6月15日
こんな昼間(2時前)から書くのは初めてではないだろうか。今日はすこぶる調子が良い。ほんの少し成長したというか、凝り固まったもの、考えが柔らかくなったと感じる。
今日は8時40分に起き、人生のメリーゴーランドをかける。カーテンを開く。口をゆすぎ顔を洗い、お湯を沸かす。窓を開けたら、湯が沸くのを待ちながら歯を磨き、フローリングを掃除。洗濯機を回し、湯が沸くので湯を飲みながら朝ごはんを作る。朝ご飯は毎日決まったもの。10分で作れる。
ご飯を食べながらYoutubeの動画を見る。食べ終わったらそのまま洗い物。サプリを飲んでぼさぼさの髪を直すためにシャワーを浴びる。髪を乾かし日焼け止めを塗る。時間が余ったので、できていなかった掃除や洗濯ものを干したり。ひと段落したので瞑想。香水を一振りし家を出る。
これが僕の理想のモーニングルーティーン。今日は完璧に達成できた。おかげですこぶる調子がいい気がする。そして何より驚いたのは瞑想中のことだ。本来呼吸に集中するものだが、僕は毎回考え事をしてしまう。今日は父の日が近いというのもあり、手紙でも書こうかと思っていた。(やはり物質で言葉にして送ることがいいと思うからだ)
しかし前に書いた通り私はあまり父が得意ではない。むしろ今は越えなければならない壁な気がするのだ。夏目漱石「こころ」の父親殺しの様な儀式が必要だとすら感じてしまう。(本当に殺すわけではないからね)
僕は手紙にどう書くべきかを考えた。やはり最初は感謝だろうと思った。
- 今まで金銭的な苦労をさせずにここまで育ててくれてありがたい。一家を支えたあなたには一生の恩を感じている。-
と。しかしそれの次には彼を超えるための儀式が続く。
- これから書くことがいいか悪いかはわかりません。ただ私が一歩進むために必要だと感じているのです。勘当されるかもしれませんが、どうかまだまだ子供な息子のわがままくらいに聞いてください。
私はあなたのことが嫌いでした。今や仲は悪くないと思っています。しかし小さいときに私はものすごく狭さを感じていました。もしかするとそもそも主体性のない子供で生まれてきたのかもしれません。しかし、私はその狭さがゆえに自分の意思を介在させる余地がなかったとも感じているのです、、、-
などと考えてしまった。短い瞑想の間に。すると不思議なことに涙が出てきた。なぜこのタイミングで、と疑問に思ったが、ほんの少し心のしがらみがほどけた気がした。その涙は悲しみでも、悔しさでもなく、ほんの少し温かみのあるものだった気がしたからだ。
フロイトのトラウマ理論に近いのか?僕はそこについての書籍を読んでいないからわからないけど、僕を僕たらしめていたものの一つが取れた気がした。これがいいか悪いかは分からない。嘘、いいと思う。でも、それを見て見ぬふりをして仮面をつけてきた「私」がいなくなるから、しばらくは今までより評価の低い、本当の「私」が実寸大で現れてしまう。幼稚で、心も狭ければ自分勝手な私が。これを見て離れて行く友人もいるのだろう。それを悲しく思いながらも、僕は「私」を成長させる必要があると思うから、すこしずつ進んでいければと思う。
こんなことを書きながら明日にはものすごく憂鬱な日記を書いているかもしれない。でも、それでも僕は好きな自分でいられるように、根元から変わる必要がある。
もしも今自分の内側に目を向け悩んでいる人がいたら、「一緒に頑張ろう!未来は明るいか知らんがな!がはははは」と大声で言ってやりたい気分だ。