《捌》鎖と束縛
「――参りましたね、どうしましょうか」
<裏>と呼ばれる世界の片隅。
単なる路地に見えるそこには惨状、または芸術とも言える赤が飛び散り、その芸術を引き立てるための獣が何匹も息絶えていた。
芸術の中心にいるのは、笑い続ける獣だ。
氷のような目をした彼は打開策を考えようと、武器を握りしめた。
――一時間前
「着きましたよ」
コツコツと固い靴音を鳴らしながら、路地裏を歩いていた麦秋が二人に振り向く。
「着きましたよって、ここただの路地裏じゃないですか。誰もいないし」
ここに何があるんだという顔をするレイ。
それを聞いたシノは説明を始めた。
「レイ君、この国には<表>と<裏>があるって知ってる?」
「え?あ、少し調べたぐらいですけど多少は」
「どのくらいまで知っているかは分からないけど、二つの違いの説明でもしようか」
彼女が顔を傾けたことにより青紫色の髪が下に落ちる。その間、麦秋は周りをキョロキョロと目を動かしていた。
「<表>はさっき歩いたころ。普通に賑わってて平和なんだ。鷹獅子みたいな合成獣もいるけど、人の合成獣はなかなかあそこには住もうとしないんだ」
「どうして住もうとしないんですか?」
「うーん……少し理由があってね。それはあとでまた説明しよう」
やけに寂しい路地裏にシノの声が小さく反響する。いや、寧ろ怪しいくらいだ。
何かに気づいた麦秋が舌打ちをしたあと、腰に手を伸ばす。
「で、<裏>はこんな感じの路地裏なんだ。雰囲気はもちろん違うのだけれど、もっと大きな違いがあるんだ」
「危険人物がいるとは聞きました、け、ど」
トンッと軽い音と共にシノの後ろで起こった出来事にレイが目を開く。
そんな彼を見ていつものようににこりと笑うシノ。
彼が驚くのも分かる。何故なら、建物の上から大勢の人が着地してきているのだから。
そして、どれも髪や目の色が、この国のものではないように見えた。が、話を聞く限りはそうではないだろう。
「うん。正解。で、その危険人物というのが――」
「シノさん危ない!」
彼女に伸びる手に気がつき、レイが叫ぶ。
「合成獣なんだ」
それは、一瞬で氷に包まれた。
彼女に手を伸ばした者が悲鳴をあげる。
「あなた方も参戦してください。私だけじゃ、どうも数が多すぎる」
建物の上から次々と降りてくる敵。
この状況をみれば、確かに彼だけだと勝ち目はないだろう。
シノが麦秋に質問をする。
「君が蒔いた種じゃないのかい?」
「違います。向こう側から仕掛けてきたことなので」
「あっそ」
興味無さげに返事をする。
レイはというと、彼らの後ろで固まっていた。
(危険人物が合成獣?それじゃあ僕も?この人達はどうする?相手をするってきっとこの人たちの事だ。殺さなきゃいけないのか?僕が?)
どうしよう、この文字が頭を段々と埋め尽くしていく。それに比例するように呼吸が速くなり、体が言うことを聞かない。
「にしても、彼の異能を見るにしては、少し敵の数が多くない?って、レイ君?」
武器も使わず、ただひょいひょいと相手の攻撃を避け続けるシノが、レイの異変に気づく。
(おかしい、明らかに周りが見えていない。やっぱり初めてだとこうなるかぁ)
と、その時、敵の一人がレイの存在に気づき、異能で矢をレイに放つ。
「へへっ、怖じ気づいて固まったか?かわいそーにっ」
「レイ君避けてっ!」
「……え」
声に気づき顔をあげるとそこには矢の先が目に映った。もう遅い。
刹那、レイが叫んだ。
喉から血が出るのではないかというぐらい、叫んだ。
「い゛っ……あ゛あ゛あ゛ああぁぁぁああああ!」
「ヒュウッ!ヒット」
痛い。苦しい。痛い。熱い。怖い。痛い。痛い。
そればかりが頭を埋め尽くして、逆にこの喰いちぎられるんじゃないかと、嫌な思考ばかりが出てくる。それもまた痛みとその熱に掻き消される。
何も見えない。その恐怖より痛みの方が大きかった。
「へへへ、ぐあっ」
「チッ、数が多すぎますね」
矢を作り出す合成獣の胸に鋭い氷が突き刺さる。その場に倒れるそれを放っておいて、レイに駆け寄った。
彼は目を押さえ、痛みに耐えることも出来ず叫んでいた。矢だって右目に刺さったままだ。
少し静かになり、息も殺すようにフーッフーッと耐えている彼に、麦秋は声をかける。
「レイさん、聞こえますか、レイさん!」
「う゛っ、フーッ……、ぐ、」
必死に首を縦に振り、動きで聞こえていることを伝えた。
麦秋が後ろを振り向けば、武器も何も持たずにただ攻撃を避け続けるシノを見て、考える。
(いくらなんでもこの数は三人だけじゃあ……。しかし何故彼女は能力を使わない?どんな異能でもそっちの方が効率もいいはずだ)
「矢、抜きますからね。歯食い縛ってください!」
なるべく目に近い部分を持ち手前へ力を込める。そうすれば、閉ざしているレイの口から短い悲鳴が上がる。
「い゛っ、……あ、っはー、はーっ」
肩で息をするレイの右目を見れば、矢が刺さっていた右目は、みるみる元通りになり、残ったのは顔にこびりついた血だけだった。
その様子を確認した麦秋は、あまりにも早いその回復力に驚き目を見開いていた。
ただそれは一瞬で、すぐに笑いを浮かべてこう言った。
「ほら、貴方が合成獣だからこんなにも治りが早い」
「…………」
壁にもたれかかったまま一言も喋らないレイ。
(流石にショックでも受けたか?……まぁ、回復はしたんだし、その上こんな痛い思いをしたのだから今度は戦うでしょう)
そう思い、彼に背を向け今の状況を再確認する。
(先程気絶した方々の不満も含めるとやはり百人かそのぐらいか。
しかし、なぜ彼女は武器すらも使わない?)
ちらりと路地裏の少し奥に、その彼女はまだ反撃することもなくかぎ爪をもつ合成獣の攻撃をひょいひょいと身軽そうに避けていくだけだった。
余裕の表情を見せるシノに対してかぎ爪の合成獣はいらただしげに腕を振り回す。
「くっ、そが!さっさと死にやがれ!」
「そんなんじゃ当たるわけないよ。腕に振り回されてる。体が持ってかれていちゃ絶対に当たらない」
煽るかのようににっこりと笑うシノ。
その腰には大きいひし形ののにも持ち手の部分が取り付けられている、黒い槍のようなものがついていた。
ただ煽り続ける無意味な行動に彼は呆れた。
目線をうずくまっているレイに戻し、彼はレイにも呆れた。
(これでも。これでもこいつが合成獣だと
うことを否定するのが腹立たしい)
すると路地の奥から一人の男が、それは一歩一歩を踏みしめるように歩いてきた。
「ははははは!滑稽だ!たったこれだけしか敵はいないんだ!……と、いうか。逆にどうして合成獣一匹殺せない?」
「もっ、申し訳ございませ」
「お前はもういい」
彼自身に怯えているかのように近くにいたものが震える声で謝る。
が、それは数秒前の話。
そこにあったはずの頭が、消し飛んでいた。本体を失ったかのように体がふらりと揺れ膝から崩れ落ちる。
それが何を意味するか、彼らにはすぐ理解できた。
『すぐに殺らなければ自分達もこうなる運命』なのだと。
「あの合成獣は確か……」
大きいひし形のナイフ変形している右腕に、その周りや顔にはところどころ黄土色の鱗の合成獣。
このグループのリーダー、萩原 凪だ。
ここあたりの合成獣を全員の異能を完璧に頭に詰め込んでいるシノの記憶によれば彼の異能は――
【刻鱗】
その名に宿る獣は、穿山甲。
刃物のように鋭利な鱗を持つ、アルマジロに似た動物だ。
世界唯一の鱗を持つ哺乳類、それが他の種と血が交わればより切れ味は増す。
「早くしろ、もっと面白い光景を見るために!」
切羽詰まった麦秋がコートが地面につくのも気にせずしゃがみこむ。
麦秋の目と髪は漆黒とも呼べる黒から、全くの正反対の透き通るような、それこそ氷のように白く染まりあがっていく。
「――もし、貴方が合成獣ではないと言いたいのなら、ここで試してください。異能が無ければ貴方は合成獣ではないということですから。
そのためにここに来たのでしょう?」
「僕、は」
ぼんやりと開けている金色の眼には、とある人物が写りこんでいた。
『誰?』
暗くてぼんやりした場所で、自分の声が響く。
どこかでみたような姿。
それは顔を隠すためなのか、何も書かれていない白い紙が額に貼られていた。
『ねぇ、まだ悩んでいるの。
ねぇ、まだ君は気づいていないの?
ねぇ、気づいているでしょ?
ねぇ?現実逃避野郎』
質問の答えになっていない答えが、聞いたことのある声で返ってくる。
錆びた鎖がついた手枷を付け、首にはとある紋章が描かれていた。
ジャラジャラと、何故か気味悪く聞こえる鎖の音と共に近づく彼。
『っ!?』
声が出ない。
目も痛い。
でもそれよりも怖いのは目の前にいる人物。
意識が遠のくなか、自分の横を通りすぎていくその人物に肩を押された。
『僕は、君だ』
白い紙の向こうには、月よりも濃い金色が覗いている。そう、僕だ。僕が笑った。
もう、どっちがどっちだか分からない。
『獣の目を、覚まして』
「――僕、は」
守るものがなくて、愛すべき人もいない、大事なものだってない、空っぽな僕。
それだったら、少しくらい自由に生きたって良いじゃないか。
「僕は……!」
心臓の音がうるさく体全体に響く。知らない血が流れるようだ。けれども自分の血はそれを拒絶するわけでなく、寧ろ受け入れるように共に流れる。
「もう誰にも縛られない」
獣を縛っていた鎖が外れる音が、自分だけに聞こえる。
【孤月】
その名に宿る獣は、
――日本狼。