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第一章 私の中のprelude

 Overture

 また身体を蹴られる。

頭を押さえて、うずくまる。大丈夫、あのことを母さんにバラされるよりマシだ。

僕は独り。誰も助けてはくれない。味方は誰もいない。

 “それ”を話して皆、僕から離れていった。理解されなくてもいい。ずっと、独りだったから慣れている。

だけど、やっぱり苦しい。このまま大人になるまで僕は変われないんだと思うと、消えてなくなりたい。僕が消えても、この世界になんの損もないのだから。

 窓の外から蝉の声が教室の中に響く。



 第一章私の中のPrelude


 1


 教室の扉の前で、すぅーと息を吸い込む。

今日で私は過去の呪縛から逃れて変わるんだ。

「はい、じゃあ暁さん。入って」

 先生に促され、教室の扉を開く。そのまま教壇の前に立つ。

「転校生の暁なこさんです。ほら、自己紹介して」

 先生は私の背中を軽く叩いて催促する。先生は私の秘密を知っている。

きっと、気持ち悪いって思われているんだろうな。

 それでも、クラス全員に知られていないのが幸いだった。スカートの裾をギュッと握る。

「暁なこです。親の仕事の関係でこっちに引っ越して来ました。よろしくお願いします」

 当たり障りのない自己紹介をした。先生は蔑みの目で私を見る。どうせ噓つけとか思われているんだろうな。

「暁さんの席は一番後ろです」

 窓際の一番後ろの席を指差す。隣の男子は私を物珍しそうに見ている。

クラス全員が私の同行を観察している。注目されるのはあまり好きじゃない。

「では今から授業を始めます。委員長!」

 先生は手を叩き、授業を開始する。緊張していた教室の空気が飽和する。

教科書はまだ買っていないので、隣の席をくっつけて教科書を見せてもらう。

「ごめん、教科書見せてもらってもいい?」

「ああ、うん」

 先生の書く文字がリズミカルに黒板に刻まれていく。

窓の外の景色を見ながら、ここで私は変わるんだ。もう過去の呪縛に囚われて生きるのは嫌だ。ここで一からやり直すんだ。

 休憩時間は男子女子問わず、質問攻めにされて少し疲れた。

トイレの便座に座り、息を吐く。

「はぁ…… 」

 頬に手を当てて、肘をつきながら考える。もう少しキャラ作りをした方が良かったかな。

いや、変にそれをしてずっとテンションを保たなければならないのはキツイ。

 ここで変わると意気込んでいたけど、私の秘密を知ってもなお私のことを信じてくれる人はいるのかな。秘密を知った人は皆、私から去って行く。

「だから、絶対隠さなくちゃ」

 幸せな学校生活を送るためにも私は、隠し通さなくちゃいけない。

扉が開く音がして、数人がトイレの中に入ってくる。

「ねえ、転校生可愛かったね」

「えー、そう?なんか愛想なかったけど」

「ぶりっ子って感じだよねー」

「あー分かる~あと、私は、貴方達とは違いますって目も気に入らないよね~」

「分かる~」

「あ、マスカラ忘れた~里奈貸して~」

「は~い」

 洗面台で数人の女子がたむろっている。

はぁ…… 悪口は慣れているけど、初日から言われるのは想定していなかった。

 まずったなぁ。息を殺して、女子グループが出て行くのを待つ。

「あ、そういえば今日の新野先生おかしくなかった?」

「確かに、転校生を睨んでるって感じだったよね~何かしたのかな?」

「え~、こわ」

「後で転校生に聞いて見ようよ!」

「そうだね~、って里奈! 次、移動教室だよ。早く行かないと!」

「ほんとだ! いそげ~」

 勢いよく扉が閉められて、騒がしい声もなくなる。

「はぁ…… 」

 ばれるのも時間の問題かもしれない。これから先が思いやられる。どこに行っても過去は私の往く手を阻む。

「それでも、私は絶対に幸せになるんだから」

 少なくとも今はバレていない。そうなった時は、そうなってから考えればいい。トイレの個室から出る。

鏡の前で自身の頬を軽く叩いて自身を鼓舞する。

 扉を開けるのと同時にチャイムが鳴った。

「あ、次は移動教室って言ってたっけ。急がないと」


 2


 なんとかギリギリ間にあった。次の授業は理科室で実験らしい。

私の班は四人組みで、隣の席の男子と同じだった。

 隣の席の男子、眼鏡をかけているそばかす女子、手鏡で髪を整えている女子。

皆、バラバラだ…… こんなので実験ができるのか不安になる。

 卓上の横にある蛇口で、手を洗う。

教壇に立つ理科の先生は、細目で猫背の五十代くらいの優しそうな男性教員だった。

「はい、皆さんこんばんは。今日は簡単な実験をしてみようと思います」

 生徒は前を向いて話を聞いている。先生の人柄も相まってか理科室全体がほんわかした空気になっている。ゆったりとした口調なので、これが五限目だったら爆睡していただろう先生はアルミラップ、ステックシュガーを各班に渡していく。

「はい、ではそのアルミラップにスプーン一杯分入れて、ステックシュガー一〇グラム入れてください。計量カップは机の下に置いてあります」

 先生は黒板に書きながら、滔々と語っていく。

私達の班はたどたどしくも、計量カップで計ってアルミカップに入れていく。

「えー、出来ましたら三脚とアルコールランプが後ろの戸棚にあるので取ってきてください」

 班の皆は顔を見合わせて、誰が行くかを押し付け合っている。

「私、行くね」

 私は仕方なく立ち上がって、後ろの棚から三脚とアルコールランプを取り出した。

「はい、じゃあ三脚の下にアルコールランプを点けて、上には先ほどのアルミラップを置いてください。少ししたらきつね色になるので、下ろしてください」

 マッチで火を点けてからアルコールランプに移した。

三脚の上にラップを置いて、少し待つ。アルコールランプの火がゆらゆら揺れている。

 他の班を見ると皆、和気藹々として楽しそうだ。

「な、なんかごめんね。転校初日なのに全部任せちゃって…… 」

 隣の席の男子が小声で声を掛けてきた。

男子は私と目を合わせず、アルコールランプの火を見つけている。

「ううん、全然大丈夫だよ」

「そっか、うんごめん。ありがとう」

 それで会話は終了した。会話が苦手なタイプなのだろうけど、もう少し会話を盛り上げて欲しかったな。

ラップを見るときつね色に変化していた。火を消して、ラップを下に下ろす。

 割り箸でかき混ぜると、ねばりが出ていた。

「はい、できた班もいるので次の説明をします。爪楊枝で、少し冷ましてから食べてください。今日の実験はそれで終わりです」

「えー、食べれるの!」

「すげー!」

 皆、驚きの声を上げる。だけど私はべっこう飴の実験を前の学校でしたことがあったから声は上げなかった。

 髪の毛を弄っていた女子が顔を上げ興味深そうにラップを覗き込む。

「食べる…… ?」

 爪楊枝で少し固まっていたべっこう飴を渡す。

「うん、ありがと。…… !! 美味しい!」

 女子は目を輝かせる。その様子を見て、他の子も爪楊枝で掬っていく。

「今日、提出する物はありません。今日の実験が今後皆さんにとってより良いものになることを祈っています」

 先生が言い終わるのと同時に、チャイムが鳴る。

「片付けは先生がやるので、皆さんは帰ってもらって大丈夫です。べっこう飴は持って帰っても、捨ててもらっても大丈夫です。ではまた来週」

 休憩時間になり、各々理科室から出て行く。

「あ、次の授業は数学だよ」

 隣の席の男子がおどおどしながら喋りかける。

お礼を言う前に走って逃げて行った。変わった子だな…… 良い子なんだろうけど。


 3


 終礼のチャイムが鳴り、皆、教室から出て行く。今日一日あっという間だった。

「疲れた…… 」

 友達を作ってキラキラの学校生活を送るはずが、初日からドッと疲れてまだ誰とも友達になれていない。

「まだ転校初日だから…… 」

 自分に言い聞かせる。

学校指定のスクールバックを肩に掛け、教室を出る。数人残っていたけど、話が盛り上がっていて輪の中に入れそうになかった。

「明日だ明日。全ては明日」

 今日は疲れたし、声掛けるのは明日にしよう。

靴箱で外靴に履き替える。そのまま家に帰ろうとしたところ、後ろから声を掛けられた。

「あの!」

 振り返ると、隣の席の男子が全身びしょ濡れで立っていた。

「急に大声出してごめんなさい。女子と話すのが久々で…… ああ、いやそうじゃなくて。明日から僕と関わらない方がいいよ。それが君の為でも僕の為でもあるから。それじゃ」

 なんで、晴れてるのにそんなのにびしょ濡れなの?とかなんで関わっちゃいけないの? とか聞きたいことはたくさんあったけど、有無を言わせない速さで走って行った。

「名前、聞いていないんだけど…… 」

 心がモヤモヤする。転校初日に不器用ながらに優しくしてくれたと思ったのに

急に関わるなって言ってきてわけが分からない。

 でも、本心じゃないような気がした。

あの子の目は私と同じでこの世界に絶望してそれでも救いを求めている人の目だった。

「だとして、私なんかに何ができるっていうのよ」

 心の中で溜息を吐いて、家路を進む。

グラウンドでは陸上部が走っている。校内から演奏学部の音色が響く。

 私も早く青春を謳歌しないと。

学校から徒歩で十五分、そこに曾祖父の家がある。小さい頃に一度だけ行ったことがあるけど記憶はおぼろげだ。

 母があんなことをした所為で、私はこんな田舎の学校を通わざるをえなくなった。最初は嫌だったけど、あの事件が起こって以来友達も皆、いなくなってしまった。どこに行っても私と私の噂をする人ばかり。だから引っ越しを決意した。

 名義は曾祖父だけど、曾祖父は他界してもういない。父は仕事で忙しいようで、週末の土日には何とか帰れるとメールが来た。一人では心配ということでお手伝いさんが週に三回来てくれるらしい。

木製の門をくぐり、引き戸の鍵穴に鍵を差し込む。

 ガチャンと音がして、解錠する。

「ただいまー」

 声が反響するだけで、返事はない。

「まあ、当たり前か」

 ただいまと言えばお帰りと返ってくる生活に慣れきっていたから、なんだか変な感じがする。右側に靴箱があったが、そのまま玄関に置いて中に入る。

「確か、冷蔵庫にご飯を用意しているって言ってたけど…… 」

 制服の袖で鼻を摘まむ。埃っぽくて気持ち悪い。誰も掃除してないのかな?

廊下が異様に長く、よく分からない部屋が幾つもあるせいで迷う。

 ここを掃除するお手伝いさんが不憫に思えてきた。

「ん? ここかな?」

 すりガラスの引き戸を引くと、大型の冷蔵庫、台所、奥にはブラウン管テレビとこたつ机(毛布がないバージョン)が置かれていた。

「なんで、ブラウン管テレビ」

 多分、曾祖父の物なんだろうけど、ちゃんと映るのかな。

こたつ机の上に置かれていたリモコンを持ち、電源ボタンを押す。

「んん?電池切れなのかな?」

 ブラウン管の下に付いている電源ボタンを押した。

「わっ!」

 静電気が指先から伝わってきた。昔ながらのテレビってこんな感じなんだ。

「さて、冷蔵庫の中身は…… っと」

 未開封の牛乳、麦茶の入ったポッド。食パン、卵、ソーセージが入っていた。

「………… 」

 冷凍庫を開ける。冷凍食品のから揚げ、チャーハン、餃子が入っていた。

「炭水化物ばっかりじゃん!」

 今日のところは冷凍食品だけになりそう。明日学校の帰りお店に寄って食材を買いこもう。

 スマートフォンをスカートのポケットから取り出して、時刻を確認する。十七時ちょうどだった。

「うーん、晩御飯には少し早いかな?」

 お腹もそこまで空いていないし、家の中を探索しようかな。

居間から出て、またあの長い廊下に出る。次は自室と寝室を探そう。

 廊下の右側は庭になっていて、鹿威しが置いてあり、所々苔が生えていた。勢いよく落ちる音が心地良い。

「こんなのあったんだ。全然覚えてないな」

 昔の記憶なんてあまり当てにならないな。スクールバックを背負い直して、部屋を探す。

左に曲がると、障子があり開けてみると、勉強机と太陽が差し込む窓、その隣にはベッドが置かれていた。

 スカートが震える。ポケットの中からスマホを確認する。着信だ、耳に当てる。

「…… もしもし?」

「良かった! 繋がった! 初めまして! お父さんから電話番号教えてもらいました。お手伝いの太陽奏です! 明日からよろしくお願いします!」

 優しい声音で心地良い。メールでもいいのに電話で連絡してくるなんて律儀な人だな。

「あ、暁なこです。明日からよろしくお願いします」

「こちらこそ!よろしくお願いします!じゃあ、また明日ね」

 短い通話だったけど、人柄が良さそうな人で安心した。

鞄を下に置いて、ベッドにダイブする。スカートに皺が寄るけど、睡魔には勝てずそのまま瞼を閉じる。

 鳥の鳴き声で重い瞼を開ける。涎を手の甲で拭いて、目を擦る。

「んん…… 今何時…… 」

 スマートフォンを点ける。昨日そのまま眠ってしまったのでバッテリー残量は三十%だった。時刻は七時四五分。朝礼は八時。朝ご飯を抜いたらギリギリ間に合そう。

ぐぅ~。無情にもお腹の減りは止まらない。

「昨日の晩御飯何も食べてないし当然ちゃ当然だよね…… 」

 シャワーも浴びてない。匂わないか心配だったけど、このままここで考えていても時間は刻一刻と進んで行く。下着だけ着替えて、制汗スプレーをかける。

「急がなくちゃ」

 皺になった制服を手で広げる。鞄を持って急いで玄関まで走る。

せめて顔くらいは洗いたかったな…… 。学校に着いたらトイレで顔を洗おう。シャワー室もあればいいなぁ。

ローファーに足を入れて、爪先でトントンと整える。

 ポケットから鍵を取り出して、扉を閉める。明日はもう少し余裕をもって起きよう。

「走らなくても間に合うかな」

 朝から走るのはしんどいし、お腹が痛くなる。

「うぅ…… せめて何か食べてくればよかった…… 」

 朝の太陽が燦々と私の頭上を照らす。眩しくて思わず目を細める。

今日こそ話掛けて友達作れたらいいな…… 閑静な住宅地を抜けて自動車が通る大通りに出る。

 まだ朝だというのに自転車、車、原付、皆せわしなく走り抜けていく。何をそんなに急ぐ必要があるんだろう。排気ガスが器官に入ってむせる。都市部でも田舎でもこういうのは変わらないな。

門に着いたと同時に予鈴のチャイムが鳴る。

「っばー、急がないと!」

 靴箱まで駆けていき、大慌てで上履きに履き替える。汗がブラジャーの中に入ってきて気持ち悪い。今はまだ初夏だけど、夏本番になったらもっと暑くなるんだろうなぁ………考えたら陰鬱な気分になる。

階段を登り、そのまま二-D の教室に入る。

 生徒の視線が一斉にこちらを向く。この時間が途轍もなく嫌だ。冷めた視線が刺さる、苦しくて息ができない。皆、一瞬で興味を失うけど、私にとっては

永遠に感じた。これが嫌だから遅刻はしたくなかった。

 スカートの裾を握りながら席に座る。

「はい、朝礼を始めるぞー」

 先生の号令とともに朝礼が始める。その後一限の授業は現代文で、つつがなく進んでいった。隣の席の男子は私と目を合わせないが、昨日と同じように教科書は見せてくれた。授業が終わり、休憩時間になると茶髪に染めているギャルっ子が話かけてきた。

「遅刻? 大丈夫?」

 ポケットの中からキャンディーを取り出して、舐めるギャルっ子。

「うん、大丈夫。昨日疲れてそのまま寝ちゃって…… 」

「マジ?じゃあ、朝も食べてないの?」

「うん、なにも食べてない…… 」

 お腹を摩る。あと二限我慢すれば、お昼ご飯…… ってあ!

「あっ!」

「ん?なした?」

「お昼ご飯持ってきてないや…… 」

 朝、急いでいて頭が回らなかった。財布は持ってきているけど、生活費諸々込みだからあまり使いたくない。

「なら、お昼ご飯わけわけする?」

「えっ! でもいいの?」

 願ってもない誘いで、天まで登る気分だ。

「全然いいよー。うち大家族だから作り過ぎるんだよね」

「そうなんだ! でも本当にいいの?」

「全然いいよ! 弁当いつも多くて困ってたし食べてくれたらウチとしても嬉しい」

 朗らかな笑顔を向けてくる。見た目がギャルだからといって中身まで疑っちゃいけないな、これから教訓にしなくちゃ。

「ありがとう! えっと名前は…… 」

「影山光だよ! よろしく!」

 影と光…… なんか凄い名前だ。

「私は暁なこ。よろしく。それで、その…… 昼食なんだけど誰か来たりするのかな?」

 遠慮がちに聞く。もし彼女がグループに所属しているのなら、私よりもそっちを優先して欲しい。まだこのクラスのカーストが分かってない以上慎重にならないと。

「ううん、私一人だよ。あ、誰か誘ってると思ってた?ないよ、私は基本的に一人が好きだから」

 あっけらかんと言う光に私は強く惹かれた。私は孤独を怖がっているけど、彼女は孤高なんだ。孤独を愛してる。

「凄いな影山さんは」

「光でいいよ。まだクラスに馴染めてないんでしょ?色々と教えてあげるよ」

「ありがとう。光は優しいんだね」

「ううん、そんなことはないよ。本当の私はね── 」

 チャイムが鳴る。次の授業が始まる。

「ごめん、次の授業が始まるからまた後でね」

「う、うん。また後で」

 一瞬、光の顔に陰りが見えた。光も私と同じように何かを抱えているのかな。

何を言いかけたのか気になるけど、デリケートな問題だから深入りするのはやめよう。

 二、三限終わり、次は待ちに待ったお昼休みだ。

「にしても、すぐにどっか行っちゃうな…… 」

 隣の席の男子。まだ名前も聞いてないのに休み時間になるとすぐどこかに行ってしまう。

さっきの物理の授業で先生に指差されて、答えが分からなくて悩んでいたところを答えを

 ノートに書いて無言で指を差してくれた。昨日あんなこと言ったけど、なんやかんやで優しい子なんだな。お礼を言おうと思って声を掛けようにもすぐに逃げられてしまう。

「なんで逃げるんだろう?」

 光に聞いてみたら何か分かるのかな。腕を組んで唸っていると光に肩を叩かれた。

「なこ、お昼食べよ」

 ピンクのお弁当箱袋を見せてくる。

「うん! 場所はどこにするの?」

「とっておきの場所があるの着いてきて」

 言われた通り光に着いて行く。廊下を出て、階段を登る。三階、四階と上に登っていく。

「どこまで行くの?この上は行き止まりって先生に言われたんだけど」

「うん、鍵が掛かってて屋上には行けない。でも私がいれば」

 光はポケットの中から鍵を取り出して、見せてくる。扉を施錠して屋上に入る。

夏の風が心地いい。私と光はちょうど陰になっている給水タンクの前に座った。

「どこでそんなものを…… ?」

 風でたなびく髪を押さえながら訊ねる。

「先生から貸してもらったの。これで好きな時間屋上に行っていいって。返すのは卒業する時でいいって言ってくれたの」

 一生徒に屋上の鍵を渡すということはそこまで信用されているってことなのだろう。

「なんかいいなぁ…… そういう関係」

「ううん、そんなのじゃないよ。先生は私がここにいられるように居場所を作ってくれただけ」

 物憂げな表情で髪の毛を弄る光。

「居場所…… そんな場所に来て本当に良かったの?」

「普通の人なら、誘わないよ。なこは私と同じで何かを抱えている気がしたから誘ったの。他の人には秘密ね」

 唇に人差し指を当てて笑う。

「光も何か抱えてるんだね」

 私だけじゃない。人は何かを抱えているんだ。

「聞かないの? 何があったのか」

 聞きたい。でもそれは、他人が土足で踏み込んじゃいけない領域だ。

「聞きたいよ。でも、転校して二日の私なんかが聞いてもいいのかなって…… 」

「期間なんて関係ないよ。良かったら聞いて欲しいんだ。私の話」

 光は真剣な表情で見つめてくる。私はゆっくりと頷いた。

「ありがとう。実は髪こんな染めているけど、一年の時は教室の隅にいるような大人しい子だったの。父親から虐待されていて、誰にも助けを叫べなかったの」

 光は制服の裾を肩まで上げて、青痣を見せてきた。生々しい跡で思わず目を背けたくなる。光はそれを触りながら、懐かしそうに語る。

「生きるのが辛くて、この苦しみが永遠だって気がした。本当はそんなことないのにね」

 光は苦笑した。気持ちは凄く共感できた。学生時代はどうしても自分の抱えている問題が世界そのものだと勘違いして、その苦しみが永遠に続くと思ってしまい自殺する学生が近年増えているとニュースで聞いたことがあった。

 私のこの悩みも他者から見れば、ちっぽけなものなのかもしれない。だけど、そう簡単に割り切れない。

「最期にこの学校に迷惑をかけて死んでやるって思った。体育祭の片付けの時だけ一時的に屋上が解放される。紅組と白組の得点を吊るしているボードの片付けをする実行委員の仕事っていうのを予め知っていたから、立候補した。それで、飛び降りて全部終わらせるつもりだった。でも、そこに先生がいた。なんで飛び降りるのとか何も聞かなかった。ただ、夕陽を一緒に見ないかって言われたの」

 一瞬、言葉を詰まらせる光。その目は涙で滲んでいた。

「大丈夫?」

「うん、大丈夫。ごめんね。ちょっと思い出しちゃって…… 続けるね。そこで見た夕陽があまりにも綺麗で涙が零れちゃったの。その姿を見て、先生が屋上の鍵をくれたの。またこれを使って夕陽を見に来てね。卒業までに返してくれればいいからって。私、何も聞かないんですかって聞いたの」

「そうしたらなんて?」

 続きが気になって、話を遮ってしまったことを少し後悔した。光は全然気にしていないみたいだったけど。

「聞いたら話してくれるの?ううん、無理に話さなくてもいいよ。それは君みたいに何かを抱えている子に取っといてあげてって。その言葉に私凄く救われて、それと同時に変わりたいって思ったの」

 それで髪を染めたのか。行動力凄いなぁ。

「なんか凄いね、その先生も光も」

「全然そんなことないよ。変わったのは外見だけで、中身はまだ弱虫だし。でもあの頃と比べて変わったのはもう殴られることはなくなったかな。夢もできたし、これから先の未来が楽しみなんだ!」

 光の目はキラキラしている。未来に希望を持っている人の目だ。

私も前に進みたい。この悩みを打ち明けることができれば、どれだけ楽だろうか。

 だけど、怖い。また否定されたらって考えると、胸が苦しくなる。どうせ裏切られる

なら、ポケットの中に入れて誰にも話さないのが一番なのかもしれない。

「ごめん、光。私も話したい。本当は話したいけど、定されるのが怖い。また失望されるのが怖いの……」

 光の手が優しく肩に触れる。いつの間にか肩が震えていたのに気付く。

「大丈夫、無理に話さなくてもいいよ。なこが話したいと思った時でいい。もし、なこの周りに何かを抱えている子がいたら、その子に話してあげて」

 優しく囁く光。

「ありがとう…… 」

「さ、しんみりモードは終わり。ご飯食べよ!」

 光の話に夢中になっていたら、空腹を忘れていた。

お弁当袋を広げると、二段に別れている重箱が現れた。

「まるで正月だ」

「だよね。食べきれないって言っても、母さん入れてくるんだもん。毎日大変だよ」

 光は嬉しそうに笑う。

「中身、見ていい?」

「うん、いいよ。なこが言った通りほぼ正月だけどね」

 両手で重箱を開ける。アスパラ、魚、蓮根、ものの見事におせち料理だ。

「これを毎日食べてるって凄いね」

「正月でもらった物が大量だったみたいで、一月からずっと捌いているの。さすがに飽きてきたけどね…… 」

 光は肩を竦める。

「それでも食べ続けてるって凄いね」

 私なら三日で飽きちゃう。何事も根気が必要だな。

はあ、とため息を吐くと光に心配された。

「大丈夫?」

「ああ、うん。大丈夫だよ。ちょっと自分の性格に辟易していただけ…… 」

「あまり思い詰めないようにね。それよか、食べて食べて!」

「じゃあ、いただきます!」

 箸を渡される。どれを食べようか迷う。

「この蓮根食べてみて! 美味しいから!」

 蓮根を掴んで口の中に入れる。普通の蓮根と違って、甘さが口内に広がる。

「甘っ!こんなに甘い蓮根は初めて食べたよ!」

「えへへ、なら良かった。美味しい物食べると、幸せになれるから好きなんだよね。ねぇ、気付いてる? なこ今凄く幸せそうな顔してるよ」

「うえぇ!? そんな顔してた!?」

 恥ずかしい…… 両手で顔を隠す。でも、確かに美味しい物を食べると幸せな気分になれる。

こんな気分になれたのは久々な気がする。あの事件があってからあまり笑わなくなった。

 無表情でいれば、誰も私に構わない。そう思っていたけど、感情をこうやって出すのも悪くはないな。

「ほら、顔隠さないで…… って凄い笑顔だね、なこ」

 光に無理矢理、手を引っぺがされる。

「恥ずかしいから言わないでよ…… 」

「あはは、ごめんごめん。さ、食べよ!」

 頬を膨らませながら。食材を選ぶ。

二人で談笑しながら、ご飯を食べていく。ようやく重箱の一箱目が空になり、二箱目に行こうとした時に予鈴のチャイムがなる。

「もうお昼休み終わり?早いなぁ」

 光は重箱を元に戻し、袋に包む。

「残りはどうするの?」

「帰って食べるよ。それか、なこいる?」

「え、いいの?」

 今日来るお手伝いさんが喜びそうだ。

引っ越してきたばかりで食材があまりないから助かる。

「全然いいよ~、ほらもらって!」

「ありがとう!凄く助かるよ!」

 渡された弁当袋を両手で大切に持つ。

「さ、教室戻ろ!授業始まっちゃう」

「うん!」

 光と一緒に教室に戻る。

「次の授業ってなに?」

「えっとね、確か道徳の授業だね。こころのノート持ってる?」

「持ってないけど、隣の席の男子がいつも見せてくれるから」

 あの子の話題にすると、光は苦い顔をする。

「光、あの子について何か知ってるの?」

「詳しいことは分からないけど、あの子と関わった子は不幸になるからクラスの皆、暗黙の了解で関わらないようにしてるの」

「なに、それ…… 」

 絶句した。時代錯誤もいいところだ。クラス全員で無視して、何かが変わる訳ないし、その子と関わって不幸になるなんて、まるで、呪いだ。

 一番ショックなのは、光がそういう同調圧力に屈している子だったことだった。

「光は、光だけは他の人と違うって思っていたのに…… 結局人間皆同じなんだ!」

「ちがっ…… ! 待って! なこ!」

 光の呼び掛けを振り切った。教室は目の前だったけど、その場から走り去る。息を切らしながら走っていると、体育祭の裏側まで来てしまった。

 勝手に期待して、勝手に失望する。馬鹿みたいだな私。

他人は他人のはずなのに、光なら、私のことちゃんと見てくれるかもしれないと、淡い期待をしてしまった。

「光に酷いこと言っちゃったな…… 謝らないと」

 でも、どうやって?築いてきた人間関係が壊れるのは一瞬だ。光も私のことを見捨てるに決まってる。私が光と同じ立場なら、そうしていたかもしれない。だけど、言葉が先に出てしまった。クラス皆で無視している状況が、昔の私と似ていたから。自分を否定されたような気分になり、頭に血が上ってしまった。

「はぁ…… どんな顔して教室戻ればいいんだろ」

 本玲のチャイムが校内に鳴り響く。三角座りをして、ため息を吐く。

後先考えないで、行動する自分が心底嫌になる。

「何もかもどうでもよくなってきちゃったな…… 」

 人は簡単に変われないんだ。また違うところに引っ越したい気分になったけど、費用もかなり掛かるし、せっかくお手伝いさんが来てくれるんだ。その好意を無碍にはできない。

 卒業まで目立たないようにいよう。高望みするのはもうやめた。自己憐憫に浸りながら、うずくまっていると奥の方で声が聞こえた。

 顔を上げて、声のする方向へと近づく。大きな木の下で男子生徒数人が、地面にうつ伏せになっている男子生徒を蹴っている。

「授業始まってるはすなのに、なんで」

 目を凝らして見ると、隣の席の男子だった。

「え、なんで…… 」

 苦しそうにお腹を押さえている。いじめられている。見ていられなかった、気が付けば飛び出していた。

「なに、あんた?」

「これは、やっちゃ駄目なことよ!」

 リーダー格と思われる男子が睨みつけてくる。

「はぁ? なに言ってんの、俺達はコイツと遊んでたんだよ。な?」

 私のことを鼻で笑い、地面にうつ伏せになっている男子に冷たい目で射る。

「…… 」

 口に付いた泥を払い、立ち上がる。

「おい、なんとか言えよ。あのことバラすぞ」

 低いトーンで言うと、私の後ろにいた隣の席の男子は肩を震わせ、怯えている。

「そ、それだけは…… やめて…… 」

 懇願するように土下座をする。

「な、なんで?今いじめられていたんだよ?苦しそうだったのに、なんで?」

「転校性さん、まあいーじゃん、コイツの噂は聞いてんだろ?関わらない方が身のためだぜ」

 リーダー格の男は私の肩にそっと手を置く。

「それよりさ、こっちおいでよ。俺たちと遊ぶ方が楽しいぜ」

 他の男子も私を囲む。一人が這うようにして、太ももを触る。もう一人は制服越しにブラのホックを触る。

「この転校性可愛いな」

「ああ、これでお前も俺たちの仲間だ、退屈しないぜ」

 気持ち悪い、気持ち悪い。逃げようとしたところ、腕を掴まれる。手を後ろに組ませられる。

「おい、逃げんなって」

「いや…… やめて…… 」

 握力が強くて逃げられない。嫌だ、嫌だ、怖い。助けを呼びたくても声が出ない。情けなくて自分が嫌になる。悔しくて涙が溢れる。雫が地面にポツンを落ちる。

 瞑目し、現実から目を背ける。どうせ誰も助けになんてこない。

鈍い音が周囲に響き渡る。後ろで組まされていた手が緩む。

 目を開けると、土下座をしていた隣の席の男子がリーダー格の男を殴っていた。殴られた

 男は木にぶつかって頭を押さえていた。

「早く逃げて!」

「痛ってぇなぁ! おい! お前は俺達の玩具なんだよ! 玩具が主人に逆らうんじゃねぇよ!」

 叫びながら向かってくる。私は足が竦んで前に進めなかった。

周りの男子も呆けていたが、すぐに正気に戻る。

「早く逃げてって!」

「あ、足が…… 」

「もう!」

 隣の席の男子は、私の手を掴んで走る。

「絶対逃がすな…… 教室まで行かれるとヤバイ」

 後ろから追いかけてくる。追い付かれないように必死に走る。

「もう、何なの!アイツら!君も、なんであんな奴らのいうこと聞いてたの!」

「ごめん…… 弱みを握られていて…… どうせ僕の未来は変わらないままだと思ってた。でも、君の泣き顔見たら、何やってるんだろって思ってさ」

「そうだったの…… あ、そのさっきは助けてくれてありがとう。名前は」

「まだ言ってなかったね。僕の名前は朝日渚。よろしくね」

 よろしく、昨日までは拒絶の言葉だったけど今はこれから先の未来を願う言葉を言ってくれたのが凄く嬉しかった。

「とりあえず、教室に行こう。そこまで行けば、奴らは来ないはず」

「その、噂って…… ?」

 階段の踊り場で一度立ち止まり、休憩する。竦んでいた足も回復して何とか走れそう。

「ああ、あの噂ね。あれはあのグループが流した噂だよ。恐らく、僕を玩具にしたいがために流した噂なんだと思うよ」

「じゃあ、なんで関わらない方がいいって言ったの?」

「…… さっきみたいに僕の二の舞になって欲しくなかったからそう言ったんだ。気を悪くしたらごめんね」

「ううん、全然大丈夫。朝日の真意が分かったから大丈夫」

「そっか…… ありがと。じゃあ行こっか教室に」

 朝日は一瞬、物憂げな表情をする。私と同じで、今にも消えてなくなりたいんだ。

なんとかしたい。何ができるか分からないけど、この問題を解決すれば私も前に進めるのかもしれない。

「うん…… あ、でも待ってなんで教室なの?」

「アイツらクラスだと猫被ってるから、教室の中じゃ手を出せないんだ」

 だから、教室外のところで朝日を虐めていたのか。合点がいった。

「そうだったんだ。でも、これでもう虐められないよね!」

「いいや、もっとエスカレートすると思う。明日からは学校来ないと思う」

「そんな…… 」

 これから仲良くなりたいと思っていたのに…… 。

「こんなところにいた!」

 見つかった!? と身構えるが、声の主は光だった。光は階段の手すりにしがみついて、

息を切らしていた。ここまで探してくれたのか。さっきあんなにひどいこと言ったのに。

「光? なんでここに?」

「なこを探してたの。さっきのこと謝りたくて」

「いや、違う。違うよ!あれは私がひどいこと言ったせいで…… 」

「ううん、私の方こそごめんね。でも、これだけは言わせて私は、その子を心配して、呪いなんてないと思っていた。だけど声を掛けることはできなかった…… ごめんね」

 光は朝日に向かって謝る。朝日は目を丸くした後に、飽和した笑顔でありがとうといった。数分、静寂が流れた後光が口を開く。

「じゃあ、教室戻ろっか」

 静かに首肯した。皆、会話をしないまま教室の扉まで進んでいく。

「暁さん、休憩時間。保健室で話そう」

「えっ… ?」

 理由を聞く前に朝日が教室の扉を開けた。

また皆の視線が突き刺さる。でも光と朝日が一緒だったから、苦しくはなかった。


 授業が終わり、休憩時間になる。クラスメートは怪訝な顔で朝日と私を交互に見る。

朝日はそれらを無視して、教室から出て行く。

「え、ちょっ!」

 あれ、一緒に行くんじゃないの? 止める間もなく朝日はスタスタと歩いていく。急いで鞄を背負って追いかける。

教室を出て、階段を降りる。

 ちょうど保健室の扉に手を掛けているところだった。

「ちょっと!なんで先に行くの!」

「ああ、ごめん。つい、いつも癖で一人で行っちゃった」

「まあ、いいけど…… 中に入ろ」

「うん、ありがとう」

 保健室の中に入ると、常駐の先生が爪を磨いていた。

「あら、どしたの貴方達」

 そりゃあ、保健室なんだから先生がいて当たり前なのは知っていたけど、なんて説明しよう。朝日と話をするから使わせてくれって正直に言って使わせてくれるだろうか。

「えっと、その…… ここを使わせてもらってもいいでしょうか?」

「ふーん、何かワケありって感じね。いいわ、次の授業が始まるまで先生は煙草吸ってくるわ」

 先生は胸ポケットから煙草箱とライターを取り出した。

意外とあっさりと上手くいった。

「これは独りごとだけど、保健室の鍵ここに置いておくから、もし誰か出て行くなら鍵を閉めて保健室前のポストに入れておいて欲しいな」

 そのまま保健室から出て行く先生。

「なんか、優しい先生だったね」

「大人になれば、色々分かるんだと思うよ。大人にとっちゃ僕たち子供の抱えているもの

 なんて、ちっぽけなモノなんだろう」

朝日は、目を細めて呟く。その朝日の姿を見て、掛ける言葉が見つからなかった。

「さて、話をしよっか」

「あ、うん。あの時はありがとう。本当に助かった」

「そのくらい全然。むしろ、僕の方が救われたよ」

「朝日の方が?」

「うん、僕の心の方がね」

「お互い救われたんだね。なんかいいね、そういうの」

 そういうと、二人で笑った。

「で、話ってなんなの?」

「そうだったね。さっきも言ったけど、僕はもう学校に来ないからお別れに来たんだ」

 朝日は平然と言い放った、

「そんな…… せっかく仲良くなれたのに…… 」

「ごめんね、最後に君には話しておきたかったんだ。少しの間だったけど君とは通じるものがあると思ったんだ」

 朝日の意志は固い。私がどれだけ言葉を投げても、揺らぐことはないだろう。引き留めることはできないのか…… 拳を握りしめていると、朝日から予想外の言葉が朝日から出る。

「だから、その、一緒に逃げない?」

「えっ?」

「ごめん、戸惑ってるよね。でも、今日は家に帰りたくないし、明日なんか来て欲しくない。行けるところまで逃げたいんだ。暁さんが嫌なら無理強いはしないけど、僕は独りでも行くつもりだよ」

 一瞬、面食らったけど朝日となら逃げてもいいって思えた。私も現実から逃げ続けたい。

お手伝いさんには悪いけど、このモヤモヤを残したまま家に帰る気分にはなれなかった。

「私も付いていきたい。現実なんて忘れて行けるところまで逃げ続けたい」

「ありがとう…… 暁さん」

「なこでいいよ。私も渚って呼ぶから」

「じゃあ、これからよろしく。なこ!」

 二人で照れくさそうに笑っていると、後ろの扉から何かがぶつかる音が聞こえた。

「ちょっと!バレたじゃない!」

「お前が覗き込もうと言ったからだろ!」

 扉の奥でひそひそ声と誰かが話す声が聞こえる。

「だ、誰かいるの?」

 扉に問いかけると、ゆっくりと開く。

見覚えのある顔二人が申し訳なさそうな顔をしていた。確か同じクラスメートの…… 名前何だっけ。

「ごめん、渚。聞くつもりはなかったんだけど、こいつがどうしてもっていうからさ」

 ワックスでがちがちに頭を固めて、目がくりっとしていて端正な顔をしている美青年が渚に謝っている。

 知り合いなんだろうか。隣の女子生徒は金髪で派手な髪形でキラキラのネイルをしていた。

光とは違うタイプのギャルといったタイプだ。キラキラしていてクラスの一軍ってなんだろうな…… 少し苦手なタイプだ。

「黎明くん…… それにまどかまで、どうして」

「君と渚がただならぬ雰囲気で教室に戻ってきたのを見て俺達二人で何かできないかなって宵咲と話して、付いていこうって話になってさ」

「そっか…… ありがとう」

 渚は微笑んだ。

「その、二人は渚の友達なんですか?」

 二人が話し終わるのを待ってから、訊ねた。

「いや、ただのクラスメートだよ黎明直助だ。よろしく!」

 黎明はキザったくいう。これを自然で言っているとだとしたら凄い。

「…… 宵咲まどか、幼馴染」

 意外だった。こんなギャルギャルしている子と、大人しそうな渚が幼馴染なんて。

いや、そうやって見た目で決めるのはやめよう。私の悪い癖だ。

 宵咲さんは、極力渚と顔を合わせないようにしていた。

「久しぶり…… まどか」

「うん、久しぶり。渚」

 宵咲さんは髪の毛先をくるくると回している。二人の間には独特の空気が流れていた。

「ねぇ、さっきの逃げるって話本当なの?」

「うん。止めても無駄だよ。僕は行くって決めたんだ」

「ああ、いや違うんだ。その逆で、俺達も付いていきたいんだ」

 黎明は二人の間に入る。動きがいちいちミュージカルっぽい。

「えっ、それって付いてくるってこと?」

 渚は眉を顰める。

「だから、そうだって言ってるじゃない」

 宵咲さんは俯いたまま制服の裾をギュッと握りしめる。ああ、この子も言葉にするのが苦手な人なんだ。頭の中で言葉を選んでると、継ぎ接ぎになって言いたいことが上手く言えない。テレパシーでもあれば、誤解なく人と分かりあえるのにな。

「でも…… 僕なんかに関わらない方がいいよ」

「そんなことない! これは私達がしたいからするの! 本当は、ずっと渚を── 」

「ストップ、宵咲。それはここで言うべき言葉じゃないよ。その時がくるまでポケットの

 中に入れておくといい」

顔を上げて、渚の方を向き、感情を吐露しようとする宵咲さん。だけど黎明は、宵咲さんの言葉を止める。宵咲さんが付いていきたい理由がなんとなく分かった。この人も私と

 渚と同じように何かを抱えている。

 とても重要な何かを。だとしたら、黎明も何かを秘密を抱えているのかな。じっと見つめていると、黎明と目が合った。

「君は察しがいいね。そう、ここにいる人達は皆何かを抱えている。それは、押し潰されそうになる秘密、苦しくて誰にも言えない秘密がある。大人は、俺達の秘密を知ったら笑うかもしれない。だけど、俺達にはそれが全てなんだ! 世界なんだ! だから誰にも話せない」

 黎明は悲しげに語る。儚く消えそうな表情は、あの時見た渚と同じ表情だった。

「そっか…… ここにいる皆は仲間なんだね。じゃあ、皆で行けるところまで行こうよ!」

 自分と同じ悩みを抱えている仲間がいることで、安心したのか渚の表情は明るくなった。

「でも、行くって行っても財布とか持ってきてないよ」

 黎明と宵咲さんは鞄を背負っているけど、私達は手ぶらで保健室に来てしまった。

「…… 教室に戻ろうか」

 渚は乗り気ではないみたいだけど仕方ないといった風に言う。

「大丈夫、渚の荷物持って来てるよ。ついでに君のも」

 私はついでなのね。黎明は自身の鞄の中から、筆記用具、生徒手帳、財布を渚に渡した。

隣にいた宵咲さんが鞄を開けて、同じように筆記用具、生徒手帳、財布を渡してくれた。

 軽く会釈をして、礼を言った。宵咲さん、この子のことももっと知りたいな。

「ありがとう、黎明くん」

「鞄と、その中に入っている教科書はカモフラージュのために置いてきた。これですぐにはバレないだろう」

 黎明は得意気に話す。

「でもさ、黎明さんと宵咲さんが鞄を持ってきたらカモフラージュの意味ないんじゃないの?」

 黎明はちっちっちと舌を鳴らしながら人差し指を左右に揺らす。無性にイラッとした。

「それは問題ないさ。影山がなんとか口裏合わせてくれる」

「光と知り合いなの?」

 接点がなさそうな二人が知り合いであることに驚いた。

「ああ、古い…… いやただの友達さ」

 一瞬、言葉を詰まらせて、言葉を変えた。反応見るからに何かあったことは間違いないんだろうけど、今はそれを聞くべきでない。

「そうそう、影山から君に伝言を預かってきた。“やるべきことをしたら必ず戻ってきて、私はここで待ってる”とのことだ」

「光…… 」

 嬉しい。光は私を信じて待ってくれている。なら、今は渚たちと共に行くことだけを考えよう。全てが終わったら光といっぱい話をしよう。お泊まり会とかもしてみたいな。

「じゃあ、皆。僕の我儘に付き合ってくれる?」

「ああ、勿論だ」

「…… うん」

「うん! 行けるところまで行こう!」

 どこまで行けるか分からない。だけど、こういう逃避行はワクワクする。大人は前を向いて歩けとかいうけど、ずっと前を向き続けるなんて無理だ。誰だって逃げた経験があるはずだ。

 なのに、前に進みこと自体が美徳になっている風潮が私は嫌いだった。

嫌なら逃げてもいいじゃない、どこまでも。そうやって逃げ場がなくなって、いつかはまた現実と立ち向かわなくちゃいけない。

 けど、今は、今だけは何もかも忘れて逃げたい。

 そういうのが人間には必要なんだ、きっと。


 “Interlude ”


 私は、ずっと後悔してた。独りになってしまった彼のことを助けられなかった。

彼の秘密も知っていて、手を差し伸べられることもできたのに、皆の望む「私」を演じて助けられなかった。それをずっと後悔してた。

 知っていて、何も行動しなかった。それが私の罪。

でも、今回こそ救えるかもしれない。いや、必ず救ってみせる。

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