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戦ってみればわかるのです。

 


 森のざわめきは、次第に“音”として形を持ち始めた。

 枝を踏み折る乾いた音、草を擦る湿った音、そして――不規則な足取り。


「来るぞ」


 シルヴィオの声が低く落ちる。


 闇の中から現れたのは、四足歩行の影だった。

 狼……に似ているが、どこか歪んでいる。

 毛並みは斑で、所々が抜け落ち、皮膚の下で魔力が脈打つように赤黒く光っている。


「……ウルフ種、だけど、普通じゃない」


 凛が小さく呟いた瞬間、影は一体だけではないことがはっきりした。

 左右、奥、背後の林から、次々と同じような影が現れる。


 数は――十を軽く超えている。


『主様、匂いが……“壊れた魔素”です』


 アルヴィスの耳がぴんと立ち、低く唸る。


「魔獣の異常行動……これか」


 シルヴィオが剣を抜き、焚き火の光を反射させる。


「チッ、数だけは無駄に多いな」


 レオンハルトは指を鳴らし、拳を構えた。


 最初に動いたのは、中央にいた一体。

 まるで合図のように、ぎこちない跳躍で飛びかかってくる。


「――止まれ」


 凛が静かに詠唱すると、地面から半透明の鎖が伸び、魔獣の胴に巻き付いた。


「拘束バインド」


 しかし、完全に止まることはなかった。

 鎖に絡め取られながらも、魔獣は異常な力で暴れ、肉が裂け、骨が軋む音を立てる。


「……っ、力が底上げされてる」


「正気じゃねぇな、これ」


 次の瞬間、左右から二体が同時に突っ込んできた。


「俺が右!」


「左は任せろ!」


 シルヴィオとレオンハルトがそれぞれ迎撃に出る。

 鋼の音と、鈍い衝撃音が夜に響いた。


 凛は後方から魔力を練り、周囲の魔素の流れを読む。

 魔獣たちの魔力は、どれも同じ“歪み”を帯びていた。


「……外から何か、流し込まれてる?」


『主様、あれ……あの奥です』


 アルヴィスが視線を向けた先、森のさらに奥。

 そこだけ、魔素の流れが不自然に渦を巻いている。


「操られてる……か、誘導されてるか」


 凛は一瞬だけ前線を見る。

 シルヴィオは冷静に斬り伏せ、レオンハルトは殴り飛ばし、アルヴィスも雷で牽制している。


「……時間、稼げる」


 凛は決断した。


「アルヴィス、私が奥を見る。その間、二人の補助を」


『御意』


 アルヴィスが人型から獣へと戻り、雷を纏って前線へ走る。


 凛は音を殺し、夜の帳に溶けるように森へ入った。


 渦の中心に近づくにつれ、空気が重く、冷たくなる。

 そして――見つけた。


 木々の間、岩陰に、奇妙な“装置”のようなものが据えられている。

 黒い結晶と歪んだ魔法陣。

 そこから、細い糸のような魔力が周囲へ伸び、魔獣たちへと繋がっていた。


「……やっぱり」


 凛は息を整え、魔力を指先に集める。


「――断ち切る」


 結晶に向けて、干渉系の魔法を放つ。

 糸が弾け、魔法陣が軋み、黒い結晶に亀裂が走った。


 同時に、遠くで魔獣たちの咆哮が、一斉に変質した。

 狂気の混じった叫びから、混乱と恐怖の叫びへ。


 凛は背後を振り返る。


 戦場の流れが、明らかに変わっていた。



 黒い結晶に走った亀裂は、細かな悲鳴のような音を立てながら広がっていった。

 魔法陣を形作っていた紋様が一つ、また一つと崩れ、糸のように伸びていた魔力の繋がりがぷつり、ぷつりと断ち切られていく。


「……終わり」


 凛がそう呟いた瞬間、結晶は内側から砕け散り、闇色の粉塵となって宙に溶けた。


 同時に、遠くで響いていた魔獣たちの咆哮が一斉に変わる。

 狂気じみた声ではなく、怯えと混乱に満ちた声へ。


 凛は夜の帳を翻し、来た道を引き返した。


 焚き火の近くでは、既に戦況は大きく傾いていた。

 魔獣たちは連携を失い、互いにぶつかり合い、逃げ出す者、地面に伏す者、錯乱して意味もなく吠え続ける者が入り乱れている。


「……あ?」


 レオンハルトが拳を振り抜いた先で、魔獣が吹き飛ぶ。


「急に動きが鈍くなったな」


「魔力の流れが変わった……いや、切れたのか」


 シルヴィオが剣を納めながら凛を見る。


「何かしたな?」


「操っていた仕組みを壊しました」


「……なるほどな」


 納得したように頷いたシルヴィオの背後で、アルヴィスが雷を散らしながら最後の一体を地面に縫い止めていた。


『主様、残りはもう戦意を失っています』


「無理に追わなくていい。離れていくなら放置で」


 凛の言葉に、アルヴィスは雷を収める。

 やがて、生き残った魔獣たちは森の奥へと散り散りに逃げていった。


 焚き火の周囲には、討ち取られた数体の魔獣の死骸と、焦げた地面、折れた木々が残るだけになった。


「……野営どころじゃなくなっちまったな」


 レオンハルトが頭を掻く。


「だが、原因がはっきりしたのは収穫だ」


 シルヴィオは地面に残る、かつて魔力の糸が這っていた跡を見下ろしていた。


「人工的な魔法陣……魔獣の異常行動は、誰かが意図的に起こしている可能性が高い」


「リリアースの件とも繋がりそうですね」


 凛が言うと、二人とも表情を引き締めた。


 アルヴィスは凛の横に戻り、心配そうに見上げる。


『主様、危険です。ああいう術式、作った者はかなり厄介です』


「うん……一人で深入りしなくてよかった」


 凛は焚き火を見つめながら、小さく息を吐いた。


 夜は深まり、場所を少し移動して簡易的な野営を張り直すことになった。

 警戒を強めるため、三人は交代で見張りをすることになり、最初の番はシルヴィオが引き受けた。


 凛はアルヴィスを抱いたまま毛布にくるまり、目を閉じる。


 だが、眠りに落ちる直前、凛の脳裏に焼き付いていたのは――

 あの黒い結晶の、不自然な魔力の質だった。


「……あれ、どこかで……」


 記憶を探るが、すぐには思い出せない。

 やがて意識は浅い眠りへと沈んでいった。



 翌朝。


 霧の残る森の中、三人と一匹は再びリリアースへ向かって進んでいた。


 昨夜の戦闘の影響か、周囲の魔物の気配は明らかに少ない。


「それにしても、妙だな」


 レオンハルトが言う。


「魔獣操る術なんて、そうポンポン使えるもんじゃねぇ。軍か、宗教か、変な研究者か……」


「少なくとも、個人の悪戯レベルではない」


 シルヴィオも同意する。


「しかも範囲が広い。南部全域で異常が起きているなら、相当な数の装置、あるいは中枢となる何かがあるはずだ」


 凛は黙って聞きながら、昨夜の結晶を思い返していた。


「……中枢、か」


 もしあれが“端末”のようなものだとしたら、

 本体はもっと別の場所にあるのかもしれない。


 昼過ぎ、街道の先に大きな城壁が見え始めた。


「リリアースだ」


 レオンハルトが指差す。


 草原と湿地帯の境目に築かれた街は、水路と石橋が多く、どこか水の都を思わせる造りだった。

 しかし、門の前には普段より多くの兵と冒険者が詰めており、空気は張り詰めている。


「物々しいですね」


「異常事態だからな」


 門をくぐると、街の中も普段の賑わいよりどこか静かで、人々の表情は不安げだった。


 ギルド支部へ向かうと、受付には長い列が出来ており、負傷した冒険者や商人が報告や治療待ちをしている。


「思った以上だな……」


 シルヴィオが小さく呟く。


 指名依頼の件を告げると、三人はすぐに支部長の執務室へ通された。


 白髪混じりの壮年の男性が、疲れた様子で立ち上がる。


「コルテアルからの……援軍か。来てくれて感謝する」


 簡単な挨拶の後、支部長は地図を机に広げた。


「異常行動が確認された地点は、ここ、ここ、そしてここだ」


 湿地帯、草原、街道沿い、いずれも本来その魔獣が生息しない場所ばかりだった。


「共通点は?」


 凛が尋ねる。


「……地下だ」


 支部長は重く頷いた。


「目撃地点の近くでは、古い遺構や洞窟、封鎖された鉱山跡などが見つかっている。調査に向かった冒険者の何人かは、帰ってきていない」


 室内の空気が、一段と重くなる。


「つまり、魔獣を操る何かが、地下にある可能性が高い、と」


「その通りだ」


 シルヴィオは腕を組み、凛を見る。


「昨日の件と一致するな」


「はい……あれも、森の奥、岩場の近くでした」


 支部長は目を見開いた。


「君たちは既に、何か“それらしい物”を壊したのか?」


「小規模な装置のようなものを一つ」


 凛の答えに、支部長は深く息を吐いた。


「ならば確信できる。これらは“魔獣操作網”だ。誰かが意図的に、広域で魔獣を動かしている」


「目的は?」


「わからん。街を混乱させるためか、何かを探させるためか……あるいは、もっと別の理由か」


 レオンハルトが不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「面倒くせぇ連中だな」


 支部長は三人に視線を向けた。


「君たちには、最大の異常地点――ここを調べてほしい」


 地図の中央、街から半日ほど離れた湿地帯の奥。


「古代遺跡の一部だ。立ち入り禁止にしていたが、最近になって周囲の魔獣の動きが激変した。恐らく、そこが中枢に近い」


 凛は地図を見つめ、静かに頷いた。


「わかりました。そこを調査します」


 こうして、三人と一匹は、魔獣異常の“本丸”へと向かうことになった。



 湿地帯は足場が悪く、空気は重く湿っていた。

 水面には霧が立ち、視界は常に白く霞んでいる。


「嫌な場所だな」


 レオンハルトがぼやく。


「気配が読みにくい」


 シルヴィオも警戒を強める。


 やがて、霧の奥に石造りの構造物が見えてきた。

 半ば崩れ、苔と蔦に覆われた古代遺跡。


「……ランドルや、名もなき騎士と同じ系統の遺跡かも」


 凛は小さく呟く。


『主様、奥から……強い歪みを感じます』


 アルヴィスが低く唸る。


 遺跡の入口には、既に壊れた魔法陣の残骸と、討ち倒された魔獣の死骸がいくつも転がっていた。


「先客がいるな」


「もしくは、内部抗争か」


 三人は視線を交わし、慎重に遺跡の中へ足を踏み入れた。


 中は薄暗く、壁には古代文字のようなものが刻まれている。

 凛はそれを見て、微かに胸騒ぎを覚えた。


「……やっぱり、どこかで…」


 通路を進むと、やがて大きな円形広間に出た。


 中央には、昨夜見たものよりも遥かに大きな黒い結晶。

 それを囲むように、複数の魔法陣と、奇妙な装置が配置されている。


 そして――その前に立つ、人影。


「来たか」


 フードを深く被った人物が、低い声で言った。


「君たちが、外の“端末”を壊した連中だな」


 レオンハルトが一歩前に出る。


「お前が元凶か?」


「元凶……ふふ、違う。私は“調整役”に過ぎない」


 男はフードを外した。

 痩せた顔、落ちくぼんだ目、だがその瞳には異様な光が宿っている。


「私は、この世界の“歪み”を観測しているだけだ」


 凛は、その男の魔力を感じ取り、背筋に冷たいものを覚えた。


「……あなた、どこかで……」


 男はにやりと笑う。


「そうだろう。君は“管理者”の匂いがする」


 その言葉に、凛の心臓が一瞬強く跳ねた。


「……何を、知っているんですか」


「知っている? いや、“見ている”だけだよ。

 この世界が、千年前からどう歪み、どう崩れ、どう修復されようとしているかをね」


 シルヴィオが低く言う。


「意味のわからん戯言はやめろ。目的を言え」


「目的? 簡単だ」


 男は両手を広げる。


「この世界の“異物”を、表に引きずり出すことだ。

 管理者、転移者、異界の魂……そう、君のような存在をね」


 男の視線が、真っ直ぐ凛を射抜いた。


「君こそが、私の“観測対象”の最高傑作だよ、クルス・リン」


 空気が、張り詰める。


 アルヴィスが前に出て、凛を庇うように唸った。


『主様に、近づくな』


 男は楽しそうに笑った。


「さて……実験の続きといこうか」


 黒い結晶が脈打ち、遺跡全体が低く唸りを上げ始めた。


 魔獣異常の真相は、ここから本格的に牙を剥こうとしていた。






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