第四章 暁のfinale
第四章 暁のfinale
1
「皆、お待たせ。じゃあ行こうか」
涙を拭いて、莞爾として笑う渚。
「電車の方向ってどっちだっけ?」
警官から逃げて、ログハウスまで来たから方向が分からなくなってきた。
「そういえば、どこだ?」
眉を八の字にする黎明。
「まあ、歩いていけばどこかには辿り着くよ。きっと」
渚の顔は喜悦の色を浮かべている。自分をさらけ出すのを、あんなにも避けていた渚がこんなにも綺麗な笑顔を浮かべているのが、とても嬉しく思えた。
「そうね、きっとどこかには辿り着くわ。先の見えない道だって、暗闇の中だって、歩き続けていれば、必ず光は見える」
朝日が昇り、私達を照らす。オレンジ色の光があまりにも綺麗で、私達は無言で朝日を眺めていた。
数分後、深く息を吸う渚。
「凄く、綺麗だった」
「うん、これからの先の未来を期待しちゃうよね」
「期待しちゃおうぜ。希望を持って歩いた方が楽しいからさ」
「そうね、これからどんなことが起ころうと、この旅を思い出せば乗り越えていける気がするわ」
皆、未来に希望を持って歩いていこうとしている。逃げたことも、自分自身を諦めそうになったことも、全部無駄なことなんてなかったんだなって。
「生きてて良かった」
「生きていてくれてありがとう、なこ」
隣にいた渚が私の左手をギュッと握る。一瞬驚いたけど、指を絡ませて渚と手を繋ぐ。
ほんのり暖かくて、少し厚みのある指で男の人の指なんだなと感じた。
「こりゃ、敵わないわね…… 」
「だな、お似合いだ」
渚の隣で項垂れているまどかと、背中をさすり、それを慰めている黎明が見えた。
渚の頭がそれを遮って、目が合う。
「い、今は僕のこと見てよ…… 」
顔を真っ赤にして、消え入りそうな声を発する渚。小動物みたいで可愛い。
言われた通り渚の顔をじっと見ていると、渚の方から顔を逸らした、
「や、やっぱりなし!」
「え~! どうして?」
「どうしても!ほら、行くよ!皆!」
ニヤニヤした表情で渚を見る黎明とまどか。
「な、なんだよ!行くよ!」
恥ずかしさを消すために必死に取り繕う渚だけど、それが余計に可愛い。
微笑ましいなあ…… 。
「いや、なんでもない。行くか」
黎明は微笑を浮かべて歩き出した。
「イチャイチャするのは、他所でやってよね…… 」
はあ、とため息を吐いて肩を竦めるまどか。
「僕らも行こう、なこ」
「うん」
渚と手を繋ぎ、先を行く二人の後をついていく。
「あ、渚! なこ! 道路に出たわ! 道沿いにそっていけばいけそう!」
アスファルトを指差すまどか。
「わ、ホントだ!これなら駅まで着きそうだね」
一時はどうなることかと思ったけど、なんとかなりそうだ。安堵して、胸を撫で下ろしていると、パトカーのサイレン音が聞こえる。耳を澄ましてみると、すぐ近くのようだ。
「渚、しゃがんで!」
「え?」
渚の肩を掴んで座らせる。
「どうしたの、なこ」
「しっ! パトカーの音が聞こえたの。近くにいるかもしれない。用心して」
「ありがとう、なこ」
子犬のような笑顔で感謝を伝えてくる渚。直視できずに、そっぽ向いてしまう。
黎明とまどかもしゃがみながら近づいてくる。
「ねぇ、さっきの音パトカーじゃない?大丈夫かしら」
「遠回りして行くか? どうする?」
小声でひそひそ話す。
「うーん、どうしようかな…… ここまで来たし、できることなら抜けて行きたいかな。皆も疲れてでしょ?」
「まあ…… ちょっと足がむくんできたくらいだから大丈夫だよ」
正直、疲労困憊だ。朝早くに起こされてあんまり眠れなかったのもあって、眠気と警官から走って逃げてきて足がくたくただ。だけど、渚の前だから少し強がってみる。
「それはあんまり大丈夫じゃないよね…… 今の時間だと電車も動いているだろうし、道路を突っ切ろう」
「おいおい大丈夫なのか」
黎明の表情は不安げだ。
「きっと大丈夫だよ。それに、サイレン音も聞こえなくなったし行けるはず!」
「渚がそういうのなら、そうなんだろうな」
「ええ、渚がいうなら」
なんだか保護者みたたいで、口元が緩む。
「二人とも、僕のこと過大評価し過ぎだよ。なんてことない人間だよ僕は」
「それじゃあ、私もなんてことない人間だよ。ごめん少し意地悪だったね。私達人間は皆、特別で唯一の存在なんだよ。それを教えてくれたのは渚なんだよ。だから、自分自身を卑下しないで」
この旅で、私は変われた。ずっと変われないと思っていたのに、渚達が変えてくれた。
人は変われる、どんな環境だったとしても。
「うん…… ありがとう、なこ」
「今はまだ無理かもしれないけど、いつか、きっと自分を好きになる時がくるから。だから、今は生きるの上手くなくてもいい、私が傍で支えるから」
渚の手の甲に私の手を重ねた。本当は抱きしめたかったけど、ぐっと堪えた。そういうのは、もっと段階を踏まないとね。
「ありがとう…… ありがとう…… 僕もなこの傍にいたい。これから先もずっと」
「そういう、言い方ズルい…… でもありがとう」
私の方がリードしていると思ったら、渚に手を引かれてしまった。
「まーたイチャイチャしてるよ…… 」
「もう私達先に行くわよ」
二人はまたか、という顔で私達をじっと見て諦めて中腰で、道路を横切ろうとする。
黎明とまどかが立ち上がり、手招きをしている。
「ほら、早く行くよ」
「うん!」
二人の元に駆け寄ろうとしたら、二人の後ろに青い制服を着ている見覚えのある人物が立っていた。
「やっと見つけたぞ、おまえら!」
「噓、ここまで追いかけてきたの?!でもサイレン音はもう聞こえないのに…… 」
「わざとサイレン音を鳴らして、通り過ぎてから行ったと見せかけたんだよ。まんまと罠にハマってくれたなあ!」
なんて執念なんだ。額からは汗がダラダラ流れて、不気味に笑っている。正気じゃない。早く逃げないと!
「逃がすわけないだろ!」
警官から背を向けて逃げようとすると、他の警官に囲まれた。
「お前達を捕まえるために、応援を呼んだ。所轄舐めんな」
「先輩、それをいうなら警察を舐めるなでしょ」
後ろにいた警官がやれやれといった口調で話す。
「それもそうだな。まあ、怯えるなお前達、ただ家に帰すだけだ。正直あんなことされて腹は立つし、殴りたい気持ちはあるが俺も大人だ。保護者に言われた通り、家に帰す」
保護者という言葉で、渚の身体が一瞬ビクッとなる。
「渚は私達と帰るんだ!」
「そうだ!そうだ!」
「渚は渡さない!」
私達は渚を守るように、囲む。約束したんだ。渚と付いていくって。こんなところで立ち止まっているわけにはいけないんだ。
「はあ…… お前達なぁ。大人の俺がここまで譲歩してやってるのが分からないかな…… 」
警官は後頭部をかき、苛立つのを隠さない。
「そんなこと知るもんかよ! 俺達は渚を送り届けなくちゃいけないんだ!」
「あー分かった。警告はしたからな。お前達」
警官が右腕を上げると、囲んでいた警官が私達にゆっくりと近づき、両腕を後ろに回される。黎明とまどか渚も掴まれて、そのまま道路の隅に隠されていたパトカーに頭を押し込まれて、中に入れられる。黎明は頭でそれを振りほどき、「渚!頑張れ!お前は一人じゃない!」と大声で渚に届くよう叫んだ。
まどかも「頑張れ!自分を諦めないで!」と叫ぶ。私も、何か、何か言わないと…… そんな風に考えていると別のパトカーの前まで連れて来られる。
「中に入れ」
頭を押しつけられるが、必死に抵抗する。頭の中はぐちゃぐちゃだ。難しいことなんて私には言えない。ただ、思ったことを伝える。
「私はあなたに救われた! だから! 今度はあなたも!」
途中で、パトカーの中に押し付けられて全部は言えなかったけど伝わったと思う。
ガラス越しに、渚の瞳から雫が流れ出ているのが見えたから。
「雨か…… 」
運転席の警官が呟く。たとえ雨でも、嵐でも、渚ならきっと大丈夫。
私達は渚の背中を鼓舞し、押した、これからどう動くかは彼次第だ。先にパトカーに乗せられた黎明達は真っ直ぐ道沿いを進んでいく。私が乗るパトカーも進んでいく。
首を回して後ろのガラスを見る。
渚は今ちょうど、パトカーに乗せられた。抵抗する様子はなかったけど強い意志のようなものを感じ取れた。
「頑張れ、渚。君ならきっと大丈夫」
小さく呟いた。小雨だった雨は、次第に強さを増してきた。この声も渚には届かないかもしれないけど、もしかしたら届くかもしれない。そんな小さなポケットの中の魔法を祈ってみた。
2
僕は警官に促されて、パトカーに乗り込んだ。外は雨が激しく降っていた。
激しくフロントガラスを打ち付ける。一人で母さんの元に帰るのは不安だったけど、皆が背中を押してくれた。離れ離れになってしまったけど、今もここにいる、そんな気がする。
パトカーが発車する前、なこが口パクで何かを言っていた。正確に何かを言っていたかは分からないけど、「頑張れ、君ならできる」そう言われた気がした。
自意識過剰かもしれない、それでも、なこが僕を見て何かを伝えてくれたのが嬉しかった。
「くそ…… 雨強くなってきたな」
僕達を追い詰めた警官がぼやいている。
ハンドルの下にある突起物を下げると、ワイパーが左右に動く。前は目の前にいる警官に言い知れぬ恐怖、怒りがあったけど、今はそれすらも湧いてこない。この人がいたから、僕達は結束できたんだと思う。
頬杖をつきながら、窓の外の景色を見る。車だとあと数分後で到着しそうだ。目を閉じ、母さんの顔を浮かべる。身体が震える。怖い、自分のことを話したら、失望されて叩かれる。大丈夫、僕には皆が付いてる。実際には付いてきてないけど、心は一緒だ。
肩を押さえて、深呼吸をする。向き合うんだ、自分自身と、この呪縛から。
安全運転のあの字もないような荒い運転で何度も吐きそうになったけど、家に着くまで
頑張って耐えた。恨みがましい目で、運転席にいる警官をじっと見つめる。
「ほら、着いたぞ。子供はさっさと家に帰れ」
警官はげんなりとした顔で扉を開けて、手で追い返すジェスチャーをする。
「ありがとう、ございました…… 」
一応、お礼だけは言っておく。
警官に背を向けて、家の玄関に目を移す。黒で塗られたオートロックの扉。
見慣れたはずの扉が重く感じる。やっぱり、一人だと不安だ。前に進めない、足が地面とくっつく。怖い、とてつもなく怖い。額から変な汗がぶわつと出てくる。
やっぱり無理だったんだ。僕には、扉から離れようとすると警官がインターフォンのボタンを押す。
「早く、中に入れ。こっちも仕事がまだ残ってるんだよ」
ぶっきらぼうにいう警官。これで、もう逃げる術はなくなった。扉のロックが解除される音が聞こえた。後には引けない、やるしかないか。
正直怖い、今に足が竦みそうだ。だけど、行かなくちゃ。
「あら、お帰りなさい、渚。警察の人もここまでお疲れ様です」
扉を開けて、母さんが出てくる。よそ行きの声で、警官に感謝する。
白いエプロンを付けていた。恐らく朝ご飯の準備をしていたのだろう。
「まあこの年齢なので、家出は仕方ないとは思いますが、息子さんよく見ていてあげてくださいね」
警官は、帽子を取り頭を下げる。
「渚、ほらそんなところで立っていないで。中に入ってらっしゃい」
「う、うん…… 」
玄関に入り、扉が施錠される。母さんは、さっきのよそ行きの声からいつもの低い声で僕を問い詰める。
「渚、私がどれだけ心配していたのか分かってるの?警察の人にも迷惑かけて、先生から連絡が来た時は、心臓が飛び出るかと思ったわ」
「ご、ごめんなさい…… 」
違う、僕が言いたいのはこんなことじゃない。母さんは僕のことを考えてくれていると思っていたけど、今回の旅で目が覚めた。母さんが考えている身の保身のはだけで、僕は母さんの付属品なんだ。母さんが思う、いい子でならないと思っていたけど、僕は僕の人生を生きるんだ。
「ねえ、母さん。僕、母さんに話さなくちゃいけないことがあるんだ。十分後、僕の部屋に来て」
言葉で説明しても信じてくれるか怪しい。なら、僕が女装している姿を見せるのが一番手っ取り早いと思う。
「まあ、いいけど…… その前に手を洗ってらっしゃい」
「うん、分かった」
頷き、洗面台の方へ向かう。母さんは、首を傾げて疑問に思いながら納得していた。
洗面台で自分の顔を見る。笑っちゃうくらい冴えない自分の顔が映っている。蛇口を捻って、手を洗いうがいをする。冷水で顔を洗う。
再度、自身の顔を鏡で見る。
「ふう…… ここが踏ん張りどころだ。頑張れ、渚」
両手でを叩き自分自身を鼓舞する。二階に上がり、自室に入る。
「さてと、どこから初めようかな」
十分後っていったけど、メイクとかの時間を加味したらもっと掛かりそう。
「これ、間に合うかな」
クローゼットを開いて、洋服を見比べる。カーディガンで可愛くキメるのもありだけど、早く着換えられるワンピースの方がいいかも。泥だらけになった制服を脱いで、花柄のロングワンピースに着替える。
クローゼットの上の段にある箱を持ち、その中にあるメイクセットを取り出す。
道具を一式、机の上に出す。鏡で自分の顔を確認しながら、クリームを頬の中心から外側に向けて薄く広げていく。えくぼが出るところ、目の下、鼻の横くらいにリップチークを薄く広げる。アイシャドウのパレットを開いて、シルバー色を黒目の上にポンポンと塗る。
その下のパレットにあるダークグレーを目元にもえに塗る。
アイライナーでまつ毛のもえをうめる。
「ここの三角ゾーン毎回難しいんだよね…… 」
間違えないよう慎重にうめる。リップは粉状のタイプと、普通のリップがある。
数秒悩んで、結局いつもの普通リップを塗ることにした。
せっかく、粉状のタイプを買ったのい全然使う機会がないなぁ…… 勿体無いと思っているけど、メイクもやり始めたばかりだから毎回試行錯誤ばかりだ。
「全然慣れないなぁ…… 」
それでも、あの冴えない顔から幾らかマシになった。全然違う自分になれる。自分の理想の「可愛い」姿になっていくのが心の底から楽しい。
姿見の前で一回転して、全体図を見る。ワンピースが円を描くようにひらひらするのが綺麗で可愛い。やっぱりワンピースはいいなぁ。まじまじと見ていると、扉がノックされる。
「渚? 十分経ったけど、中に入って大丈夫?」
母さんの不安げな声が扉越しから聞こえてくる。
空気を肺まで吸い込んで、吐く。大丈夫、僕は大丈夫。もう、僕は一人じゃない。
「うん、大丈夫だよ。中に入ってきて」
震える手で、扉のドアノブを捻る。
母さんが部屋の中に入ってきた。僕の姿を見て、固まった。目をぱちくりさせる。
「渚、これは何かの冗談かしら?だとしたらよくないわ。母さんびっくりしちゃったわ。さあ、早く着替えてらっしゃい。パンケーキ作るわ」
母さんは自分の中で完結して、部屋から出ようとする。僕はその手を掴む。
「母さん、これが僕の秘密なんだ」
「渚、お母さんをあまり困らせないで。噓はあまりよくないわ」
母さんは頑なに僕の言葉に耳を傾けようとしない。なら、届くまで何度だって伝えるまでだ。
「母さん、聞いて。僕は今まで母さんが望む僕を頑張ってきた。だけど、本当の僕はこれなんだよ。可愛いものが好きなんだ」
皆のおかげで、胸を張って自分の好きを言えた。母さんは僕の言葉を聞いて目をぴくぴくと痙攣させる。
「それは、どういうことなの? そんな格好は、女の子がするものよ! 渚は男の子なのよ! そんなもの捨てなさい!」
「僕はこんな格好が好きなんだ! 可愛いものが好きなんだよ! そうやって僕の好きを簡単に否定しないでよ!」
初めて母さんに歯向かったので、声と身体が震えている。いつもは母さんが何かをいうと、僕がはいと言って母さんの操り人形になっていた。母さん自身もそうだと思っていたのか、驚いている。
「否定って…… 私は、渚のことを思って言ってるのよ!習い事だって!学校だって!」
髪を振り乱して、半狂乱になる母さん。
「それは、母さんが望んだ僕でしょ?そこに僕自身に意志はなかったんだよ。皆がそれを教えてくれたんだ」
「皆? ああ、その子達が渚をたぶらかしたのね。分かったわ大丈夫、渚は何も悪くないからね」
さっきまで暴れていた母さんは、不気味なくらいピタッと動きを止めた。
「皆は関係ない! なんで! なんで分かってくれないの!」
届かない。他人ならまだしも血が繋がった家族なら分かってくれると思っていた。それは贅沢なのだろうか。僕は多くを望んではいない。ただ、分かって欲しい。届いて欲しい。
それがとても難しい。目の前にいるのに、心はとても遠くに感じる。
「私は、あなたのことを思って…… !」
「だから! それは母さんの自己満足なんだよ! 僕は母さんの玩具じゃない!」
慣れない声の上げ方をしたので、喉仏が少し痛む。
「…… お母さん、そんな育て方をしたつもりはないわ。そんな子にはお仕置きが必要ね」
母さんは僕の身体を抜けて、奥に進んでいく。そこにはさっき出したメイク道具とクローゼットの中に掛かっている洋服一式を出す。
「悪い子は、こうよ!」
母さんは、メイク道具の入った箱を壁に投げつけて、洋服を破く。
「え、あ」
突然のことで身体が動かなかった。僕の好きを認めてもらえないとは思っていたけど、こうも踏みにじられるとは思わなかった。僕の「好き」が壊されていく。目の前でそれが行われている、なら止めないと。つま先に力を入れて母さんを止める。
「母さん! やめて! 僕の好きを壊さないで!」
「これをすれば、渚は元に戻るんでしょ? 大丈夫、私が守ってあげるからね」
母さんの腰にしがみつくが、動きを止めようとしない。
「母さん! 僕を見てよ! ちゃんと、僕を見てよ!」
やっぱり届かないんだ。好きが壊される。こんなことなら、ずっと抱え込んでいればよかった。僕を認めてくれる人なんて…… そう思った時、皆の顔が頭に浮かぶ。黎明くん、
まどか、そしてなこ。皆、待ってくれている。諦めちゃダメだ。溢れてきた涙を服の袖で拭く。僕が守らなくちゃ、僕の「好き」を。
「う、うわぁぁぁ!!!」
母さんに目掛けて体当たりする。よろめいた隙にメイク道具と洋服を両手で掴む。
母さんはら少し痛そうな顔をしてから、立ち上がり僕のことを睨む。
「あなたから、守ってあげているのになんで?なんでこんなことをするの?」
「母さんが僕のことをちゃんと見てくれないからだよ!もっと僕を見て!僕の好きを壊さないで! これ以上壊すなら母さんなんていらない!」
洋服を掴み、目を閉じながら叫ぶ。言った、言ってしまった。いらない、この言葉を言ってしまえば母と息子の関係ではもう、いられない。それでもよかった。
母さんに好きを否定されたまま、生きてはいけないと思ったから。
母さんは、僕の両手にある「好き」を引き離そうとする。僕は必死に抵抗する。揉み合い押し合いをして、階段の踊り場まで来た。
「それはあなたの敵なのよ!」
「違うよ! もっと視野を広げてみてよ」
母さんは、それを取り上げるのに夢中で、ここが階段であることに気が付いていない。
「取った!」
母さんのその声と共に、僕は階段から落下した。頭に鈍い音がして、意識が遠くなっていく。ああ、僕はここで死ぬのかぁ……でも好きを守って死ぬなら、それなら、それでもいいかな。
目を閉じる直前に見たのは、母さんが僕を抱きしめて大泣きしてる姿だった。
3
目が覚めると、そこは病室のベッドで僕は頭に包帯を巻かれていた。痛みに耐えながら、ナースコールのボタンを押すと医師や、ナースよりも先に刑事一人が中に入ってきた。
警官はあの時の警官じゃなかったけど、目は半目で髪は坊主頭で、正直僕が苦手なタイプの人間だった。
どうやら、調書を取りたいということだった。
「何があったんですか?」
「君の母さんに殺人未遂の容疑がかかっていてね。詳しい事を聞かせて欲しいんだ」
刑事は眉を一つ動かさずに淡々と答える
「殺人未遂… ?そんな…… 」
何かの間違いだと思いたかった。だけど、母さんが僕のことを押したのは覚えている。他にも何か忘れているような。
「君の母親は、暑で調書を取っている。君の発言で母親の運命が決まるといっても過言じゃない。さあ、言うんだ。虐待されていたんだろ?」
刑事は、僕に詰め寄り問うてくる。今までの母さんの言動を振り返る。
暴力を振るわれたことはないけど、母さんに今まで苦しめられてきた。僕の言葉で母さんの未来が決まるって考えると、選ぶ言葉は慎重になる。
「僕は母さんのことが嫌いなんだろうか」
自問自答する。母さんのことを恨んでいるんだろうか?苦しかったけど、嫌いではなかった。母さんの期待には応えたかった。
刑事は僕の様子を見て、哀れみの目で僕を見る。
「かわいそうに…… そうやって洗脳させられたんだな。大丈夫、君はもう自由なんだ。だから、さあ! 言ってごらん!」
口調が怒気を含んだもののになっていく。僕にとってそれは土足で僕の心の中に踏み込まれたような気分になる。
「あなたに何が分かるんだ…… !」
「は? 私は、君のことを心配してだね…… 」
優しく語りかける刑事だが、瞼は痙攣している。
「違う! あなたも身の保身のためだけに…… 」
はっとした。僕が母さんに言った言葉と同じだった。
あの後、口論になって階段から落ちた僕は母さんの泣き顔を見たんだった。
母さんは、僕を大切にしていたのは本当の事だけど、見えなくなっていただけなんだ。
「なんで、こんな大切な事忘れていたんだ…… 」
刑事は怪訝な表情で僕を見つめる。僕は警官を見つめ返す。
「母さんは、僕を洗脳なんてしていません。ただ、少し過保護だっただけですよ」
「だから、どうしてそんな嘘を」
「嘘じゃないんです。愛だったんです。ずっと不自由だと思っていたけど、母さんは僕を大切に思ってくれていた。それがわかっただけで満足なんです」
「そうか…… 分かった。勘違いだったみたいだな。君の母さんは直ぐに釈放されるだろう。邪魔したな」
刑事は、帽子を深く被って病室から出て行く。さっきまでの追求する姿勢を止めて、潔く去っていく。彼にも何か思うところがあるのだろうか?それとも、彼も親と何かあったのだろうか? すれ違いで、看護師さんとお医者さんが入ってきた。
「刑事さん! 患者さんに事情聴取は止めてくださいとあれほど!」
看護師さんが、刑事さんに向けて怒号を浴びせる。
「はいはい、今出て行きますよ!」
刑事は、胸ポケットにある煙草箱から煙草を一本咥える。
「館内は禁煙です!」
「ああ、そうだったな。悪い」
煙草を箱に入れて、がに股で去っていく。
「君、大丈夫だった? あの刑事。被害を受けた方でもお構いなしに事情聴取して、それが度を超えているって噂なの。何もされなかった?」
看護師さんが僕の顔を覗き込む。茶色に染めている髪からシャンプーの良い匂いがする。
「ああ、はい。ごめんね」
少しニヤついていると、年老いたお医者さんが、服を捲り、聴診器を僕の胸に付ける。
「うん、うん、なるほど。大丈夫だね。まあでも大事を取って明日までここに居て、何もなければ退院って形になるね」
ササっと診察をして、早口でまくしたてる。ベテランの貫禄があるなあ…… 。
「じゃあ、私はこれで。くれぐれも安静にお願いしますね」
手を後ろに組んで歩いて行くお医者さん。
「じゃあね、バイバイ」
手を胸の前で振って、去っていく看護師さん。
「入院生活も悪くないかも…… 」
自然と頬が緩む。
「みんなにも早く会いたいな…… 」
天井見ながら、ため息を吐く。こんな僕に優しくしてくれた皆。
こんな僕に手を差し伸べてくれた僕。
前までは毎日が苦しくて、見えない鎖に身体を巻き付かれているような感覚だった。誰にも吐き出せない。この秘密を抱えたままずっと、生きていくんだと思ってた。
だけど、秘密を吐き出せる仲間ができた。今は生きてきた中で、一番息がしやすい。晴れやかな気分だ。生きていても、良いことなんて一つもなかったけど、今はこれから先の未来に期待してる。
コンコン、と扉がノックされる。
「朝日さん、入りますね」
さっきの看護師さんが入ってきた。軽く会釈をする。
「あなたに手紙が届いているわ」
枕元に白い便箋を置かれる。
「え、待って。皆来ていたんですか?」
「ええ、女の子二人と男の子一人が来ていたわ」
「来てたのなら、会いに来てくれても良かったのに」
皆に会いたいと思っていたのは、僕だけなのかな。少し、落ち込んだ。
「そんなにへそ曲げないで。皆、貴方に会いたがっていたけど明日までは安静って言ったら、帰っていったわ。代わりに待合室で一つの便箋に、それぞれの想いを綴っていたわ」
「そうだったんですね」
少し嬉しい気持ちになった。
「さ、安静にしててね。そうしたら皆にすぐ会えるから」
看護師さんは、はに噛んだ笑顔を浮かべて病室から出て行く。
「待っていて、みんな」
天井を見上げて、一人呟いた。
4
退院当日の朝。僕は病院の待合室の椅子で座っていた。
諸々の手続きは終わったから、あとは学校に行くだけ。
なんだけど、皆と顔を合わせるのが急に恥ずかしくなってきて、一人悶々としている。
「てりゃ!」
頬に冷たい感触が伝わり、身体を逸らすとなこがいた。
「なこ!? どうしてここに?」
「迎えに来たんだよ。さ、学校に行こ!」
「うん、行きたいんだけど、皆の顔を見るのが恥ず急に恥ずかしくなって…… 」
情けない話だ。あんなにも皆に会いたいと思っていたのに、いざその時が来たら萎縮してしまった。
「なるほど!遊びの当日になると急に行くのがめんどくさくなる感じだね」
多分、違うと思う。そう言おうとしたらなこに腕を引っ張られる。
「ちょっと、どこに行くの?」
「私の家!」
「え! なんで急に!」
ほんといきなりだな。主に心の準備とかできていないんだけど…… 。
「急じゃないよ。私はずっと思っていたよ」
真面目な表情で言うなこにドキッとする。
「渚と話したいこともあったしね」
「話したいこと?」
「うん、お母さんのこととかこれからのこととか」
そっか。なこ達にお母さんの件はまだ言えてなかったんだ。
「そうだった。うん、話そう。ここから遠いの?」
「ううん、すぐ近くだよ。付いてきて」
なこと手を繋ぎながら、外を出る。
「あ、そうだ! 身体はもう大丈夫? お医者さんにはもう聞いたけど、渚の口からも確認しておきたいなと思って」
最初に聞くのがそれじゃないのが、なんだかなこっぽくて頬が緩む。
「うん、もう大丈夫だよ。ありがとう」
大袈裟に肩や腕を回して元気さをアピールする。
「も~、そこまでしなくても大丈夫だって」
口を隠して笑うなこ。
「スキップだってできるよ!」
「なら、スキップで一緒に行こっか!」
「へ?」
冗談で言ったつもりなのに、手を繋いだまま二人でスキップする羽目になった。
「うう、入院生活が長かったから体力が落ちてるよ…… 」
「経った一日でしょ?大丈夫、大丈夫」
四回スキップした辺りで息がぜえぜえ上がる。なこは汗一つかいていない。
体力化け物か。
「今、失礼なこと思ったでしょ?」
視線に気付き、横目で僕を見るなこ。
「いや、思ってないよ」
「私だって女の子なんだからね!体力化け物なの気にしてるんだから」
エスパーじゃん…… でも、なんかいいな。こうやって自分の思っていることが相手に伝わるってことは、相手が僕のことを理解しているってことの証でもある。
なこと出会えてよかったな。
スキップしていたなこの動きが止まる。耳が少し赤くなっている。
「わ、私も…… 」
「もしかして、また僕声に出てた?」
こくんと頷くなこ。いい加減この癖直さないとなぁ。双方自爆しちゃう。
「ちょうど家着いた」
なこが指を差す先には一軒家があった。木製の正門が目の前にあり、静謐を保っている。
全体的に厳かな雰囲気だった。
「中、入って」
玄関で靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。
「お茶出すから、先に私の部屋に入っていて。私の部屋は階段を登って、すぐ右の部屋だから」
なこはリビングに入っていった。女子の部屋を入るのは初めてだから、緊張する。
「まあ、でも話をするだけだし…… 」
階段を登る。一段が重たい。なこの部屋の雨にはnako,sroom と書かれた木材のプレートが掛かっていた。ドアノブを回して中に入る。
勉強机が扉の右隣にあり、真ん中には小さいテーブルが置かれている。部屋の端にはベッドがあったが、女の子っぽいファンシーなものではなく、無地の布団と枕が置かれていた。
ぬいぐるみなどはなく、想像していた女子の部屋とは違った。
ベッドの横に設置させていた本棚を見ると、太宰治、川端康成、有名な文豪が書いた作品が並んでいた。なこ、こういうの読むんだ。意外だ。ペラペラと頁を捲っていると、扉が開いて、お茶を持ったなこが入ってきた。
「意外でしょ?」
「え?ああ、まぁ…… なこがこういうの読むとは思わなかったな」
「人は見かけによらないってね」
なこは、本棚から太宰治の「女生徒」を取り出した。
「私、この作品が好きなんだ。自分の抱えていた感情を、こうも言葉してくれる感じがして…… 」
本の背表紙を撫でるなこ。
「明日もまた、同じ日がくるのだろう。幸福は一生来ないのだ」
「えっ?」
「この小説の文章だよ。一番好きなところなんだ」
そういうなこは物憂げな表情をしていた。
「渚はどう思う?この文章」
「んっと…… 共感はできる文章だと思う。でも、幸福は一生は来ないって部分は少し悲しいなって思った」
「どうして、そう思うの?」
なこは、首を傾げて問いかける。
「未来に目を向いていないから、起こるかもしれない幸福を全て諦めているような気がして、勿体ないなって思った。前までの僕ならきっと、こんなこと思っていなかった。でも今の僕には、なこがいる。それが僕の答えなんだ」
なこと出会えたことが、僕の人生最大の幸福だ。
「…… 渚、変わったね」
なこが柔和な笑みを浮かべる。
「え、そうかな?」
僕は変われているのかな。少しでも嫌いだった自分を肯定したくて、今までの過去が無駄だったと思いたくなくて、母さんとも向き合った。それは無駄じゃなかった。
「うん、変わったよ。それは自分自身がちゃんとお母さんと向き合ったからでしょ?ね、聞かせてよ。その話」
「うん、聞いて欲しいな」
あの時の光景を思い出しながら、ゆっくりと話し出す。
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「そっか。うん。そうだったんだ」
なこは、僕が話し終わるまで待っていてくれた。
「自分と向き合った渚は、凄いよ」
「そんなことない。僕はただ、自分の気持ちにやっと気づけただけなんだ。今、ようやくスタートラインに立てた気がする」
「じゃあさ、その白線を超えてみよっか」
にやりとした笑みを浮かべるなこ。
「え、どういうこと?」
「前に言ってたじゃない?渚は作詞したことがあるからバンドを組みたいって」
顔が熱くなる。あの時はあの場の雰囲気で言ってしまった。本当にバンドがしたいわけじゃない。ただ、皆と何かをしたいだけだ。
「覚えていたんだ。恥ずかしいな…… 」
「全然恥ずかしくないよ、自分の気持ちを吐露するのは悪いことじゃないんだから。渚の言葉で私も歌うことが好きなことを思い出せたから」
なこの表情は和らいでいた。
「僕も、なこと一緒にバンドを組みたい」
「二人じゃないよ。私達みんなでだよ」
「そうだったね、うん、みんなで」
「その前に、学校に行かないとね」
なこは、鞄を肩に掛ける。時計をチラッと見る。二限目はもう既に終わっている時間だ。
「重役出勤だなあ」
頬を掻きながら笑う。こんなに遅い時間に学校に行くのは初めてだ。
「あ、ちょっと待って! 普通に行ったら面白くないでしょ? 私達らしいスタイルで登
校しようよ」
なこは、いたずらを思い付いた子供のような笑みを浮かべた。




