失恋、しました
何を間違えたのだろう、そう私は小さく嘆息した。
「全部知っていたのにね」
言い訳がましくそう呟きながら私は、目の前に置かれた婚約破棄の紙を見つめた。
公爵令嬢、アニス・リ-フディア。
それが私の名前である。
長い銀髪に紫色の瞳の美しい令嬢、そう、皆が私を噂していたのは知っている。
けれど彼らが見ているのは私のつくろった外側だけだった。
本当の私を見ていたのは彼だけだった。
でも、彼は私のものにはならなかった。
「上手く立ち回ったと、思ったのだけれどね」
小さく独り言をつぶやく。
すでに彼も、彼の恋人も、そして私の家族も誰もこの部屋にいない。
この広い、見知った客間には今ただ一人、大きなテーブルの一角に私が座っているのみ。
まだ温かくなって、微かに春の訪れを感じるとはいえ、夜は冷える。
暖炉に火を焚いて温かくした方がいい程度に、この部屋はすでに夜の色が少しずつむしばんでいる。
寒い、けれど。
今はまだ、衝撃が私の心を占めていて、動けなかった。
「何が、いけなかったのだろう。いえ、理由は分かっている。“誤解”なの。でもきっと彼は、私のいう事なんて聞いてくれないし、そして……そんな機会もない」
口に出したのは、もう幾度となく自身の中で反芻した現実だ。
大好きだった彼は、別の女性と仲良くなっている。
数日後には国を挙げて結婚を祝う事になるだろうことも私はすでに知っていた。
前世の記憶、それも、あの時やっていた乙女ゲームの記憶ではそうだったから。
この世界に生まれ落ちる前の前の記憶ではあったけれど、鮮明に覚えている。
この結末が嫌で頑張っては見たけれど、結局は誤解されて、“悪役令嬢”と呼ばれてしまった。
私は、説明したけれど、聞く耳を持ってくれなかったのだ。
酷いと、愛しさが憎悪へと変わりかけ、交じり合う。なのに、
「ごめん、アニス」
去り際に私の婚約者であり、大好きだったロッド王子は私の傍でそう言った。
王子は、誤解だと気付いていたのだろう。
でも、そのまま婚約破棄をした方が、彼にとっては都合が良かったのだ。
だって王子は、デイジーという、子爵の娘が本当は好きだったから。
こんな事でもなければ婚約破棄は出来なかったのだろうという事も私には分かる。
そしてそれぐらいまでに彼女を愛していた、それが私の心に“失恋”という大きな傷を作る。
しかも、謝ったのだ、王子は。
どうしてそのまま、愛を全て憎しみに変えたままにさせてくれなかったのだろう。
罪悪感があって、それでも彼女を、デイジーを選ばないといけない気持ちを見せつけられて。
私に謝らないでほしかった。
私の中で、どうして酷い王子にさせてくれなかったのか?
私の気持ちが何も分からない、ただの憎い相手にさせておいてくれなかったのか?
そして、謝るくらいなら私を選んでよ!
……これでは、私が惨めなだけだ。
私は彼の愛を勝ちとれなかった。
未来を知っていたからと油断した私が愚かだったのか?
私は私なりに彼に自信をアピールしたつもりだったけれど、それは彼には伝わっていなかった。
それが今の結果なのだ。
「好きだったのに……」
そう呟くと涙がこぼれる。
もう手で拭う気力すらわかない。
目の前の婚約破棄の紙に、私の涙が染みを作る。
そこで、暗い部屋に誰かが入って来たのだった。