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週1習作

夏の風

作者: 美よ十

 アスファルトの路面はぎらぎらと照り返し、おまけに靴の裏越しでも分かるほど熱を持っている。この坂はかなり急なので、ミサキは額に汗を浮かべながら自転車を押しているのだった。

 坂をずっと上っていくと、あるところでアスファルトが途切れ、ふっと呼吸が楽になる。ここから先は、それまでの住宅地から切り分けたかのような薄暗い森だ。厳密にいうとただの森ではなく公園で、ここから先は綺麗に均された遊歩道が蛇行しながら続いている。ミサキは、自転車を日陰になっている遊歩道の脇に停め、森の裂け目のような道を進んでいった。

 舗装された道路の上とは比較にならないが、遊歩道も肌にまとわりつく湿気がうっとうしい。それに、セミの鳴き声が四方八方からめちゃくちゃに響いて、自分の頭まで揺さぶられているかのようだ。ミサキはショルダーバッグから飲みかけのペットボトルを取り出したが、つい三十分前に自販機で買ったばかりなのに、すっかりぬるくなっていた。事務的に水を喉へ流し込み、また頂上へと歩を進める。


 なぜ、ミサキがこのような苦しい目に遭っているのかを説明するには、一週間前にバスケットボールの大会があったことから始めなければならない。

 県大会の第二回戦で、ミサキたち三年生の引退が決まった。その日のうちはミサキも悔しいやら寂しいやらで、同級生や後輩と一緒にわんわん泣くなどしていたのだが、翌朝ふと、ベッドから起き上がれない自分に気づいた。

 もともと中学に入ったとき、友人がやるからという理由で始めた部活だったし、朝練のために早起きするのは恨めしかったし、学校に隕石が降って部活がなくならないかと思ったこともあった。それでも、ここ二年と数か月のミサキの存在理由は、大部分がバスケットボールに依存していた。勝つのは楽しいが、それだけではない。ボールが手を打つ感覚、シューズが床をキュッと鳴らして握る感覚が好きだった。何よりも、めまぐるしく動き回る四人のチームメイトを、全身の神経を使って追いかけることがたまらなく愉快だった。自分という存在がコート全体に拡張していくようで、ミサキはチームメイトを通してある種の全能感すら感じていた。

 それがぷっつりと糸を切るようになくなってしまった。

 心に穴があいたような、とは時々聞く言い回しだが、ミサキはなんだか手足を失ったような感じがしていた。ボールを介して繋がっていた仲間と切り離されては、何ができるとも思えなかった。結局ミサキはこの一週間、これということもせずにただ時間を食いつぶしていたのだ。

 部活を引退したら頑張るから、の一点張りで勉強をさぼってきたものだから、母親などはだんだんイライラしてきて、今朝とうとう、さっさと気合を入れなおせと叱られた。神社に行って、神様にこれから受験まで毎日勉強頑張りますと誓ってこい、と家を放り出されたのである。

 この町にはあまり大きな神社はない。祠やお稲荷さんはいくつかあるが、初詣に行けるようなお社は、今ミサキが向かっている、丘の頂上付近にあるものだけだ。なんでも他の神さまと一緒に天神さまがまつられていて、勉学にもご利益があるらしい。

 ふっと視界が開ける。森の中ほどにあるここは、いわゆる公園といった風情で、平らな砂地が楕円形に広がっており、小さな花壇やベンチ、古びたパンダとゾウの遊具が設置してある。さすがの猛暑で、人は全くいない。

 公園の右手の方に目を向けると、細い石階段がさらに木々の中へと伸びているのが分かる。石段の入り口には、ところどころ塗りの剥げた鳥居が立って、強い日の光を浴びていた。ミサキは公園のヘリの方を回り込んで、背中を太陽にじりじり焼かれながら、鳥居をくぐった。

 しばらく階段を進むともう一つ、今度はもっと大きな鳥居があって、その先がお社だった。広い石畳の道は影になるような場所がなく、右手にある――おそらくはクーラーの効いた――社務所の中から、作務衣の老人がミサキを気の毒そうな目で見ていた。

 ミサキは母親にもらった五円玉を賽銭箱に放り込んで、鈴をできるだけ大きな音で鳴らし、両手を二度打って祈った。お願いします、どうか勉強ができるようにしてください。成績が上がったら、強いバスケ部がある高校に行ける。こう、ぐんぐんっと急上昇する感じで、よろしくお願いします。

 ミサキは最後にもう一度、念を送るようにぎゅっと両手を合わせたまま頭を下げた。顔を上げると、建物の奥の方に掲げられている丸い鏡が輝いていた。ミサキは一瞬びっくりしたが、振り向いて、太陽が鳥居の真上にあり、本殿に正面から光を投げかけていることに気づいた。正午になったのだ。

 ミサキは目をほとんど閉じるほどまで細めて、それでもまぶたが真っ赤になって眩しい中、何とか石の階段を公園まで下りた。そこから遊歩道を降りていく間は、太陽が右手にあって、その日差しを木々が遮ってくれるので、ずっと楽だった。ミサキはようやく自転車を停めたところまでたどり着き、むしろ熱を持ちつつあるペットボトルの水を飲みほして、さっさと帰ろうと自転車にまたがった。

 坂の上からは、この町が海を抱き込むように広がっている様子が一望できる。遠方の海は足元のアスファルトと同様、太陽の光をうるさく反射していた。入道雲ですら、白が目に痛い。

 ミサキは地面を蹴って、息が詰まるほど熱気を持った坂を下り始めた。全身に受けるのは涼風、というわけにはいかないが、それでも汗ばんだTシャツは軽やかにはためき、気分がよかった。自転車の速度が上がるにつれて風は全身を包み込み、足元からも吹き上げてくる。ミサキにはだんだん、自分が道路の上を滑っているかのように思えてきた。

 ふと視線を落とした瞬間、あっ、とミサキは気づいた。

 自転車のタイヤと道路の接地面から伸びるはずの影が、わずかにずれている。この自転車が空中に浮いているのだ、と理解できたのは、しばらくしてからだった。

 タイヤを軽快に空回りさせながら、自転車はまだ加速し続ける。ミサキは頭では、これはちょっとおかしいんじゃないか、自転車を止めるべきだと思ったが、どうにもブレーキをかける気になれない。宙に浮かんだまま坂を滑り落ちていくのを、なんて楽しいんだろうと思ってしまったのだ。

 風はミサキに味方していた。もはや過酷な直射日光は敵ではなかった。不思議と坂には人も車もなく、まるでミサキのための滑走路のようにすこんと抜けていた。

 ミサキはたまらなくなってペダルをこぎ始めた。自転車は宙に浮いているのに、こぐにつれてぐんぐん速くなる。胸の高鳴りが脳天まで突き抜けるようで、叫びたいほどだった。このままどこまでいけるだろうか。海までも下れるだろうか。いや――。

 ミサキの乗った自転車は、速くなると同時、少しずつ道路を離れ始めた。

 もっとこぐんだ! ミサキは衝動のままにペダルを回し続けた。地面すれすれを進んでいた自転車は、今や並ぶ家々の屋根の高さほどまで上昇していた。足の下を空気が通り抜けていく感覚は新鮮だ。風は限りなく強く感じられるのに、ミサキの体を正面から打つことはない。むしろ力強い風が体をさらなる高みへ押し上げてくれるかのようだった。

 とうとうミサキを乗せた自転車は、電信柱のてっぺんを見下ろし、しかもさらに高みまで昇り続けていた。全身が心地よく乾き、何もかもが軽やかだった。つい先ほどまでミサキを左右から挟み込んでいた家たちは、そのうち指先でつまめるほど小さくなった。眼下に広がる町すらも、今ならひょいと抱え込んでしまえそうだ。

 そこまで考えて、ミサキは自分がすでに町を抱えているような気がしてきた。

 人々が空と呼ぶ高度にあって、ミサキの肌は周囲に溶け出していくようだった。こんなに遠くに見えるのに、町の人々の暮らしがいちどきに把握できた。あちらでは物干し竿にかかった布団のシーツが揺れ、そちらではすだれの奥に吊るされた風鈴が、セミの鳴き声に重なるように鳴っていた。この前一緒に引退した元チームメイトの一人が、たった今コンビニでアイスを買って出てきたのも分かった。この猛暑の夏休みにあって、トラックはあちこちを走っていたし、長袖長ズボンの作業員が三人、灰色のシートに包まれた建物の陰で昼食をとっていた。

 ミサキはこの町の空すべてに自分の神経が通うのを感じた。自分の中で雲は気ままに動き、自分の下で人々が暮らし、そして自分の上から投げかけられる日光は、自分を通り抜けて町へと降りそそいでいるのだった。

 やがて、ミサキは自分の肌だけでなく、自分の意識すらも空に溶け込んでいくのを感じた。


 はっと目を開けたとき、ミサキは砂浜にひっくり返っていた。潮騒が行ったり来たりしている。太陽が真っ白に輝き、目を刺してくる。

 遅れて全身に砂の熱さが感じられ、ミサキは慌てて立ち上がった。

 辺りを見回すと、見慣れた町の海岸だ。波打ち際では小さい子どものいる家族や、高校生だか大学生だかに見える集団が遊んでいた。ここは砂浜も隅の方で、もっと広いところにはいくつかテントがあった。

 探してみると、少し離れたところにミサキの自転車も倒れていた。まるでつい先ほどまで走っていたのが投げ出されたかのように、後輪がからからと回っている。ミサキは足元の悪い砂浜で、何とかかんとか自転車を起こした。

 ろくに進まない自転車を引きずるように砂浜を進む。先ほど見えたテントは、個人用のものもあったが大きいものは屋台だった。焼きとうもろこし屋の隣にぬっと突っ立っている時計を見てみると、正午を三十分ほど回ったところだった。

 ミサキはしばらく小首をかしげていた。が、はっと思い出して、また自転車を押して町の方へと戻り始めた。あまり遅くなると昼食抜きになりかねない。

 家へと戻りながら、先ほどの体験に関してミサキはこう結論付けた。

 急上昇。幸先は良いに違いない。

お題:ローファンタジー×爽快



毎週日曜日に習作を投稿していく予定です。

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