ブラウンは憂鬱
ハーフタイム、ロッカールームで着替えをしているトリノの選手たちの表情は余裕の笑みを浮かべていた。それもそのはず、世界最高とまで言われるチーム、ユヴェントス相手に控え選手中心とはいえ2-0でリードしているのだ。顔が綻ばないわけがない。
しかし、その中でも人一倍険しい顔をしている選手がいた。今日は3バックの真ん中を務めるリク・アレサンドロだ。
(……ディエロ、それに若手とはいえワールドクラスのレン・シュタインにジョージ・ダイアン。奴らがいてなぜここまで何もしてこないのだ?何か、見落としている、か?)
リクは人一倍思慮深い選手だった。守備のタイミングの見極めを得意とすることから分かるように、そのサッカーIQは高く非常にクレバーな判断を下せる。クレバーな守備は彼の武器だ。そんな彼が前半のユーヴェに違和感を感じていた。
(……今、チームの士気は高い。リードして前半を終えたこともあり、俺の違和感など流してしまうだろう。……うむ、アダンに話しておくか。)
リクの相棒ともいえる選手がアダンだった。ともに慎重な性格で面倒見がよく、前監督がキャプテンを2人にしようと思うほどの責任感の強さとカリスマ性が二人にはあった。そんな似た者同士な2人は相談事があればまずお互いで相談するのが日常となっていた。実際、昨年チームの連敗時もリクが怪我中のアダンに相談しに来たことは多々あった。
「アダン、相談なんだが」
「ん?どうした、リク」
「前半、我々はリードして折り返した。しかし、このままでよいのかと疑問に思ってきてな。敵は後半終了間近に規格外のディエロを出してきた、にも関わらず動きはなかった。そこに何か、そうだな、歯にほうれん草が詰まった時のような、言いようのない違和感を覚えるのだ。アダン、貴方はどう思う?」
この堅い口調と、少しわかるようなわからないようなジョークを交えて話すのがリクの特徴だった。それをアダンが共に考えて答えを出す。この二人はトリノのバンディエラであると同時に、トリノのピッチ上で思慮する戦術家でもあるのだ。
「うーん、確かに、そのたとえはよく分からんが違和感というのは俺も感じてたよ。去年対峙した時のユーヴェとは別物、まあ確かにチームも控え同然だし別物なんだが。攻め方、が変わっていた?とでも……うーん、何か、言葉には表しにくいな」
そんな2人の戦術家が相談していると、賑やかなロッカールームにブラウンが入ってきた。その表情は選手たちとは打って変わってどんよりとした暗い表情をしていた。そんなブラウンに楽天家のキャンディが声をかけた。
「おいおい、ボス!勝ってるっつうのになんつう顔だよ。もっと上げていこうぜ?」
しかし、そんな言葉を受けてもブラウンの表情は変わらない。キャンディを可哀想なものを見る目で一瞥し、「バカ」とだけ言ってマグネットがつけられたホワイトボードをカラカラと力なく引っ張ってきた。
バカと言われたキャンディは口を開けている。そして、ブラウンは選手たちに向かってこう告げた。
「諸君、2点じゃ足りんぞ」
まさかの一言であった。2点リードして前半を折り返し、良いプレー内容で圧倒した、そう思ったいた選手たち。しかし指揮官の言葉は選手への批判ととってもいい言葉だった。
もちろん、選手たちも黙って言われっぱなしではない。
「はぁ?何言ってやがんだ、アンタ。頭沸いてんのか?」
まず王様気質のアンドレが監督相手に使ってはならないであろう言葉づかいで批判したかと思えば、
「いやいやいや、ユーヴェ相手に2点リードは上出来だろ!相手はユーヴェだぜ、分かってるか?ボス!」
キャンディがバカと言われた仕返しのように責め、
「さすがに笑えないよ、監督」
最後にジョーク好きのサンタが皮肉たっぷりに締めた。それでもブラウンは暗い表情のままで続けた。
「僕はね、君たちに前半は4点くらいとってきてほしかったんだ。しかし、これは君たちが悪いとは言い切れないのだが、ユーヴェは速い段階でディエロを投入した。これで勝負は厳しくなった」
「どういうことです?」
ブラウンの言葉にアダンが聞き返す。アダンとリクはブラウンの話を最も真剣に聞いていた。彼なら自分たちが抱いていた違和感をほどいてくれると思っていたからだ。
「うん、つまりだね。後半、急に攻めが停滞しただろう。あれは彼の仕業さ。ディエロのフォアチェックは完璧だ。そして彼が入ったということ自体が守備陣を引き締めさせ、攻撃陣を活気づけた。おかげで攻撃は停滞、それでも得点されなかったのは、レン・シュタインがまだ若いってことだね。彼は最後までサイド攻撃にこだわっていた。そして、後半頭からはおそらくゴヌエスが出てくる。途中でラシンも入れてくるだろう。ゴヌエスはレンにないアイデアで様々なチャンスを作り、それを絶対に決めてくれるディエロの準備は万端……今、我々は最悪の状況に追い込まれたのさ」
ブラウンの言葉に、アダンとリクは納得をした。彼らが感じていた違和感とは、昨年ぶつかったユーヴェと比べて、攻撃のバリエーションが少なかったことにあった。つまり、彼らが知るユーヴェの戦い方ではなかったということだ。
そして、後半、その去年の強いユーヴェが現れる、ブラウンはそれで顔を青くしていたのだ。それに気づいた選手たちが急に沈黙する。主に去年から所属している選手たちだ。だが、空気を読めない人物とはいるもので、お葬式ムードともとれるロッカールームで楽しげな選手が二人だけいた。
「ふんふふ~ん。おろ?どうしたのさ、みんな黙っちゃって。さっきまで勝てる、勝てるぞぉぉぉって意気込んでたじゃん」
「その通りだぜ。全く。何を暗くなっているんだイタリアン。ナポリタン。俺かい?俺は元気さ、出番はまだかとウズウズしているよ。出たら点を決めきれる自信があるね。というわけでキョウヤ、君はすぐに俺にクロスを出すんだ。もちろん最高のクロスだ。それを俺が最高のゴールに変えて、ユーヴェのスタンドを絶望に陥れてやるのさ。そして俺はこういう、『ナッポリターン』ってね。あれ?この決め台詞、かっこよくない?」
言うまでもなく、ルイスとアーリーである。アーリーはアップ中のはずだが、何故かロッカールームで靴ひもを結んでいた。陽気な2人を呆れたような顔で見つめていたブラウンだったが、急に何かを思いついたようにマグネットを動かし始めた。そして、いつものドヤ顔に戻ると、選手たちの方を向いた。
「……先ほどは弱気な姿を見せてすまないね。どうにか、良い策を思いついたよ。期待してくれ」
ブラウンの作戦はどんなものなのか、はたまたアーリーは本当に後半から出場できるのか。試合は後半へと進む。この勝負、どちらに軍配が上がるのか、それはまだ神のみぞ知るところである。