ブリザードは辛いんです
忘れた頃にやってくる…
返事をしたものの、扉は一向に開かれることなく沈黙を保ったまま数分が経過した。
「…今、ノック…?」
勘違いだったのか、とアルヴィスの方を見るが、アルヴィスは扉に冷たい視線を送ったままで凛を振り返ることはない。
そんなアルヴィスの様子から誰がが来たのは確かなようだが…
「ーーー主様を煩わせるだけならば…去れ」
ブリザードが吹き荒れていそうな温度のない声音で言い放つと、古い蝶番を鳴らしてようやっと沈黙を保っていたドアは開かれた。
扉を開けて入って来たのはやはりシルヴィオ。その手には温かなスープとパンが乗ったトレーがあった。
「…まさか、もう目覚めているとは…。その、クルス…一応軽い食事を貰ってきたのだが…」
そう言いながらもシルヴィオはアルヴィスの突き刺さるような冷たい眼差しが気に掛かるようで、遠巻きに且つ刺激しないように警戒しているのが手に取るようにわかる。
一体、凛が目覚めるまでに何があったと言うのか…。
凛は出来るだけ近付き過ぎないようにして差し出されたトレーを有り難く受け取った。
「シルヴィオさん、ありがとうございます。丁度お腹も空いてきたので…有り難くいただきますね」
夜の帳を被ったままでは些か食べ辛いが、容姿を見られたときに想定される面倒には代えられない。
「(見た目を変えられる魔法とか、魔道具があればいいんだけどなぁ…)」
アルヴィスなら知っているだろうか、とフードの中からシルヴィオに目から氷柱でも飛ばしそうな程睨み付けているアルヴィスを盗み見る。
対するシルヴィオのソレは正に「蛇に睨まれた蛙」状態で、ただただアルヴィスと目を合わせないように冷や汗を滴ながら部屋の壁に張り付いていた。
そんな二人の様子を観察しながら、凛は黙々と食事を進めていく。
「(知り合い…?ってこともないか…でも…初対面でこんなに敵意剥き出しってのも………アルヴィスなら嫌いな人はとことん無視しそうだし…?)」
イマイチ二人の関係性が掴めないまま食事が終了すると、こちらを見ていないはずのアルヴィスが素早く空いたトレーを受け取ってベッド脇のサイドテーブルへ下げる。従者としての気遣いが完璧だ。
「ありがとう、アルヴィス。シルヴィオさんもご馳走さまでした」
「ああ、いや…。それより身体はどうだ?良くないようなら医者を…」
シルヴィオが随分と深刻そうな顔で尋ねるので、凛は慌てて首を振る。
「い、いえっ気を失ってただけなんで大丈夫です!」
診療の際にも夜の帳を羽織っていられるとは思わない。
シルヴィオだけならお願いすれば黙っていてくれるかも知れないが、他の人は見られたら大騒ぎされるだろう。
サンサーラの常識に疎い間は対応に困るので全力避けたい事柄だ。
「そっそれより依頼はどうされるんですか?アルヴィスが風豹はあの牛っぽいのにやられたって言ってましたけど…?」
「ん?ああ、それならさっき冒険者組合に連絡して依頼は取り下げられたよ。風豹討伐は無効になったが、調査依頼として認定されたってとこだ」
これが個人からの依頼なら色々と…主に達成報酬等で揉めたのだろうが、幸いにも今回は冒険者組合からの公式依頼だったので、事情を加味し違約金は発生せず、逆に魔物討伐と情報提供の面で報酬が発生したそうだ。
「それならよかったです。あと…ここまで連れて来ていただいてありがとうございます。」
「いや…こちらこそ危険なことに巻き込んでしまって申し訳ない…」
意気消沈といった体でシルヴィオは深々と頭を下げる。
命を救われた手前、恩を仇で返すような事態になってしまったのが余程堪えているらしい。
「シルヴィオさんのせいじゃありませんよ、あれは不測の事態です。それについて行くと言い出したのは私の方ですから、気に病む必要はありません。逆に冒険者になる前に心構えが出来てよかったな、と思っていますから…」
「だが…」
「これ以上主様を煩わせるつもりか、人間ーーー」
どうにも納得がいかない様子のシルヴィオが食い下がろうとしたところで、今まで傍観に徹していたアルヴィスが鋭く言葉を投げつける。
視線一つやることなく、シルヴィオが口を閉ざしたのを確認すると小さく鼻を鳴らして再び無いものとして扱う。本当に取り付く島もない。
まあ、アルヴィスのこの頑なな態度については後程問い質してみるとして、正直押し問答する手間が省けて助かった。シルヴィオに告げたことも嘘ではないが、未だに実感が湧かないというのが正直な感想だ。
今後はこの世界で生きていかなくてはいけない。世界が違えば常識が違って当たり前。あんなことで一々ビビっていては冒険者として身を立てるなど不可能だ。冒険者以外にも道はあるのだろうが、今凛が考えるベストな道はこれ以外に存在しない。ひとりで生きていく。そのための冒険者だ。サンサーラには頼れる家族も友人も何もないのだから…
ーーー大丈夫…今までだって一人だった…神楽が死んでからなんて特に…こんなことで立ち止まってなんていられない…
「…わかった、では何かあれば頼ってくれ。もう暫くコルテアルには滞在するつもりだからギルドか『銀の兎亭』に連絡をくれれば伝わる」
そう言ってシルヴィオは去って行ったーーー。
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「ーーーそれで、いくつか聞きたいこと…というか確認したいことがあるんだけど…」
身支度を整えて備え付けのテーブルセットに移動した凛は、改まった様子でテーブルの向かいに座らせたアルヴィスに問いかけた。
「その…色々と混乱してて記憶があやふやなんだけど…私がアルに会った最後っていつかな…?」
「ーーーさ、いご…は…」
問いかけられたアルヴィスは言い淀んで暫し口を閉ざした。
この神楽が創り出したというサンサーラの世界は、名もなき騎士の世界設定だけでなく、凛が「黒衣の大賢者」として黒歴史に綴られた記録が組み込まれているのはシルヴィオの話からなんとなくは察しているものの、問題はどこまでのデータがこの世界に組み込まれているのか、が凛が今後とるべき行動を決める鍵となるだろう。
故に何としてでも正確な情報を仕入れておきたい凛。
しかし、尋ねたまま一向に応えを返してくれないアルヴィスは、唐突に立ち上がると凜の前で跪いた。俯いたまま顔色が伺えないアルヴィス。
「ーーー主、我が主…我ら精霊を生みし母なるお方…。お聞かせください…下位精霊はこのサンサーラを維持するために、中位精霊はその管理を担って、我ら上位精霊は偉大なる御方を護るべく生み出された…」
静かに、抑揚の抜けた声が独り言を呟くように吐き出される。
「ーーーしかし、主様は御身に災いが降りかかるときは我らをお喚びくださらないっ!あの時もっ人間共に裏切られた時ですらっ!!」
「えっ…?」
人間に裏切られた、というフレーズに心当たりがあった。
『名もなき騎士』には大型モンスターを複数プレイヤーで攻略する、所謂レイドバトルのシステムがあったのだが、難攻不落と言われたレイドボス攻略時に達成報酬の一人占めを狙ったプレイヤーに、最後の一撃というところでPKされたことがあったのだ。
その相手がソロ気味だった凛を頻繁にパーティに誘ってくれていた人だったので、当時の衝撃は相当のものだった。
しかし凛にとってはかなり前の記憶で、今となっては随分と曖昧で軽いプロフィールぐらいしか思い出せない。
「(名前…なんだっけ?…確か、小国の王子設定のプレイヤーだった気が…?)」
そういえば丁度その頃に仕事が忙しくなって、神楽の容態も不安定になることが続いた為、めっきりとプレイ時間が短くなったのだったか、と今になって思い出した。
その辺りの背景もきっちりこの世界に反映されているあたり、神楽のお怒り具合が目に浮かぶようでちょっぴり怖い。
うんうん、と考え事に意識を飛ばしていると、膝の上の手を取られたことで意識がそちらに引き擦られる。
「存じ上げております…主様は己よりも他を優先されるっ…その尊き御身を害われようとも…他をっ…」
アルヴィスは攫った右手を両手で包むようにして己の額にあてる。
その様がふと、ある日の神楽と重なった。
ーーーお、ねぇちゃん…っ…おいてかないでっ………。
「大丈夫だよ、アルヴィス…ちゃんと連れて行くよ…」
置いていかない。
誰も置いていかない。
もう、誰も置いていけない。
だって、もう泣かせるのは嫌だからーーー。
「一緒に行こう」




