《肆》違和感と喧嘩
「…………」
レイが次に目を覚ましたのはその二時間後だった。 窓を見れば鮮やかなグラデーションができていて、もう日が沈みかけているのが分かる。冬は日が沈むのはとても早い。
(色々整理しないと)
ぼんやりとした頭で窓から見える風景に違和感を覚えながら、書くものはないかと引き出しを開ければ、ボールペンとレイの手より一回り大きいメモ帳を見つけた。
特に何も書かれていないところを見ると、恐らく病人用のなんだろう。
「そういえば僕の旅行用のバッグどこいったのかな。……ちゃんとあるよ、ね?うん。あることを信じよう、信じるんだ僕。…………はぁ」
どこから手をつけて良いのか分からない。
けど悩むだけ時間がもったいないと思ったレイは箇条書きでもいいかと思いつくものを一つ一つ丁寧な字で書いていった。
「――――このぐらいかな。あとから増えていくんだろうなぁ、このリスト」
十五分後、彼は一枚のメモに書かれている文字を再確認する。
『オークション』『キメラ』『髪と目の色』『傷の回復』『氷花の麦秋』
「<表>と<裏>についてもちゃんと調べた方がいいかな?」
さらに『表と裏』と最後に書き足された。
ペンを走らせる音すらも大きいんじゃないかというぐらい、静かな病室にコンコンコンと三回ドアの方から叩く音が集中していた彼の耳に入る。
顔をあげて返事をするが、急なことだったので驚いたようだ。
「ど、どうぞ」
ドアを開ける音にも気をつけるかのように静かに開けて入ってきたのは、レイがシノと話しているときに見た青髪に何束か水色に近い色が入った少年だった。
この短い間でレイは異様な色を持った人に会ってばかりだ。
「あ……あのときの」
「火影イヤです、よろしくお願いします」
礼儀正しく浅くお辞儀をするイヤに対して、レイも同じようにベッドからお辞儀を返す。
「イ、イヤさん」
「呼び捨てで構いませんよ。多分俺の方が年下でしょうし。」
「でも……」
いいですから、と言うイヤにうう……と言葉を詰まらせるレイ。
「じゃ、じゃあせめてイヤさ……く、君で」
「まぁ……構いませんけど」
それでもいいかと言うように目を伏せたイヤ。
何をしに来たんだろうとソワソワしながら、立ったままのイヤを見て向かいのベッドに座るのを促すレイ。「どうも」と軽く礼を言い、ポスンと座る。
「シノ先生から伝言を頼まれまして……」
「僕に?」
「あなたに」
聞き返したレイにコクリと頷く。
「『国の事を知りたいのなら図書館に。自分や人の事を知りたいのなら人に聞くといい』……だ、そうです」
「!……もしかしてシノさんってエスパーか何かですかね?」
なんてピンポイントだ、ホントにあの人はエスパーか何かなんじゃないかと疑うぐらいレイが考えていたことはピッタリだった。
「かもしれませんね」
と真顔で返すイヤ。
「ははは……すごいな。まさかここまで当てられるとはなあ。人の事を聞くには人をね……あ、早速ですけどイヤ君は何かここいった方が良いって所あります?」
相手のことを君と付けて呼びながら敬語で離す事に可笑しく感じながら彼に聞くと、考えるように窓の外にある風景を見つめながらこう返した。
「人、ですか。俺はあんまり人と会うために外に出ることがすごく少ないので……そういうのはヒスイさんかな」
ある名前をイヤが口にしたときレイの目の色が変わる。驚愕、それと共に感動のような目をする。
「ヒ、ヒスイさんって、あのヒスイさんですか!?《和ノ国》特殊部隊〔水蛇〕隊長の!」
「え?えぇ。確かそんなこと言ってたような気がします。今いますよ、ここに」
「こ、ここに?」
「はい」
《和ノ国》を調べていたレイなら何度も見た単語と名前だった。
――《和ノ国》特殊部隊〔水蛇(ヒュドラ)〕。
その隊長、小翠 ヒスイ。
警察が手に負えないような殺人鬼やテロなどを対象に様々な事件を解決していく部隊だ。
それを率いる隊長はそのなかでも特に活躍していた。
小さな子供らからしたら〔水蛇〕はヒーローに見えるだろう。レイにとってもそうだったのだから。
「ササササイン貰わなきゃ、あっでも書くものなにもないやどどうしようえっえっ」
「落ち着いてください」
パニックに陥っている彼を斬るかのようにあっさりと宥めようとするイヤ。はっきり言って宥めているのかすら分からない。
そのとき、またドアが開く音が二人の視線を集める。そこに立っていたのは目まで隠れるほど伸ばした銀髪の男性だ。
「おーい飯……って、どうした?」
「……ヒッ」
「ひ?」
「ヒスイさんだ……!」
「――いやぁ、ヒスイにもファンがいるとはね~」
「表向きでは皆のヒーローだからな」
「自分で言うかそれ」
食卓と思われる少し広い部屋にはレイとイヤ、シノの他に、ヒスイと麦秋と呼ばれる男五人がテーブルを囲んで座っている。
(変な図で面白いなこれ)
ヒスイを弄っているシノはと言うと、被害者と加害者のはずであるレイと麦秋が隣で座っている光景を楽しんでいた。
機嫌が明らかに良いレイの左手の甲には筆記体で「Hisui」と書かれていた。
「さー、出来たよ~」
「あ、手伝います」
何かできることは無いかとレイが席から立ち上がると、「こら」とシノがレイに手を伸ばし軽くデコピンをする。
「病人はおとなしくね」
「傷塞がってりゃ良いんじゃねーの?」
とヒスイが口を挟む。
「いーのいーの、怪我したことには変わりないし。それに……彼は大丈夫でも体は疲れてることだってあるんだから」
「厳しいな医者は」
「こんなのまだまださ」
笑いながら話す二人を見て、レイはほのぼのとしていただけだった。
テーブルに並べられた料理からは食欲をそそる香りが辺りを包み込んだ。
「美味しそう」
と誰かが言う。声からしてイヤだろう。
全員で「いただきます」と手を合わせそれぞれが料理を頬張る。「美味い」と思わず声が漏れる。ずっと黙っていた麦秋の口からも「美味しい……」と溢れていた。
それをシノは嬉しそうに見てから自分も「いただきます」と食べ始めた。
(あれ?もしかして)
シノと話しながら笑うヒスイを見て気づく。
「もしかしてヒスイさんってあのときバスで……!うわー何で気づかなかったんだろ!?」
「おー、そうそう!あれ俺。時既に遅しだったけどな~」
「こいつ戦力ある癖に自分で行かないで私に頼んだからね、酷いよね」
と、レイから見て向かってヒスイの右に座っているシノが指を指して文句を言う。
「ちゃんと戦略みたいなのがあったんだよ」
それに対しヒスイが箸で彼女を指して反論する。
「お前と麦秋の組み合わせだったら――」
「相性が良いから必ず私に勝つ、と」
「…………」
ジト……と不機嫌そうな麦秋がヒスイを見る。
見られた本人は「う……」とたじろぐ。
「はぁ……なんでお前はそうやって……。大体仕掛けて来たのはそっちだぞ?〔八咫烏〕が動けねぇんなら部隊が動く他ねぇんだ」
(カラス?)
また新しい単語か?と疑問に眉間にシワを寄せるレイをよそ目に、そう言い返すヒスイに対し麦秋も言い返す。
「こっちだって仕事でやってるんです。『表では』正義と呼ばれるようなあなたの仕事とは違ってね。よく本性を隠して働けますね」
雰囲気が怪しくなってきたと、シノが嫌な顔をする。
「はっ、じゃあそんだけ言い返す実力があるんだったらてめえの大事な奴とやらを守れたんじゃねぇの?」
むきになったヒスイが笑い飛ばして挑発するように仕向ける。
二人同時に荒々しく立ち上がる。
「っ、あ?そちらこそヘマをしなければあのとき殺さずに済んだんじゃないですか?」
それに反応した麦秋がまた反論の繰り返し。
だが、そこで食卓にパアンッと手を鳴らす乾いた音が響く。
皆、音を鳴らした本人に目を向ける。
一人は目を丸くし、一人は何が起こったか分からないような顔をし、言い争いをしていた二人は怯んだ。
「ご飯が、不味くなるからくだらない喧嘩はしないでほしいな」
「それとね、二人とも似たような経験してるんだから言い争いなんてしなくても分かると思うんだ。違う?」
シノが「ごちそうさま」と自分の食器を片付けようとしたとき、麦秋がある言葉に反応した。
「くだらない?人の過去が?」
「まさか。人の過去を笑うほど落ちこぼれてないよ。
私が言っているのは人の過去を言い訳に使うなと言うことだ。分かったらさっさと食べちゃって」
言葉に詰まった麦秋はおとなしく席についてまた食べ始める。
ヒスイも同様にため息を吐いて席につく。
「ごちそうさま、でした」
「おそまつさま」
気落ちしたのか、レイも心なしか声のトーンが落ちていた。
雰囲気から逃げ出したいとでも言うかのように後を追うイヤも「ごちそうさまでした」と席をたつ。
(過去、かぁ)
食器をシンクの中に入れ、水で洗いやすくする。
しばらく考えれば頭が痛くなる。
彼らの謎は深まるばかりだ。
レイはまだ何も知らない。
彼らもまたレイの過去など知らない。
そんな彼らを気にしないかのように雪が降り始めていた。
互いに傷つけあって生まれるのは嫌悪と悲しみだけだ。
外国の方のように殴りあいまでに発展する喧嘩はあまり目にしませんが、この二人が本気で喧嘩したら病院荒れそう。だがしかしそれを止めるシノ。マジ優秀(?)