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教育部の風景

 暖かい日差しが窓から新卒教育部室の部屋一杯に差し込んでいた。

 そんなのどかとも、平和ともいえる陽気の中、新卒教育部総督大佐――カズセイは今まさに、デスクの上の戦場ともいえる荒れ果てた風景に辟易しているのだった。

 新卒の試験が完了したことにより、カズセイの書類仕事は莫大なまでに増えた。王命であるから仕方がないことではある。

 ――試験の結果に見合った配属先。

 それは結局、全ての兵を平等に、かつ公平に分ける最高の手段ともいえた。能力主義。身分や財力に捕らわれない、最たるものの一つ。

 ただしそのおかげで人務部やここ教育部は右へ左へてんてこまいの大騒ぎなのであった。

 カズセイも、その副官も昨日からずっと眠っていない。

「あー副官、起きているか?」

 書類の山から顔をのぞかせ、向こうのデスクで働いているであろう副官に声をかける。

「はい、なんとか……」

 眠そうなむにゃむにゃとした声がかろうじて聞き取れた。アルトソプラノの心地よい声。

「副官、コーヒーを入れてくれんか? 眠くてたまらん」

「んー、名前で呼んでくれなきゃ嫌ですよ」

 拗ねたように声のトーンが高くなった。甘えたときも同じような声を出すな、とカズセイは思う。

「カレナ」

 たしなめるような抑えた調子で名前を呼ぶ。

「頼むよ」

「はい、分かりました」

 嬉しそうに答えて、カレナは部屋をあとにした。


 副官はいうなれば秘書だ。それは女子禁制の最たるものの象徴である軍部での、女が入れる数少ない抜け道なのである。

 高級の役職についている者から副官は申請できる。人選は本人の意思でもできる。

 少尉だったカレナをカズセイは迷わず選択した。

 理由は簡単。マザーブレインの解析によると、書類仕事が得意であることと根性があるということが出ていたからである。

 能力主義。

 カズセイもまた王とは同じ方向の考えを持っていた、ということになる。


 ただし結局は男と女の関係になってしまった。

 自分でもどうしてこうなってしまったのかは分からない。自分の単純な頭が原因なのかとも思う。ただどうして彼女がそれを受け入れてくれたかどうかが疑問につきないところだった。

 今のところ、自分は彼女に慕われているのだ。

 外面でもそう通している。アプローチは実のところカズセイから始めたのだが。まさか相手にされるとは思わなかった。

 そのスキンシップの仕方はまさに、エロ上司が可愛い部下に絡むような、セクハラチックなものだったからだ。

 上司と部下という関係をカズセイは厭うタイプだった。少しでもその関係を円滑にしたくて、むしろパワハラに近い行動をとってしまうというあべこべのことをしてしまうのもざらではなかった。

 それは演じた自分であって、本質はちょっと気さくなだけの真面目で堅実で勤勉な人間であると、本人は思っている。

 そしてそれは深く付き合った人間しか知る由もない本当の自分だった。

 初対面の人間はたぶん、軟派でしょうもない、くだらない人間だと思っていたのではないだろうか。

 カレナと勤務し始めたときもそんな自分を演出していた。

 無駄なボディタッチや言葉によるセクハラ。気分とはうらはらなこともしょっちゅうではあったが、これが部下との信頼関係を高める上で必要なことだと信じていたのだった。

 そういう「頑固さ」が彼の真相なのであった。


 ただしその均衡は簡単に、至極簡単に破られることになる。

 簡潔に言うと、見破られたのであった。カレナに。

 ――勤務中である。事務仕事のさなかにカズセイが用を足しに行ったときだった。

 部屋に帰ってこようとして、ドアの前で立ち止まる。

 どうやら客が来ているらしかった。挨拶をせねばならない。表情に笑顔を浮かべて取っ手に手をかけたときだった。

 中からの声がドアノブをまわすことをためらわせた。

「カレナはさあ――」

 カレナのことを呼び捨てで呼ぶ声。どうやら彼女の友人かそれに近しい存在であるようだった。カレナよりちょっと低めの、しかし女性の声ではあるが、若者特有の言葉遣いから、年も近いであろう人物なのだということが分かる。

 カズセイは声を潜めた。――潜めてしまった。

「あんな人の下で働くの嫌じゃないの?」

 あんな人、とは自分以外いない。話題の中心はどうやら自分らしかった。

「どういうこと?」

 カレナがきょとんとしたように聞き返している。

「だからあのセクハラ野郎。エリートで若くして重大な役職についたからって、職権乱用しすぎ」

 友人は憤慨しているようだった。カズセイは一瞬にして目が覚めた。恨まれる可能性を初めてこのとき自覚した。

 耳を澄ます。

「大体、あの男。パワハラもたいがいにしろってのよ――」

 友人はなおもカズセイの至らないところをたたみかけるように言おうとしていた。しかしカレナがそれを止めた。

 彼女はかばうように、ごくごく真面目な声で、友人にこう言ったのだ。

「大佐は真面目な人だよ」

 自分を演じるのが馬鹿らしくなった。

 しかも演じ方を間違えたのだと、気付いたのだった。

 つまらない人間であることが、彼女の友人の評価から分かったし、彼女自身はカズセイの奥底を知っていた。

 カズセイは部屋の前から立ち去り、喫煙ルームで煙草を吸いながらじっと考えていた。

 自分はまだ若い。確かにエリートコースを歩んできた。

 だからこそ堅い印象で見られたくなかったのだ。でも生来の頑固さは身体から抜け落ちないらしかった。失敗していたのだと、認めざるをえない。

 だからそれからは本当の自分にいることにした。それが彼女への恩返しであるように思えたのだった。

 態度を変えたカズセイに戸惑った様子はあった。しかし順応は早かった。

 それからの二人の接近はもっと早かった。

 カレナは頼りがいの出てきたカズセイに甘えるようになってきたし、カズセイはそんなカレナに好意を抱かないはずがなかった。

 そして今のような関係を築き上げたのである。

 軍の中で恋愛は当然禁止されているから、二人きりのときだけああいうふうに甘えを見せることができる。

 幸福まっただなかというわけである。

 ただ二人きりの時間を作るために事務仕事をほとんど二人でこなしているので、その忙しさは言語に絶するほどだった。


 カズセイはのびをして、すこしペンを置いた。

 目がしばしばと痛み、肩が凝りに凝っていた。

 ふうと息をつくと、コンコンとドアがノックされる。カレナが帰ってきたのだと思って「入れ」と声をかけた。

 しかし入ってきた人物を見て、一気に血の気が引く。

 飛び上がるように起立して敬礼を送った。

「ゴンヴェリン殿」

「これはどうも」

 そういって、相手は返礼をした。

 敵国の出自にもかかわらず、誰にでも気さくであることが知られている。

 ――ゴンヴェリン。グラオスの紹介者。闇の商人。国売り。

 いろいろなことを言われてはいるが、人間自体はあけすけで腹に一物含んでいるとは信じられないところがある。

 この国では客としてもてなす立場にはあるが、類稀なるグラオス乗りでもあることから、グラオス監督官として軍に籍がある。

「先ほどは失礼いたしました」

「いやいや、気にしないで下さい」

 気さくに笑って、ゴンヴェリンはカズセイに歩み寄った。

「一体こんなところまで、いかがなされましたか?」

「いやちょっと、試験で新卒の行き先を決めていると、王から聞いたものだから」

 興味津々とばかりにゴンヴェリンはデスクを覗き込む。

「どうです、イキのいいやつはいますかね」

 ゴンヴェリンは訓練生を担当しているから、どんな人間が配属されるのか気になるのだろう。

 カズセイはデスクの上から一枚書類を抜き出した。

「一人、目をみはるやつがいます」

 書類をゴンヴェリンに手渡しながら、カズセイは説明を始める。

「こいつは指揮系統で絶大なる力を発揮すると思われます。マザーブレイン――機械解析もそう出ておりますし、私の目から見てもまず間違いありません」

「期待できますか?」

「ええ。試験では今までにない大功績を上げております。ただし、こやつは職業軍人であるためか、このままでは曹長止まりですな……」

 ゴンヴェリンは書類をじっと眺めていた。ふとつぶやく。

「軍隊を任せることができない……と」

「はい」

「その新卒を少尉候補生として将官学校に通わせてやったらどうです。三ヶ月あれば、会戦には間に合うでしょう」

「……! しかし……」

「お金のことですか? 心配はいりませんよ。この男ならば奨学金制度に足る実力を備えているでしょうから」

 書類をカズセイに返しながら。

「王には話しておきましょう。それにもしもお金が足りなくなったとしたら、私にご連絡を」

 用は済んだとばかりに、ゴンヴェリンはカズセイに背を向ける。数歩歩いて、何か思い出したように振りかえる。

「ああ、その男――レクノ、でしたか」

「ええ」

「もしも無事、将官学校から卒業することができたとしたら、ぜひ新型兵器実践部――第301大隊に入れて下さい」


 問題は山積みだ。

 ゴンヴェリンが立ち去ってから、カズセイは頭を抱える思いだった。

 レクノ二等兵を将官学校に編成しなおすのは大変なことではあった。すでに配属先は決まっていたからだ。

(仕事を増やされたな)

 途方にくれる思いで天井を仰いだ。

 するとコンコンとドアを叩く音が聞こえる。

 ようやく自分の片腕が帰ってきたなと確信して「入れ」と声をかけた。

 ドアが開くとともに濃いコーヒーの香りが鼻をくすぐった。

「あー、すまんが副官」

「名前で呼んでくれないと、コーヒーあげませんよ」

 拗ねたような甘えたような、そんな声が耳朶をかすめた。

 やはりそれは心地の良いアルトソプラノで、そうねだられると叶えないわけにはいかなかった。

 仕事が増えた旨を伝えたら怒るだろうか。

 いや、むしろ喜ぶかもしれない。

 そうしてカズセイは期待や不安を抱きながら、その名を口にのせた――

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