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アストロ・レールウェイ ―火星姉バカ放漫軌道―  作者: 井二かける
第二章 波乱の火星編 セクション5: レジスタンス
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エレノアの過去(2)


 火星には義務教育がある。八歳で入学する、約六年制のプライマリー・スクールである。(いずれも地球換算)


 専門市民と一般市民は同じ学校で学ぶが、クラスは分かれている。一般市民はプライマリー・スクールを卒業後すぐにOJTでの職業訓練を受ける前提のカリキュラムである。その一方で、専門市民は並行して家庭教育で高度な専門教育を受ける前提のカリキュラムである。当然それは授業のコマ数にも影響し、専門市民は一般市民より早い時間に下校するのである。そのため、一般市民と専門市民が顔を合わせるのは、朝の登校時間だけであった。


 それでも、エレノアにとってはブライトン公爵家の使用人を除けば、初めて一般市民と顔を合わせる貴重な機会であった。


「あら、ごきげんよう」

「……?」

「ごきげんよう、今日は暖かな日射しですわね」

「……っす」


 エレノアは廊下で出会った一般市民に挨拶をするが、一般市民は戸惑った表情を見せるだけであった。まともな返事を返す者は誰一人としていない。


 そうしているうちに、エレノアはキアラを見掛け、駆け寄った。


 キアラの襟にはカンティド伯爵家の紋章が輝いている。それは彼女が医務卿であるカンティド伯爵の令嬢であることを示している。エレノアは公爵家、キアラは伯爵家のため、親同士は決して仲良いとはいえないが、幼なじみの二人は親友だった。


「キアラ様、ごきげんよう」

「エレノア様、ごきげんよう。今日は温かいねぇ」


 と、キアラはおっとりとした口調で応じた。


 このように和やかに挨拶を交わすのが普通なのに、一般市民の皆様には返事という習慣がないのだろうかと、エレノアは思った。


 けれども、遠目に観察する限り、一般市民同士は挨拶を交わしている。


「おはよー!」

「おはよう。今日は実技の授業、一緒だね」


 ……という風に。


 言葉遣いが違うのだろうか。


「おはよう」


 と、声を掛けてみる。


「おは……? ……っす」


 襟元に付けた家紋のピンバッジを見て、私が専門市民だと気づいた瞬間、嫌悪感を露わにし、視線を逸らすように、足早に去って行ってしまった。


 何が違うというのだろうか。身分が異なるとはいえ、同じ人間である。法律上も一般市民と専門市民は平等である。ただ、社会における役割が異なる故に資源割当量が異なる《《だけ》》なのだ。


「エレノア様~、どうして一般市民に挨拶するの~?」


 キアラは首を傾げてそう尋ねた。


「身分が異なっていても礼節を尽くすべきなのですわ」

「そうなのかなぁ~。少なくとも、相手にはそう思われていないみたいだよ~?」


 彼女は医務卿の娘だから、医師としての将来が約束されている。医師は身分に拘わらず平等に医療を提供しなければならない。故に医師は火星で最も一般市民と関わる専門市民であるといっても過言ではない。そのキアラをもってしても、そんな調子なのである。


「キアラ様は将来の医師として、もっと分け隔てなく接するべきなのですわ」

「そうだねぇ~。でも、仲良くしたいと思っていない人と仲良くできるかなぁ。そんなことより、エレノア様? 早く教室に行こ~」


 この時エレノアは、専門市民と一般市民の間に横たわる深い溝を初めて知った。


 王立中央図書館で火星社会の成り立ちを調べたエレノアは、衝撃を受けた。火星の社会制度は、地球の民主主義的な社会制度から幾分か退化していること、それは入植当初の厳しい環境ではやむを得なかったこと。けれども、世代を重ねるごとに、それが固定化してしまったこと。資源割当量の不平等に今となっては合理性がおそらくないこと。それが、想像以上の不満につながっているであろうこと。


「……そんなはずはありませんわ」


 確かに火星社会に違和感はある。けれども、そこまで変だとはエレノア自身も思っていなかった。疑念を否定しようと、様々な統計データを検証してみるが、むしろかえって疑念を肯定する結果となるばかりであった。


 資料を読みあさるエレノアの元へ、何者かがやってきた。


「キミはまだ小さいのに、そんな難しい本を読んでるんだね~」


 エレノアに声を掛けたのは、男とも女ともつかない人物。少なくとも地球換算で二十代以上。そして、襟には紋章がない。


「あなたは一般市民ですの?」

「その区別に意味があるかな?」

「……そうですわね」


 エレノアがそう答えた瞬間、その人物の目つきが変わった。目を細めてこう言う。


「へぇ、キミもそう思うんだ」

「あなたのお名前を伺ってもよろしくて?」

「少し事情があってね。教えてあげられないんだよ。けど、キミが大人になったとき、また声を掛けるよ。我々は『蒼き夕空』だ」


 その日から、エレノアは襟の紋章を度々外すようになった。少なくとも火星の現状に疑問を抱くのは彼女だけではない。あの謎の人物――恐らく一般市民だろう――もその一人なのだ。紋章を外すのは、彼女にとって、せめてもの抵抗(レジスタンス)だった。


 ただし、彼女の立ち振る舞いを見れば専門市民であることは明らかなので、一般市民との付き合いが改善することはなかったのだが。


 年月が過ぎ、再び謎の人物から接触があったのは、エレノアが成人し、火星アストロ・レールウェイ公団に入職してからのことであった。


「やあ、また会ったね。蒼き夕空だよ」

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