第五体目 幼き三人
朝一作って冷蔵庫で冷やしておいた、黄色いケーを適当な大きさに切り分ける。
綺麗に切れた。断面が美しい。
今回のケーキは、なかなか完成度が高いと思われる。
「お、美味そう!」
陽向が摘まみ食いしかけたので、咲楽は素早く陽向の手を払って阻止した。
「駄目だよ、皆で食べるんだからっ」
「ちぇ〜」
陽向は口を尖らせる
「それより準備できたの?」
陽向は、背負っているリュックを咲楽に見せた。準備はできているらしい。
「姉ちゃん待ち。早くしてよ」
陽向は椅子に深く腰掛けた。
「もう終わるって。ほら、あとは紅茶入れるだから」
咲楽は、陽向の目の前でアイスティーを水筒に注いだ。
赤みを帯びた茶色い紅茶が光を取り込み、キラキラと光輝いているのを、陽向は頬杖をついて静かに見ていた。
準備を終え、二人は裏口から外に出た。ポカポカと暖かい。空は晴れ、快晴だ。
「まぶしー」
木々の間から漏れ、降り注ぐ日差しが眩しくて、陽向は目を細める。
「帽子持ってきて正解っ」
陽向は帽子を被った。
「食べるときは木陰に行こう。それにしてもいい天気。……良い日だね」
陽向は頷いた。
七年前の出来事は、今でも色褪せることなく、鮮明だ。
少年、希崎海星は、当時十歳であった。
海星はいつも通り、一人で小学校に向かっていた。人が少ないこの時間を狙って登校している。
「ん……」
冬の冷たい風が海星の青い髪を揺らした。
「──っしょっと」
海星は重たい黒いランドセルを背負い直した。中には今日の授業で使う教科書がぎっしり詰まっている。
同級生のランドセルは入学式の時と変わらぬ輝きを放っているのに比べ、自分のランドセルには傷がある。ランドセルは両親が買ってくれた大切な物で、両親には幻獣から逃げるときに付いたと言っていた。それは本当のことだが、ランドセルに傷があらるのはそれだけではなかった──。
「来たな、青髪ヤロウめ!」
もう学校に着くと言う所で今日もまた、耳を塞ぎたくなるような声が聞こえてきた。
顔を見ずとも、こもった声は独特で、すぐに特定できてしまう。
ガキ大将という言葉がお似合いのクラスメイトだ。
丸い鼻の穴から鼻水が覗いて、笑う歯は菓子の食べ過ぎで虫歯菌に侵されている。そのため、腹も少し出ている。
その腹を見る度に、肥満児なのではと疑った。健康診断で引っかかって怒られれば良いのにと思うことも多々あった。
そいつは体が同年代の子と比べ一回り大きかった。その分力も強かった。一度気を許してしまい、脂肪を付けた太い腕が飛んできたことがあったが、予想以上の重さに驚いたものだ。
そして、態度は一回りも二回りも、あるいはもっと大きい奴だった。先生達も手を焼いている様子だった。
「センセイ、まだ希崎のヤツが髪を染めてますぅ。注意しなくて良いんですかぁ~?」
何も聞かなかったように歩く俺を見て、子分のクラスメイトが掛けている丸メガネを指でクッと上げて、近くのセンセイにわざとらしく言う。
平均より細い体は、ガキ大将の大きな体の隣に立っているため、錯覚でヒョロヒョロに見えていた。そのヒョロイ腕なら、俺でも簡単に折れるのではないだろうか。
「「あ〜おっかみ! あーおっかみぃ!」」
謎のコールが始まった。
ああ、嫌だ……。
からかわれるのは慣れている。だが、特にあの二人にはうんざりだ。毎日毎日鬱陶しい。
最近、家庭科の授業で波縫いを習った。手にある糸と針を見て、そのうるさい口を縫い付けてやろうかと思ったものだ。その欲望を抑えるために手を動かして提出した物は、家庭科の先生に好評だった。大きくて立派なはなまる印を貰った。
それ程、自分は二人のことを嫌っていたのだ。
それでも、やり返したりはしなかった。
「おはようございます!」
顔を上げると、センセイがいた。若い男の先生で、担任だった。他の教員と共に挨拶運動を行っている。
海星は先生に目を合さず、黙って校門を潜った。
先生は元々、熱血教師であった。初めは海星を守ってくれた。
『希崎の目と髪は本物なんだ。お前らは茶髪の子を虐めないのに、青いからって虐めるのはおかしいだろう?』
この時、先生はまだ知らなかった。俺が虐められている理由が目と髪以外にもあると──。
先生がソレを知ったのは暑い夏の頃。
海星はいつものように授業を受けていた。ふと、何かを感じて外を見ると、透けている美しい浮遊した女性が、窓を横切った。
思わず席を立って名前を呼んでしまったのだ。シルフ、と。
シルフは四大精霊で、滅多に会うことはない風の精。初めてその姿を見て、つい声を上げてしまったのだ。
次の瞬間、我に戻って周りを見ると、またかと馬鹿にするクラスメイトの目と、異質な物を見る先生の目が俺を見ていた。
それから先生は、俺に手を差し伸べなくなった。先生は知ったのだ。俺が他と違うことに。
少し期待した分、裏切られた気持ちは大きかった。
その日の学校の帰り道、またあの二人組が来た。帰る方向が途中まで一緒なので、いつも別れ道までずっとからかってくる。
今日も後ろが騒がしい。
さすがに我慢の限界だった。
「あのなぁ!」
意を決して振り返った。
その瞬間、何かが飛んできた。
「痛っ!?」
避けられず額にその硬い何かが当たった。足元に転がっていたのは、石だった。
顔を上げて二人を見ると、 嬉しそうにまた石を投げてきた。
今日はいつもと少し違ったのだ。口で虐めるだけでは反応しない俺をつまらなく思ったのか、二人は別の虐めを思い付いたらしい。
「なんで……」
二人は手に沢山の石を抱えていて、次々と投げてきた。
頭上に降り注ぐ矢のように、狙いを定めて放たれた銃の弾のように、石は海星へ向かってきた。
「──!!」
一つ、石が足元に落ちて音を立てたと同時に、海星は駆け出した。
「なんで、なんでっ……!」
皆と少し見た目が違う。皆には見えない物が見える。それだけなのに、どうしてこんな思いをしなくちゃいけない!?
今まで溜め込んでいた気持ちが、一気に溢れた。
道は石が転がる砂利道で、躓いてコケそうになりながらも、気持ちと比例するよに、力一杯走った。
逃げ切ると、海星は歩みを止め、何度も大きく呼吸をした。
体が酸素を求め、足りないと訴えかけてきたのだ。
「ッ、っ〜〜……」
頭が冷静に、いつも通りに動き始めると、今まで感じなかった痛みを強く感じた。あちこち痛い。
特に額は痛くて、脈打つ度にジンジンとは痛みを伴った。
そっと額に手をやると、真っ赤な血が手に付着した。
血を止めるためハンカチを出そうと、ランドセルを下ろす。
「あ……」
ランドセルに傷が増えていた。
海星は服の袖でランドセルを拭き、付いた土を落とした。何度も強く擦って拭いた。
「ただいま……」
呟くように言ったその小さな声を聞きつけて、足音が近付いてきた。
「おかえりなさい、海星。いつもより早かったわね」
母が優しい笑顔で迎えてくれた。それだけで、凄くホッとした。涙が出るかと思うくらい、安心して気が抜けた。
「あら? どうしたの、その怪我」
「あ……えっと……」
咄嗟に額を手で隠す。
「幻獣? ……じゃないわね。話してくれる?」
嘘はつけないと察して手短に理由を話すと、すぐに救急箱を用意して手当てをしてくれた。
消毒液は毒液のようにしみた。頭には包帯が巻かれ、体の数ヵ所に絆創膏が貼られた。
「ありがとう……」
「良いのよ」
「…………」
「どうしたの? 元気ないじゃない」
母、和花菜の垂れ気味の目がこちらを覗く。自分と全く同じ色の筈なのに、母の深緑色の目は優しい色をしていた。
「……どうして俺は普通じゃないの?」
思わず聞いてしまった。それは呟きにも似ていた。
母は一瞬驚いて、しゃがんで目線を落とし、笑顔で答えた。
「海星は元気な普通の男の子よ? 髪の毛と目が皆と違うのは個性なの。例えば、肌が白かったり、黒かったり、目が青かったり、茶色だったりね。皆が同じじゃ気持ち悪いでしょう?」
「じゃあ、この力は何? 幻獣が見える力は皆とは違う」
「──私達は幻獣が見える種族なのよ。この世界には背丈が低い種族や、病気になりにくい種族もいる。だから、堂々としていなさい。海星は海星なのだから」
そうかもしれない、そう納得できれば良かった。だが、俺は素直に納得できなかった。
髪や目がこんな色じゃなければ、こんな力が無ければ、普通に友達ができ、楽しい生活を送れていたのではないか。虐められることも無かったのではないか。
そんなことばかり考えていた──……。
──時は戻り現在、海星はいつもトレーニング場所で待っていた。
「かいせーい!」
「お待たせ!」
咲楽と陽向がやって来た。
「腹減ったし、さっさと食おーぜ」
「もう、気が早いよ」
「んなことねぇーよ」
陽向がリュックからレジャーシートを出し、その場に広げた。靴や荷物で端を押さえて座る。
今日は三人で昼食を摂る約束をしたのだ。
海星が昼食を、咲楽がデザートを用意した。陽向は部活帰りで何も作れなかったので、レジャーシートなど必要な物を用意してくれた。
海星は大きめのタッパーを出した。中にはサンドイッチが入っている。二人の口に合えば良い。
「おっ!」
「美味しそう!」
見た目の評価は好感度だ。
三人は陽向が用意したウェットティッシュで手を拭き、いただきます、と手を合わせた。
「わ、美味しい」
咲楽が、赤と白い物が挟まれたサンドイッチを食べて言う。
「それは、苺ジャムとクリームチーズのサンドイッチだ」
中身を教えると咲楽は納得し、美味しそうに食べ進めた。
陽向もツナのサンドイッチを美味そうに食べている。
良かった……。
「それにしても懐かしいよな。森で海星と一緒に何かを食べるなんてさ〜」
「そうだね」
咲楽は陽向の方に目をやった。
「陽向、帽子脱ぎなよ。海星に失礼」
咲楽は自分の頭を指さした。
「ん、わり」
陽向が帽子を脱いだ。そして、帽子と自分を交互に見る。
「なんだ?」
「いやぁ、昔、海星が髪を隠してた事思い出して……」
「ああ、あれね」
咲楽は笑う。
「久々に被ってみてよ。ちょうどフード付きの服だしさ」
「別に構わないが、そんなもの見たいのか?」
「見たい♪」
陽向は帽子を海星に差し出す。
「んー、分かった」
海星は帽子を受けとると、髪を全て帽子に入れた。
こんな事をしていた時期もあったんだよな……。
海星はおかしくなって、苦笑した。
──次の日は土曜日で学校は休みだった。学校に行かなくて良いから、あいつらに会わなくて良いから、休日は好きだ。
海星は宿題の計算ドリルを終わらすと、一人、部屋で鏡と向き合っていた。
母から受け継いだ緑の目。そして、父から受け継いだ青い髪。どう見ても普通じゃない。
「せめて、髪だけでも……」
緑の目を持つ人間は沢山いる。だが青い髪を持つ人間は、父と自分くらいだろう。
海星は父に憧れていた。強くて頼れる父がかっこよくて、大好きだった。
だから、父から受け継いだ青い髪も大好きだった。
だが、今はこんなにも嫌だと思う。
「髪 ……隠せないかな……。そうだっ」
海星はコート掛けに掛けていた帽子を取ると、髪の毛を全て帽子の中に入れてみた。鏡を見てみると、短髪の男の子が帽子を被っているように見えた。しかし、後ろを見れば青い毛が見えてしまう。
一瞬喜んだが、簡単には髪を隠す事はできないようだ。どうしたら良いか悩み、海星は閃いた。
被っている帽子の上に着ていたパーカーのフードを被った。すると、完璧に髪の毛を隠す事ができた。包帯も見えない。
自分が普通の男の子に見えた。
隠しているだけで、そうではないと分かっていても嬉しかった。
暇になった海星は、母に会いに行った。一階にいなかったので、おそらく庭にいるはずだ。
予想は当たり、母は庭の花に水をあげている最中であった。手には白い如雨露を持っている。
「海星……?」
母はジッと自分を見て眉をひそめた後、すぐいつものように笑った。
「手伝う事ない?」
「そうね。今は何もないわ」
「ふうん」
暇だ。父さんがいたら武器を使う練習の相手になってくれるけど、その父さんもいないしな……。そうだ。
「母さん、俺、ちょっと出掛けてくる」
「そう、分かったわ。気を付けてね。あまり遠くへ行かないように。暗くなる前には帰ってらっしゃい」
海星は頷き、森へ出掛けた。
一人で森へ出たのは久々だった。今日は時間がたっぷりとあるので、海星は森を探検することにした。
父と母によると、この森は他の森と比べて小さいらしい。だが、海星は隅々までは知らなかった。
しばらく歩くと、妖精達の騒ぎ声が聞こえた。それに混じり、泣き声も聞こえる。誰かいるようだ。
「わっ……」
木の影から覗くと、子供が一人踞っていた。妖精達は子供を心配するかのように集まっている。
子供の髪色は薄い茶色。紺色のカーディガンを着ていた。
森に迷い込んだのかな。迷子? なんで、あの子のまわりに妖精が集まっているんだろう。
海星は子供にそっと近付いた。放っておくわけにはいかない。
誰かに声を掛けるなんて久しぶりで、ドキドキと緊張してしまう。
「なぁ……」
「ふぇ!??」
子供はビクリと反応し、顔を上げた。その声に驚いて集まっていた妖精達が散らばる。
海星は子供を見た。歳は自分より下だろうか。子供の目には涙がこれでもかと言う程溜まっていた。
それよりも海星の気を引いたのは子供の青い瞳だった。とても綺麗な色をしている。
中性的な顔立ちだが、女の子だろう。
、橙色の靴履いてるし……。
日本人のようだが、目が青いので外国人なのかもしれない。
「だっ……だれ……?」
泣きじゃくりながら女の子が聞いてきた。声も女の子っぽい。
「俺は希崎海星。君は?」
「あ……藍川陽向」
日本人の名前だ。おそらく、自分と同じ、外国の血が混ざった日本人なのだろう。
父によると、幻獣使いの祖先はヨーロッパのどこかに住んでいたと言われている。祖先の血が強く影響し、髪や目が日本人離れしたのだ。
「どうして泣いているんだ?」
海星は理由を問う。
「姉ちゃんとはぐれて……」
やはり迷子らしい。
「どこではぐれたんだ?」
「あっち……」
陽向は指で方向を指した。
行ったことがない方向だった。
「森の外?」
「違うよ。森の中。家も森の中にあるんだよ?」
この森に自分たち以外の家族が住んでいたんだ。知らなかった……。
「分かった。行こう」
海星は陽向の姉を探すことにした。
陽向は頷き、立ち上がる。
「皆、ありがとう。もう大丈夫だよ」
陽向は自分を心配してくれた妖精達にお礼を言った。
それを見て海星は驚いた。
「……幻獣使い?」
海星が聞くと、陽向は笑って頷いた。
「かいせーも?」
「うん……ほら」
海星は左手の幻石を見せた。
「わぁ! 同じ!」
陽向も幻石を出した。
「本当だ」
「えへへっ」
陽向はニコニコと笑った。仲間だと分かって嬉しいのだろう。
海星は陽向を連れ、森の奥へと進む。
「君のお姉さんってどんな人?」
海星は陽向に問う。
姉の容姿が分からなければ、探すのは難しい。
「げんき!」
と、陽向は答えた。元気な姉と言う意味らしい。質問が悪かったようだ。
「かみは何色? もしかして、君と同じ?」
「うん!」
陽向は大きく頷いた。
薄茶の髪か。すぐに見付かりそう。
海星は大まかに陽向の姉の姿を想像した。
きっと陽向に似ていて……髪は長いかな? 陽向と俺の年の差はあまりなさそうだから、陽向の お姉さんは中学生くらい? いや、もっと上?
そうして陽向の姉の予想図が出来上がった。
海星は、それを元にまた探し始めた。
海星と陽向は、広場に出た。
森にはこのように木が生えていない場所が幾つかある。海星の家の近くにも広場があり、海星はそこで父から武器の使い方など教えもらっていた。
あれ……?
海星は辺りを見渡した。見覚えがあった。
ここは……水仙畑の近くだ。
母は水仙を知らない俺に水仙を見せてやろうと、森の一角に水仙畑を作っていた。
母と一緒に球根を植えて、毎日水をやっていた。
「そうか……こっちからも来れるのか……」
水仙畑の行き方は一つしか知らなかった。
新たな発見は嬉しくて、また森を歩き回りたいと思った。
「陽向ーっ!」
陽向を探す女の子の声が聞こえた。姉ようだ。想像していたより幼い声だった。
なんか、上から聞こえたような……?
「お姉ちゃん!」
陽向も姉を呼ぶ。
すると、近くの木の上から人が降りてきた。
海星は驚いて一歩下がった。
「あっ……」
降りてきたのは、陽向と色違いの赤いカーディガンを着た女の子。肩にかかるくらいの髪は薄茶色、目も陽向と同じ色だ。その青い目と目が合う。
「陽向見っけ!」
その女の子は、ビシッと陽向を指差した。
「姉ちゃん!」
陽向が笑う。
「この人が……」
陽向は海星から離れ、姉の元へと走る。陽向は姉に飛び付くと、泣き出した。姉は陽向を宥める。
にしても、木の上から降りてくるとは、確かに元気なお姉さんだな。歳は自分とあまり変わらなそうだ。予想は大ハズレだったな。
「えっと……ありがとう?」
陽向の姉がこちらを見ていた。警戒されているようだ。
「お姉ちゃん、かいせーって言うの。かいせーも幻獣が見えるんだよ!」
それを聞いた陽向の姉は、すぐに警戒を解いて嬉しそうに笑った。
「あなた、幻獣使い?」
「うん、君も?」
「そうだよ! 私、藍川咲楽。咲楽で良いよ」
「俺は希崎海星」
「よろしくね!」
咲楽が手を差し出したので、海星は戸惑いながらも握手した。その手は温かかった。
こんなに好意的な子に会うのはいつぶりだろう。
「ところで姉ちゃん、エルフは見つかったの?」
泣きやんだ陽向は聞く。
「それが見つからないんだよね……。どこにいるんだろう……」
咲楽が悔しそうに言った。
「エルフ!? 森の妖精のエルフ? この森にいるのか?」
「いるよ! エルフ探してたら陽向が迷子になったんだよ」
「だっ、だって姉ちゃん早いんだもん!」
「陽向が遅いんじゃない!」
「お、遅くなんか……ないもん……」
また陽向が泣きそうだ。
「なんで、エルフを探しているんだ?」
海星は話をずらし、陽向に救いの手を差し伸べる。
「私ね、エルフと友達になりたいの。だから、お話しようと思って毎日会いに行くんだけど、今日も逃げられちゃって……」
今日も? エルフと友達になりたい? それは……。
「むりだろ。エルフは自分のしゅぞくをほこりに思っている。契約を結ぶどころか、仲良くなんてなれるわけない。従えるなんてできやしない」
言い終わり、咲楽の顔を見ると、咲楽は傷付いた顔をしていた。
しまった、言い過ぎた……?
海星が反省していると、咲楽が口を開いた。
「エルフを従えるとか考えてないよ。ただ友達になりたいだけ」
「どうしてエルフと友達になりたいんだ?」
海星がそう言うと、咲楽はポカンと口を開けた。
「友達になる理由なんているの?」
今度は逆に海星が口を開けた。
「せっかく幻獣が見えるんだから、幻獣と友達にならなきゃ損でしょ?」
咲楽はニコリと笑った。
そんな、考え方をするのか……。幻獣使いであることを受け止め、幻獣使いとして生きている。
「でも、自分が幻獣使いで嫌なこと、いっぱいあるだろ!?」
咲楽はキョトンとした。
「例えば?」
「幻獣に反応して、変なやつだとか思われたり……」
咲楽の表情が固まった。陽向は咲楽の後ろで小さく縮こまる。経験があるらしい。
「けど、幻獣はいる。私は見えるし、話すこともできる。変なやつだとか思われても、私はかまわない。そんなことよりも、幻獣と楽しく過ごしたいんだぁ♪」
なんて前向きな子なんだろう。
「じゃあ、皆と違う見た目は? それでイジメられたりしない?」
「んーちょっとだけ。へへっ」
咲楽は肩を竦めた。
ちょっと? ああ……そうか。薄茶色の髪と青い目を持つ人間なんて沢山いるじゃないか。俺とは違う。
海星は俯き、目を開けた。
「──!?」
咲楽が自分の顔を覗き込んできた。海星は思わず驚く。
「きれーな目」
咲楽が目の奥を見てくる。
「ほんとうだ!」
陽向も自分の目を見て、はしゃぐ。
「ねえねえ。かみの毛は何色なの? 見せてよ」
咲楽がジリジリと近付いてくる。
「う──教えないっ!」
海星はフードを深く被った。
すると、咲楽はムッとして、俺の帽子のつばを掴むと、フードごと帽子を脱がせた。
海星は慌てて手で髪を隠す。しかし、手で隠せるはずもなく、青い髪は咲楽達に見られた。
「すごい! 青い! いいなぁ~」
陽向が目を輝かせる。
「良くないっ。この髪のせいで俺はイジメられている」
「──きれいなのに?」
海星は耳を疑った。
「きれい……?」
咲楽は頷いた。
「うん、きれい! なのに海星をイジメるとか意味わかんない」
綺麗だなんて言われたのは初めてだった。
「その傷、そいつらにイジメられた時にできたの?」
青い髪の隙間から覗く白い包帯を見たらしく、咲楽に聞かれた。
「うん……石、なげられて……」
咲楽は怒った顔になった。
「私、海星をイジメるやつらなぐりたい!」
咲楽はボクサーのように構えた。
「うん、ボコボコにしたいっ」
陽向も構えた。
「え、なんで……」
二人には関係のないことなのに──。
「なんでって、友達がイジメられていたら、そりゃ怒るよ!」
海星は目を大きく見開いた。
友達? もう、俺達は友達なのか……?
その時、何故か心がフッと軽くなった。
「──ありがとう。咲楽、陽向」
海星がそう言うと、咲楽と陽向はお礼を言われた意味が分からないようで、目をパチパチさせた。
「俺、救われた」
この髪を綺麗だと言ってくれた。それだけで、ほんの少しだけ髪を良く思えた。
会ったばかりなのに、友達と言ってくれ、俺のために怒ってくれた。
「──ありがとう」
海星はこの日、初めて笑った。
「懐かしいね」
「ああ、本当に」
咲楽と陽向は髪を隠した海星を見て言った。
「ほんとにな……」
海星は頃合いを見て帽子を脱ぎ、陽向に返した。
「よし、デザートを食べよう! チーズケーキを作ってきたの!」
昼食を食べ終わったので、咲楽は作ってきたチーズケーキと紅茶を出した。
チーズケーキは紙皿に、紅茶は紙コップに注いだ。
はい、と咲楽から紅茶を受け取る。
「さて、何ティーでしょうか?」
咲楽に問われる。
海星は紅茶を一口飲んだ。砂糖とは別のフルーティな甘い香り。すぐに答えが分かった。
「ブルーベリーティー」
「正解! 今回は簡単だったね?」
「今回は、って毎回あるのか?」
「まさか」
咲楽は苦笑した。
「さ、ケーキ食べてみてよ。私の得意料理の一つ、チーズケーキ。ご賞味あれっ」
咲楽からプラスチック製のフォークを貰う。
「いただきます」
早速チーズケーキを食べてみた。店のチーズケーキは食べたことがないので、どうなのか断言できないが、店で売っててもおかしくないくらい美味しい。
「美味いな」
咲楽はその言葉が聞けて満足そうに笑った。
そういえば、咲楽と陽向に出会った頃、二人の母親、咲夜さんにも会ったんだっけな。咲夜さんの焼いたチーズケーキも、とても美味しかったと記憶している。
──その日は日が傾くまで咲楽達と一緒にエルフを探した。結局エルフは見付からなかったが、友達と一緒に遊べて楽しかった。しかも、同じ幻獣使い。気楽に話せた。
明日も探そう、と二人に言われ、会う約束をした。それだけで、明日が来るのが楽しみになった。
家に着くと、海星はリビングへ行った。
「ただいま!」
「おかえりなさい。あら……」
母は自分の頭を撫でた。
怪我の様子でも見てくれたのだろうか。
「何か良い事あったのかしら?」
「そうなんだ! 友達が二人もできたんだ!」
両親は驚き、互いに目を合わせ、海星を見た。
「良かったわね」
両親は微笑んだ。
「そうだ、海星。もうすぐ水仙が咲くわよ」
母は近くにいる父、太星に聞かれぬよう、こっそり自分に言った。
「本当!?」
「ええ、咲いたら父さんにも見せてあげましょうね」
海星は元気よく返事をした。
父には水仙畑の存在すら教えていなかった。二人で育てて驚かすという作戦だ。
「なんだ?」
父が不思議そうにこちらを見ていた。
「なんでもない! ね、母さん」
「ねー。なんでもないわよ」
海星は、母とクスクス笑った。
驚く父の顔が目に浮かぶ。
だが、そういう自分も最近の様子を知らない。母が、満開の水仙を見せてくれるらしく、咲くまでは海星も立ち入り禁止なのだ。
次の日、海星はフードが付いていない服を着た。もちろん帽子も被っていない。
もう必要がなかった。
昨日咲楽とあった、集合場所の広場に行くと、ナップサックを背負った咲楽と、見知らぬ女性の背後に隠れた陽向がいた。
薄茶色の長い髪を持つ女性。二人の家族だろうか。
「あ、かいせーい!」
咲楽は海星に気付き、大きく手を振った。
海星は三人の元へ行く。
「こんにちは、海星君。私は二人のお母さん、咲夜です。昨日はありがとう。陽向を助けてくれたんですってね」
咲楽達の母親の瞳は青みがかかった水色で、かなりの美人だった。
「いえっ、こちらこそお世話になりました」
「……? しっかりしてるのね。今日も二人をよろしくお願いします。それじゃあ咲楽、陽向、おつかい頼んだわね。咲楽、また陽向を迷子にさせないように!」
「はーい! 陽向、はぐれないでよ」
「いっつも頑張ってるもん!」
「もう、咲夜が気を付けてあげるのよ。お姉ちゃんでしょ?」
「む〜っ。分かったよぅ」
「じゃあね」
咲夜は森の中へと消えていった。
海星が咲夜に会ったのは、これが最初で最後であった。
「今日は、エルフとユズを探しします!」
咲楽は元気よく言う。陽向は、おーッ! とやる気満々だ。
頭にはてなを浮かべているのは自分だけだった。
「エルフは良いとして、ユズ?」
「うん。ユズができる木があって、母さんに頼まれたんだ!」
先程、咲夜が言っていたおつかいは、このことだったらしい。
「行こう!」
エルフと柚子探しが始まった。
「エルフ~!」
咲楽と陽向はエルフの名を呼びながらエルフを捜す。呼んだら逆に逃げるのではないかと思いながら、海星もエルフを呼ぶ。
「あっ」
咲楽が何か発見したらしく、一本の木を見上げる。
「陽向、ちょっと持ってて」
咲楽はナップサックを陽向に預け、一気に木に登った。まるで野生児だ。
「むぅ……逃げられた……。見てよ、これ」
咲楽は下に降り、木の上から取ってきた、赤い小さな木の実を見せる。
「幹の上にあった。エルフは、さっきまでこの木にいたんだよ」
咲楽の顔には確信の色が見られた。
「なんでそう思う?」
赤い木の実があっただけでは、エルフがいたと言えない。
「え? なんとなく」
「…………」
特に根拠はないらしい。
「姉ちゃん、お腹すいた! きゅーけいしよ!」
陽向は咲楽の服の裾を引っ張る。
エルフを探して二時間。森を歩き回り、海星も疲れ、休憩がしたかった。
「もう食べる?」
陽向は頷く。
「海星、ケーキ好き? チーズのやつなんだけど……」
咲楽は陽向からナップサックを受け取り、中からラップに包まれた、レモン色のケーキを取り出した。
見たことのないケーキで、海星は静かな高揚感を感じていた。
「チーズのケーキ? 食べた事ないけど、ケーキは好き」
「じゃあ、食べてみて! 母さんのチーズケーキは、すっごくおいしいから!」
海星は咲楽からチーズケーキを受け取った。ラップを捲ると、所々に紫の粒があるのに気が付く。
どんな味がするのだろう。
初めてのチーズケーキにワクワクしながら、海星はケーキを一口食べた。
「わっ……」
口の中に広がった、初めて味わう濃厚なチーズの味。ほのかに香る柑橘の爽やかさ。
海星はケーキに目をやった。断面に紫の粒を見つける。海星はその粒を狙って、もう一口食べた。
紫の粒の正体はブルーベリーだったらしく、甘酸っぱさも加わり、とても美味しい。
「かいせー、おいしい?」
「うん、とても」
「でしょう?」
咲楽は誇らしげに、チーズケーキをパクリと食べた。
初めて食べたチーズケーキは、最高で、思い出の味となった。
チーズケーキと紅茶を食べ終えた海星は、咲楽に、ごちそうさまと言った。とても美味しかった。
「海星って、何ケーキが好き?」
咲楽に聞かれ、海星は少し考え、チョコレートケーキと答えた。
「ふうん、今度作るよ。甘い方が良い?」
「いや、控え目が良いな」
甘いのも好きだが、ほろ苦く深みのあるチョコレートケーキの方が好みだ。
「ビターね。分かった」
「咲楽は?」
咲楽ばかりに作ってもらうのも悪いと思い、海星は咲楽に同じ質問をした。
「やっぱりチーズケーキが好きかな。あ、シフォンケーキも好きだよ」
陽向にも聞く。
「俺もチーズケーキが好きだな。あと、ブルーベリーのタルトとかも好き」
「あ、ベリー系を使ったケーキも美味しいよね!」
「分かった。今度作る」
ケーキなどは学園で作り方を教えてもらっている。しかし、口に合うだろうか。
「あ、そうだ。エルフがね、海星に会いたいんだって」
咲楽は思い出したかのよに言った。
「エルフが?」
咲楽から貰った薬を作ったエルフだろうか。いや……もしかすると、そのエルフは、かつて三人で探し回ったエルフなのでは?
「今呼ぶね。出でよ、容姿端麗な森の妖精……エルフ!」
咲楽の幻石からエルフが現れた。黄緑の髪、青緑の瞳、尖った耳。あの時のエルフだった。昔と何一つ変わらない顔。エルフは長命なので、老化が緩やかなのだろう。
前と違うのは服装と髪型だ。
「──本当に海星なのか? でかくなったものだな」
「エルフは相変わらずだな」
「あれから七年しか経っていないからな」
人間にとって七年は結構な月日だが、エルフにとってはそうでもないらしい。
咲楽と契約しているということは、咲楽はエルフと友達になれたようだ。
──エルフを探し始め三時間が経った。一向に手掛かりは掴めない。
その代わり、探していた柚子を見付けることはできた。咲楽は三つほどもぎ取り、ナップサックに入れた。お母さんとジャムを作るんだ、と嬉しそうに咲楽は言った。ジャムができたら俺にもくれるそうだ。
「姉ちゃん、なんか聞こえるよ?」
そう陽向が言うので、海星と咲楽は耳を済ませた。ハープの音と歌声が聞こえる。あまりに美しく、聞き惚れてしまいそうだ。
「エルフだ。やっと見つけた!」
咲楽が嬉しそうに言う。
正確には見付けてはいない。近くにいることが分かっただけだ。
「こっそり近付こう」
一度逃げられたのだ。慎重に探そう。と、海星は思っていたのだが……。
「エル~フ!! 咲楽だよーっ!」
咲楽は大声でエルフを呼んだ。これでは逃げられてしまう。
すると、エルフのハープと歌声が止まった。一瞬の沈黙の後、何処からともなく声が聞こえた。
「ああっ、もう……しつこいぞ!!」
疲労が混じっているような声だった。
「出てきてよ!」
咲楽が言うと、舌打ちが聞こえた。すると、観念したような表情のエルフが、木の上から降りて来た。
肩にかかる位の黄緑の髪、細身の体。海星はこの日、初めてエルフを見た。美しかった。想像していたエルフよりボーイッシュな感じだった。
エルフは咲楽に近付き、深い溜め息をついた。
「毎度毎度聞くが、貴様の用は何なのだッ?」
「毎度毎度言わせないでよ。ただ会いに来ただけ」
毎度こんな会話をしているのか。エルフも疲れるわけだ……。
「む? 見慣れない餓鬼がいるではないか」
エルフと目が合った。すると、エルフは眉を潜めた。
「お前……太星の子か?」
「え、うん。父さんを知ってるのか?」
「ああ、青髪の人間など、お前らくらいだ。そうか、太星の子なのか……」
エルフは俺に近付き、ポンと手を頭に乗せた。そして、青い前髪をどけた。
「太星によく似ている。……で、この怪我は何だ」
エルフは睨むようにこちらを見た。
まだ一昨日の傷が治っていないため、海星は頭に包帯を巻いていた。
海星は理由を話した。
「くだらんな」
エルフが吐き捨てるよに言った。
そして、俺の頭の包帯を取った。
「治してやる、じっとしてろ」
エルフは杖を出すと、魔法で幾つかの薬草と原料を砕く薬研、さらに原料を細かくし混ぜ合わせるこね鉢を出した。
エルフはその場で見たこともない植物を手際良く調合し、出来た薬を傷口に塗った。
「い"っ!?」
傷口に薬が塗られた瞬間、強い痛みが走った。だが、不思議と嫌な痛さではなかった。
「このくらい我慢しろ! 直に痛みは引く」
「う……」
しみる痛みとツンとした匂いを我慢していると、痛みがスッと引いてきた。
力を入れていた眉を緩めると、エルフの目が笑った。
「今日の夜には治る。包帯はもう必要ないだろう」
「はやっ」
「この私が作った薬だぞ!? 当然のことだ!」
エルフは鼻から息を吐いた。
「ほら、他の傷も治すぞ。手を出せ」
エルフは、他の小さな傷も治してくれた。小さな傷は数分で消えてしまった。
「全く……あの太星の子なんだ。別にお前は弱くないだろうに。何故その餓鬼共にやり返さないのだ?」
何故か、エルフは父についてよく知っているようだった。
父、太星は幻獣使いでもトップレベルの強さを誇っていた。幻獣の知識、武器の扱い、従えている幻獣の強さ、力の力量。とにかく強かった。
そんな父からは幻獣について、武器の扱い方、体術など様々な事を教わった。正直、自分が弱いと思わない。少なくとも、あいつらよりは強い。でも……──。
「母さんが、この力は普通の人達に使うなって言うから」
そう、母に言われていた。この力は人を傷付けるものじゃないと、人を護るために使えと教えられた。
「和花菜か……なるほどな」
エルフは母の事も知っているらしい。今までエルフの存在を知らなかったのは、自分だけだったのだろうか。
「──バッカみたい」
咲楽が呟いた。
「え……?」
咲楽に目をやると、咲楽は口を尖らせ、こちらを睨んでいた。その目はなかなか怖い。
「海星はバカだ!」
今度ははっきり言われた。咲楽は続けて言う。
「自分が傷付いたら意味ないじゃん!! 自分の身すら護れないくせに、誰かを護るなんてできないよ!!」
「姉ちゃん、それ父さんから教わったやつ……」
と、陽向がポソッと言った。しかし、咲楽には聞こえなかったらしい。聞こえていたら、うるさいの一言くらい言っていただろう。
「ふむ……確かに、そうだな」
エルフは腰を落とし、俺の目を見て話始めた。
「海星、使って良い力と、使ってはいけない力を見極める事も大事だ。幻獣や武器を出して奴等にやり返すと言うのは、和花菜の教えに反するであろう。だから……」
エルフは小さな海星の手を取った。
「己の力のみを使え」
「俺の……力?」
「そう、例えば体術。体術は海星が身に付けたものであり、只の人でも身に付けるものだ。だから使っても良い。ただし、護る為だけに使うのだ」
いきなり色々教えられ、全てを理解する事はできなかったが、エルフが伝えたい事は何とか理解した。
「そうそう、ちょっとくらいやり返しちゃえ!」
「ねーちゃんはやりすぎなんだよ」
陽向がまたポソッと言った。今度は聞き逃さなかったらしく、咲楽は陽向の首に手を回し、拳で頭をグリグリと攻撃した。
「いだだだっ、いってえ!!」
あれ? やけに乱暴な言葉使いだな。まるで、男みたいな……。
「こら、咲楽、やめるのだ」
「ふんっ」
咲楽は陽向を解放した。
「ぅわ〜ん! 姉ちゃんのばかぁぁぁ!! ひどいよぅ〜!」
陽向は涙をボロボロとこぼして泣いた。
その姿は、海星に陽向を女の子と再認識させるには十分だった。
海星は、陽向が男と言うことにまだ気付けなかった──……。
「──そうだ、エルフ、チーズケーキあるんだけど食べる?」
咲楽はチーズケーキをエルフに差し出した。最初から渡す気だったらしく、別に取っていたようだ。
「ああ、頂こう」
エルフは黙々と食べ始めた。
「……どう?」
「ふむ、まあまあだな。以前食べた、木の実タルトであったか? 私はあれの方が好きだ」
「ああ、ナッツタルトね。エルフって木の実好きだよね」
木の実……あの日も赤い木の実を食べていたな。何の実だったか、記憶がぼんやりしている。
「エルフ、昔食べていた赤い実、あれは何て言う木の実だったっけ?」
折角再会したのだ、この際聞いておこう。
「昔食べていた赤い実?」
エルフは首をかしげた。
「木苺、ラズベリー……」
エルフは次々に思い当たる実の名前を挙げた。
「違うよ、エルフ。エルフが海星と出会った日、エルフが食べてたのは……あれだよ。種に毒があるやつ」
そう、毒があるとエルフから教えられた実だ。咲楽が出会った頃の事を、ちゃんと覚えていると知り、何だか嬉しかった。
「……イチイだな?」
それそれ、と咲楽は頷いた。
「あの時、エルフ怖かったよな~」
陽向の言う通りだ。あの時のエルフは本当に怖かった。
「仕方なかろう?」
まあ、そうなのだが。幼かった俺達は、エルフに恐怖した。
「──ねえねえ。エルフ、コレ食べてたでしょ? 何て言うの?」
咲楽は先刻見付けた、赤い木の実をエルフに見せた。
「ああ。それは、イチイの実だ。甘くて美味いぞ。食べてみるか?」
エルフは植物を織って作った、草木の入れ物からイチイの実を数粒取り出した。
そして、平等に三人に分け与えた。
海星は実を一つ掴むと、様々な方向から見た。
「良いか、イチイの実には食べる注意点がある。イチイの実の種にはだな──」
「あむっ」
陽向がエルフが説明している途中に、イチイの実を口に入れた。
エルフはそれを見て、一瞬で青ざめた。
「ばっ、馬鹿者っ!!」
エルフは陽向の口に手を突っ込み、食べ掛けの実を取り出した。海星と咲楽は唖然とする。
「口内を濯ぐぞっ!!」
杖を出し、魔法で大量の水を陽向の口に流し入れた。
海星と咲楽はよく分からないまま、その光景をただ見ていた。いや、何が起こっているのか分からなくて、ただ見ているしかなかった。
口を十分に濯いだと判断し、エルフは水を止めた。陽向は咳き込んでいる。水が気管に入ったのだろう。
「話を最後まで聞けぃ! この愚か者め!!」
エルフの鬼の形相が陽向の目に写った。いきなり怒られ、口に手を突っ込まれ、無理矢理口に水を流し込まれた。さらに、エルフの怖い顔。陽向は泣き出した。
よく泣く子だと思う。エルフと咲楽も、またかと言った表情を浮かべていた。
しかし、今回は(かなり)エルフが怖かった為、陽向が泣いても仕方ないかと思う。
「よしよし、泣かないの」
咲楽は陽向の頭を撫でた。咲楽の優しい姉としての一面を見た気がした。
「エルフ、急にどうしたの? イチイの実は食べれるんでしょ?」
「食えるが、種には毒があるのだ」
それを聞いて、陽向は青ざめた。
「だから、エルフはあんなに慌てたんだね」
「あ……ありがとう」
陽向はエルフにお礼を言った。
「いや。お前等のような餓鬼に、イチイの実を与えた私が悪い。すまなかった」
エルフは頭を下げた。
謝っているのに、何故か上から目線に感じた。
「種に気を付けたら良いの?」
咲楽は実を一粒摘み上げた。
「うむ、絶対に噛むな」
はーい、と返事をして、咲楽はイチイの実を一粒口に入れた。それを見て、陽向も恐る恐る実を口へ入れた。海星も口に実を運んだ。
種を噛まぬように注意しながら、回りの赤い果肉を舌で剥がしながら食す。
「甘い!」
咲楽が声を上げた。
「なかなか美味であろう? 人間達は実を焼酎という物に浸けて飲むそうのだ」
「ショーチュー?」
幼い海星達に焼酎という言葉は理解できず、へぇ~と相槌を打った。
「──またイチイの実食べてぇなー。もう味忘れたよ」
陽向は横目でエルフを見ながら言う。あるなら出してほしいということだろう。
「残念だが、イチイの実は冬にならんと無い。また冬になったら、皆で食すとしよう」
「おう!」
「生ったら教えてね、エルフ」
「任せるがいい」
──ん?
海星は小さな違和感を感じた。
「エルフは、名前が無いのか?」
名前があるならば、咲楽の性格上、名前で呼ぶだろう。なのに呼んでいないということは、名前が無いということだろう。
「名前だと? あるに決まっているだろう!」
だが、エルフに強く否定された。
「え、じゃあなんで……」
海星は咲楽を見た。咲楽は察したようで、苦笑いした。
「教えてあげたら?」
エルフは仏頂面のまま、溜息をついた。
「……シンディだ」
「シンディ……」
海星は確認するように、エルフの名を口にした。
その瞬間、エルフに睨まれる。
「なんか、ぽいな。合ってる」
「でしょー? 私もそう思うの!」
「……以後その名で呼ぶな」
「何故?」
エルフは答えない。咲楽に目をやるが、咲楽は首を振った。
「なんかね、許してくれないの」
咲楽は笑うが、その笑顔には青さが混じっていた。その青さが、悲しさなのか寂しさなのかは分からないが、何か二人の間にはあるのだろう。
よそ者が踏み入ってはならない。
「……!?」
次の瞬間、突風が吹いた。風の強さに皆目を閉じた。
──フフフフ。
その声に目を開けた。
女性の声だ。森に反響して、森自体が声を発したように聞こえる。
「今のは、まさか──」
陽向は吹いた風の方を目で追いかけた。
「シルフだな」
エルフはきっぱりと言った。
「シルフ? 今のがか?」
「たまに見掛けるんだよね。母さん曰く、森を守る精霊らしいの。姿は見れなかったから、今のが見掛ける守護精霊かどうかは分からないけれど……」
「森を守る守護精霊? それは凄く変わってるな。面白い。シルフが守る森なんて──」
パンパンッ。
エルフが手を叩いた。
「そろそろ帰れ、日が暮れる」
木々の間から空を見ると、空は橙色に染まりつつあった。
「そうだね。片付け開始!」
咲楽の合図で片付けが始まる。
今日は昔話ができ、楽しかった。
夜、海星は部屋で本を読んでいた。学園で配布された、幻獣の教科書だ。その幻獣を見た事がある幻獣使いが、挿絵を描いているため、想像がしやすい。しかし、見た事がある幻獣のイラストしか無いのが少々困り物だ。
「……?」
窓に何かが当たったらしく、コツンと音がした。カーテンを退けて窓を開けると、真剣な面差しのエルフが宙に浮いていた。
「海星、少し良いか? 聞きたい事があるのだ」
「……ああ」
海星は部屋にエルフを招き入れた。
「咲楽は近くにいるのか?」
エルフがいると言う事は、近くに主人の咲楽がいる可能性がある。
「いや、私だけで来た。散歩に行くと言ってな」
「主人に嘘をついて来たのか? そこまでして、俺に何が聞きたい」
エルフは緊張しているらしく、深呼吸をしてから口を開いた。
「お前……本当に海星か?」
海星は体が硬直するのを感じた。
エルフは知っている……?
「まだ、大丈夫なのか?」
エルフは揺るぎない眼差しで海星を見つめた。海星は大きく息を吸い、もう一度エルフの目を見てから答えた。
「まだ、俺だ。今は大丈夫」
エルフは安堵の溜め息をついた。表情もほんの少しだけ和らいだように思える。
「エルフは、どこまで知っているんだ? もしかして、出会ったと時から知っていたのか?」
緊張と恐怖で、鼓動が早まるのを感じる。
「ああ、知っていた。詳しくは知らんが、大まかには理解している。……咲夜から聞いていたからな」
「咲夜さんから!?」
予想外の名前が出てきて驚く。
「咲夜さんは知っていたのか!? それじゃあ……二人は知っている……?」
海星は恐る恐る聞いた。
「いや、知らない。咲夜は何も二人に教えてはいない」
海星はホッとした。
それが良い事なのか、悪い事なのか、よく分からないが、良かったと思った。
「海星、残り時間はどのくらいあるのだ?」
「分からない。でも、もう始まっている。学園で一度……その……」
海星は口を濁した。と言うより、言葉が出なかった。
海星の言いたい事をエルフは察した。
「森泉学園で、か。やはり、学園に行っていたのだな……。それで、お前がここに戻って来た理由はそれか?」
海星は頷いた。
「学園にいたら、大勢の人を巻き込んでしまう」
エルフは眉間にシワをを寄せた。
「咲楽と陽向なら、巻き込んでも良いと言うのかっ!!?」
「っ──そんな訳ないだろ!?」
「では何故ココにいる!? お前がいては危険ではないかっ!」
エルフの言葉が弓矢となり、海星の胸に突き刺さった。心の痛みに顔を歪める。
「分かってる……そのくらい。でも! 今の二人がアラン派に勝てると思うのか!?」
エルフは沈黙した。
「俺は……無理だと思う!」
エルフは一拍遅れてから口を開いた。
「咲楽から聞いている。アラン派に目を付けられたらしいな。今まで、この如月市は平和であった。大きな事件は過去に数える程度だ。だが、ついにここまで奴らの手が来たのか……。はっきり言って、経験が乏しい二人では勝てないであろう」
「だから、俺はいる……」
「なるほどな。だが──」
「もし、俺を危険だと感じたら……殺してくれて良い」
今後どうなるか、俺にも分からないのだから──。
俯いた海星の姿をエルフはじっと見ていた。そして、フンと鼻を鳴らした。
「馬鹿め。私がお前を殺せるものか。お前は、我が主の友人だぞ。──帰る」
エルフは下半身を窓の外に出した。
「海星、自分の意思ををしっかりと保つのだぞ。負けてはならぬ。いいな?」
「ああ……ありがとう」
エルフは窓から飛び降りた。海星はすぐさま窓から顔を出し、エルフを呼んだ。
「内緒な!」
自分が危険だと知っていても、咲楽と陽向には知られたくなかった。
エルフはこちらを一瞬見た後、ヒラヒラと手を振り、夜の森の中へと消えていった。
エルフは森の中心部にある広場へ向かっていた。目的地は墓だった。
エルフは夏向と咲夜の墓前に白い花を一輪供えた。
「ついに、再会してしまった。分かっていたことだが……」
シルフが吹かせているのか、風が森全体の木々を鳴らす。
「咲夜よ、お前ならどうするのだろうな……」
応えないと分かっていながら、エルフはその場にしばらくいた──。
「おい、餓鬼共! お前らはさっさと帰れ! 直に夜になる!」
エルフはシッシ、と手を振る。
ああ、もうそんな時間か。冬は日が傾くのが早い。それとも、楽しかったから早く感じたのか……。
「エルフ、また明日ね!」
「もう来るでない!」
エルフはくるりと背を向けると、気に登り、どこかへ消えてしまった。
「エルフ、いい奴だな」
「でしょう?」
「きっと友達になれるよ。けっこう仲良いみたいだし」
「本当!? ありがとう!」
エルフと別れた場所から、咲楽と陽向の家は然程離れていないらしく、そこで解散する事になった。
「「かいせー!!」」
去り際、咲楽と陽向に呼ばれ、海星は振り返った。
「また遊ぼうね~!」
「遊ぼうね〜!」
大きく手を振る二人に、海星も手を振った。
明日は平日で、学校があって、あいつらとまた会わなくてはいけない。しかし、友達ができた。
この髪を綺麗だと言ってくれた。それだけで、明日も頑張れる気がした。
それに、明日はあいつ等に虐められたとしても、自分の身を守るくらいはやり返すつもりだ。負ける気なんてしない。
今まで明日は暗かったのに、明日が明るくなるのを感じた。その明かりは蝋燭に着いた火のように小さいけれど、それだけでも頼りがいがあった。
早く帰って、両親に今日の事を話したい。エルフに会ったこと、咲楽と陽向という友達のこと、そして、明日から頑張ることを告げたい。
家の明かりが見えた。海星は足早に我が家へと向かう。
家の戸を開ければ両親が微笑んで、おかえりと言ってくれる。母の作った美味しい夕飯を食べながら、話を沢山聞いてもらおう。
──海星は、そう思っていた。
しかし、それは叶わなかった。
この日、海星は家族を失う。
この後に起こる恐怖を、幼き海星はまだ知らない──……。
幻獣使い第五体目【幼き三人】を読んでいただき、ありがとうございます。:.゜ヽ(´∀`。)ノ゜.:。 ゜
皆様は良い夏休みを送れましたでしょうか。
HELIOSはドタバタしておりました!
後書き参ります(^ω^)
幼い咲楽はちょっぴりやんちゃ。陽向は超泣き虫で可愛い。海星は表情があって、もうこの話は書くのが楽しい回でした。……いつもも楽しいですけど!
さて、海星は次の日から児童幻獣養護施設、通称森泉学園に行くわけですが、その話は後々……。
これから海星の運命は変わっていきます。
挿絵の話。
どこの挿絵を描こうかと、すごく迷う回でした。
予定より一枚多く描くことになりましたが、海星の笑う顔、驚く顔。そして、陽向の泣き顔を描くのが楽しかったです!
友人から指摘を受けました……太星さんの顔が海星に似すぎているという(^_^;)
自覚ありです。
何とかします。はい。
陽向の靴は橙です。咲楽のお下がりという設定だったり……?
男の子物のデザインになったので、♥でも描いてやろうかと思いましたが、陽向が泣きそうなのでやめました(笑)
では、次回予告。
和稀主催のテスト勉強会が開かれます。開催地は和稀の家。
メンバーは咲楽、華夢、海星、和稀、千夏の五人。
やっと咲楽目線の楽しい話になります。
第六体目は【中間テスト一ヶ月前】です。
しばらく三人には、平和な日々を送らせる予定です。