第三章 夢の始まり、旅の終わり
第三章旅の終わり、夢の始まり
1
白髪の男性は、目を真っ赤にして叫ぶ。
「お前らは何者だ! オレの家に何しにきた!」
「物取りとかじゃないですよ。僕達は…… 」
「うるさい! 人間の言葉なんて信用できるか!」
男性は渚の首を絞め上げる。よくプロレスとかで見るチョークスリーパーとかいうやつだ。渚の顔はみるみるうちに赤くなっていく。
今さっきの反応を見るに言葉で何を言っても信じないだろう。なら、どうする?ここで動いても渚の首を絞められる時間の方が速いだろう。だけど、何もしないと渚が窒息してしまう。どうしたら……思考で脳内がぐちゃぐちゃになる。頭を上げると、男性の後ろで、まどかと黎明が忍び足で渚に近づいているのに気付く。
なら、私はここで男性の気を引きつけないと。渚もジタバタして抗っているが、時間の問題だろう。私の言葉で何とかココに繋ぎとまないと。
「私達は物取りじゃないです。逃げて、逃げてここまで来たんです。お願いです助けてください!」
「逃げてきただあ?そんな奴ら余計に信用できないね」
男性は、さっきうよりも強い力で渚を締め上げる。
「うっ…… 」
ジタバタしていた渚は手をぶらりと下げ、目も虚ろになっていく。
「待って! お願い! 私達は何も悪いことなんてしてない!ただ、色々なモノを抱えているだけ! それを社会は、大人は否定して夢さえも壊すんだ!」
ぐちゃぐちゃになった感情を吐露した。それが伝わったのかは分からないけど、男性は渚の首を絞めていた手を緩めて「夢か…… 」と呟いた。
私達は、すぐに渚に駆け寄った。
「大丈夫?」
「ゲホゲホ…… ああ、大丈夫。一瞬意識がなかったけど何とか戻ってこれた。ありがとう、なこ」
渚は喉を押さえながら、喋る。声は掠れていたけど何ともないようでよかった。
「ううん、私は何もできてないよ。ただ、想いをぶつけただけ」
「それで僕は救われたんだよ。もっと自信を持って」
渚は柔和な笑みを浮かべた。
「ええ、なこは凄いわ」
「ああ、後ろから飛び込んでいこうとしたら、急にアイツ手を離したからびっくりしたぜ。お前は凄い奴だよ」
皆に褒められると、悪い気はしない。
黎明にアイツ呼ばわりされた男性はしゃがみ込んでいた。
「君達、さっきはすまなかったな。物取りだと思ったんだ」
さっきまでの勢いはなくなり、萎れた花のような状態になっていた。
「いえ、こちらこそ勝手に入ってすいませんでした」
頭を下げる黎明。ここまで一緒に過ごして分かったけど。この中で一番礼儀正しい人物なのかもしれない。
「気にするな。開けてたオレが悪い」
「あの、貴方はなんでこんなところに住んでるんですか?」
素朴な疑問をぶつけた。
「こんなところで悪かったな」
「あ、いえ決してそういう意味では…… 」
「噓、冗談だよ。旭猛だ。ここで自給自足の生活をしている。この白髪で勘違いされやすいが、三十二歳だ」
旭はガハハと豪快に笑う。意外と豪快な人なんだな。
「あの、一つ聞いていいですか?」
「ああ、なんでも聞いていいぞ」
「じゃあ、遠慮なく。さっき私があ夢って言って旭さんは手を離したけど、何か理由はあるんですか?」
あの手を緩めた瞬間の顔を私は見逃さなかった。この人も私達と同じで何かを抱えているんだと思った。
「君はよく見ているな。オレにとって夢は呪いだったんだ…… 奥にソファーがあある。そこでゆっくり話そう」
警戒しつつ旭さんについて行くと、リビングにはソファーと暖炉が置かれていた。冬だと暖かそうだなぁ。黎明と渚、まどかも感嘆の声を上げている。
「すげぇ…… 」
「わっ! ソファーも凄いふわふわよ」
まどかはソファーの上で飛び跳ねる。
「ホントだ。身体沈み込んでいきそう…… 」
ふわふわのマシュマロに乗っているみたいだ。
「さて、どこから話そうかな」
正面のソファーに座る旭さん。ソファーの背もたれに寄りかかって聞く体制に入る。
「確か、夢は呪いって言ったところから」
「ああ、そうだったな…… オレには昔、夢があったんだ。諦めていたが、心の中の炎がどうしても消えなくて、それを叶えたかった。だから、自分の夢のために長年悩んだ挙句、仕事を辞めたんだ」
旭さんは胸ポケットから、煙草の箱を取り出して一本口に咥える。後ろのズボンのポケットからライターを取り出して煙草に火を点ける。
紫煙を肺まで入れて、静かに吐いた。その様子があまりにも美味しそうに吸うものだから、私も吸いたくなってきた。今は無理だけど、大人になったら吸ってみたいな。
「ん? 吸いたいのか? 駄目だぞ。これは大人の特権だ」
「大人になったら、吸ってやる」
暖炉に吐きつける黎明。
「そこは任せるが……だが、そこまで美味しいものじゃないぞ。ただ、脳を麻痺させるために吸ってるんだ。えっと、どこまで話したかな…… ああ、そうだ。仕事を辞めたところからだな」
旭さんは、煙草を口に咥え喋り続ける. 。
「仕事を止めて、夢を追いかけたが、未経験だと誰も取ってくれない。それでも諦めらめずに進み続けた。だがな。現実は甘くない。親に迷惑を掛き続け、貯金も底を尽きた。頼みの綱だったアルバイトもクビにさせられた。それで悟った、夢なんて呪いで、人を蝕むものだとな…… 夢なんて見ない方が良かったんだ」
「それは違うと思います。夢は、人の心を動かすものです」
旭さんの言葉に反論する渚。
「…… 確かに、な。その考えも否定はしないが、その夢のせいでオレは人生をドブに捨てたんだ。君達にはオレのように後悔して欲しくないんだ」
旭さんは煙草を灰皿に押し付けた。
「ちなみに、夢ってなんだったんですか?」
渚が聞く。
「俳優だ。自分以外の誰かを演じて、誰かを感動させたかった。映像や、誰かの記憶に生きた証を残したかぅた、でも、オレに才能なんてなかったんだ」
俯き、自嘲する旭さん。渚は自分の掌を見つめて、「生きた証…… 」と呟いていた。
「つまらない話ですまなかったな。オレは外で野菜を採ってくるが来るか?」
「いえ、帰ります。ありがとうございました」
「おう、あと何か困ったことがあればここに連絡してくれ」
旭さんはポストカードくらいのサイズの紙に電話番号が書かれていた。
渚は旭さんに頭を下げて、踵を返す。
さっきの会話で何かを感じ取ったのか神妙な顔つきをしていた。
「おい、渚もう帰るのか?」
渚の後ろ姿に声を掛ける黎明。
「うん、残るならここにいててもいいよ」
「そんなこと言うなよ。俺もついていく」
「私も行くわ」
「わ、私も!」
「皆若いね。行ってらっしゃい。戻ってきたくなったら、いつでも来ていいからな」
旭さんは手を振ってくれた。黎明、私、まどかは手を振り返す。渚だけは振り返らずに真っ直ぐ前に歩いていく。
2
渚はログハウスを出て、すぐ近くにある大木で立ち止まった。
「皆、ここまで来てくれてありがとう。後は帰ってもらって大丈夫だよ」
渚は背中越しに、冷たい声で語る。
「どうして、ここまで来たのに」
「そうだよ。なんでだよ!」
まどかと黎明は、渚の背中に向かって言葉を投げかける。旭さんの言葉で渚の中で何かが変わったことは分かっていたけど、旅の終了を告げるものだと思わなかった。
「僕のために後悔して欲しくないんだ。だから、家に帰って欲しいんだ」
「なんだよ…… なんだよそれ!俺が後悔していると思ってるのか!」
黎明は乱暴に渚の襟を掴み、激怒する。
「俺はな…… 後悔なんて一つもしてねぇよ!お前を好きになって後悔なんて一ミリたりともねぇよ!だから、そんなこと言わないでくれ。頼むから…… !」
黎明は嗚咽を堪えたまま、俯いてそのまま地面にうずくまる。
黎明が渚のこと好きなのは知らなかった。だけど、今日の出来事を振り返っていると納得することができた。黎明が抱えていたモノってこのことだったんだ。
「黎明くん…… ごめん、僕、君の気持ち知っていたのに、今の今まで気付かないフリをしていた」
「いや、俺の方こそ悪かった。言える機会はたくさんあったのに、なあなあでここまで来てしまって悪かった。だけど、怖かった。それを言って渚に否定されるかもって思うと、怖くて仕方がなかった」
黎明の肩は震えていた。こんな苦しみを、ずっと一人で抱えていたんだ。否定されるかもしれないという恐怖は私も共感できる。その恐怖で息をできなくなる。
「俺は、赤ちゃんポストっていう諸事情により育てられなくなった赤ちゃんを親が匿名で預ける施設に託されて、その後児童養護施設で育った。親の顔を知らないんだ。昔から愛に飢えていたんだ……」
「そうだったんだね…… 辛かったね」
「ああ、だけど俺は同情して欲しいんじゃない。その事実を知って欲しいだけなんだ」
地面にうずくまっていた黎明は、立ち上がった。
「私は、それを知っても否定しないわよ。むしろ同じライバルって感じかな。私も渚のこと大好きだし」
まどかはけろっとした口調で、黎明に手を差し伸べる。まどかの告白を聞いて、渚は目をぱちくりさせていた。それを見たまどかはしてやったりという顔をしていた。
「いいのか…… 俺なんて…… 」
「なんて、っていう言葉は禁止。もっと自分を大事にしなさいよ。世界で一番の自分の味方は自分自身なんだから。もっと自分を信じてあげて」
「ありがとう…… 宵咲」
黎明はまどかの手を取り、手の甲で涙を拭う。黎明の表情はどこか安堵した顔をしていた。まどか、変わったな…… 保健室で初めて会った時はあんなにおどおどしていたのに、今では自信満々だ。人は……人は変われるんだ。どんな過去があっても、親がどうとか関係ない。大事なのは一歩踏み出す勇気なんだ。
「わ、私も!私も言いたいことがある…… 」
急に声を出したから、声が裏返った。恥ずかしい。それでも、言うんだ。
光、まどか、黎明の言葉を聞いて、私も自分の言葉で伝えたいって気持ちが強くなった。
そして、今、ここにいる皆に聞いて欲しい。
否定されたら、気持ち悪がられたらとか、もし、たらればとかは今は考えない。
今は、ただ、私のことを皆に伝えたい。私の正直な気持ちを。
「うん、聞くよ」
渚とまどかは真剣な表情で、私の言葉を待っている。黎明は赤くなった瞼を擦りながら、私の言葉を待っている。一歩、前に進むんだ。
「私ね、母親が人殺しなの。重度のギャンブル依存症で、お金使いが荒い人だった。借金取りにも追われて私達家族に迷惑をかけてきた。母はそれで追い詰められて、借金取りを刺し殺したの。そのまま逮捕され、今も服役してる」
一呼吸置いて、会話を止める。皆の反応を見る。私の告白に皆、動じることなく私の答えを待ってくれている。こういう仲間が私には欲しかったんだ。
「前の高校では、それが噂になって友達がいなくなった。私を避けるようになった、信じていた人に裏切られた。そういうことがあってから、何も信じれなかった。信じることが怖かった」
信じていた友達に裏切られて、いじめられた思い出がフラッシュバックする。立っていられなくなり、大木に寄りかかる。
「なこ! 大丈夫?」
「渚、ごめん。ありがとう……少し前にいた高校の事を思い出しちゃった。もう大丈夫」
あんなこと、もう気にしてないはずだったのに、過去は簡単に消えてくれないなぁ……
それでも、いい。消えなくてもいい。ううん、消しちゃ駄目なんだ。過去の軌跡があったから、今の私がいるんだ。良いも悪いも全部ポケットのに入れて、生きていくんだ。
「子供がやったことは親の責任、親がやったことは子供の責任になる。だから、私はこの呪縛からは抜けられない。私に未来はないと思っていた」
「そんなことはない! なこに未来はあるよ! 私は、なこと出会えて、自分の気持ちに正直になれた。だからなこには感謝してるんだよ。人は変われるってことをなこは教えてくれた」
「ありがとう、まどか。でも、私もまどかに背中を押されたんだよ」
まどかが、気持ちを吐露してくれたから私も変われると信じることができたんだ。
「引っ越してきた時は、全部忘れて、キラキラした青春生活を送れると思ってた。借金は、父の祖父が事件のことを知り、土地を売り払って全額払って私と父を引っ越しさせた。
でも、ここに来て分かった。全部忘れることなんてできないって。ここに来ることができて、本当に良かった。ありがとう皆」
「そういうものなんだなって」
瞼の色が元に戻った黎明が呟く。
「ん?なにが?」
「だから、こうやって背中を押したり押されたりすること。それが人間本来の姿なんだと思ってさ」
人間本来の姿。確かにそうかもしれない。本質は助け合いなんだ。でも生きていると、沢山しがらみが多くて、そういったことを忘れてしまうんだ。
「それって素敵なことだと思うわ」
「ああ、俺たち人間は忘れがちだけどな」
「それに気付けただけでもこの旅に意味はあったと、私は思う」
最初はただ、逃げ続けるための旅だった。それが自分の過去を話して今は、とても清々しい気持ちだ。肩が軽い、明日になるのがワクワクする、心が弾む。
「なこ、憑き物が落ちたような顔してるね」
「うん、渚がここまで連れてきてくれたからだよ」
「行けるところまで逃げ続ける旅だったのにね」
苦笑いする渚。はあ、と息を吐き、生真面目な顔で私に向き直る。
「ねえ、僕が抱えていることも聞いてもらってもいいかな。怖いけど、それでも聞いて欲しいんだ、特になこには」
渚の周りを纏っていた見えない繭が今、ゆっくりと剝がれていく。私と渚の間に見えない壁があって、自分の抱えているモノを話してくれなかった。だけど、渚の中にも変化があって、私に話してくれるようになった。逃げる続けるための旅だったけど、逃げることはマイナスなことばかりじゃないんだ。
「私?」
「うん、まどかはもう知ってて、黎明くんもなんとなくは知ってるかもしれないから」
「ごめん、渚。私…… 渚の秘密を知っていたのに、私何もしなかった。本当にごめんなさい!」
渚に謝るまどか。
「ううん、むしろ僕の方こそありがとう。秘密を誰にも話さないでくれて。僕の口から言いたかったんだ。ありがとうまどか」
穏やかなで語っていく渚。旅に出る前は全て諦めたような達観した表情で不安だったけど、今の渚の表情を見たら心配はないみたい。
「貴方にそのことを言えなかったのが私の罪だから、そういってもらえると救われるわ」
まどかは青空を仰ぎみる。まどかも私と同じくらい辛かったんだ。
「少し、場所を変えようか。皆疲れただろうし、座れるところに行こう」
3
渚に案内された場所は、使われなくなったバス停だった。隅っこは苔だらけで、案内図は破れて読めなくなっていた。椅子は原型を留めてはいるが、上でジャンプしたら今にも壊れそうだ。そんなことしないけど。
「なんだか、趣があるねここ」
「虫とかいないか?俺苦手なんだよ…… 」
ガタイが良いわりに虫が苦手という可愛い面がある黎明は、木材の椅子に慎重に座る。
「いるかもしれないけど、虫くらいなんだっていうのよ」
「あいつらはな、俺達人間に対して姑息な手段を使って襲うんだよ!」
自身の抱えていたモノを吐き出せた黎明とまどかの表情は、心の底から笑っていた。
本当に楽しそうだ。自分の過去を乗り越えると、こういう顔になるんだ。私も笑えているのかな。
「苦手過ぎでしょ…… 」
まどかは、呆れた様子でこめかみに手を置く。
渚は後から入ってきて、中央の座席に座る。
「渚、よくこんな場所知っていたね」
「うん、昔テレビで紹介されていたのを見ていたのを不思議と覚えていてね」
「そうなんだ」
「うん。さて。じゃあ話そうか僕の秘密を」
渚の言葉とともに、横並びの椅子に座り聞く体制に入る。
「僕は、昔からなりたいものがあったんだ」
渚は語り初めようとするが、話すことを怖がっている目をしていて、次の言葉が中々出てこない。
「ご、ごめん。自分から話したいって言ったのに、話すのが急に怖くなっちゃった」
渚は作り笑いをして、場を必死に繫ごうとしている。
「渚の好きなタイミングで話して大丈夫だよ、私達はずっと待ってる。だから自分で自分を追い込まないで」
私の言葉で、安心できたのか渚は頷いて秘密について話し始める。
「僕は、可愛い物が好きで、ずっとそれを身につけたかったけど世間がそれを許さなかった。僕は男で、可愛いものが好きなのは女って形が決まっている。枠からはみ出す人間は叩かれる。だから、隠れて可愛いものを着ていたんだ。でもそれがアイツらにバレた」
私を羽交い締めにしたヤツらが。思い出すだけでも鳥肌が立つ。ああいう悪意のある人間がいるから私達みたいな人間は生き辛いんだ。怒りを抑えて、掌に爪が食い込む。渚の方は、怒ってる様子はなかったが、悲しげな顔をしていた。
「言ってしまえば女装なんだけどね。誰かにバレるのは別に構わなかった嫌われるのは慣れているし」
「そんなことない! 私達は渚のことを知っても嫌わないよ!」
座っていたまどかは、耐え切れなくなって、口をはさんだ。黎明と私も立ち上がって、頷いた。
「ありがとう……… まどか、皆。だからこそ怖かったんだ。皆に秘密を言って、この関係が終わるのが怖かった。旅をしていくうちに皆のことが愛おしくてたまらなくなった! でも、僕がそんな気持ちを持っちゃいけない。気持ちの悪い僕だから、この秘密を言って嫌われて、お別れしなくちゃいけない……そう思ってたんだ」
渚は目を瞑り、感情を押し殺しながら訥々と話す。
「馬鹿野郎! 俺達がお前の秘密を聞いて嫌うワケないだろ! 自分の中で完結するな! もっと、俺達を頼ってくれ! 何があっても俺たちは渚の味方だから!」
黎明は、激しく渚の肩を揺らす。渚は堪えきれなくなって、しゃくりを上げた。
「そうよ、私達は何があっても渚の味方だから。ここは渚を怖がらせるものなんてないよ。だから安心して話して」
ポケットからハンカチを出して、渚に渡す。渚はそれを受け取り涙を拭いた。
「ありがとう……… 続きを話すね」
渚の目は赤くなっていたが、しゃくりを上げるのはなくなった。
「嫌われるのは慣れていたけど、アイツらは母さんにそれを言うって脅してきたんだ。なら従うしかなかった。母さんにだけは知られたくなかったんだ」
渚がいじめられても、誰にも助けを求めなかったのはそれが理由なのか。
渚の母親は私の母親とは違う意味で厄介そうな雰囲気だ。
「小さい頃からずっと母さんの言うことを聞いてきた。母さんの言うことが世界で、言う通りにしないと殴られたり蹴られたりした。母さんの言うことが絶対だった。でも女装していると息が詰まりそうだった世界が、少しだけ吸えるようになったんだ」
渚の肩は微かに震えている。
「渚! ごめん! 私、知っていたのにいじめを止めるどころか傍観してた。本当に、本当にごめんなさい…… 」
まどかは苦しそうな声で謝る。まどかはずっと謝りたかった。それが今やっと言えたけど、本人は納得していない表情だった。本来であれば、その適切なタイミングで言いたかったんだろう。こういう環境で急かされえて言う自分に嫌気が差しているのかもしれない。
どれだけ毎日進んでいても過去は、追いかけてくる。逃げても逃げても逃げきれない。
私達はそれを知ってもなお、この旅に進んだ。自分を変えたくて。
「それはもう過ぎたことだし、いいよ。まどかにも色々あるんだろうと思ったしさ」
まどかの謝罪を聞いた渚だが、大人びている。いや、違う、心はガラスのように冷たい。
他人に期待してなかったから、そういう態度でいられるんだ。初めて会った時から私と渚が似ているって引っかかっていたのはこれだったんだ。
まどかと黎明は気付かず、話を聞いている。なら私しかいないじゃない。渚の心を今揺さぶれるのは、私だけ。
「ねえ、渚。それは本心なの?」
「え、急にどうしたの?本心だよ」
私が問うと渚は一緒動きを止め、戸惑う。渚の顔は笑顔だが、ぎこちない無理をして笑っているのが伝わってくる。
「渚、噓ついてる。私達に秘密を教えると言っておいて心の内までは開いてないじゃない! 見せてよ! その心の奥まで!」
もっと渚の心のポケットに触れたい。
「信じることが怖いのかもしれない。期待して裏切られたのかもしれない。それでも私達を信じて欲しい。渚と私達は他人だけど、貴方のポケットに触れることはできるから」
渚は顔を歪ませて、今にも泣きそうな顔をしている。
「ごめん、なこの言う通り。隠してることがある。それを話してしまったら、皆に嫌われるかもしれないと思って、躊躇っていたんだ。でも、一歩踏み出したい」
渚の声は震えている、私達は渚の言葉を待つ。
「僕は、誰にも期待してないんだ。誰にも心を許してしていない。信頼していないから何を言われても怒ることができないんだ」
渚は俯き、制服のズボンを掴んでいる。
「渚は、感情を開けるのが苦手なんだね。大丈夫、私達が傍にいるよ」
椅子から立ち上がって、渚の正面に立つ。私もそうだった、何も信じられなくて自分の殻に籠っていたけど、期間がまだ短かったのもあって、表情は豊かだと言われていた。私の場合は、言葉に出す方が苦手だ。頭に浮かぶ文字を上手く言葉にできすに、相手を誤解させてしまうことがよくあった。だからといって、言葉にすることを諦めちゃ駄目なんだ。
引っ越して、光とまどかと黎明と、そして渚と出会えたからそう思うことができた。
「ありがとう、なこ。そう言われたのは初めてだったから、なんて口にすればいいか、ちょっと混乱している。ちょっと待ってて、まだ話したいことがあるんだ」
「大丈夫だよ。どれだけ時間が掛かっても待っているから」
光が待っていてくれているように、私も何時間、何年かかっても渚を待つ。渚は私と目を合わせようとせず、地面を見つめている。きっと、必死に言葉を紡いでいるんだろう。
数分後、渚は私と目を合わせた。
「実は僕、ずっと死にたかった。今が苦しくて、辛くて、死ぬことで何もかも楽になれるのならそれでもいいと思ってた。今回の旅、逃げ続けるためじゃなくて本当は、終わらせるための旅だったんだ」
心の中でやっぱり、と呟いた。渚がいつも悲しげな表情をしているのは、私と同じで未来がないと思っているから。だから自殺願望があるんじゃないかと疑っていたけど、まさか自殺だったなんて。
「皆が何かを抱えているのは知っていた。それが自殺願望だったらいいなって思ってたんだ。なこには、僕と同じモノを感じたから、一緒に死ねたら嬉しかった」
「渚、お前…… そんなこと!」
黎明が椅子から立ち上がり、渚の肩を押さえる。
「ずっと、現実が辛くて死にたかった。息をするのも辛い、この悩みを一緒抱え込んでいくんだって思うと苦しくて、死にたくなる。何のために生きているんだって寝る前毎日考えてた」
渚の声と肩は震えていた。言葉にして否定されるかもしれないと思うと怖いのかもしれない、それでも、絞り出している。渚自身の言葉で、諦めずに一つずつ。
「身体は生きてるけど、心はとっくに死んでいる状態だったんだ。こんな苦しい殻から早く脱ぎ捨てて楽になりたかったんだ」
渚の言葉は、共感ができて惹きつけるものを感じた。
「でも、今は死にたくないって思えてる。生きる目的ができたから」
「目的?」
皆、同時に聞き返してハモってしまった。あまり綺麗に揃うものだから皆でふふっと笑った。
「ログハウスで、旭さんの言葉を聞いてハッとしたんだ。聞いてくれるかな?」
渚は皆を見て、様子を伺っている。答えはもう決まっていた。
黎明まどかを顔を見合わせ、同時に頷く。
「もちろん、聞くわよ」
「ああ、聞かせてくれよ渚。俺でよければ力になるぜ」
「聞かせて、渚」
私の答えを聞くと渚は数秒間、瞑目してから開いた。
「僕の生きる目的は、この世界に何かを皆で残したいんだ。生きた証を残したいんだ」
生きた証。あの時、渚が呟いた言葉だ。
やっぱり旭さんが話した内容が渚の心を動かしたんだ。
「生きた証? そりゃまあご立派だけど、具体的に何をするんだ?」
口をはさむ黎明。まどかと私はじろっと黎明の顔を見つめる。
「悪かったって…… そんなに睨むなよ…… 」
胸の前で手を扇風機のようにして回す。
「具体的なプランはまあ…… あるにはあるけど、恥ずかしいな」
頬をかいて恥ずかしそうにする渚。これから、私よりも感情豊かになっていきそうだな。
胸の中がポカポカと暖かい気持ちになった。
「その、僕、誰にも言ったことがないんだけど、作詞したことあるんだ。だから…… その、もしこの中で楽器とかできる人いたら、バンドとかしてみたいなって」
遠慮がちな渚を見て、とても愛おしく思えた。
「楽器は触れたことないけど、歌うのは好きだよ」
よく浜辺や、浴槽の中で歌うのが好きだ。歌ってる間は色々なことを忘れられるから。
歌が好きっていうのは墓場まで持っていくつもりだったけど、渚の健気な表情を見たら、
言いたくなった。渚には、人を惹きつける何かがある。だからバンドも結成したら売れそうな気がした。
「わ、私楽器は全然だけど、衣装とかなら作れるよ!」
手を挙げて、声を張り上げるまどか。それに倣って、黎明も手を挙げる。
「俺は、ピアノ、ドラム、ギター、なんでもできる。上手く使ってくれ」
エアーでピアノ、ドラム、ギターの弾くフリをする黎明。凄く楽しそうだ。弾き終わるとドヤ顔でこっちを見てくるが、目を合わせないようにした。
「ま、待ってよ!皆、まだやると決まったわけじゃ……」
「え、やらないのか?」
キョトンとした顔をする黎明。
「いや、そりゃやりたいけどさ…… 」
手指を弄って、悩む渚。
「なら、やろうぜ! たった一回の人生なんだ。後悔したままなんて勿体無いだろう?」
「後悔か…… うん、そうだね。いいよ、やろう!」
黎明が拳を上げて、おー!と叫ぶ。まどかも拳を上げる。渚も顔を赤くしながら、手を上げた。
「でも、まだやり残したことがある。母さんと、キチンと自分のことを話したい。やりたいことができたことも。皆、付いてきてくれる?」
今度は、渚が立ち上がり手を差し伸べてきた。私は迷わず、手を取った。
「当たり前じゃない。どこまでも付いていくよ地獄の果てだって」
「ああ、俺もだ。何があってもお前を一人になんかさせやしないからな」
「渚、貴方はもう一人じゃないのよ。私も付いていくわ」
「…… 皆、ありがとう」
渚の瞳はウルウルしていて、今にも零れそうだった。
我慢していた渚だったけど、瞳を閉じて、静かに雫が頬を伝う。
これも渚にとって必要な時間なんだ。私達は渚が再び目を開けるまで待った




