕の周りでいないか聞いてみる」

 多分、いないとは思うけど。なこの前だから見栄を張ってみる。

「ありがとう。もし見つからなくても、それは渚のせいじゃないからね。それにギターがいなくても案外なんとかなるかもしれないしね。じゃあまた明日ね、渚」


 7


「なんて言ったもののギターがいなくてなんとかなるかなあ」

 スマートフォンをスカートのポケットの中に入れる。

黎明一人でギターもドラムもやるのは、現実問題不可能だ。

 片っ端からギター弾ける人を探してはいるというのは、渚の前で見栄を張るためだ。

こっちに引っ越してから、知り合いは旅をしたメンバーだけだ。

「どうしようかなぁ」

 コンクリートの上に寝転がり、頭を回す。

「こんな屋上で何やってんの」

 頭の方から声がする。首を動かすと、ストローで牛乳パックを咥えている光が立っていた。

「なんだか、光と会うのは久々な感じがするね」

「…… 学校で見なかったからね」

 光は不機嫌そうにしてストローを吸う。

「光、なんか、怒ってる?」

「別に、怒ってなんかないよ。私はここで待ってるって伝えたのに、全然会いに来てくれないことを怒ってはいないよ」

「あっ!」

 出発する前に黎明から伝言を預かったんだ。色々なことがあって忘れていた。

スカートを払って、立ち上がろうとするのを光が止める。

「まあ、そんなことよりも何か困っていたんでしょ?助けになるよ」

 光は私の隣に腰掛ける。

「えっと、どこまで話したらいいかな…… 」

 頭の中で、筋道立てて話を整理する。

「ギター、探してるんでしょ?」

「え? なんでそれを知って…… 」

「昔、弾いてたから力になれると思うよ」

 光は、空中でギターを弾く真似をする。

「ホント! ホントに!?」

 光の肩を強く揺する。

「ちょ、激しいってなこ」

「あ、ごめん」

 固く閉ざされた扉が、ゆっくりと開かれた感覚になり、気分が高揚してしまった。

「なこが、そんなに嬉しがるかなんてよっぽどなんだね。大丈夫、力になるよ」

「本当にありがとう。これで、私達の音楽を、私達を表現できる!」

 拳をギュッと握りしめる。見せつけてやるんだ。私達を、私達が歩いてきた道は間違いじゃないって、私達と同じように苦しんでいる人達の光になれるように。

「なこは、そのままでも十分表現できてるよ」

 光の言葉に一瞬面食らった。だけど、すぐに体勢を整える。

「ううんそれじゃ、足らないの。私は、わがままだから」

 今度は光が驚いた表情をする。

「そっか…… なら、もう何も言わないよ」

 夏風が私達の頬をかすめていく。

「ねぇ、ここは暑いからあそこに行かない?」

 光が指差したのは給水塔だった。

「いいね。あそこなら陰になってるから一休みできそう」

 二人で影になっている部分に座る。雲がゆっくりと流れていくのをぼーっと眺めている。

「私、ずっと考えてた。自分には何ができるのかって」

 同じく雲を眺めていた光が語り始める。

「色々考えたけど、答えはまだ分かってない。どこの大学に行きたいとか、夢とかもわかんない」

 光はハンカチをポケットから出して、額の汗を拭く。

「なこがギター探してるっていうのはなこを見ていたら分かった。でも言い出す勇気が出なかった。自分なんかが力になれるか不安だった。ぐるぐる考えていたけど、なこの悩んでる姿を見て、なりたいと思ったんだ。なこを照らす光に」

 光は照れ臭そうにして、鼻を擦る。

「ありがとう、光」

「お礼は全部終わってからね」

「確かに、それもそうだね。じゃあ練習しょっか」

「うん、頑張ろう」

 渚からもらった歌詞を無駄にしないためにもここで頑張ろう。

じゃなければ、全部噓になる、そんな気がした。

「なこ大丈夫? なんだか怖い顔してるよ?」

「え、ああ。うん大丈夫だよ。ちょっと考え事をしてて……… 」

 さっきまでの不安を顔に出さないよう誤魔化す。

「私は、なこと知り合って月日は短いけど、なこが今無理をしていることは分かるよ。大丈夫きっと成功するよ、あまり気を張らずに楽しもうよ」

「ごめん、ありがとう。光。うん、そうするよ」

 前の学校では友達と上手くいかなかった。仲良くなりたくて努めてきたけど、裏切られた。その子とは一年間の付き合いだった。

 対して光とは、出会えって数日。なのに私の些細なことまで気が付いてくれた。

私の世界が少し広がった気がした。

「そろそろ中に入ろっか。日陰とは言え、暑くなってきちゃった」

「そうだね。食堂でアイス買おっか」

 平静を装って、光に言葉を投げ掛ける。友達とアイスを食べるのもザ・友達って感じがして憧れていたから、一度それを試してみたかった。

「いいね! じゃあ最後に着いた方がおごりで!よーいスタート!」

「え、ちょっと待っ」

 私の言葉を聞かないまま、光は食堂まで走る。腕を全力で振って、階段を降りていく。

フォームが綺麗だ…… 。

 いや、そうじゃない。私も食堂にいかないと!

「まてぇー光ぃ!」

「あはは、待たないよー」

 女子二人が笑いながら、全速力で階段を降りる風景。傍から見れば、怪しい二人組だ。

前の学校にそんな二人組がいたら、馬鹿にしていただろう。でも、今は周りの目なんて気にならないくらい楽しい。

心の底から笑えている気がする。ここに引っ越して来て良かった。


 8


 勝負に負けて、光にアイスを奢った。

私は棒付きのアイスキャンディー、光はカップの中に入っているアイスを食べている。

 光の方が五十円高い。少し節約しないとなぁ…… 。

「ねぇ、光。お昼休みじゃなくて放課後だったから食堂までは走る必要なかったんじゃない?」

 放課後だから、食堂にはほとんど人がいない。貸し切り状態だ。

「まあ、細かいこといいじゃん。楽しかったんだし」

「それは、まあそうだけど」

「それに、楽しかったしね」

 プラスチック製のスプーンを口に咥えて、楽しそうに足をプラプラさせている。

「食堂、あんまり来たことなかったけど案外綺麗なんだね」

「あんまり意識したことなかったけどそうなのかな」

「うん、前のところは窓ガラスとかしょっちゅう窓ガラスが割れていたり、椅子にはガム付いていたりしていたからね」

 思い出すだけでも頭が痛くなる。金色の髪をした男子がバットを持って割っていたっけなぁ。

「まるで昭和だね……… じゃあ、ここに来れて良かったね」

「うん! 良かった。だからこそ明後日のライブは最高のものにしたい」

「うん、しよう。明日の練習で完璧なものに仕上げよう。私も全力で頑張るから」

 私達は椅子から立ち上がった。

私はアイスの棒を、光はプラスチック製のスプーンと包装容器をゴミ箱に捨てた。

「ありがとう、光」

「それは全部終わってからね」

「ふふ、また同じこと言っちゃった」

 光があ、と呟き手を叩いた。

「そういえば明日の練習だけどさ、渚には見せないで敢えて本番で初めて私達の音楽を見せるのってどうかな?」

 光が私に提案する。

「練習を渚には見てもらいたかったけど、それはどうして?」

「初めては、練習じゃなくて、本番で私達の音を聞いてもらいたくて…… 」

「確かに、そっちの方が渚の心には残るかもしれないね。うん、分かった、皆からは私から伝えておく」

「ありがとう、なこ」

「それは、全部終わってからね」

「ふふ、仕返しされちゃった」

 食堂で私達の笑い声が響く。


 9


 放課後、なこに呼ばれて、屋上まで来た。

黎明くん、まどか、なこ、光が楽器を持って僕が来るのを待っていた。

まどかは髪を黒色に戻していた。きっと、彼女なりの覚悟なのだろう。

「久々だな、渚」

「渚、久しぶり」

「う、うん久しぶり二人とも」

 二人とは会うのが久しぶりだったので会話が少しぎこちない。

「まどか、楽器弾けたんだね」

 ベースを肩に掛けているまどかの表情は、自信に溢れたものになっていた。

「うん、私、頑張るから。渚に伝わるように頑張るから、だから見ていて、一生忘れられない光を貴方にあげるから」

「それは、俺も同じだ。俺達を見ていてくれよ、渚」

 黎明くんはドラムスティックを器用に回している。

「え、今日練習だよね? それ僕も見るんだよね?」

「ええ、本来ならそうだったんだけど、皆と話し合って、渚には本番で初めて私達の音楽を聞いて欲しいの」

 なこは胸に手を当てて、力強く言う。

「皆で決めたのなら、それでいいんだけど……… じゃあ、僕が呼ばれた意味って?」

「あるわ。渚にしかできないことが」

 僕にしかできないこと……… 胸が熱くなる。

「やる! やるよ! どんなことでも」

「そう言ってくれると思ったわ! 実は、使う予定だった体育館が使えなくなったの。渚には変わりの場所を明日までに見つけて欲しいと思ってるの」

 明日?!何が何でも無茶な気が…… 。

「正直難しいとは思う…… だから無理にとは言わない。見つからなくても、この屋上で演奏するつもりだからあんまり責任を感じなくて大丈夫だよ」

 なこに、ここまで言われたからには頑張らないと。空気を肺まで吸い込んで吐いた。

「なこも人が悪いよ。渚にプレッシャー掛け過ぎだよ。大丈夫、私達でも探すから、そこまで気を張らずにね」

 肩に掛けていたベースを鳴らすまどか。

「そうかもしれないけど、渚の書いた歌詞を私達だけが聞くってそんなの勿体無いじゃない。皆に聞いて欲しいの」

 なこの言葉に皆、頷く。

「なんだか、照れるな」

 痒くはなかったけど空中で浮いた手が手持ち無沙汰になって、手が鼻の下を掻く。

「渚の言葉には力強さがあるの。もっと自信を持っていいのよ」

「ありがとう、なこ。ありがとう皆、明日のライブ楽しみにしてる!」

 皆から背を向けて、その場を後にする。

皆の為にも、いい場所を見つけないとダメだ。体育館以外で人が集まる場所はどこだろう?

 脳をフル回転させる。単純に考えたら運動場なのだろうけど、体育の授業で使われているし、放課後は運動部が使っているから現実的じゃない。

体育館に行ってみて、明日使わしてもらえないか直談判してみよう。屋上は六階にあり、体育館は一階にある。

「あー、いい運動になりそう」

 皮肉を吐き捨てながら、階段を降りる。どれだけ文句を言っても、階段が勝手に動くでもない限り、自分で動かなくちゃいけない。自ら行動した結果、それが失敗だったとしても、その失敗はより良い未来に繋がっていると、僕はそう信じている。

 一階に着いた頃には、制服の下に着ているシャツが汗でびしょ濡れだった。早く帰ってシャワーを浴びたい……… でも、これだけはやらないといけない。これは、僕の仕事だから。

体育館の重い扉を両手を使って、開ける。辺りを一瞥するが、誰もいない。

「誰かいませんかー」

 声を張り上げたが、誰も答えてはくれない。

「誰もいないか……… うーん、どうしょうかなぁ」

 腕を組み、これからの行動を思案していると、舞台の上から声が聞こえた。

「おーい、そこに誰かいるのか?」

「え、あ、はい! います! 少し聞きたいことがありまし…… ゲホゲホッ!」

 痰が絡まってむせた。

「大丈夫か? 舞台袖まで来てくれ。そこで話をしよう」

 どこかで聞いたことのある声だ。どこで聞いたんだっけ?

「あい……… 」

 ここから舞台まで二十メートルくらい離れているのに、明瞭に声が聞こえるのは凄い。

舞台袖まで歩いていくと、舞台袖で冊子を読んでぶつぶつ呟いている人が座っていた。

「あの、来ました」

「おお、来たか。って、久しぶりだな、渚」

 ログハウスで会った旭さんが真剣な様子で冊子に目を通していた。白髪頭だった髪は黒く染められたいた。黒髪に変えただけだけど、一気に若返った気がした。

「え、旭さん?! なんでここに?」

「実はな、納涼祭のステージに出ようかと思ってな。恥ずかしい話、君達と会って消えかけていた灯がまた燃えだしたってわけさ。ここの」

「全然恥ずかしい話じゃないと思います。応援してます!」

 自分の事のように嬉しく思えた。この人の言葉があったから僕は、夢を持つことが出来たんだ。旭さんは頬を掻いて恥ずかしそうにしていた。

「ありがとう、できる限り頑張るよ! そういえばここに何をしに来たんだ?」

 旭さんに指摘されて思い出した。ここに来た目的を忘れるところだった。

「えっと、その僕達も納涼祭でバンドを披露しようと思っているですが、場所が見つからなくて…… 体育館って旭さんが使うんですよね?」

 場所を譲って欲しいとは言えない。これは、彼にとっての再スタートだから。

「ああ、そうだな。台本も演じるのも全部一人で、この体育館の中で演じる」

「誰か来るんですか?」

「分からない。チラシは一応配っているがな。だが、来なくても構わない。観客はいる自分自身という客がな。だから全力で演じるのみだ」

 旭さんは拳を胸の前に置いて、高らかに宣言した。

手に持っていた冊子からは赤文字で文字が書かれているのが見えた。凄いな、僕も頑張らないと。

「で、場所だっただ。一ついい場所があるんだがどうかな?バンドするのに適しているかと言われると微妙だが…… 」

「大丈夫です。聞かせてください!」

「それなら言おう、場所はプールだ。ここの水泳部には昔入っていて、OB だから先生に言えば貸してもらえると思う」

 なるほど、それは思いつかなかった。プールサイドなら大人数でも入りそうだ。

「それはいい考えです! っていうか旭さん水泳部だったんですね!」

「ああ、泳ぐのは好きだったんだ。よし、じゃあ連絡入れるから待っててくれ」

 旭さんは器用にスマートフォンをタップして、耳元に押し当てる。

「ああ、どうもお久しぶりです。旭猛です。突然の申し出で申し訳ないのですが、プールサイドを使わせてもらえないでしょうか?…… ええ、はい納涼祭で。分かりましたありがとうございます」

 スマートフォンを耳元から降ろして、ポケットの中に入れる。ふっーと溜息を吐いた。

「あの先生、まだ辞めてなかったのか……… 自信満々だったけど、そもそもまだ通じるか分からなかった。だけど、繋がってよかった。話は通した。これで大丈夫だ!」

 こんなすぐに決まるとは思わなかった。正直、学校の下校チャイムが鳴るまで残るものだと思っていた。

「ありがとうございます!何から何まで、なんて言ってお礼を言えば……… 」

「いいさ、俺がしたいからしてるだけさ。それに、あの先生とも会いたいしな」

 旭さんは昔を懐かしむような顔をした。

「さて、問題は機材だが……… どこにあるんだ?」

「え、台本の読み込みとかはしなくていいんですか?」

「それはまぁ…… したいが、だが乗り掛かった舟だし手伝うよ。それに、これは何かの縁だと俺は思ってる。場所はどこだい?」

「ありがとうございます、旭さん!」

 嬉しさで頭を下げた。頭を下げる行為は謝罪の時にしか使ったことがなかったから、こんな用途もあったのかと自分自身でも驚いた。

「機材は屋上にあります」

 旭さんは、笑顔のままその場で硬直した。


 10


「ふぅ、これで最後っ!」

 最後のドラムをパラソルのある部分に、旭さんと一緒にゆっくり置いた。

「腰が痛い……… 」

 ここから屋上まで五往復くらいした。足が産まれたての小鹿みたいに震えている。

「もう無理…… 帰って寝たい……… 」

「よく頑張ったな。渚」

 旭さんは汗を掛けども、息は全然上がっていない。足腰もしっかりしている。

なんて体力お化けなんだ。

「さっき、屋上って言った時、身体が止まったのはなんだったんですか?」

「ああ、あれはな。俺が現実逃避をする時の癖だ。存外大したことはなかったけどな」

「なるほど」

 大したことだったけどな……… と心の中でぼやきながら、日陰で寝転がる。

「渚、お疲れ様」

 なこが炭酸飲料水を渡してくれた。

「ありがとう」

 起き上がり、ペットボトルの半分まで飲む。

「搬入くらい手伝ったのに」

「いや、これは僕の仕事だから……… それで、決まった? バンド名?」

 なこや皆は手伝うと言ったが、これは僕の仕事だからと言って譲らなかった。

代わりに、僕らが搬入作業をしている間バンド名を考えて欲しいとお願いしたのだ。

「うん決まったよ、バンド名は……… “beyond the daybreak ”夜明けを超えるって意味だよ」

 夜明けを超える。あの旅を終えた僕達にピッタリな名前だ。

「beyond the daybreak 。凄くいいバンド名だよ! 昔からあったみたいにしっくりくるよ」

「そう言ってもらえると嬉しいわ。略称は頭文字から取ってBTD にしようと思っているん

だけど。どうかな?」

「うん、いい思う!」

 なこから視線を外すと、皆、明日の本番に向けて楽譜を見たり、チューニングをしていた。僕はもうお役御免かな。その場を去ろうとした時、なこに手首を掴まれる。

「渚、ありがとう」

「お礼は、この場所を手配してくれた足さんに。僕は何もしていないよ」

「ううん、そんなことないよ、確かに旭さんがここを手配してくれたのかもしれないけど、それは渚が行動してできた結果なんだよ。渚が一生懸命動いてくれたから今の状況があるんだよ。ありがとう、渚。明日のライブ最高のものにしてみせるから、見てて」

「うん!」

 力強く頷いた。

帰る前に旭さんにお礼を言ってから帰ろうとしたが、見つからない。

 もう帰っちゃたのかな? 部員の人に旭さんは何処に行ったか知らないか聞くと上を指し

た。プールサイドの入口にある四角形の建物の上に乗って何やら考え事をしていた。

「旭さん?なにやってんです?」

「いやな。機材だが、ここに置けば人はもっと入るんじゃないかと思ってな」

「なるほど……… そこまで考えてくれてありがとうございます」

「俺自身も君達のバンドが楽しみだからな。これくらいはさせてくれ」

「最悪。水を抜けば、もっと人は入りそうだが……… 」

 そこまでしなくても……… そもそも夏のこの時期に水を抜いても大丈夫なのかな?

「それは駄目だからな。明日ここを使うのは先生からも聞いて許可をもらえたが、授業で

は使うんだ。許可なく抜くなんてできない」

 ガタイが良い男性の水泳部員が旭さんに声を掛けてきた。口調からして、今の水泳部の

部長さんなのかもしれない。

「お前が今の部長か。じゃあ、許可があれば抜いていいんだな?」

「お前なぁ………… まあ、いいだろう。ただし一つ条件がある」

 水泳部員の部長は少し思案して、意見を変えた。旭さんは眉細めて怪訝な顔をする。

「何が目的だ?」

「一週間程度でいい部員に、アンタの泳ぎを見せてくれ旭さん」

「知っていたのか」

 旭さんは、目を見開いた。

「水泳部員なら当然だよ。弱小チームだった水泳部が貴方が引っ越してから、全国大会にも行けて優秀もできた。お願いします!俺は、来年で卒業です。それまでにアイツらに何かを残してやりたいんだ!」

水泳部の部長は頭を深く、下げた。

「僕達からもお願いします!」

 プールサイドの奥で僕達を見ていた部員の子達が一緒に来て、水泳帽子を取り、頭を下げる。旭さんはその姿をい見て、腕を組んで思案していた。

「分かった。ただし、やるからには徹底的にやるからな!」

 旭さんの横顔は嬉しそうだった。それを聞いた水泳部員の皆も目を輝かせて嬉しそうにしている。

輪が繋がっている感じがした。こうして人と、社会と綱がることで、自分は生きていると実感できるのだろう。

「ありがとうございます! 早速先生に行ってきます!」

 先走って職員室にいく部員を止める水泳部部長。

「言うのは、水を抜いていいかの確認だからなー。旭さんの件も勿論大事だけどな」

「あ、そっか!」

 水泳部員達は笑いあっていた。

ひとしきり笑い合った後、水泳部部長は皆を招集した。

「じゃあ、俺達は着替えて先生のところにいくよ。何かあれば連絡をくれ。それじゃあ」

 水泳部員達はプールサイドから去って行った。

「あの、なんで他人の僕達の為にここまでしてくれるんですか?」

 ずっと疑問だった。ログハウスから知り合って間もないのに、どうしてここまで親切にしてくれたんだろう。僕は与えられてばかりで、何も与えていないのに。

「惹かれるものがあったんだ。信じたいものがあったんだ。俺もそうだったから力になりたいと思ったんだ」

「私達と同じね。渚の中にある光に惹かれたの」

 なことまどかが僕達の会話に割り込む。

「ふっ、渚のスター性を見つけたのは俺が最初じゃなかったのか」

 なこと旭さんは二人で笑い合った。珍しい組み合わせだ。

「さて、僕はそろそろ帰るよ」

「うん、気を付けてね」

「時間があれば、俺のステージも見に来てくれ」

「うん、分かった! ありがとう!」

 手を振って、そこで皆とは別れた。

「ただいまーって誰もいないか…… 」

 母さんが警察に逮捕されてから、この家を一人で過ごすのはひどく寂しい。ただいまと言っても返ってこないことは分かっている。それでもただいまと返ってくることを期待している。

 喉が乾いたので、台所にある冷蔵庫から麦茶を取ろうとする。

そこには、エプロンを捲いて、料理を作っている母さんがいた。

「おかえりなさい」

「母さん、な、んで」

「あの後、留置場にいて、調書を取って、結果として、不起訴処分になったの」

「そう、だったんだ……… 」

 一分間沈黙が流れる。先に沈黙を破ったのは母さんの方だった。

「ごめんさない渚。私は間違えていたのね。何もかも。私は渚の好きがどういうものなのか正直まだ分からないし、抵抗感はあるわ。それでも、貴方の母親である以上、貴方の好きを理解はしていきたいと思う」

「母さん… !」

 届いていた。あの会話は無駄じゃなかった。僕の声を聞いてくれた。

母さんは僕を強く抱きしめた。僕は抵抗することなく、そのまま両手を背中に回した。

「渚、ごめんね…… 貴方のことちゃんと見れていなかった。これからは見るようにするわ。本当にごめんね」

 母さんは、僕の制服に顔を埋もれて、泣きじゃくっていた。

「僕の方こそ、ごめん。母さんと向き合えていなかった」

「また、ここから始めましょう」

「うん、そうだね。そういえば、明日僕の学校でライブをやるんだ。良かったらきて歌詞は僕が書いたんだ」

「それは行かないと駄目ね」

「ありがとう、母さん…… 」


11


 翌日の朝。制服に着替えて、母さんが作ってくれた朝ご飯を食べる。

目玉焼きとソーセージ、白ごはんとサラダだ。

「なんだか母さんのご飯を食べるの久しぶりな気がする」

「そうね、私もそんな感じがするわ」

 母さんと話をしつつ、ぺろりと朝ご飯を平らげた。

「…… 父さんが今の僕たちを見たら、なんていうのかな」

 予測外の言葉だったのか、母さんは瞬きを何度もしていた。

「渚が父さんのことを言うのは初めてね…… 父さんなら、ニコッとした顔で笑うと思うわ。私はそんな父さんが好きだったわ…… 」

 母さんは過去を慈しむような目で語る。母さんは父さんを忘れたことなんてなかったんだ。

「そっか…… 」

「渚、そろそろ時間じゃないの?」

 時計を指差す母さん。もうそんな時間か、少し早いような気もするけど、今は母さんを一人にさせてあげよう。

「じゃあ、行ってくるよ」

 鞄を背負い、靴を履く。

「ええ、行ってらっしゃい。ライブ見に行くわ」

「ありがとう、じゃあ行ってくる」

 扉を開けて、道なりに歩いていく。僕が演奏をするわけではないし、舞台の上に立つわけでもない。それでも緊張する。額の汗を二の腕で拭く。これが緊張の汗なのか、暑さのせいなのかは分からない。それでも分かるのは、今日で僕の書いた歌詞が評価されるということ。

 できることなら、認められたい。だけど、何より、自分の創った物が否定されると考えると怖い。怖くて前に進むことができない。でも待っている、先でなこ達が待ってくれている。だから頑張ることができる。前を向ける。

 学校の校門の前で足を止める。大丈夫、ライブは放課後だ。今緊張していたら心臓が持たないぞ、と自身に言い聞かせる。つま先に力を入れて、一歩足を踏み出す。


12


 授業はつつがなく終わり、放課後になった。授業には全然集中できなかった。鞄に荷物を詰め込んで、プールサイドに急ぐ。

 チラシなど全然配ってないけど、人は来るのだろうか?不安になってきた。

今のうちにでも校内放送をした方がいいのかな。早歩きで考えていると、プールサイドの前に到着した。

 日射しに当たらないように布が被さっていた。

「お、来たな渚」

 ドラムスティックを持っていた黎明くんが、声を掛けてきた。ワックスで髪の毛を固めてオールバックにしていた。がちがちに固める姿はよく見てきたけど、オールバックの黎明くんを見るのは初めてだった。

 暑いのか制服のシャツは第三ボタンまで外していた。

「なんかすごいね」

「だろ? 日が眩しいかと思って、美術部から布を借りて簡易的な屋根みたいにしたんだ。あとは屋台があれば完璧だな!」

「屋台って、海の家じゃあるまいし」

「はは、確かにそうだな」

 黎明くんは鼻の下を擦って笑う。

「このライブの告知とかしていないけど、お客さん来るのかな? 大丈夫?」

「ああ、そのことなら大丈夫だ。なこ、まどか、俺でSNS でアカウントを作って、告知したり、渚が学校に来る前に校内で知らせていたから。周りをよく見てみな」

 黎明くんに言われた通り、周りを見てみる。プールサイドの奥にはまばらに人が集まっていた。

「でも少なくない?」

「まだ開演時間まで時間はあるしな。それと、座席はそこだけじゃないぜ。プールの中を見てみな」

「わっ!」

 プールの水が抜かれていて、パイプ椅子が置かれていた。ライブハウスのように前も後ろもぎっしり詰まっていた。数人見知った顔がいたが、皆手元の紙を見ていたので、目を合わせることはなかった。まだ開演前ということだったので、座っている人数は多くはない。

「水を抜くっていうのは聞いていたけど、こんなにも人が入るんだね。圧巻だよ。それと、皆が持っている紙はなに?」

「パンフレットだよ。まどかが作ったんだ」

 ポケットの中から四つ折りになったパンフレットを手に取る。全部手書きで書かれていた。バンド発足までに至る流れ、バンドメンバーの写真と一言が色とりどりのペンで添えられていた。

「まどかが全部これを書いたの?凄い」

 指で文字をなぞる。インクの匂いが鼻を伝って暖かさを感じる。

「ああ大体八百枚くらい書いたって言っていたな。衣装も凄いから期待しててくれ!」

「うん!」

 まどかの衣装を見るのも久しぶりだな。心が高鳴る。さっきまでの緊張感はいつの間にか消えていた。

 黎明くんは周りを気にして、小声で話す。

「渚、ありがとう。俺も全力をドラムにぶつけるから見ていてくれ」

 黎明くんの言葉に応えるように、ゆっくりと首肯する。

「俺、渚の歌詞を見て、心が震えた。それを伝えたかった。なこやまどか達は自分の気持ちを吐露できていたが、伝えられない自分に嫌気が差していた。でも今やっと言えた」

 黎明くんは安堵したような表情で僕を見つめていた。

「伝わったのなら、良かった。あの旅で得たものを全部詰め込んだから」

「ああ、伝わったさ」

 黎明くんはそのままドラムが置かれている場所まで戻ろうとする。それを僕が引き留める。

「あのさ、今日母さんが来るんだ。でも、僕の書いた歌詞が伝わるのか心配で……… 」

「大丈夫さ、俺達にも届いたんだ。きっと届く」

「……… うん、ありがとう。黎明くんの演奏も見てるから」

 黎明くんはドラムスティックを天に掲げていた。青空に今にも届きそうなその姿は恰好良く見えた。


 13


 開演五分前。

人もさっきより増えており、パイプ椅子は前も後ろも人でいっぱいだった。

夕映えの空がカーテンのようにゆらゆらと揺れている。

 皆の努力の賜物だ。プールサイドの入口にある四角形の建物の上に黒い幕が掛かっている。

この薄い幕の裏に皆がいる。

 プールサイドの端っこには扇風機が置かれており、いつの間にかミストシャワーも設置されていた。

僕は特別に、プールサイドの屋根のあるところに、パイプ椅子を置かせてもらって座らせてもらっている。なこ曰くここが一番見やすいらしい。

 掛かっていた幕が地面に落ちる。黒い幕は、水泳部の人が裏でこっそりと回収していた。

水泳部の人達は、今日だけ臨時でスタッフとして入ってくれている。有難い。

「皆さん、こんばんは!BTD です!」

 ボーカルのなこがマイクスタンドを使って、観客に呼び掛ける。皆の反応は拍手をする人、バンドメンバーを見る人でバラバラだった。

 黎明くんが言った通り、衣装には気合いが入っていた。まどかとなこはスカートスタイルで、黒に星が刺繡されている。トップスも同様に黒の中に星が入っていた。

なこの方は肩がシースルーになっていて透けていた。まどかは肩を違う布を縫い付けていた。まどかの方は少し暗めで、なこは明るめな印象を受けた。

 なこの横にいる光と、ドラムの前に座っている黎明くんに視線を変える。

光も、基本的にはなこやまどかと同じようだが、スカートにベルトが付いていて、肩の布はなく、素肌が見えていた。

黎明くんはズボンスタイルで、トップスは他の三人と同じだった。

「今日、私達の為に集まってくださってありがとうございます」

 なこは深々と頭を下げる。

「私達は、普通でいようとしたけど、普通ではいられませんでした。この世界はとても窮屈で、息をするのも辛い。でも、それでも生きています。生きていれば、いつか良い事もやってくる。私は、私達は、そのことをつい最近知ることができました」

 なこはマイクスタンドを両手で握りしめる。

今の僕にできることはなこを見守ることだけだ。がんばれと心の中で唱える。

「私達だけじゃないと思います。生き辛さを抱えている人達のヒカリに私は、なりたい。

だから聞いてください。夏の朝、暁、君の横顔」

なこがそう言った瞬間、演奏が始まる。

─── またこの季節がやってくる。言い出せなかった言葉、沈殿した言葉───

 なこの優しい言葉がプールサイドを包み込む。バラードでしっとりとした曲調だ。

観客一同、なこに釘付けになる

──── 君にだけは言いたかった。カーテンから差す光が僕を貫く─────

一瞬、演奏が止まる。

─── 辛い、苦しい。それでも僕らは生きる。

この世界を生きる。無駄なことなんて一 つもないんだ───

 サビで一気に転調する。バラードな曲調から、アップテンポのあるハードな曲調に変わる。 黎明くんは、ドラムは激しく叩く。さっきまで優しかったベースとギターが牙を剥く。 なこ達の世界に引きずり込まれる。

───── どれだけ月日が流れても、この気持ちが変わらない。

情熱は消えない。星に願 いを込めて、明日を生きていく────

 なこは気持ちを込めながら、歌う。汗に濡れた髪が顔に張り付いても構わず、一心不乱 歌 に い続ける。

「綺麗だ……… 」 その姿があまりに美しかったため、思わず声が出てしまった。

──── 夜が明けて、朝がやってくるように。明日はきっとやってくる───

 そこの歌詞だけ台詞をいうようになこは、優しく歌う。

頬に涙が伝った。

 無駄なことなんて人生にはない。なこと出会うために全部必要なことだった。

ずっと息をするのが苦しかった。他の人みたく簡単に都合よく生きたかった。

先の見えない未来、希望なんてなかった。生きる意味を見出せなかったが、死ぬのは怖い。何にも取捨選択ができない自分が嫌いだった。

 だけど、今の僕は選ぶことができる。何かが大切で、何を捨てるべきか。

自分の辛さは特別だと思っていたけど、僕は僕の世界しか見えていなかった。

他の人も現実と立ち向かっている。必死に生きている。僕らは同じなんだ。

自分だけが辛いと、誰にも分かってもらえないと、自分自身の首を絞めていた。

誰かに相談もしないで、分かってもらおうとするのは傲慢だ。

 皆と出会えて、その事に気付けた。

 僕は、ずっと逃げていた。自分から。臆病でその癖プライドが高くて、自己憐憫に浸っている面倒くさい人間だった。

本質的なものは変わらないのかもしれない。また駄目だと言われて否定されるかもしれない。

 それでも、僕は前に進みたい、皆と一緒に。

 エンドロールまで。

 なこ達の音楽は、演奏が終わっても。

 僕の心に深く、深く刻み込まれた。

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