9.王子とセシリアちゃん
昨夜の康太はなんだかいつもと違う雰囲気だったのは気のせい……?
なんか今まで気にもしていなかった一つ一つの仕草や言葉が妙に心を擽って思い返す度に変にドキドキしてしまう。
「川嶋! 聞いてるのか!」
体育教師の平松に怒鳴られ我に帰る。
「す、すみません」
(うぅぅ……なんでこんな思いまでしてテストやんなきゃいけないのよ……)
遡れば夏休みの登校日に受けなきゃ行けなかった水泳のテスト。
当然の如く仮病を使って欠席したのは言うまでもない。
「泳げなかろうがなんだろうが、休んだ奴は進級できないかんな!」
暴君か……?
平松の絶対王政にはもう本当に嫌気が差す。
そもそもうちの学校が室内プールを設けるほど水泳に入れ込んでいるなんてことは全く知らずに受験した。
言わなくても分かるかもしれないが、私は全くの金槌だ。
そりゃそうでしょ?
小学校高学年の頃からずーっとプールの授業は見学してたし、本当に進級とかに関わる位のことがない限り参加を拒否し続けてきたんだから。
(でも今日はさすがに逃れられないか……)
急に平松に呼び出され、プールに集合した明らかに水泳が大嫌いな顔ぶれの生徒たちは、項垂れながらプールサイドで体育座りをさせられていた。
「マジで嫌じゃない? しかも男子と一緒なんて地獄だよ」
隣に座っている面識のないぽっちゃり女子に話しかける。
「ホントだよね。もうこの体型見られるのだけは勘弁」
「分かるよ〜。なんでスクール水着じゃなきゃいけないんだろうね。もっとカバーできる水着を着ていいとか、配慮ってもんが欲しいよ、全く!」
「それな〜!!」
「コラ!! そこ喋んな! ブツクサ言ってないで準備運動始めろ!」
「はーい」
渋々重い腰を上げて立ち上がった時だった。
「すみません、遅れました!」
「おう、東海林! 生徒会の用事はもういいのか?」
「はい、会長が先に上がっていいって」
『そうかそうか』と満面の笑みを浮かべる平松。
「………?! お、王子?!」
「王子? 一年の東海林君のこと?」
一緒に愚痴ってた女の子が驚いた顔で私を見た。
だって……あの印刷室にいた男の子だったんだもん!
「東海林君、なんでここに居るんだろー。登校日、テストに参加できなかったのかなぁ? はぁ、私もう逃げ出したいよ……」
そう言ってダンゴムシになった身体は更に縮こまる。
「一年?! 落ち着いてるなぁ……」
私も隣で負けないくらいに縮こまった。
するとビーチサンダルをキュッキュッと言わせながら王子が近づいてきた。
「……セシリアちゃん?」
「……へっ?」
顔を上げると嬉しそうな王子の顔!
「やっぱりセシリアちゃんだ!! また会えて嬉しいよ」
並びのいい白い歯をキラリとさせながら爽やかに笑う。
「なに? 東海林くんと知り合いなの?」
「いや、知り合いっていうか……、たまたま居合わせたっていうか……」
「すご〜い! だって彼2年とか3年とか関係なく超人気ものだよー?」
大興奮だがダンゴムシのポーズは崩す事はない。
王子がじっとこちらを見ている。
(勘弁してほいしなぁ……)
その視線に居た堪れなくなり声をかけた。
「どうしたの? 登校日のテスト休んだの?」
「あぁ、たまたま家の用事で参加できなくてさ」
そりゃそうだよね。
ここにいる泳げない生徒たちとはオーラが違うもの。
「次! 川嶋!」
「ひぃ! はい……」
王子の前で立ち上がりたくないよぅ……
「ほらシャンとせいっ!」
平松の怒鳴り声に煽られて思わず背筋を伸ばす。
誰がなにをいうわけでもないが、……ツライ。
恐る恐るプールに入って蹴伸びをしたものの……
「ぷふぁっ!! し、死んじゃう!」
5メートルで立ち上がる。
「死ぬわけないだろ、そんなんで! 来年はもうちょっと泳ぎの勉強せい!」
平松が厳しい顔で手に持っていた成績表に評価を記入している。
私にとって水泳の成績なんてどうだっていいんだよ……
『はぁ……』深いため息をついてタオルを手に取った。
すると後ろから女の子たちの歓声がキンと耳を刺す。
私はタオルに守られながら何事かと様子を見に立ち上がった。
『王子……?!』
穏やかな雰囲気は何処へやら……
風を切る様にクロールで高速に水面を泳いでいく姿が見える。
(やっぱ、ああいう人は何やっても様になるな……)
王子が50メートル泳ぎ切ったのを見届けて私はプールを後にするところだった。
「ちょっと待って、セシリアちゃん!」
はぁはぁと上がった息と共に私の肩を濡れた手がグッと掴んだ。
「王子……?」
「王子って」
はははと恥ずかしそうに笑ってる。
「あ、ごめん、勝手にあだ名つけてたのがつい口に出ちゃって」
「いいよ、セシリアちゃんがいいなら王子で」
「セシリアちゃんってのも大概だよ?」
「ごめん僕の中でも君はセシリアだったから」
はいはい、死んだ猫ちゃんね。
「いいよ、私もそれで。セシリアちゃんで」
「ありがとう。また今度、ゆっくり話そうよ」
「ふふ、機会があったらね」
私は王子の放つ眩しすぎて目を伏せる。
社交辞令もたまにはいいかも、そんな事を思って彼と握手した。