寮での一コマ
軍の訓練は、入軍演説のいい加減さとは異なり、異様なほどに厳しいものだった。
内容自体も、寒暖差や条件が厳しい地域での戦闘を想定されているので、体力の面でも死にそうになる。
それ以上に、精神面での磨耗が大きすぎた。
不条理で命令を押し通す教官が多すぎる。
初めレクノは、それは教官らの質の悪さにあると考えていた。
しかしそうではないことを、日が経つたびに薄々気付き始めた。
戦争とは不条理なものだ。敵を撃破し領地を拡大したり、賠償金を請求したりすることで潤うのは、実は国民ではなく王族や政治家や軍人ぐらいなものだ。
国民はうまくその大事な部分をはぐらかされて、扇動されている。
まさに不条理のかたまりだ。
とりあえず、その不条理を自覚して動けば、あるいは損をしなくてすむかもしれないが……
と、このようなことばかりをレクノは考えていた。
ただし軍で学ぶのは、不条理を自覚することではない。その不条理を受けいれることだ。
命をやり取りする戦争では、どんな事態が起こっても仕方がない。
だからこそ、そこで絶望しないために、受容する。それを受け入れるしか前に進む方法がないからだ。
レクノはつまりそういうことだと解釈している。先々のことを想像しながら、訓練を受けていた。最近では、命令を出す教官の考えていることがなんとはなしに分かるようになってきた。
一ヶ月間はあっという間に過ぎて行った。レクノは寮生活の合間を縫って、母に言われたとおり手紙を四回書いて送った。
「いよいよ、明日は諸君らの修練度検定試験を行う」
教官は声を張り上げ、今担当している新卒五十名に試験の説明をしていた。
「明日の試験では、まず諸君らの、知力、体力、精神力、などの検査を行う。詳細は明朝、寮の掲示板と軍教育部の掲示板に張り出すから、朝食前に見ておくこと、以上解散っ!」
「はっ、ありがとうございました」
まったくもって簡潔な説明である。軍の集会は、それだけ要領を得ているとも言える。
格式ばっていないので、レクノはそれだけ気楽な思いで居ることができた。
寮に帰り着いてから、レクノは手紙を書き始めた。
明日、軍の試験があること。その内容で自分の配属先が決まること。
あまり挨拶文や自分の心情などは書いていない。近況報告のようなものをつらつらと並べているだけだった。
(――冷たいな)
と自分で書いていても思う。
自己にある、このわがままな部分をどうにもできかねた。
暖かい文章などというものは、そうそう書けまい。
母も、名の知らぬ父と同様に許せる位置にはいなかった。
「おい、レクノ。食堂行こうぜ」
名を呼ばれて顔を上げた。レクノの視線の先には、同室のラムという男がいた。
「ん、手紙書いてんのか?」
「ああ」
「ちょっと見せてみろよ」
言われて、手紙を取り上げられる。慌てて取り返そうとするが、ラムの方が一枚上手で、ふわりとかわされてしまった。
「なになに――ミーテナ様へ。……って、お前、女に手紙かよ」
「……母だ」
レクノがしぶしぶといった感じで告げると、
「あー。おふくろさん、ね」
ラムは納得したようにレクノに手紙を返した。
「これは無粋なことをいたしました」
謝っているのか、からかっているのか、よく分からない態度を取る。
ただ、この男にも、この男なりの価値観があるらしく、家族関連のからかいは、いつもよりふざけてはいない。
「本当に無粋だと思うのなら、今日の定食、おかずを一つよこせ」
「うえっ、マジかよっ」
ただ同室になったというだけの関係ではあるものの、二人ともが人間関係の構築が上手いらしく、それなりに良い仲といえた。
先のような具合で、二人は連れ立って食堂に向かった。
新卒は完全な兵とは呼ばれず、軍研修生という位置にいる。
全寮制なのも入軍してからの一ヶ月間だけである。もちろん訓練後、新兵となってからも、寮生活を続けたければそれも許される。
(まあないな)
とレクノは思う。肩がこってやってられない。
うるさい人間もいることだし。
「なあっ、明日は掲示板、一緒に見に行こうぜ」
食堂の中。エビフライ定食をほおばりながら、ラムはまくしたてた。
「嫌だ」
「即答かよ!」
まったく、どうしてこいつは。
こんな奴と同じ部屋になったのが運のつきとも言える。
「第一、試験中はお前ともライバルになる。敵同士でじゃれ合ってばかりもいられんだろ」
「そんなこと言っちゃって。本当はライバルなんて思ってないくせに」
この男の単細胞にはレクノもほとほと呆れるばかりである。
だがラムの言うとおり、レクノはラムを敵とみなせないだろう。
一度構築した人間関係を壊すことは恐れを伴う。試験ごときで、崩れ去るようなものならば、それはなんの意味もない薄っぺらなものだ。
だからこそ、だからこそ――
「馬鹿なヤツだな、本当に」
レクノはイエスと言わざるを得ない。
たった一ヶ月、軍の訓練を一緒に受けたというだけの仲。なるほど、結構じゃないか。
――知り合い以上、友人未満。
簡単なことだ。レクノにとってそのポジションは、義を施すのに何も迷うことはない。
「一緒に見に行くなんて、お寒いこと、御免こうむる。
まあ、お前がついてきたっていうだけならば、何も言わんだろうな」
しれっとした顔で言ってやる。ラムはぽかんとした顔で、エビフライを皿に落とした。
三秒ほど静止していたが、それから少しずつ、口をもごもご動かし始め、無言でエビフライをレクノの皿に移した。
「貸し借り、ダメ絶対」
そしてラムはもごもごと、そう呟いた。
そういう男だ。ダメというより、貸しを受けたら必ず返す。そこをレクノはわきまえている。
卑怯極まりないとも言える。そんな自分にうんざりしてばかりではあるが……
――ありがたく、エビフライはいただいておいた。